軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

22話 切なる願い

ソフィアは結婚式の招待客リストに視線を落としたまま、つい昨日の出来事を思い返していた。

思いもよらぬ元婚約者の来訪のあと――

レオナルドは突然、街へ出てドレスを見に行こうと誘ってきた。「王都に比べ、この地は冬の訪れが鋭い。防寒が足りていないだろう。……いや、足りていたとしても構わない。もっと相応しいものを揃えるべきだ」と。大丈夫だと何度も伝えたにもかかわらず、レオナルドは聞き入れず、半ば強引に彼女を外へ連れ出した。

ブティックに着いた途端、「そんなに必要ありません」と訴えても、次々と布が選ばれ、気づけば何着ものドレスを仕立てることになっていた。

けれど、鏡の前で戸惑うソフィアに向かって、不器用ながらも真っ直ぐに「綺麗だ。よく似合っている」と告げられると――嬉しさが胸に広がり、つい、もう一着、さらにもう一着と頷いてしまった。

それだけでは終わらず、靴や帽子といった小物まで揃えられ、最後には宝石店にも足を運んだ。

「ああ。……君の雰囲気に、よく合っている」

レオナルドが選んだのは、ソフィアの肌の白さを引き立てる繊細な細工の品だった。

「あの……」

「……店員の勧めた方が好みだったか? 王都の流行りは正直よく分からないが、令嬢に人気だそうだ。……そうだな、ならばどちらも購入しよう」

「いえ! 先程もたくさんのドレスを買っていただいたのに、これ以上は……!」

「いや、俺が君に贈りたいんだ。贈らせてくれ」

首元を飾るネックレスに、耳元で揺れるイヤリングまで贈られて。

思い返せば、婚約者からの贈り物としても、少し過剰だったかもしれない。それでも、不思議と嫌ではなかった。

以前の婚約者であるエリックからも、形ばかりの贈り物を受け取ったことはある。けれど、レオナルドはまるで違った。贈るという行為そのものに喜びを見出しているかのように、彼が選んだアクセサリーをソフィアが身につけるたび、どこか誇らしげで、心から嬉しそうな笑みを浮かべた。

「わたしみたいな、地味で……愛されることにも慣れていない女に……」

それでも彼は、本気で、何度も「綺麗だ」と言ってくれた。

それが気恥ずかしいようで、嬉しくて――ソフィアは、リストの上に置いた指先をそっと重ねた。

宝石にもドレスにも、もともとそれほど興味はなかったはずなのに。

彼から贈り物をされるたび、胸の内は嬉しさで満たされ、もはや抱えきれないほどになっていた。

「――本当に、わたしでいいのかしら」

そう思うたび、胸の奥に小さな不安が芽生える。

けれど、それ以上に強く、確かに在るのは……あの人に大切にされているという実感だった。

招待客リストに再び視線を落とす。

そこに並ぶ名前のひとつひとつが、これから始まる新しい人生を現実のものとして突きつけてくる。

ソフィアは、そっと微笑んだ。

怖くないわけではない。

それでも、あの人の隣なら――。

「きっと、……大丈夫」

此処へ嫁いできたのは、決して間違いではなかった。……矢張り、エリックとは顔を合わせなくて正解だった。

そう思いを噛みしめていると、控えめなノックの音が部屋に響いた。

「ソフィア様。商家よりお届け物が届きました。レオナルド様がお贈りになった品で、ソフィア様のご確認が必要とのことです」

柔らかく落ち着いた声。

給仕を担当する若いメイドのいつもと変わらぬ口調に、ソフィアは自然と背筋を緩めた。

「あら、もう届いたの? ありがとう。今、確認するわね」

ソフィアはリストを閉じ、軽やかに立ち上がる。

今はまだ、レオナルドは鍛錬している時間だ。届いた荷物を確認するだけなら、自分一人で問題ないだろう。侍女が先導するように歩きはじめ、その後ろをソフィアは何の疑いもなくついていった。

