軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

2-5 駿河 行軍初日 興津宿3

大勢の前なのに、思いっきり叱られた。最近はいい感じに怒られずにいたのに。

だが藤次郎の心配もわかる。

よりにもよって古参中の古参の家臣に成り代わるなど、大胆すぎるだろう。微塵も気取らせなかった腕に感心する。先代の小太郎とは系統の違う、恐るべき忍びの技だ。

ガミガミと叱り続ける藤次郎を宥めるために、素直に「ごめんなさい」すると、常日頃から側近くにはいない興津らや左馬之助殿らが驚愕の表情になった。

何を驚いているのか大体わかるが、藤次郎が怒りを収めてくれるなら頭を下げるぐらい普通にするぞ。

逢坂老よりしつこいからな。

小太郎が、土井を思わせる朗らかさで微笑みながら両手を上げた。

万国共通、無抵抗のアピールだ。

護衛達は当たり前だがそんなものに警戒を緩めたりはせず、刀の切っ先を突き付けたまま。

お世辞にもいい雰囲気とは言えなかったが、このメンツで集まるなど次はないだろうから、厳戒態勢のまま話は続ける。

「清水湊で興津の重臣がひとり死んだ。その護衛らもおそらく生きてはいないだろう。心当たりは?」

「高富丸でしょう」

商船の名前か? 小太郎が知っているということは、やはり北条関係か。

「御用商人の井高屋は、堺というよりも近江の商人です」

「近江? 近江商人が堺衆を名乗って大型の商船を運行すると言うのは、いろいろな方面で問題になるのではないか」

「堺衆の娘を娶って、末席に連なったそうです」

孫九郎は、見れば見るほど土井に似てくる男の顔をじっと見つめて、首を傾けた。

「末席に連なった程度で、大型商船が持てるのか? ……いや、そのために銭をため込んだのだろう。あるいは北条の援助があったか」

この時代の船のほとんどが安宅船だが、大陸との貿易を視野に入れるなら、もっと喫水の深い帆船が必要になる。

そんな船を作れる船大工など限られているし、下手をすると城をひとつ建てるほどの銭が必要なはずだ。

それにしても……近江か。あまりいい印象がない。おそらく六角氏も近江商人も、今川に対しては似た印象だろう。

「……もう四年になるのか」

かつて京が火の海になった現場に孫九郎はいた。左馬之助殿もいた。

あれから時勢は大いに変化したが、いいように変わったという話は聞こえてこない。

変わらないのは、できるだけ近づきたくないという本能的な忌避感だ。

だが孫九郎が自領の政に邁進している間に、北条は畿内近江に伝手を伸ばしていたのだろう。

それを恐ろしいとは思わないが、厄介なことになる可能性はある。

四年前のように、細川が連合を組んで攻め込んでくるようなことはないはずだ。だがしかし、それに成り代わる複数の勢力が、今川を包囲しようとしているのかもしれない。

「もっと諜報に力を入れるべきだな」

「それは我らへの依頼ということでよろしいのでしょうか」

ちゃっかりとそう問いかけてきた小太郎に、孫九郎はひょいと眉を上げる。

弥太郎ら孫九郎の子飼いの忍びたちは、今川家が内政に力を入れている間は領内と周辺諸国への情報収集を重点的にしていた。

京方面はもっぱら佐吉に任せているが、詳細とまではいえない。

「やりたいと言うなら任せても良いが、それより先に、北条家への借りを返したいのではないか」

これまでにこやかだった小太郎の表情に、刃のように鋭いものが走った。

風魔といえば、北条家の忍びという印象がある。それは孫九郎の、現代人としての記憶であり、この時代はまだ伊勢氏から後北条氏へと名を変えて一代目なのだ。

先代小太郎の腕を奪い(戦いで失ったわけではないそうだ)、お抱え忍びの地位を取り上げられた屈辱は忠誠心をも超えるだろう。

「左馬之助殿への足止めの件について話せ。やすやすと逃したりはしておらぬのだろう」

孫九郎は小太郎の表情の変化に気づかぬふりをして、先を促した。

小太郎は一瞬の間を開けてから、小さく頭を下げた。

「声を掛けられた時、左馬之助様の御名を呼んでおりました。一見友好的に見えましたが、こちらが警戒しているのを察して、すぐに切りつけてきましたので、もとよりお命を狙ったものでしょう」

つまり、北条に戻るよう誘いもしなかったということか?

それが真実なら、左馬之助殿が逃げようとしているという興津の主張は崩れる。

「……長綱だ」

左馬之助殿が、この男にしては珍しくはっきりとした嫌悪の表情で言った。

「ワシに戻られては困るのだろうよ」

「叔母上殿からの書簡では、戻るようにとありましたが? あれは嘘だと?」

「帰参したらしたで、殺す気だろう。二枚舌どころか五枚、いや百枚の舌を自在に駆使する奴だ」

百枚舌か。それはそれで想像したら怖い。

だが待て。あの男がそれほど単純か? わざわざ目立つ外洋用の商船で乗り込んできて、わざわざ刺客を左馬之助殿に向ける?

孫九郎はしばらく考えて、軽く脇息を指先で叩いた。

「数名逃したそうだが、追ったのだろう? どこに向かった?」

「清水湊に戻ろうとしました。ですが、興津衆の監視が厳重でした」

小太郎が平淡な声で答える。

「よそへ向かったのか?」

「まだ町の外で入り込む隙を伺っています。夜になれば動くでしょう」

もちろん、刺客が清水に戻ろうとしたからといって、必ずしも商船の乗組員だとは限らない。

あるいはそちらに意識を向けさせて、何か別の事を企んでいる可能性もある。

……いろいろと、北条の童顔腹黒に翻弄されている気がするな。

孫九郎は、まだ左馬之助殿を睨んでいる興津らに目を向けた。

左馬之助殿はともあれ無事だ。先に考えるべきなのは、善之助の事だ。

「高富丸の内部は調べたのか?」

孫九郎の問いかけに、興津の若い当主ははっとしたようにこちらを向いた。

「い、いえ。取り急ぎ船長と商人は捕えておりますが」

「ならば急ぎ戻り、その者たちを連れて参れ」

「えっ、ここにですか?」

清水湊から興津宿までは往復で一刻ほどだ。湊に戻ろうとしている刺客をとらえて、そいつらもまとめてでもいい。

「直々に詮議があるとでも言えばよい。その間に船の内部を調べさせる。どこかに善之助が殺された理由があるやもしれぬ。……勘助を馬に括り付けて連れてきて、商船の調べに当たらせるように」

孫九郎の決定に否を言う者はおらず、事態は急速に動き始めた。