軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3-1 駿河 由比 桃源院庵1

その庵は、前に見た時よりも数段グレードアップしていた。壁は漆喰の塗り壁に、床は滑らかに磨かれていて、柱もいいものを使っていそうだ。

ちなみに屋根は瓦葺で、軒先の丸瓦には蓮をかたどった装飾が刻まれている。

……豪華だ。非常に豪華だ。

もはや庵とはいえない規模に増築されているが、案内人が庵というのだから庵なのだろう。

孫九郎は上げていた視線を真正面に戻し、小ぶりな四つ足門を抜けて敷地内に足を踏み入れた。

その瞬間、護衛を含む随員たちが緊張したのがわかった。

孫九郎は三千の兵を率いているが、庵の女主人に配慮をして少し離れた位置に布陣している。同行しているのは十人程度。左馬之助殿を入れての数なので、護衛は少ない。

そして『庵』の敷地内で片膝をついて頭を下げているのは、優にその十倍、いや二十倍もの数の武士たちだった。

先頭のほうにいる男たちには見覚えがある。

桃源院様の世話役を任せたのは四年前。十日に一度の報告書を欠かさず送ってきていて、だからというわけではないが、実直な奴らだと言う印象がある。

孫九郎が足を止め、周囲を見回していると、背後で門が重い音を立てて軋んだ。

「なっ」

土井をはじめとして数人が気色ばんだ。残りの者たちは、孫九郎との距離を詰め、肉壁となって視界を遮る。

門が閉まる前に下がるよう促されるが、孫九郎は動かなかった。

心配するまでもなく、門の左右に控えるのは田所のところの者たちだ。閉まりはしたが、閉じ込められたわけではない。

孫九郎はそれだけ確かめてから、真正面で頭を下げている男たちに向き直った。

何が起こっているのかわかっているはずなのに、彼らは顔をあげない。

それは良心の呵責からか。あるいは覚悟を決めるためか。

「……なるほど?」

一瞥してそう言うと、居並ぶ男たちは身をこわばらせた。

「出迎えにしては大仰だな」

「……恐れ入ります。邪魔の入らぬようお話をと」

答える男は顔を伏せたままで、表情が読み取れなかった。

孫九郎は、記憶の中から男の名を引っ張り出した。報告書には名前が書かれていないので、思い出すのに数秒かかった。

「富樫」

下げていた男の肩が強張った。

「信頼を仇で返すか」

いや違う。そもそも富樫が孫九郎ではなく桃源院様に忠誠を誓っていたのなら、この言い方は間違っている。

「信頼したこちらが間抜けか」

「……っ」

今川家は一枚岩ではない。派閥は複雑に絡み合い、野心はそこかしこで熾火のようにくすぶっている。

側室腹の孫九郎は、どれほど戦果をあげ、どれほど国を富ませても、一門衆の間では下に見られる。

今川家の当主となったことが、まるで下克上したかのような言われようなのだ。

富樫がそれに対してどういう意見を持とうが、大きな問題ではない。

だが、当主たる孫九郎を退けようと行動に移した事実だけがそこにある。

何かをぐっとこらえるようなそぶりを見せた富樫が、顔を上げた。

食いしばった顎と、小さく上下する肩が、この期に及んでの逡巡を露にしていた。

「御覚悟を」

「……はっ」

孫九郎は軽く失笑した。

庵を囲んで三千の兵がいる。退き口は確保されていて、門までの距離も遠くはない。

「覚悟? 何の覚悟だ? この程度の数でこの首が取れるとでも?」

「お家の継承は正しい順でなければなりませぬ。決まりを崩せば、お家が乱れます」

……ああ、なるほど。

富樫の言いたいことはわかった。

この男が、どういう行動理念でうごいているのかも。

「この首を獲れば、今川家がそなたらの主君の手に転がり込むと思うておるわけだな」

「御屋形様!」

藤次郎の制止を受けて、前に進み出ようとした足が止まった。

襟首を掴むなよ! そう苦情を言おうと振り返ったが、孫九郎を引き留めているのは藤次郎ではなく、左馬之助殿だった。

なおも馬鹿力で引っ張られ、両足が浮く。

そのままポイと、谷ら護衛達のほうに押しやられた。

「……つまりは、孫九郎殿の敵ということか」

ビリ、と空気が震えた。

その場にいた富樫勢が動かなかったのは、歴戦の兵の圧に飲まれたからで、孫九郎とその随員が動かなかったのは、そういう気配に慣れているからだ。

そういえば四年間、富樫家は桃源院様の守りとして侍り、戦場には出ていない。

武士の華である戦で武勲を上げることができず、思う所があったのかもしれない。

だからといって、現今川家当主を否定して先代当主の母親につくというのは、時勢が読めないとしか言いようがないが。

孫九郎は、今にも切れそうな張り詰めた空気に息を吐いた。

長めの溜息は、異様に静かになっていたその場にやけに大きく響いた。

「敵なのはずっとわかっていましたよ」

予備の予備の扇子を手に取り、肉壁の間に突っ込んで脇によけさせた。

「なんなら、生まれた時からそうでした」

思い出すのは源九郎叔父の全身に及ぶ火傷の跡と、孫九郎自身にも残る古傷だ。

そう、桃源院様は孫九郎が生まれた時から、排除の意向で動いていた。

それが、今川家の血統が嫡流から離れることを危惧してなら、間違っていなかったともいえる。

富樫は、なおも迷っているようだった。

それはそうだ。庵の外には三千の兵がいる。

富樫の手持ちがここにいる者たちだけなら、仮に孫九郎の首を獲れたとしても、その先はない。

「富樫」

孫九郎は静かに呼びかけた。

この男の気質は実直だ。十日ごとの報告書の文面からも読み取れる。

才覚もあるのだろう。孫九郎を三千の兵から引き離し、庵の内側まで来させた手腕はなかなかのものだ。

だが、命令に従うのと、大事を成し遂げることは全く違う。

「優柔不断は身を滅ぼすぞ」

パチリ、と扇子を鳴らした。

孫九郎が発したその合図は、過たず受け取られた。

そこには一抹の逡巡もない。

数多の戦場を渡り歩いた男たちは、周囲を取り囲む二十倍の敵に、迷いなく切りつけた。