軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

4-3 伊豆 韮山城3

「なるほど」

承菊は、援軍の話を聞いて笑った。

莞爾、といってもいい笑みだった。

孫九郎は口を開こうとしたが、とっさに何を言えばいいのかわからなかった。

庵原を小田原に突撃させる。

そこに想定していない援軍がいるなら、大きな被害がでるだろう。

それこそが承菊の望みなのかもしれないが、孫九郎の良心がそれを良しとはしなかった。

「小田原湊に、清水湊で拿捕した商船を向かわせた。今頃荷下ろしをしているだろう。こちらも急ぎ出陣して、明日の夕刻までに早川の西側に陣を張る」

若干早口になってしまい、咳ばらいをする。

「強行軍になるやもしれぬが、援軍が来る前に片をつけたい」

「それがよろしいかと」

承菊ではなく、勘助がそう言った。

この男も承菊の危うさに気づいているだろう。気づかないわけがない。

「左馬之助様を死なせては、御屋形様のこの先の計が崩れます故」

なんとか事態を軟着陸に持っていきたい。そんな孫九郎の思惑を汲んでくれたか。

計画では、左馬之助殿が先陣を切って小田原に突撃し、北条軍に降伏を呼びかける手はずだ。もちろんそれが受け入れられるとは思っていない。援軍の当てがあるならなおさらだろう。

だが、北条家の家中に、一定数の左馬之助殿派閥がいるのはわかっている。左馬之助殿の家臣らも、今川家の侵攻に合わせて江戸攻めから戻っているだろう。

彼らが今川に投降する、あるいは逡巡をみせる。それがきっかけとなり、今の状況に不安がある家臣の離反を狙っている。

「先鋒の軍は庵原家に任せる。その他の布陣の確認をしておく」

「お待ちください」

不穏な笑みを浮かべていた承菊が、口を開いた。

「それについては、こちらからも申し上げたいことが」

「なんだ」

「伊豆衆が出陣を希望しております」

みぞおちのあたりがきゅっとした。

その笑顔はなんだと追求したい気持ちを押さえ、「そうか」と無難な返答をする。

この二年。承菊にぎゅうぎゅうに締め付けられたに違いない伊豆衆が、兵を出す余力をもっているだろうか。

「無様なさまはお見せしませぬ。きっとお役に立てると信じております」

ふと、血を浴びた承菊の、墨と錆びの混じった匂いを思い出した。

あの時も、ものすごい笑顔だった。

鳥肌が立った腕を無意識にさすり、孫九郎は頷いた。

急遽出陣が決まった。

韮山城には二刻ほどの短い滞在だった。

清水湊から運び込まれた物資が豊富なので、従軍の小荷駄隊はすでに出立の準備を整えていて、伊豆衆も準備万端な様子だ。

その鬼気迫る表情を見て、何とも言えない気持ちになる。

承菊は静かに君臨し、彼らを支配している。それは畏怖に近いものに見えた。

ならば、孫九郎が飴の役割をすればいい。

そう思い、丁度目が合った若い伊豆衆に笑顔を向けると、何故かひどく怯えた表情で俯かれてしまった。……解せぬ。

「それでは参りましょう」

承菊の穏やかなひと言に合わせて、ばっと軍旗が翻った。

巨大な旗に刻まれているのは、今川家の紋だ。伝統ある、将軍家と同じ家紋。

こんなもの持ってきていたかと首を傾げる。

どうやら承菊が用意していたものらしいと聞いて、またも鳥肌が立つ。

いつか小田原へ攻め込む日に備え、承菊はこの四年間ずっと準備してきたのだ。

韮山城も、伊豆衆の従順も、腕の太い逞しい男が掲げた巨大な軍旗も。

四年かけて研がれてきた牙だ。

ぶるり、と全身が震えた。

それは恐怖ではなく、武者震いに近いものだった。

お膳立ては万全だ。

小荷駄隊を含めると一万を越える軍勢が、ゆっくりと街道を北上する。

孫九郎らは来た道を引き返す形になる。

この先の行程としては、本陣は三島で一泊。先行部隊は少し頑張ってもらって中山の砦までいき、明け方に湯本側まで下り関所と峠を押さえる。

本陣が先行部隊と合流するのはその後、昼頃を予定している。

北条がどの程度の備えをしているかわからないが、上手く行けば奇襲になるだろうし、行かなくとも、敵が後続もあわせて一万の兵だと知れば、防備の堅い小田原に撤退するだろう。

合流を済ませた後は、早川沿いを下流へ。明日の夕方には早川西岸に布陣完了。小田原の出かた次第によっては夜戦になるかもしれない。

孫九郎は半刻ほど待ってようやく動き始めた本陣で、ちらりと承菊の顔を見上げた。

承菊も当たり前のように馬に乗っている。

美しい馬だが、墨色の法衣に合わせたように地味な拵えの馬具で、飾りもほとんどない。黒毛なので乗り手と一体化しているようにも見える。

防具を身にまとわないその姿、つるりと綺麗に剃られた頭。

武士ではない彼が、本陣のほぼ中央にいる姿は、総大将たる孫九郎よりも目立った。

孫九郎は、その涼やかな表情を見て、うらやましくなってきた。

季節はすでにもう夏だ。汗は滝のように流れるし、鎧兜の中は暑くて臭い。

目が合って、承菊は「何か?」という風に首を傾げた。

孫九郎の視線は無意識のうちに、マネキンのように形の良い坊主頭をかすめた。

「……涼しそうでいいな」

「御屋形様も御出家なされては」

てらいのない承菊の返しに、周囲はぎょっと目を向き、勘助の口元がニヤリと歪んだ。