軽量なろうリーダー

暗殺の標的の悪女令嬢が死に戻り続けるんだが

作者: Vou

本文

公爵令嬢リディアナ・エルンフェルトは、王宮での夜会でワインの杯を手に持ってつまずき、見事に転んだ。

ワインの杯が宙を舞い、転んだリディアナの頭に逆さまに降りて行った。

もちろん、彼女は中身のワインを頭からかぶった。

周囲の貴族たちはその様子に驚き、次の瞬間には思わず吹き出す者もいた。

一方の俺は、顔では笑ってみたものの、まったくの想定外の事態に焦っていた。

リディアナは立ち上がったかと思うと、頭から滴り落ちるワインがその口に入った。

数秒の後、白目を剥いたかと思うと、また床に倒れた。

彼女はその後、ピクリとも動かず、再び立ち上がることはなかった。

周囲の人々の笑いが消えた。

しかし、彼女に近づき、様子を確かめようとする者はいなかった。

——成功……したのか?

本当は、夜会で悪行を責められたリディアナが、自ら毒入りワインを飲んで自殺、という筋書きだったのだが……結果、死んだのであれば、まあよいか。

主(あるじ) の王太子アルヴィオン・レグナードを見ると、複雑そうな顔で苦笑いしながら俺を見ていた。

俺の仕事としては、いまいちすっきりしない暗殺ではあった。

気づくと俺は再び王宮の夜会の場に立っていた。

そして視線の先に、リディアナが生きて歩いていた。

どういうことだ……?

夢だったのか……。夜会の場で眠るなどありえないが……。

だが、よくよく考えれば、社交界随一の悪女リディアナ・エルンフェルトが、あんな間抜けな死に方をするはずもない。

ともかく気を抜かず、確実に任務を遂行せねば。

「きゃーー!」

ミリアベル・エルンフェルトの叫び声が夜会場に轟いた。

夜会の出席者の視線がそちらに集中する。

見ると、リディアナがミリアベルの持つワインの杯を、その手から叩き落としていた。

これは筋書きどおり……ではない。

本来は、ミリアベルからぶつかりにいって言いがかりをつけるはずだったのだが……リディアナの方から乱暴をするとは……やはりリディアナは噂どおりの性悪な女だということか。

「ミリアベル、それを飲んではだめ」

リディアナが言った。

「何をするの、お姉様。私がアルヴィオン殿下からいただいたワインが気にくわないのね?」

ミリアベルにとっても想定外だったろうが、うまく筋書きに戻したようだ。

「リディアナ、なぜそこまでミリアベルに辛く当たるのだ」

「あの……違うのです。ワインに毒が……」

「何だと!? ミリアベルのワインに毒を入れたのか?」

何だと! と俺も心の中で叫ぶ。

……うん? もしそうなら、リディアナはミリアベルが毒を飲まないように助けたということでは?

「そこまで冷酷な女だったとは……」

ミリアベルは恐怖に瞳を潤ませ、アルヴィオンの背後に隠れる。

「で、殿下……。違うのです……。これは、その……」

リディアナが凶行を否定しようと試みるのを、アルヴィオンが遮る。

「人殺しの言い訳など聞けるか! もういい。おまえとはここで婚約破棄させてもらう」

リディアナは何かを言おうとするが口ごもり、結局諦めたように言った。

「……ミリアベルが無事なら、それでもいいです」

それは夜会の喧騒に消え入るほどか細い声だったため、俺は聞き間違えたのだろうと思った。

とはいえ、相手が悪女だろうが聖女だろうが、俺のやることは変わらない。

俺、ノクト・ヴァイスハルトは男爵家の次男で、表向きは王太子付きの書記官という立場だが、本当の顔は別にある。

俺は王太子アルヴィオンの命を受け、政敵や邪魔な存在を消す。端的に言えば、王太子殿下秘蔵の暗殺者というわけだ。

そして今回の暗殺の対象が、つい先ほどまでアルヴィオンの婚約者だったリディアナだ。性格が悪いくらいで殺すほどのことかとも思うが……アルヴィオンが命じるということは、王家を脅かすほどの存在なのか、隠れてよほど残虐なことをしているのだろう。婚約してからそれがわかったということか。

