軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1-9 駿河 今川館2-6

この二年、甲斐の状況に大きな変化はなく、今川家の勢力にも衰えはない。

それを甲斐衆がどう思っているかなど想像に難くないが、だからといって、勝手な真似が許されるわけがない。

太郎殿が駿府にいることを、簡単に考えすぎているのではないか。

甲斐支配の一環としての、言葉は悪いが人質なのだ。

目に余ることをしでかせば、最悪命を取られるとは考えなかったのか。

むしろそれを良しとして、再び今川家に矛を向けるつもりなら、本当に今度こそ族滅の覚悟をしておくべきだが……連中にそれだけの覚悟があるのだろうか。

今川家が誂えた真っ赤な備えが遠ざかっていく。

この距離でもわかる総大将の小ささに、かつての己を見ているようで胸が詰まる。

今回の件をうまく収めることが出来なければ、甲斐武田家は歴史から消えることになるだろう。

そんなことになれば、武田信玄が生まれてこないかもしれない。

それは、松平家を制圧した時と同じ、『歴史を変える引け目』だった。

……いや。

今川家が滅びるという運命を変えるには、歴史など気にしないと決めたはずだ。

見送る孫九郎の背後で、ゴトンゴトンと義足が近づいている音がした。

どうせこの男は、太郎殿を殺して甲斐を平らげるべきだと言いたいのだろう。二年前にそうしておけば、残る武田家の遺児たちの助命は可能だったかもしれないと。

だが、どうすればよかったかなど結果論だ。

孫九郎は小さく息を吐き、首を振った。

「後詰めは」

「七千」

ぼそりと返された不愛想な声に、ちらりと傍らに目を向ける。

相変わらず愛想のない勘助が、片方だけの目でじっとこちらを見据えていた。

今回太郎殿に付けた兵は千。駿府から出立する数はそれだけだが、道中でいくらか合流し、最終的には三千で甲斐に入る予定だ。

「後詰めは福島殿に任せます」

妙に何かを臭わせる言い方だった。

孫九郎にとって福島家が特別なのは、今川家中の誰もが知っているだろうが、これまで特に問題になったことはない。

当主たる父の卓越した武功もあるし、贔屓だと言われるほど優遇したこともないからだ。

だが、そもそも福島家は遠江の国人領主だ。確かに長く甲斐戦線を担ってきてはいるが、後詰めを任すにはもっと適任がいるのではないか。

「朝比奈殿には富士の西回り、福島殿には東回りで待機していただきます。うまく甲斐が落ち着けば僥倖。太郎殿の手に余るようならお二方の出番です」

七千という数字が、後詰めの兵とした用意した者、という意味なら、すでに駿東にいる朝比奈軍は数のうちに入っていないのかもしれない。

だとすれば、万単位の準備をしたということだ。

「勘助」

咎めるような口調になってしまったが、勘助は気にしなかった。

「念のためです」

念のためって。軍勢を動かすには莫大な金がかかる。ポンポン出せる額ではないぞ。

ここ数年出費を抑えていたのは、城や堤の建築でかなりもっていかれるからだ。その努力が一気に無駄になる。

勘助だけではない。この時代の武士の多くが、銭をため込むのは商人だという認識からか、あればあるだけ使っていいと思っていそうなのが困る。

「御屋形様。この二年間、今川は大きく兵を動かすことなく来ました。そろそろ動くべきです」

孫九郎は勘助からすっと目を背けた。

これは諫言だ。穏便路線は舐められる。……その通りだ。

今川家を守り、戦のない平和な世を目指すためには、示威の為の力が要る。

ぎゅっと眉間にしわを寄せ、苦い思いを飲み込む。

今から数百年たっても、人類は核という兵器を手に敵を威嚇する。力の裏付けなき平和など、いつの世も幻想なのだ。

「例えばです」勘助が低い声で言った。「周辺のすべての国が今川家に敵対し、包囲網を敷いてくればどうなるでしょうか」

幸いにも今はまだ、まとまった動きは見られない。

だが例えばこの時代に信長や秀吉のような武将が出現して、今川家を敵だとみなせば?

孫九郎は長々と息を吐いた。

だからといって積極的戦略をとるべきとは思わないが、今川領内の平和を保つために、外部に目を配っておかなければならないのは確かだ。

「兄上ぇぇぇっ!」

父によく似た深みのある低音で呼ばれて顔を上げる。

ぶんぶんと手を振っているのは幸松。周囲の大人よりもとびぬけて背が高く、実年齢よりずいぶん上に見える。

すっかり父似の武人となった幸松は、背丈も源九郎叔父に迫りつつあった。

うらやましい。本当にうらやましい。

太郎殿が出陣してまる一日後。後詰となる第二陣の福島軍が出陣する。

福島軍の軍装は相変わらず黒と紺を主体にした地味色だが、物々しく光をはじく武具は目立って武骨だった。

幸松は、すでに甲斐国境にいる父と合流するために、福島軍を率いて出陣する。

父に会いに行けるということにも「いいなぁ」と心が揺れた。

やっぱり一緒に行きたい。行こうかな。

そんな衝動にかられたが、奥平のわざとらしい咳払いに肩を落とす。

孫九郎の前まで突進してきた幸松は、大きな目をキラキラさせてその場に片膝をついた。

「兄上! 幸に聞きました。某も鯉に名を付けとうございますっ」

背だけは高いがまだ少年の身体つきで、きっとまだ大きくなるのがわかる。ねだる内容もかわいらしいもので、孫九郎は思わず笑った。

「では早うに終わらせて戻ってくることだ」

「はいっ!」

ニコニコと、満面の笑顔でこちらを見上げる幸松は、本当なら元服前なので実戦に向かうことはない。だが何事にも例外はあって、孫九郎付きの小姓のように、大人に交じって働くのも珍しい事ではなかった。

そして幸松の場合、見た目があまりにも父に似ている事が大きいのだと思う。この子が福島家の嫡男として、戦場に兵を送るのは初めてではない。

孫九郎は両手を差し出し、片膝をつく幸松を立たせた。

立ち上がると、目線がぐっと高くなる。

「怪我などせぬようにな」

周囲の大人よりも背が高いが、いつまでも弟は弟だった。

ポンポンと腕を叩き、武運を祈った。