作品タイトル不明
13-1 三河 渥美半島 公家風屋敷1
その知らせが届いたのは、蹴鞠なるものを万千代君に教えてもらっている最中だった。
孫九郎はいまだに小柄だが、もはや虚弱というわけではなく、要領がわかればそれなりに動ける。大きく跳ね上がった毬が落ちてくる場所に足の甲を合わせ、万千代君の正面に返した。
なかなか楽しい。
そういえば、ドッジボールやサッカーや野球を楽しむ学生時代だった。部活で熱心に励むほどではないが、体育の授業は楽しかった。
「あにじゃ、すごい!」
素直な万千代君はぱちぱちと手を叩いて喜んでくれる。
ああ、こういうのだよこういうの。
孫九郎の周囲にいる小姓たちとは、鍛錬か釣りか碁ぐらいしかしない。
それが悪いわけではないが、この時代、複数で身体を使って遊ぶことができる競技は少ないのだ。
病み上がりで、疲れさせてはいけないので、早めに切り上げた。
万千代君の周囲も大人が多い。孫九郎や小姓たちのような、年上の子供と遊ぶのは楽しかったのか、始終ニコニコと上機嫌だ。
それは、少し離れた縁側で、姉の愛姫様と祖父の寒月様が並んでこちらを見守っているからでもあるだろう。
屋敷に戻りながら、縁側から見えないところで小さく咳をする。
ちらりと孫九郎をみて、少し困ったように笑う。
家族に元気な姿を見せたい、心配させたくないという思いが伝わってきて、優しいいい子だと改めて思う。
そんな万千代君の視線が、孫九郎からその肩越しに移る。
急に笑みが張り付いたようになり、孫九郎の陰にさっと隠れた。
「御屋形様」
背後から聞こえた声は穏やかで、急を要するようなものではなかった。
孫九郎は安心させるように万千代君の肩に手を置いて、振り返った。
少し先の松の木の傍で、承菊が丁寧すぎる一礼をした。いつものように、整った顔に万人受けする微笑みを浮かべている。
だが万千代君の慧眼は、きちんとその本質を見抜いているようだ。
孫九郎は、明らかに怯えている少年の肩を、軽く数回叩いた。
そうだぞ、この男は恐ろしいんだからな。怖がるのは正しい。
そう言いたくなるのを堪えて、笑顔で迎える。
「そのほう、京にいた折に蹴鞠をしたことがあるか?」
聞いた瞬間、後悔した。ものすごい満面の笑みが返ってきたからだ。
「いやなんでもない」
……だからこわいって。
孫九郎は、ビクビクしている万千代君をかばいながら、承菊に向き直った。
「志摩は片付いたか」
「その件で、ご報告がひとつ」
孫九郎は頷き、頭をオフからオンに切り替えた。
一条家と孫九郎らは、渥美半島の根本あたりにある屋敷に滞在していた。
ここはかつて公家が建てたもので、三河の争乱が激しくなったために居を移したのだと聞く。
これまでは戸田家が別邸にしていたそうだが、しばらく借りることにした。
長居をするつもりはない。もう少し落ち着いてから、今川館に移る了承は得ている。
「若君もすっかりお元気になられて」
そういって嬉しそうに笑うのは、井伊殿だ。
吉田城のほうは息子たちがしっかり見ていてくれるからと、のびのび好きに動き回っている。
井伊家は子だくさんで、その子供たちが育ってきているのがうらやましい。
「こちらを」
承菊は定型の挨拶もそこそこに、懐から一通の書簡を取り出した。
脳裏に浮かんだのは、例の起請文だったが、手で触った感じはもっと薄い。上質な紙の触感だ。
孫九郎は渡された書簡の表裏を確認した。宛名などはない。
「……これは?」
「和具の奥方からです」
答えたのは井伊殿だった。
出来人の奥方だという印象は間違っていなかったようで、今回の件を遺恨なく終わらせるべく、孫九郎に詫び状を書いてきたのだそうだ。
読む前に身構えてしまったのは、このふたりがそろって「まあ読め」という風な態度だからだ。
ただの詫び状なら、二人で話にくることはないだろう。
孫九郎はひと息置いてから包みを開けた。
真っ先に文字から、几帳面な人柄を読み解く。文字はまっすぐにつづられ、列の幅も均一だ。挨拶の口上も、過不足なく丁寧。
海賊衆の女房殿にしては学がある。
そんなことを思いながら読み進め、最後のほうに差し掛かったところで眉間に皺が寄った。
「寒月様」
孫九郎は、夕餉の時間が終わるころを見計らって、寒月様の居室にお邪魔した。
この時代の食事は、宴の席でない限りひとりで取ることが多い。身分が高い一条家の方々ならばなおのこと。
故に食後の室内に、愛姫様たちの姿はない。
「どないした」
湯呑を口元から下ろしながら、寒月様は孫九郎を見た。
何かがあったと察したのだろう、その表情が険しくなる。
「和具が処されたそうです」
奥方からの書簡で、北畠家に送りつけた海賊衆は皆処刑され、和具の髷だけがもどってきたとあった。
その旨を伝えに来た使者が、奥方に申し送りをしたひと言が問題なのだ。
「余計なことは言わぬようにと、圧を掛けられたそうにございます」
「……余計なこと?」
「奥方は、思えば天王寺屋の船を拿捕した時にも、動きがいつもと違ったと」
孫九郎の眉間には皺が寄っている。寒月様の眉間も険しくなる。
「和具は、狙ってああ動いたのではないかと」
つまり、商船に一条家の姉弟が乗っていることを、最初から知っていた可能性がある。
しばらく二人で向かい合って、黙ってその意味を噛み締めた。
「……北畠か」
寒月様の声が低く、くぐもった。
孫九郎は頷き、固く握りしめられた湯呑がミシリと音をたてるのを聞いた。