——俺がそんなことを考えても仕方がない。やることをやるだけだ。

リディアナのもとに、給仕がワインの入ったいくつかの杯を持って近づいていく。俺はそのうちの一つに毒液を入れ、アルヴィオンに目配せする。

この給仕はもちろん俺の息がかかった者だ。

「落ちた杯はすぐに片付けますので……。こちらをどうぞ」

アルヴィオンがワインの杯を二つ手に取り、一つをミリアベルに渡す。

給仕はリディアナに毒液の入ったワインを差し出す。

「リディアナ様もどうぞ」

リディアナは怯えたようにワインを見た。

「私は……要りません」

そう答えたかと思うと、リディアナはミリアベルの杯を乱暴に奪い取り、給仕に返す。

「あなたも飲んではだめ」

リディアナがそう言うと、ミリアベルは逃げるようにアルヴィオンの腕に縋った。

「いい加減にしろ!」

たまらずアルヴィオンが叫ぶ。

アルヴィオンはわかっていないようだが、俺にはわかった。リディアナは明らかにワインを警戒している。まるでそこに毒が入っていることを知っているように。

なぜ気づかれた?

毒に気づかれたのであれば、別の方法を取るしかない。

リディアナは夜会場の喧騒から逃げるように、とぼとぼと歩き始めた。

俺は距離を置いてついていく。

彼女はバルコニーに出て行った。夜風にでも当たりたくなったか……? そうだな……。

——婚約破棄の失意のまま、バルコニーから飛び降り、自ら命を絶った……。

この筋書きでいくか。

俺は静かにバルコニーに歩み寄っていく。

俺の前に一人の給仕が歩いており、バルコニーの石段を降りようとする。彼は目撃者になってくれるだろう。

彼が見たリディアナの顔は失意のうちに沈んでいるはずだ。

「わっ!」

そのとき、給仕が階段に踏み出すところで滑ってバランスを崩した。

リディアナが気づき、給仕に手を伸ばし襟元を掴んだ。給仕は後ろに尻もちをつき、リディアナにぶつかった。そして今度は給仕を助けた彼女自身が滑ってバランスを崩したかと思うと、石段のほうに勢いよく倒れ、そのまま転げ落ちていった。

石段の下の方で止まったリディアナは、一瞬ピクリと動いたかと思うと、動きを止めた。

「リ、リディアナ様が石段から転落された!」

給仕の叫び声を聞いた衛兵が駆けつけてくる。

アルヴィオンがこちらを見ていたので、小さく頷いた。

俺の見立てでは、最初に倒れた段階で打ちどころが悪く、致命傷を受けていた可能性が高い。

だが、先ほどの夢と同様、どうもすっきりとしない仕事になってしまった。

気づくと俺は再び、いや三たびというべきか……王宮の夜会の場に立っていた。

相変わらず、そこには生きたリディアナが歩いていた。

——これはおかしい。

俺は夢の中にいたのではない。明らかに異常な事態が起きている。

俺は戦慄した。リディアナはただの悪女などではない。何らかの魔術を使用し、暗殺者の俺に幻を見させて、混乱させているに違いなかった。

……ということは、すでに暗殺計画自体に気づかれてしまっているのか……?

「きゃーー!」

ミリアベルの悲鳴が轟く。

リディアナがミリアベルの手にあったワインの杯を叩き落としたのだ。

俺は困惑しながらも、任務を遂行することだけは忘れなかった。暗殺者としての性だけが俺の体を動かしていた。

その後、ワインを持った給仕が来て、俺が毒液を入れ、と、先ほどとほとんど同じような 件(くだり) が続いていき、アルヴィオンが「いい加減にしろ!」と叫んだところで、リディアナはその場を離れていく。

そしてバルコニーの方に出ていこうとする若い給仕を慌てるように呼び止めた。前回はバルコニーで滑っていた給仕だ。

「バルコニーの石段のあたりに少し水が落ちていて滑りますから、お気をつけてください」

真剣な顔でそう注意するリディアナに、給仕は戸惑いながら頷いていた。

リディアナはそのままじっと給仕がバルコニーに行くのを見ていた。

給仕がバルコニーの床を足を小さくこするようにすると、確かに滑るということを確認したようだった。給仕は振り返り、リディアナに頭を下げ、無事に階段を降りていったようだった。

そのまま本人もバルコニーに行くかと思いきや、そうはせずに、夜会場に戻ってきた。まるでバルコニーが危険な場所だとわかっているかのように。

俺は任務を続行すべく、少し離れたところからリディアナを観察し続けた。

リディアナはすでに夜会に行き場がなく、ただうろうろとしていた。給仕がワインを勧めても決して受け取らず、他の出席者に近づこうとしても、相手がそそくさと避けていく。王太子の婚約者でもなくなった冷酷で厄介な悪女に近づきたいと思うのは、もはや俺のような暗殺者くらいだろう。

