軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

12-7 志摩 神島7

庭先で膝をついた九兵衛は、夜のせいで表情がわからず、そのくっきりとした熊のような体型だけが際立っていた。

淡い月明かりしかないので、孫九郎のほうもはっきりとは見えないだろう。

集まっている宿直や護衛達の姿かたちも、暗い影としてしか認識できなかった。

そんな中でも、九兵衛の気が急いた雰囲気は伝わってくる。

こんな刻限に来るのだから、よほど切迫した用件があるのだろう。

孫九郎は背筋を伸ばし、もしかしたら見えているのかもしれない表情を整えた。

「どうした」

「はい」

九兵衛にしてはつっかえず、食い気味の勢いで喋り始めた。

「九鬼殿より急使。英虞衆の残党が集結しているそうです」

孫九郎はしばらく無言で、こんもりとしたその輪郭を見据えた。

興津らは、間違いなく英虞衆の船団を壊滅状態にしたと報告してきた。この状況で余力を残していたというのか?

あるいは、北畠家に送った当主らが早くも帰還して、再び立ち上がったとでもいうのだろうか。

……いや、だとしても、今川水軍が海域にいるうちは、おとなしくしているはずだ。

「数は」

「九鬼殿によると、英虞湾内で動きがあり、和具に従わなかった者たちが動き始めたようだと」

ああなるほど。うまい具合に今川軍と対峙せずに済んだ勢力が、今が好機と英虞湾を手中に収めようとしているのか。

隣人が穴に落ちたら、いち早くその穴を埋めようとするのがこの時代のならいだ。

孫九郎としては、和具以外の何者かが英虞湾で大きくなること自体は問題ないが、熊野灘の航路の安全を担保できる相手であってほしい。

「九鬼は何と言っている」

「助けてくれとは言うて来ておりませぬ」

九兵衛の言い方に、ふっと誰かが笑った。軽く息がこぼれた程度だったが、それが孫九郎の唇にも笑みを登らせた。

「そうか。助けて欲しくはないのか」

「あ、いえ。実際は助けて欲しいのだと思います」

九兵衛の勢いが削がれ、口ぶりに不安が混じり始める。

孫九郎は再び「そうか」と呟いて、くすりと笑った。

この男の裏表のなさは、緊迫した雰囲気をほどよく和らげてくれる。

「では、助けてやろう」

孫九郎はパチンと両手を叩き合わせた。

九兵衛に興津を呼ぶようにと告げると、夜が明けないうちに、興津家当主佐兵衛と、水軍の頭である興津玉三郎が来た。

その後ろから、清水九兵衛がひょこひょこと付いてくる。

陸を歩く船乗りたちの足取りは、改めて見ると独特だ。重心が低く、足先が外側に向き、上半身が大きく揺れている。

常に揺れている船の上で、バランスをとることに慣れ切っているからだろう。

こいつらは夜通し船の上で過ごしているのだそうだ。必要なら、物資が続く限り陸には上がらずともかまわないそうだ。

孫九郎には無理だ。素直に尊敬する。

ご苦労様とねぎらいたくなったが、やめておいた。九兵衛を見ていると、苦労とも思っていなさそうだからだ。

船に弱い孫九郎は、可能な限り陸にいたい派なので、こいつらとの感覚は永遠に折り合いがつかないと思う。

「お急ぎと伺いましたが、何かございましたか」

佐兵衛が、眠気など微塵も感じさせない顔で聞いてきた。

普段の武家仕様ではなく、海上で動きやすそうな身なりをしていて、灯したあかりに浮かび上がる顔は日焼けして黒い。

陸にいた時の、少し頼りない気もする若当主という雰囲気はなく、心なしか生き生きしていた。

「英虞衆が騒いでいるそうだ」

孫九郎の言葉に、佐兵衛は首を傾けた。

「あらかた捕えたはずですが」

「湾内に残っていた者たちだろう」

「……はあ」

佐兵衛は傍らで片膝をついていた玉三郎と目を見交わし、微妙な表情をしている。

「どうした」

「いえ、その……」

なんでも、最終的に和具らを追い込んだ時に、英虞湾あたりまで行ったそうなのだが、大きな船が出てくる様子はなく、参戦してくる小舟もなかったそうだ。

「それほどの船が残っていたとは思えませぬ」

「だが英虞湾は入り組んでいるのだろう。そのほうらとの戦いを恐れ、隠れていたのではないか」

「ならばただの臆病者、それこそ恐れるに足りませぬ!」

玉三郎が、太く割れた声で言いきった。

その声は思いのほか大きく響き、一瞬夜のとばりをめくる。

周囲からの一斉の視線を浴びて、玉三郎ははっとしたように身をすくめた。

「……申し訳ございませぬ」

九兵衛よりも広い肩幅をすくめ、しょんぼりと俯く。

「いいや、そのほうらの勇猛果敢さを疑ったわけではない」

孫九郎は軽く手を振り、笑った。

残党を残したことへの叱責と受け取ったのかもしれないが、もちろん違う。

「九鬼が夜半に知らせてきたのだ。助けて欲しいのだろう」

二人の興津は、姿かたちはまるで違うのに、そろって同じ角度で首を傾けた。

「助けて欲しい……ですか?」

本気でわかっていなさそうな二人に、九鬼に英虞湾をやろうと思うと告げると、二人そろって「はあ」と頷いた。やはり微妙な表情だ。

「御屋形様のお考えに否やはございませぬが、九鬼にそれができましょうか」

「できぬと思うか?」

「おのが手で獲ったものならまだしも、我らの手を借りるようでは難しいのでは」

佐兵衛は困ったような表情、玉三郎も何度か首を上下させている。

確かに、九鬼はまだ小さな勢力だ。

当てにならない記憶の中にその名があったと言うだけで、目を掛けるのは早計かもしれない。

だが、真っ先に今川と交渉しようとした目端が利くところは評価していいと思う。

「九鬼がうまくやれぬなら……それこそ介入のいい口実になる」

孫九郎は呟き、まだ夜の色のままの海に目を向けた。

この場所から見えるのは、伊勢湾だ。

熊野灘を押さえれば、伊勢湾の出入りにも目を光らせることができる。

「熊野灘を抜ける航路を、このまま英虞衆に任せるつもりはない」

思わず本心を吐露してしまい、はっと我に返った。

目の前で興津佐兵衛が、その斜め後ろで玉三郎が、両手をついて頭を下げていた。

目を丸くしてこちらを見ていた九兵衛も、慌てて膝をつく。

「お任せください」

しばらくして、佐兵衛が言った。

「九鬼で足りぬようなら、我らが」

相模から伊豆までを清水家が、伊豆から三河までを興津家が、そしてその先の熊野灘までもを視野に入れている。

それは、日本の東へ向かう主要な航路を占有するということでもあった。

「御屋形様の御為に、海の道は我らにお任せください」

若い佐兵衛の声は少し上ずっていた。

そこに含まれる熱意と興奮に、孫九郎は気恥ずかしくなって目をそらした。