作品タイトル不明
13-8 三河 渥美半島 渥美半島 高師3
ここは公家がかつて立てた屋敷だが、かつて掛川の近くにあった寒月様の屋敷とも、土方にある屋敷とも違って、それほどの広さがない。
だからこそこの人数での十分な警備が可能だといえるのだが、事情が事情だけに心もとないものでもあった。
だからこそ今川館への移動を進言した。
三河は今川の勢力下だが、それを良しとする者ばかりではない。
間違いが起こってはならない。
寒月様は一応了承してくださったが、危惧があると正直におっしゃった。
長らく今川館は、先代の奥向きの影が色濃く、京ともつながりが強い場所だった。
あれから随分と変わり、風通しも良くなったが、完全に払拭したとは言い切れないのだ。
今川館にはいまなお、かつてを知る者がいる。
事務方にも、奥向きにも。
特に何をしたわけでもないから、クビにするわけにもいかず……いや全員が一斉に職を辞されては困るので、そのままに務めているものが多い。
むしろ土方の屋敷のほうが、安全面では高いのかもしれない。
だがいざ何かが起こった時、つまり刺客などが襲ってきた場合に、土方では万全の対応ができない。
今の一条家が置かれている状況を考えると、どこにいても覚悟が必要だということだ。
「孫九郎にございます」
部屋の前で一礼する。
敷居にそって簾がかけられていて、中に人がいるのがうっすら見える。
「おはいり」
室内からそう返してきたのは寒月様で、垂れていた簾を上げたのはお付きの侍従だった。
「失礼いたします」
この侍従とも長い付き合いだ。厳しい叱責をうけたこともあるし、作法の指南をしてもらったこともある。
目が合って、推し量るようにジロジロと見られる。それもいつものことだ。
室内に姫様と若君はいらっしゃらなかった。席を外されているようだ。
一礼して顔を上げ、寒月様の険しい表情を見て、わざと遠ざけられたのだとわかった。
「なにかございましたか」
「ええ知らせやない」
部屋の隅に、鶸が座っていた。
あまりにも自然に、空気に溶け込んでいたので気づかなかった。
「東雲様は大湊に戻られたとお伺いしましたが」
「そうや。北畠が余計な口を挟んできよった」
寒月様の手が、苛々と扇子を開け閉めしている。
そこに明瞭にうかがえる“怒り”の感情に、逆に孫九郎は冷静になった。
「それは、馬脚を露したということでしょうか」
しまった、あけすけに言い過ぎたか。
寒月様は動きを止め、孫九郎を見た。
「……いいや、そこまでやない」
孫九郎は頷いた。
「ではなんと」
しばらく、言葉を選ぶか飲み込むかする沈黙が続いた。
やがて寒月様は長くため息をつく。
「愛姫に縁談を申し込んで来やった」
「……は?」
孫九郎は無意識のうちに眉間にしわを寄せていた。
「慇懃無礼な見舞いの言葉と、皇子様との縁がのうなったので寂しかろうと」
「それを寒月様に? 中納言様に申し入れるのではなく?」
「あの船に、愛姫もおったのやろうと言いたいのや」
「その書簡を拝見してもよろしいでしょうか」
寒月様は頷かれ、侍従殿に目配せした。
そして孫九郎の手元にやってきた書簡は、美しい上等の紙に包まれた封書だが、正式なものというよりも私信寄りのものに見えた。
「あちらも事情は知っておると匂わせたかったのやろう。東雲に使者がきよったそうや」
書簡の内容は、志摩の者がとんだ非礼をはたらいたと謝罪し、若君の無事への安堵と、体調への気遣い……一見、穏便な謝罪と見舞いの書だ。
確かに後半の、愛姫様への言及が浮いている。だが寒月様が激怒なさるほどの酷い文面には見えない。
いや、公家にしかわからない含みがあるのだろう。
伊勢に滞在している東雲のもとに、寒月様への書簡が渡る。そのこと自体にも、「知っているぞ」という匂わせがあるのかもしれない。
孫九郎はじっくりと内容を読み、公家らしい美しい手の行間にあるものを考えた。
文面そのものは、飾り立てられた丁寧なものだ。だがおそらく、紙質だの書き方だの言葉の選びなどで、公家の界隈にいる者なら真っ赤になって激怒するほどの非礼を含んでいるのだろう。
どのあたりが怒るポイントだったのか、あとでこっそり侍従に聞いておこう。そんなことを考えながら、書簡を丁寧にたたむ。
「返信はなさいますか」
「京に出す。朝廷から北畠の手に渡るようにな」
孫九郎は一呼吸置いて、苛々と扇子を開け閉めする寒月さまの様子を見つめた。
「差し支えなければ、どうお返事をするのかお伺いしてもよろしいでしょうか」
「万千代は無事祖父のもとにおる。愛姫の縁談は、今のところ考えておらぬ」
つまり、時期が来るまで孫九郎との縁組みは伏せると言うことだ。
だがそれでは、一条家に必要な支援ができないのではないか。
「“考えておらぬ”は、“お断り”ゆう意味や」
わかっていないと思われたのだろう。寒月様が噛んで含めるように言った。
「一条家には万千代という後継ぎがおる。三国一の婿もおる。その事を、御上には申し上げた」
孫九郎は、じっとこちらを見つめる寒月様の鋭い眼光に息を飲んだ。
頻繁にどこかに書簡をだしていると報告をうけていたが、あえて詮索はしなかった。愛姫様と孫九郎との縁組みを、すでに帝にお伝えしたとも思っていなかった。
「御上はご存じや」
寒月様の目が、鶸に向いた。
空気のように静かな男が、小さく頭を上下させる。
今上帝は東雲の異母兄だ。きっと直接書簡を届けるルートがあるのだろう。
帝は知っている。一条家の問題も、何が起こってしまったのかも。
寒月様は目を伏せ、続けた。
「……大内の子が一条家を継ぐには条件がある」
万千代君が生きている間は、いくら中納言様の申し出があったとしても、望みはかなわない。
それはつまり……
帝が穏便に差し止めるだけでは、間に合わなくなったのか。
これからなおいっそう、お命が狙われるということだ。