気づけば彼女は夜会で完全に孤立していた。

そしてそこに、俺は殺害の機会を見つけた。

リディアナが大きなシャンデリアの下に来たのだ。

自殺の筋書きがだめなら事故だ。

——婚約破棄された公爵令嬢が失意の中、夜会での事故に遭い、死亡。

これでいこう。

俺は夜会場の隅にいる照明係に目配せし、目でそのシャンデリアを示した。

照明係が奥に引っ込んだかと思うと、突然リディアナの頭上のシャンデリアが落下した。

そして俺は四回目の夜会に突入した。

リディアナは当然のように生きており、ミリアベルからワインを奪い、給仕がバルコニーの石段で滑るのを防いだ。

そして今回は、シャンデリアの下に行くのを避けている。

明らかに、 何(・) が(・) 危(・) 険(・) か(・) がわかっている。

俺は今までリディアナの魔術によって繰り返された夜会を思い返す。

毎回、リディアナが死を迎えるたび、夜会の始めに戻っていた。つまり、リディアナの死を契機に、やり直しが発動しているのだ。

そして、リディアナは毎回の死から、 何(・) が(・) 危(・) 険(・) か(・) を学んでいる。

間違いない。

これは——「 死に戻り(デス・ループ) 」の秘術だ。そして、彼女の命を狙う俺もそれに巻き込まれている。

「危ない!」

俺が思考を巡らせていると、突然リディアナが動き出し、シャンデリアの下に走っていった。

暗殺者の本能が「殺せ」と俺に言ってくるので、反射的に俺は照明係に合図を送った。

シャンデリアがリディアナに……いや、リディアナと、リディアナより先にそこにいた貴族の子どもの頭上に落ちてくる。そして、すんでのところでリディアナが子どもを突き飛ばし、子どもは危機を回避した。

子ども だ(・) け(・) は。

五回目の夜会。

俺は少々苛ついていた。

だが俺の苛つきにも関わらず、夜会は進んでいく。

リディアナはワインを避け、バルコニーを避け、シャンデリアを避けると見せかけ、シャンデリアの下にいる子どもを目にすると迷わず助けに行き、自分ひとり、シャンデリアの下敷きになる。

六回目以降もまったく同じ。リディアナはまるで理想の死に方を見つけたかのように、同じ死に方を続けた。

「 死に戻り(デス・ループ) 」が文字どおり、ただの「 死(デス) 」の「 繰り返し(ループ) 」になっていた。

リディアナと俺はそのループに完全にはまっていた。

リディアナは子どもがシャンデリアの下に来ることを知っており、彼女が子どもを助けようとする限り、何度も死に続けるだろう。

「死に戻り」が何度まで繰り返すのかわからない。だが、きっとどこかで秘術の使用回数の上限に達するか、リディアナが諦めるはずだ。

だが、その繰り返しの中で、一つはっきりわかったことがある。

——こいつは……リディアナ・エルンフェルトは鈍臭いだけのお人好しだ。決して王太子や世間が言うような冷酷な悪女なんかじゃない。

(実際には毒は入っていない杯なのだが)ミリアベルが誤って毒を飲むのを防ごうとし、給仕がバルコニーの石段で転ぶのを防ぎ、(実際にはリディアナがそこに行かない限りシャンデリア落ちないのだが)子どもがシャンデリアの下敷きになるのを防いだ。

明らかにどれも善意での行動だった。

俺は19回目のループで、誰にも聞こえないように注意を払いながら王太子アルヴィオンに尋ねた。

「殿下、一つだけお伺いしたいのですが……」

「何だ?」

「殿下はなぜリディアナ様を処分されたいのですか?」

アルヴィオンが呆れた顔をする。

「ノクトよ、そんなことも分からずに仕事をしようとしていたのか……?」

「申し訳ございません」

「あいつは正しいことばかり言って鬱陶しいのだ。俺は何でも言うことを聞くミリアベルのほうがよい」

それがアルヴィオンの答えだった。

それだけだった。

「殿下、やっと私たち一緒になれるのね」

俺たちの会話に、ミリアベルが割り込んできた。

「そうだ。やっと邪魔者がいなくなる」

「ずっと目障りだったわ。やっとあの女が死んでくれるのね」

「おい、夜会の場でそんな物騒な言葉を使うな」

そう言いながら、アルヴィオンはミリアベルに小さく笑みを浮かべ、ミリアベルも微笑み返した。

「なるほど。よくわかりました。ありがとうございます、殿下、ミリアベル様」

リディアナは王国を脅かす者でも、非道な人間でもなかった。ただ正しいことを言い、自分の命も省みず他人を助ける人間だった。そんな彼女を、俺は何度も殺していたというわけだ。

