軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

12-11 志摩 神島11

「いやぁ、めでたい!」

「まことに」

井伊殿の弾む声に、承菊が頷く。

やはりこの二人が並んでいると、しっくりこないというか、納得いかないというか。

「おめでとうございます」

孫九郎の最側近といってもいい土井や次郎三郎、夜番のはずの者たちも出てきて、嬉しそうに言ってくる。

「おめでとうございます」

すれ違う、普段は話すこともないような者たちまで祝ってくれる。

まだ正式な発表はしていないし、多くの者が知っているとは思えないのに、随分広がるのが早い。……言いふらしているな。誰がとは言わないが。

夜に近しい者たちだけで、ささやかな宴が催された。

本殿ではまだ熱のある万千代君が眠っているので、皆が小声だ。それでもお祝いの雰囲気で場は明るい。

浦の長のはからいで、新鮮な魚と奥方ご自慢の料理が運ばれ、一杯だけだが酒もふるまわれた。

井伊殿は嫁取りの心得のようなものを語り、孫九郎ではなく独り身の男たちが興味深げに聞いている。

承菊は糠漬けをつまみながら首を傾け、その隣では渋沢が珍しく頬あてを外して魚をうまそうに食っている。ひとりだけ居心地悪そうにしていた九兵衛も、時間がたつにつれ場の空気に馴染んだようだった。

「ところで」

一杯では足りぬと、酒の徳利を横目で見ながら、口を開いたのは井伊殿だ。

「これからの段取りは如何なさいますか」

それは志摩衆のことか? いや婚儀のことだろう。

孫九郎はお椀に盛られた白飯から目を離し、箸を置いた。

「まずは結納からだ。土佐にいる中納言様の安否確認。京のご実家に身を寄せられている御前様にも挨拶をせねばならぬ。帝と幕府にも知らせねば」

「それは尚早です」

パリポリと糠漬けを食べていた承菊が、更にもうひとつ箸先でつまみながら言った。

「京への知らせは、土佐の様子を確かめた後がよろしいかと」

聞きようによっては、縁談を進める前に、一条家の内情を知っておくべきと言っているようだ。

幾人かが表情を険しくした。

仮にこの先状況が悪くなったとしても、愛姫様との縁談を取りやめるつもりはない。

孫九郎の表情からそれを読み取ったのだろう、承菊は糠漬けを食べきってから再び口を開いた。

「敵に手の内を教えてやる必要はございませぬ」

“敵”

承菊が発したその言葉に、浮ついていた場の空気が変わった。

孫九郎は、ろうそくに照らされて揺れる色白の顔をじっと見据える。

この男が、“一条家の敵”を“今川の敵”と言い切った。

京での出来事が、もはや他家の事情ではないという意味だ。

承菊は、十年以上を京で過ごした。

その多くが寺での修行だったが、 いろいろと回った(・・・・・・・・) ので知己は多いとのことだ。

京に人を入れるべきと志願してきたとき、いやな予感を覚えたのは孫九郎だけではないだろう。

ふと、京で書かれた土岐の姫の書簡を思い出した。

小笠原家。承菊の父が仕官した家だ。

思えば、三河に来たのも、小笠原家のことを調べるためだったのかもしれない。

かつて父が三河に駆け付けた時に使った街道は、小笠原家の領地につながっている。

考えすぎか? ……いや。

復讐は、この男が生きている理由だ。

孫九郎はそのことをよく理解していた。利用していたと言ってもいい。

ただ、これほどの頭脳を、復讐などで潰したくはなかった。

「そのほうを行かせるのはまだ早い」

故に完全には拒否せずに、当面の京行きを禁じる。

「しばらくは三河で、志摩の件を見届けて欲しい」

三河は今川領ではもっとも京に近く、信濃にも通じる場所だ。井伊殿の目もある。

「北畠の動きも気になる」

承菊は、いつもの強い目力でじっと孫九郎を見つめた。

かなり長い間があって、周囲の者たちも固唾をのんで見守っている。

「……わかりました」

やがて、その赤みを帯びた唇が、くいっと弧を描いた。

「獲物は肥えさせてからのほうが美味ですから」

孫九郎は無表情を保った。

実際はみぞおちのあたりにひやりとしたものが込み上げていたが。

「……ひ」

ただ清水九兵衛だけが、小さく恐怖の声を上げた。

一条家の三人を、三河に連れて行く日がきた。

かつて孫九郎を「にい」と呼んでいた童子は、どこか中納言様を思い起こさせる細身の少年になっていた。

孫九郎のことは覚えていないはずだが、疑うことなく信頼を寄せてくれた。

まだ熱が下がり切らず、うまく声も出ないのに、「あにじゃ」と呟き、手を伸ばして袖を握ってくる。

孫九郎はその不安そうな表情を見て、にこりとほほ笑みかけた。

「ご心配には及びませぬ。今日は風も波も穏やかです」

「船は気分が悪うなる」

「気が合いますね」

孫九郎は愛用の桶を土井から受け取って、堂々と胸を張った。

「それはもうどうしようもないので、いつか慣れる日が来ると信じるしかありませぬ」

……おい、今笑ったやつ。あとで覚えてろよ。

「あにじゃも嫌いか?」

「嫌いではありませぬ」

誰にだって向き不向き、得手不得手はある。

「風と波を見極めれば、何よりも早う進みます」

万千代君は小さく頷いて、九兵衛が片脚で押さえた小舟に恐る恐る乗り込んだ。孫九郎の袖を掴んだまま。

こちらも心構えが必要だったが、仕方なく後に続いた。

子供とはいえ二人が乗り込んだので、九兵衛の支えがあっても小舟は大きく揺れた。

たちまち足元が不安定になり、孫九郎は小脇の桶をしっかりと抱える。

「あ、あにじゃ」

「……大事ありませぬ」

桟橋では、次の小舟に乗る寒月様と愛姫様がこちらを見守っている。その背後には木箱に上った鈴がいて、お二方に陽が当たらないように長柄の傘をさしかけている。

九兵衛が桟橋を蹴り、小舟に飛び乗ったので、また揺れた。

吐くのを辛抱できたのは、慣れではなく……見栄だ。