作品タイトル不明
14-1 遠江 土方着
たっぷり十日かけて、土方の街まで来た。
その間のゆったりした行列の進みに、正直手持無沙汰だった。
どうしてこんなにジリジリと進むのか。孫九郎は己がせっかちだと自認していたが、それを口にしないだけの分別はあった。
「あにさま」
愛姫様が孫九郎を見て笑顔を浮かべる。万千代君もかわいらしい声を上げて手を振っている。
この笑顔の為なら、多少の不満は飲み込むべきだ。
不自由な長旅を、姫様は輿に揺られて耐えられた。万千代君は飽きたら馬に乗り換えたりもなさっていたが、姫様はそういうわけにもいかない。
屋敷に着いたら、少しくつろいでいただこう。
源九郎叔父は甲斐だが、奥方と子らがいる。次郎三郎の母と弟妹もいる。
久々に双子に会えると思うと気分が上向いた。
孫九郎は手に持っていたオレンジ色の花を愛姫様に差し出した。
もうすぐ寒月様のお屋敷だから、水に差すこともできるだろう。
「まあ、ノカンゾウやね」
輿の上からそれを受け取って、姫様はぱっと花開くように笑った。
「摘んできてくれはったの?」
孫九郎は嬉しそうな姫様に頷きを返した。
……実は、弥太郎が生薬にするからと乱獲しているところを見て、一本だけ摘んだのだ。
こんなに喜んでくれるのだったら、たくさん持ってくればよかった。
「もうすぐお屋敷です。足を伸ばせますよ」
孫九郎がそういうと、輿の上で万千代君が素直に歓声を上げた。愛姫様の表情も明るい。
「お勝」
騎馬で旅を続けていた寒月様が、馬を寄せてきた。
「時任が先に向かった。そなたもよってゆけ」
「侍従殿は馬も達者なのですね」
「あれはなんでも器用にこなす」
孫九郎が幼いころから知っている“小言の人”だが、礼儀作法に厳しいだけではないらしい。
「あっ」
兵のうちの一人が声を上げ、皆が自然とそちらを向いた。
丘を越えたその先に、土方の街が見えてくる。
その、ふもと。
大勢が、大声をあげて手を振っていた。
鮮やかな幟、大旗、手に華やかな色の手ぬぐいを持ち、懸命に振っている者もいる。
町人、農民、武士もいる。大人も子供も年寄りもいる。
「……さまぁ!」
風の音に交じって、木々のざわめきのような、いや大地が揺れるような大音声が聞こえてくる。
「御屋形様ぁっ‼」
それは、土方の町を上げて、高天神城をあげての大歓迎だった。
孫九郎はいったん寒月様のお屋敷に入り、愛姫様と万千代君が一息つくのを確認してから、高天神城に向かった。
その道中も、まだ興奮冷めやらぬ町の者たちが、お祭り騒ぎだ。
どうやら、高天神城の留守居が奮発して、町の者たちに祝いの酒を振舞ったらしい。
……いや結納もまだなんだけど。
そう言いたいのを堪えて、心からの祝福に笑顔で答える。
大手門は大きく左右に開かれ、昼間からガンガンに篝火が焚かれていた。
これほど華やかに飾り立てられているのは初めて見る。
孫九郎は、かつては山賊の門のようだと思った大手門を見上げた。
上の方からこちらを見下ろす兵たちが、歓声を上げている。
同時に、どっと低い地鳴りのような怒涛の鬨の声が上がった。
「御屋形様」
進み出てきたのは、源九郎叔父の正妻、つまり孫九郎にとっての義理の叔母にあたる。
相変わらず小柄で華奢だが、以前よりは顔色がいいように見えた。
「叔母上」
信濃海野家から嫁いできた松殿の背後には、久々に会う従兄弟たちが恥ずかしそうに立っていた。二人とも、福島の血が濃いのが目に見えてわかる。
割と頻繁に会っているし、季節ごとの贈り物も欠かさないが、現代ほど便利な時代ではないので、頻繁といっても年に一度会えればいい方だ。
双子は孫九郎と目が合って、たちまち興奮したように顔を赤くして笑顔になった。
よかった。顔を忘れられてはいないようだ。
そんなことを思いながら、駆け寄ってきた二人の頭に手を置く。
「この度はおめでとうございます」
松殿や、次郎三郎の母親である真田静殿は、丁寧な所作で頭をさげるのだが、いかんせん、周囲の興奮につられた腕白二歳児ふたりのせいで、おちついた歓迎とは言いかねた。
「おやかたしゃま! おやかたしゃま!」
孫九郎にまとわりつく双子をなんとか落ち着かせようとしているのは、次郎三郎の弟たちだ。こちらも二年でずいぶん大きくなった。
ここには家族がいる。
そんな気にさせてもらえるのは、幸せなことだった。
孫九郎は双子の足に合わせてゆっくり歩き、城に続く坂道を登った。
今日は高天神城の懐かしい部屋に泊まることになった。
本来は源九郎叔父の部屋なのだろうが、今は空き部屋だ。
孫九郎の側付きたちも久々だろう。懐かしそうな顔をしている。
ここに家族がいる者もいるので、数日の滞在予定の間に交代で会いに行くようにと命じておいた。普段は駿府にいるか、今川領内を右へ左へ移動しているかなので、滅多にない機会だ。
寝支度をして、開け放たれた障子の向こうの空を見上げる。
櫓が見える。
あの上でカンカンと鐘を鳴らす音をきいたなと、また懐かしくなった。
「失礼いたします」
柔らかな女の声がした。
次郎三郎の母親と、高天神城の留守居である倉辺が部屋に入ってくる。
「お呼びとお伺いいたしました」
次郎三郎が母親の後ろから入ってきて障子を閉めた。
部屋が閉ざされても、二人の表情はかわらなかった。
聞かれることに心当たりがあるのかもしれない。
孫九郎はそっと目を伏せた。