軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

鴨川中洲~堺 1-6

いつまでもここに隠れているわけにはいかない。

京に戻るのが一番いいと思うのだが、お姫様は首を横に振った。

どうしても、どうあっても、若君を土佐に送り届けなければならないと言うのだ。

事情はお話にならなかった。こちらから詮索出来る立場ではない。

ただ、尋常ではない御覚悟は伝わってきた。

「この先には大勢の敵が待ち構えております。あるいは堺から船に乗った後にも」

小次郎様の説得にも頑として首を振る。

見た目以上に意志が固いお姫様だ。

茂みに八雲の気配がした。

戻ってきても姿をあらわさないのは、与平らのように市井に埋没しているわけではなく、それより一段暗い所で生きる男だからだ。

鈴の視線が動いた。

与平はそちらをみなかった。

「川は使わず、直接堺に向かいましょう」

お姫様の意思が固く、小次郎様がこの上どう言おうか迷われているうちに、与平は言った。

「……姫様を歩かせるわけには」

「歩かせはしませぬ」

小次郎様が真意を問うように与平を見る。

「我らがお運びします」

体裁に構わないのなら、三人が安全に移動するにはこれが一番早い。

“運ぶ”という言葉にぎょっとしたのは、小次郎様だけだった。

結論、それが正解だった。

山の道は、追っ手が警戒していない最短経路だった。

もちろん山のない場所も通ったが、連中が目を光らせているのは歩きやすい街道や川などで、そのほかには注意が向いていなかった。

敵に忍びがいなかったというのも理由のひとつだろう。

こちらも大勢は用意できないので、少人数での移動となり、それがまた目立たずよかったのだと思う。

移動中。嬉しそうにしていたのは若君だけだった。目がキラキラと輝き、忍びの足の早さに時折歓声を上げる。

なかなか肝の座った若君だと思う。見知らぬ、しかも忍びに背負われての移動など、通常の感覚なら恐ろしいと感じるだろうに。

お姫様は青白い顔で目を閉じて耐えている。小次郎様はもっと体力を削がれた風で、道中で何度も嘔吐しながら。それが通常だ。

一刻ごとに休憩を挟みつつ、堺の町に近づいたのは長い夏の昼が終わってからだった。

その頃になると、さすがの若君も疲労困憊でぐったりしていて、最後の休憩中、三人とも立ち上がることすらできなかった。

「見ろ、町の入口に見張りがいる」

八雲が指さす先に、物々しく武装した兵がいる。日が沈み薄暗くなってくると、軍勢は松明を持ってあつまっているので、居場所がよくわかるのだ。

堺は町衆が強く、このように兵で取り囲まれることはまずない。堺衆からの反感を買ってもいいことは何もないので、武士ならそれを避けるはずなのだが。

与平の目には、それが湊のほうにまで続いているのが見えた。

かなりの兵数だ。二百はいるだろう。

「船は?」

「確かめてみたが、土佐に向かう予定の日向屋の船が二隻いる」

つまりそのどちらかがお姫様たちを乗せるのだろう。

だが……船に乗ったからといって安全か?

湾内をいったん出たら、和泉灘には海賊がいる。瀬戸内の村上水軍のように常に通行代を取られることはないが、逆に無法がまかりとおっているとも聞く。

与平は座り込んでいる三人に目を向けた。まだ幼い若君と、お姫様は非戦闘員だ。唯一の男である小次郎様が、この二人をお守りできるだろうか。

堺には一条家の兵が五十いると言っていた。実際に土佐まで同行する護衛がどれぐらいいるかはわからないが、一気に大軍に囲まれることのない海上のほうが安全のはず。

だが与平の脳裏には、その船に火をつけられるような事態になったら……という危惧があった。土佐に着いてからは? あちらに敵はいないと言えるのか?

そわそわと胸が落ち着かない。

今川家の忍びである与平たちには、ここから先は手を出すことができない。

……どう考えても、安全だとは思えないのに。

与平たちは、三人には声が届かない場所で話し合った。

やはり、八雲の持つ書簡を届けるのが最優先だという話になった。だが、お姫様たちをそのまま行かせることもできない。

解決策はひとつある。

道中の、海賊の襲われる恐れがある紀伊水道まで同行することだ。和泉灘から紀伊の岸を南下し、今川領に向かうなら紀伊水道を東、土佐へは西に分かれる。

そこまでなら同行できる。

あとは土佐の浦戸湊に着いてからだが……国内は二分されているそうだから、半分の勢力はお姫様たちの味方だ。

「あたし、一緒に行ったら駄目かな」

ふっと鈴が呟いた。

小さな声だったが、それははっきりと与平の耳に届いた。

「だってお気の毒だよ。あんなお怪我をなさっていて、まだお身体の具合も良くなさそうなのに」

「わしらごときが同情するなど、余計なお世話だ」

仲間の一人がそっけない口調で言ったが、内心では気にかけているのは丸わかりだ。

若君の無邪気でまっすぐなご気性に触れ、お姫様の優しく穏やかなご気性を目にして、思うところがあるのは与平も同じだった。

「……厳しいのは確かだ」

腕組みをした八雲が、さっと堺の町に目を向けた。

与平だけではなく、その場にいた複数名がため息をついた。

一条家を襲ったのは、京側から来たのは公家の万里小路家の雇われだった。町の外で待ち構えていたのは、土佐訛りの武士たちだった。

このふたつがどうやって力を合わせることになったのか、あるいは偶然そうなったのかまでは調べ切れていないが、目的はお姫様と若君で間違いないだろう。

男どもが刀を振り回して、非力なお二人を追い回すなど、許しがたい事だと思わずにはいられない。

だが、それも上からの命令を受けての行動だ。個人的な良識の介入する余地などない。

「お勝さまだったら、お許し下さるんじゃないかな」

「御屋形様とお呼びしろ」

鈴の思いはわかるが、お抱え忍びとして口にしてよい言葉ではなかった。

与平らはたいていの忍びよりも裁量を与えられているが、それは勝手にしても良いという意味ではないのだ。

「とりあえず、船に乗り込むまでが第一。一条家の護衛と合流した後は、お側にいることはできないだろう」

与平はちらりと、眠っているように見える三人に目を向けた。

「日向屋の旦那に、紀伊廻りの船を出してもらおう。船が三艘と、護衛も乗っているとわかれば、海賊衆も手出しをしてこないはずだ」

少なくとも、紀伊水道までは安全に行けるだろう。

その先の事は……与平らの手には余る。