軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

下京 1-2

八雲が三好邸から戻ってくる前に、一条家の状況を本格的に調べた。

これまでは公家よりも幕府や畿内の武家を優先的に見ていたので、確かな伝手はない。とはいえ忍びなりの調べようはある。

短い時間しか掛けることはできなかったが、おおよそのところは把握できたと思う。

一条家の一姫の許嫁だったのは、今の帝の御子だ。東宮御所にお住まいだった。

だが何年か前に大怪我を負い、それが完全には回復されていなくて、まだ正式に後継ぎになっておられなかったそうだ。

近年、御所はたびたび火事にあい、ひどい時には全焼したこともある。更には先の帝のご葬儀や、今の帝のご即位などで、金銭的にかなりお困りだったとか。

東宮様(後継ぎ)がどなたになられるか、まだ正式に決まっていなかったのは、そういう世知辛い事情があると噂されていた。

だが来たる年の初め頃にでも、立太子の儀がとり行われ、あわせて一条家の一姫様が東宮妃として入内なさる予定 だった(・・・) のだ。

またも御所に火が出たのは、いまから一か月半ほど前だ。

今度は東宮御所あたりが火元だった。

火が出た当日、一姫様がその場にいらしたのは、果たして偶然だったのだろうか。

上がった火の手は、あっという間に燃え広がり、そこに住む者たちを巻き込んだ。

そう……一姫様も、その許嫁の宮様も。

与平に言わせれば眉唾物だ。

聞いている通りの御立場なら、その宮様は最優先で避難するべき要人。

例え巨漢の大男だったとしても、油を撒かれて直接火をつけられたわけでないのなら、側にいる者たちが担いで逃げることぐらいできたはずだ。

何にせよ、その火事に巻き込まれて、宮様と一姫様は怪我を負われた。

そして、宮様が早急に避難しなかったから、他の者が先に逃げるわけにもいかず、結果大勢の死傷者が出たのだと非難が集まった。

その責任を問われ、宮様は比叡山で出家なさることが決まったのだとか。

さわりだけしかわからないが、巷で囁かれている噂はそういうものだった。

ものすごく疑わしい内容だ。首を傾げたい場所が多すぎる。

だが、市井に生きる者たちにとって、それらは己にはかかわりのない、遠い雲の上での出来事に過ぎない。

彼らも火事の後始末に追われていて、漏れ聞こえてくる噂を気にかけている暇もなかった。

下々からの聞き取りではその程度しかわからず、人手も伝手も時間も足りない与平らにとっては、これ以上の詮索は難しかった。

「姫様、かなりの火傷をなされたそうよ」

鈴の声は吐き捨てるようだった。

鼻頭に皺をよせ、子犬のように唸る。

「ひどい噂が流れてる。二目と見られない顔にされた腹いせに、宮様を比叡山に追いやったって」

仲間たちの沈黙が重くなる。

与平より上の世代の忍びたちは、御屋形様が京で騒動に巻き込まれたときにも忍び働きをしていたので、一条家の方々と御屋形様のつながりをよく知っている。

一姫様は、御屋形様を「兄」と呼び、たいそう懐いておられたそうだ。

そんなお方が怪我をして、京から去らねばならなくなったと聞いて、複雑な思いを抱かずにはいられない。

「一条家が政争に敗れたとみていいのか?」

八雲が確認するように問うが、誰にも正解がわからない。

公家が、武家よりも力を持たないというのは間違った認識ではない。

武力という目に見える形がないからこそ、より陰湿で根深い対立がある。

一条家は摂家だし、土佐に領地を持つ大身でもあるから、おいそれと負けることはないと思っていた。

だが、忍びである与平らにはわかっている。

どんなに強かろうとも、背後から不意を突かれ、急所を刺されたら負けるのだ。

「ご静養に土佐に向かうことができるなら、命に係わるお怪我ということではないのだろう」

飯屋の大将が、自身に言い聞かせるようにつぶやく。

「でも顔よ。顔なのよ。お姫様なのに」

「生きていてこそだ」

「男にはわからないよ!」

そばかす顔の鈴が、泣きそうな顔で言う。

それに対して、言葉を続けることができる者はいなかった。

三好様からの返書を受け取り次第、相模に向かわなければならない。

与平らにとってそれは最優先の任務だったが、半日遅れで京を発つ一条家の隊列を、せめて堺で船に乗るまではお守りしようと意見が一致した。

だが、京をでてしばらく。伏見に向かう道中で気づいた。

ひそかに遠ざかる一行の後に、追っ手がいる。

忍びではない。浪人風だ。五十人以上いる。

与平らで排除できる数ではない。

「……どうする?」

仲間のひとりが囁く。

八雲が懐の上に手を置くのが見えた。

そうだ、返書をお届けしなくてはいけない。

だが同時に、輿にいるのであろう気の毒な姫君を、更に襲おうとしている連中をそのままにはしておけなかった。

「八雲は出るな」

低い声で与平は言った。

「背後から襲撃すれば、あるいは」

「待て」

八雲が特徴的に長い腕をわずかに上げた。

「一条家に知らせるべきだ。あちらの護衛が二十と少しいる」

「知らせる? 誰が」

むさくるしい男どもが互いの顔を見合わせた。

公家のご家中に声を掛けると考えただけで、怯んでしまう。

特にあちらには、やんごとないご身分のお姫様がいらっしゃるのだ。怖がられるに違いない。

「……仕方がないなぁ」

唐突にそう言ったのは、鈴だ。

「あたしが行く」

「そんなわけにいくか」

与平は即座に切り捨てた。

鈴が駄目というわけではない。刃物を抜く事態になった場合も考慮しなければならないのだ。

この中で役が上なのは八雲だが、大役を担っているので前に出すわけにはいかない。

「……わかった。背後を頼む」

与平はさっと着物の袷を整えた。