「こちらの客間にて商人が待っております、ソフィア様」

扉が音もなく開かれる。

「……っ!」

その瞬間、ソフィアの呼吸が止まった。

応接間の中央に立っていたのは、あり得ない人物だった。

「ソフィア」

名を呼ぶ声は懐かしく、それでいて、胸の奥をざわりと逆撫でするほど不気味に優しかった。

「エ……エリック様!? ど……どうして此処に?」

息が詰まるほどの驚愕に、ソフィアは一歩後ずさる。

だが、背中はすぐに扉へぶつかり逃げ場を失った。

エリックは微笑んでいた。

けれどその微笑みは、どこか穏やかさとは無縁の、ひどく歪んだ色を帯びていた。

「ようやく会えたね、ソフィア。君が会ってくれないと聞いて……困ったよ」

「ど、どうやって、ここに……?」

ソフィアが震える声で問うと、エリックの表情はわずかに愉悦を含んだ。

「どうやって、か……。彼女に、少しだけ事情を話したんだ。王命で引き裂かれた哀れな婚約者――とね。君を想ってここまで来た、と言ったら……親切に案内してくれたよ」

ソフィアに面会を拒まれたあと、どうしても会わねばならないという焦りに駆られたエリックは、裏門近くで若い女性使用人を呼び止めた。

名乗った声はかすれ、どこか追い詰められた者のそれだった。

彼は語った。

かつて自分とソフィアは、王命という抗えぬ力によって引き裂かれたこと。不本意な別れだったこと。ソフィアは愛情を抱いたまま別の地へ嫁ぐことになったこと。別れの言葉すら交わせなかったことを。静かな語り口だったが、その一言一言には、長く胸に沈めてきた痛みが滲んでいた。

――せめて一度、彼女に会いたい。

ただそれだけなのだと。

押しつけがましさとは程遠い、今にも途切れてしまいそうな、弱い願いだった。

予期せぬ告白に使用人は大きく揺れていた。ソフィアにそんな過去があったのかと、胸の奥にひっそりとした痛みが広がる。エリックはその揺らぎを見逃さず、彼女の罪悪感をそっと刺激するように、寂しげな微笑みを落とした。

使用人は迷いを含んだ声で、「……会話をする、だけなら……」と答えてしまう。エリックの切ない表情を前にして、断ることなどできないと感じてしまったのだ。

「そんな……」

それを聞いて、ソフィアは絶句した。

エリックはゆっくりと距離を詰めてくる。逃げようとした瞬間、彼はソフィアの手首を掴んだ。

「きゃっ……!」

短い悲鳴がこぼれる。

振り払おうとしてもびくりともしない強い力だった。

「ソフィア……。どうしたんだい。僕が迎えに来たというのに……どうしてそんな顔をするんだ?」

自分を慕っていたはずのソフィアが、怯えるように身を縮めている。

想像していた再会とはあまりに違い、エリックの瞳には理解できない戸惑いと焦燥が渦を巻いていた。

ソフィアの腕を掴んだエリックは、期待に滲んだ瞳でその反応を待っていた。

久しぶりに再会したソフィアは、きっと涙ぐんで抱きついてくる――そんな甘い幻想を、彼は疑いもしなかった。

けれど。

「いやっ、……離してくださいっ!」

その叫びは、彼の胸に鋭く突き刺さった。ソフィアは必死に腕を振り払おうとし、身をよじって抵抗する。だがエリックの手は強張ったまま離れない。

「ソフィア……? どうして……そんなに怯えるんだい?」

思い描いていた光景との落差に、エリックの表情がわずかに崩れる。

かつて自分を慕い、寄り添ってくれた少女が、まるで別人のように自分を拒む――理解できないという困惑が、焦りと苛立ちを伴って胸の内を黒く染めていく。

ソフィアは苦しげに息を呑み、気丈に顔を上げた。

「わたしは……あなたとは行きません! もう、昔とは違うんです……!」

はっきりとした拒絶だった。

想定のどこにもなかった答えが目の前に突き付けられ、エリックの顔から血の気が引いていく。

――違う。こんなはずじゃない。

彼女は僕を待っていた。僕を必要としているはずだ。

その思い込みが、砕けた。

「……そうか。君は今、混乱しているだけだね」

まるで自分に言い聞かせるような声だった。

エリックの手にじわりと力がこもる。ソフィアは再び振り払おうとするが、逃れるどころか引き寄せられ、細い肩が彼の胸に押しつけられた。

「大丈夫だよ。怖がらなくていい」

「離して……っ!」

「辺境で不憫な暮らしを強いられている聞いたよ。恐ろしい辺境伯に無理矢理嫁がされたともね。そんな君を助けにきただけなんだ」

その瞳には、焦りと執念がきしむように絡み合っていて、ソフィアはびくりと身体を大きく震わせた。

次の瞬間、エリックの手が内ポケットへと滑り込む。そこに忍ばせていたのは、万が一のため、と自分に言い聞かせて用意していた、眠り薬を染み込ませた布。

「やめ――っ!」

抗う唇に、エリックは迷いなく眠り薬を染み込ませた布を押し当てる。

甘い匂いが肺に広がり、ソフィアのまつげが震える。

「……っ……」

レオナルド様――と助けを呼ぶことは叶わず、ソフィアの意識はそこで途絶えた。

エリックは崩れ落ちる身体を、大切なものを抱きとめるかのようにしっかりと支えた。

ソフィアのまぶたが薄く揺れ、やがて完全に閉じる。

「……さあ、帰ろう。王都に戻れば、何もかも元どおりになる。君を泣かせるような場所には、もう二度と返さないから」

囁きは優しく、慈しむようで――それでいて逃げ場のない鎖のようだった。

エリックは踵を返し、屋敷の裏口へと歩き出す。

腕の中で眠りに落ちたソフィアを抱いたまま、足取りには一片の迷いもなかった。