軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

2-2 駿河 行軍初日

最近ぐっと背が伸びて、それは『目立たない』という意味においては大いに役に立っている。

孫九郎が普段着の地味な小袖と袴を見にまとい、のんびりと川に足をつけていられるのは、周囲に二十人以上の同世代が同じように並んで涼んでいるせいだ。

「釣りがしたい」

「そうですねぇ」

そう相槌を打つのは正太郎、二年前に小小姓として並んで仕事をした子だ。今でもその連中とは肩を並べて河原に座る仲だ。

「ですが今は怒られそうです」

「こっそり夜中に行くか?」

「駄目です」

ぼそりと低い声でそう言ったのは谷だ。

この男は小柄な上に童顔なので、少年たちに紛れてもまったく目立たない。

一人だけ憮然とした表情なのは、理解できなくはないのでスルーしておく。

孫九郎が本陣にいないのは、警備の観点からいっても悪くはない選択だった。

だが深く入り込んでいる間者がいるなら逆に手薄になる。そのための用心として、谷がぴたりと付き従っているのだ。

「……あっ」

栄吉が小さな声を上げ、それにつられて全員の視線が水面に向く。

きらりと鱗が陽光をはじき、目を凝らすと複数の魚影が見える。

小小姓組はそろって小姓になり、今でも強固な仲間意識があって、相手が考えていることは大概理解できる。

食いしん坊栄吉が半開きの口になったのを、正太郎が肘でごつき、「あーあ」とそのほかがため息をつく。

うまいとわかっているものが目の前にあるのだ。育ち盛りの男子としては、握り飯を食った直後であろうとも腹が鳴ろうというもの。

孫九郎はそっと腹をこすり、胃袋の要求を宥めた。

「そういえば、孫九郎さま」

同じように腹をこすっていた栄吉がこっそりと内緒話をするように顔を寄せてくる。

「うちの親父が駿東から柚子の苗木をもらってきて、庭先に植えたのですが」

「ほう」

駿東は火山灰土なので米が育ちにくい。それゆえに貧しい土地だとされ、人口も少ない。

だが実際に土地がやせているわけではなく、米作が適さないだけなのだ。

故に数年前から、果樹や茶木や桑を植えさせている。なかなか順調のようだ。

「三軒隣りの家では桑を植えていて、今の時期うまい実がなっています」

つまりは、生食できない柚子ではなく桑の木がよかったということだろう。

孫九郎は苦笑して、近くにある少年の背中を叩いた。

「柚子もうまいぞ」

「匂いは良いですが、すましに入れるだけじゃないですか」

「いやそれだけじゃなく……」

そういえば、この時代に柚子胡椒という調味料はない。柚子胡椒といっても材料は柚子と青唐辛子と塩なのだが、肝心の唐辛子がないのだ。

山椒やワサビとあわせるのはどうだろう。あるいは塩に直接皮をまぜるとか。

焼き魚に付けて食べたら美味そうだな。

想像したら、更に盛大に胃が鳴った。

「何をやってるんですか」

さりげなく近づいてきた土井の呆れの声に、小姓組はしまったと口を閉ざした。

釣りではなく、弥太郎が神がかり的な石投げで仕留めた魚を、皆で分け合って食べている最中だった。

孫九郎は手に持っていた川魚をさっと栄吉に渡した。

誤魔化せるわけがないのだが、とりあえず形だけは何もやっていませんという風に。

「目立ってますよ」

窘められて周囲を見回すと、確かに注目が集まっていた。

孫九郎にというよりも、いい匂いをさせている魚にだが。

「客人が到着されました」

そっと耳打ちされ、口元についていた塩を拭う。

「随分かかったな」

「やはり足止めがあったようで」

孫九郎はちらりと本陣のほうを見た。ここで土井が何も言わないということは、負傷などはしていないのだろう。風魔が守ったか、本人が退けたか。

「問題がないなら、話は夜にしよう」

「はい。お伝えしておきます」

「いや待て」

孫九郎は小首を傾げ、しばらく考えた。

「由比に同行する気はあるかと聞いておいてくれ」

「……えっ」

一瞬土井の反応が遅れた。誤魔化しても駄目だぞ。今魚のほうを見ていただろう。

だがまあ、袖の下として役に立つなら食わせてやってもいい。

孫九郎は栄吉の手から、渡したばかりの串を受け取った。

「なんだその手は」

「いただけませんので?」

土井が差し出してきた手を見て顔をしかめると、しれっとそう返された。そんな期待の目で見られると、逆に渡したくなくなるが……袖の下だ。袖の下。

「藤次郎には内緒だぞ」

「わかりました!」

土井はウキウキとそう言って、一番の大物をちゃっかり受け取った。

さっそくその場で食い始めたのは、証拠隠滅、魚を持って本陣に戻るわけにはいかないからだ。

孫九郎はそんな土井の真横に座って、正太郎から差し出された串を受け取った。

ちらりと焼き場を見ると、もう残っている魚は少ない。

「おひとりだったか」

客人に同行者はいるのかと問うと、土井はむしゃむしゃとうまそうに魚にかぶりつきながら首を傾げた。……ちくしょう、子供の食い物を横取りしやがって。

「側付きと護衛が十名ほど。それ以外の同行者はいらっしゃいません」

土井は口の中のものをごくりと飲み込んでから、まじめな顔をして答えた。

孫九郎は土井が食ったより小ぶりな魚を見下ろして、悪態を胸の内でつぶやいてから頷いた。