軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

堺湊 1-9

与平は一度息を止めて、それから吐いた。

頭の中が忙しなく動き、これからどうするべきか思案する。

迷っている時間はない。

日向屋の商船はこのまま湊を出ようとしているが、上手く行くだろうか。

いや、そもそも行かせていいのか?

「与平」

再び八雲に呼ばれた。

身構える前に、さっと横から懐に手を突っ込まれる。

カサリと指に触れたのは、油紙。

「……おい、これは」

「三好様がいる」

与平ははっとした。

八雲が指さしたのは湊の海際。大店の蔵が並ぶ区画だ。

桟橋が並ぶ岸には、身分が高そうな武士が何人かいる。夜なので容貌の判別は難しいが、書簡を直接受け取ったばかりの八雲にははっきりわかるのだろう。

細川京兆家が出てきたということは、その若きご当主の後ろ盾である三好様もいるということだ。だが、実際にご本人が現れるとまでは思わなかった。

「三好様は、御屋形様と一条家のかかわりを知っている」

八雲の声は、忍びの耳にも聞き取れないほど小さく、掠れていた。

「気づかれれば、命はないものと思え」

冷たい刃を直接首につきつけられた気がした。

そうか。御屋形様との関係を悪くしたくないから、余計なことを知る者の口を塞ぎに来るかもしれない。

「……あっ」

仲間のうちの一人が声を上げた。

湾内から出ようとした日向屋の商船に、小舟がぶつかったのだ。

商船は大きいが、遠目にもわかるほどに揺れた。

「与平は天王寺屋の船に向かえ」

「……間に合うか?」

与平は、暗がりにたたずむ八雲に問いかけた。

目が合った。

与平は無意識のうちに、懐の書簡に手を置いた。

三好様の書簡だ。これを届けることが重要なのはわかっている。だが……

「間に合わせる」

八雲はそう言って、湊のほうへ飛び出した。

仲間と数人で、天王寺屋の船に乗り込む。

泳いで渡ったので、濡れネズミで現れて驚かせてしまった。

だが天王寺屋の番頭は肝が据わっていて、顔色を悪くしながらも腰を引かせてはいなかった。

「今は船は出せぬ」

その言葉に、与平は小さく頷いた。

番頭の目が、水たまりを作る甲板の上をよぎる。

「着替えるか?」

濡らしてしまって申し訳ないが、まだ濡れる可能性がある。

与平は首を振って、小舟に囲まれて立往生している日向屋の商船に目を向けた。

まだ十分に追いつける位置だ。だがあの調子で囲まれたら、そのうち乗り込まれるだろう。

「ああっ、火が!」

船頭のひとりが、悲鳴に近い声を上げた。

一瞬、日向屋の商船のことかと危惧したが、違った。

夜目にも鮮やかにメラメラと炎が立って、波止場の周辺が燃えている。

はっとしたように、番頭が与平を見た。

明らかに不自然な、ただの火の不始末ではないとすぐにわかる広がりだった。

一斉に建屋から出てきた者たちが、わらわらと海際まで逃げてくる。

悲鳴と怒号が沖まで伝わり、中には火から逃れるため、桟橋から海に飛び込んだり、船を出そうとする者も見えた。

それまで息を殺していた湊が飛び起きた、そんな騒ぎだ。

沖合に停泊していた商船たちも、一隻また一隻と岸から距離を取っていく。

そろそろこの船も動くべきだ、そう番頭に言おうとしたところで、海坊主のようにぬっと黒い人影が甲板に上ってきた。

体格でわかる。八雲だ。……ひとりか? いや三人。

与平が手を貸すまでもなく、三人とも身軽に船に上がった。怪我はしていないようだ。

「三好様は」

問いかけると、八雲は「ふっ」と息を吐いた。

その頤からぽたりと海の水が落ちた。

「……行けと」

顔を見られたのか? 見られて、見逃されたと?

八雲は真顔で続けた。

「火をつけたのは細川京兆家の手の者だ。倉の荷が燃えている」

会話はそれだけだったが、十分だった。

たちまち怒りの声がそこかしこから聞こえてくる。

番頭はまだ不審の表情でこちらを見ているが、与平は真顔で「そうか」と返した。

実際には、半々以上の確立で八雲がやったと思う。

だが、それは重要なことではない。

三好様に顔を見られても見逃された。それをどうとらえるべきか。

一条家の敵とは別口? あるいは、御屋形様との溝を避けようとしたのかもしれない。

「町が……」

不安そうな番頭が、船べりを掴みながら呟く。

炎の手は広がりを見せ、湾内の小舟も右往左往している。

与平はもう一度、燃え盛る堺の湊に目を向けた。

沖合なので、熱気が伝わってくるほどではないが、夜目にも火花が飛び散り大きな火事になりそうだとわかる。

もしかすると本当に、火をつけたのは三好様の手の者だったのかもしれない。

もちろん天王寺屋の船を逃がすためではないだろう。

若君やお姫様を捕えるためでもないかもしれない。

堺の町を、手に入れるためだ。

沖に泊められていた船のいくつかが、帆を張った。

この距離だと実際の火の粉が飛んでくることはなくとも、小舟が行きかう湾内の騒がしさに巻き込まれそうだと感じたのだろう。

早朝の出航に備え、すでに荷で満たした船は、欲に目がくらんだ連中には恰好の獲物だ。

彼らの身を守るためのその行動は、与平が乗るこの船の出航を目立たなくした。

バサリ、と帆が下ろされる。

船乗りたちの掛け声はなかった。

だが熟練した動きで、風に合わせて帆の向きを変える。

ぐん……と帆が風を孕むのがわかった。