俺は心を決めた。

俺は「 死に戻り(デス・ループ) 」を止める一つの方法に思い当たっていた。

なぜこんな単純なことに気づかなかったのか、自分でも不思議だ。

——「死に戻り」を止めるには、 死(・) な(・) な(・) け(・) れ(・) ば(・) いい。

それだけだ。

「きゃーー!」

リディアナがミリアベルのワインの杯を叩き落とす。毎回起こる 件(くだり) だ。

俺は給仕のワインの杯の一つに毒を入れ、給仕にも気づかれぬよう杯の位置を少しいじってから、アルヴィオンに目配せした。

そして俺は静かにミリアベルの背後へ回った。

リディアナはミリアベルのワインを奪い、自身もワインには手をつけない。「いい加減にしろ!」と怒鳴られたリディアナがその場を離れていく。

そして俺も彼女についていく。

「きゃーー!」

後ろでミリアベルの叫び声が響いた。

リディアナが振り返り、俺も振り返る。

夜会の出席者たちの視線の先に、王太子アルヴィオンが倒れていた。

衛兵たちが慌てて王太子のもとに向かっていく。

リディアナと俺もそちらに足の向きを変えた。

「医師だ。医師を呼べ!」

衛兵が叫んだ。

俺はその衛兵の耳元でそっと囁いた。

「ミリアベル様が王太子殿下のワインに毒を入れるのを見ました」

衛兵が振り返ったときには、俺はすでに姿を消していた。

まもなく法務官も呼ばれるだろう。

毒入りのワインは俺の細工によってアルヴィオンの手に渡り、その毒液の入った小瓶はミリアベルの巾着に放り込んでおいた。

——王太子アルヴィオンのリディアナ暗殺計画を知ったミリアベルが、姉を助けるべくアルヴィオンを毒殺した。

悪くない筋書きじゃないか。

暗殺者にも暗殺者の矜持というものがある。

主(あるじ) の命令は絶対だが、間違った主に仕えてしまったのであれば、自らその清算をするしかない。

その後、アルヴィオンがワインに含まれた毒によって死んだことが確認された。そしてミリアベルの所持品から、同成分の毒液が入った小瓶が見つかり、彼女は王太子の毒殺犯として捕縛された。

リディアナは生き延びた。

「 死に戻り(デス・ループ) 」も「 死の繰り返し(デス・ループ) 」も終わり、世界は前に進み出した。

夜会は中止、散会となった。

そこに呆然と立ち尽くすリディアナに俺は近づいた。

「あなたはもう大丈夫です」

「えっ」

知らない男に声をかけられ、リディアナは驚いたようだった。

「あなたの命を狙っていた者はもういなくなりました。『 死に戻り(デス・ループ) 』はもう終わりです」

「えっ? えっ? なぜそれを……? あなたはどなたなの?」

「俺はノクト・ヴァイスハルトです。あなたに危険が及ぶ気配があったので、あなたを見ておりました」

「えっ……?」

「王太子殿下があなたの命を狙っていたようで……。それに気づいたミリアベル様が助けてくださったようですが」

「……では、ミリアベルが殿下を……?」

「そのようです」

「そんな……。何てことを……」

リディアナは悲しそうな表情をする。命を狙われていたのにも関わらず、まだ人の心配を優先するようだ。

「ともかくも、危機は去りました」

「そうですか……」

これから気持ちの整理などはあるだろうが、俺もどうしても伝えておきたいことがあった。

「それにしても……。失礼ながら観察させていただいて……あなたは素晴らしい方ですね」

リディアナが困惑しながら、顔を少し赤らめた。

「私ったらいろいろドジなところがあるから、お恥ずかしいわ」

「いえ、そんなところも含めて、あなたは素晴らしい方です」

「そんな……」

リディアナはさらに困惑しながら、もっと顔を赤らめた。

面白い人だ。

俺の選択は、きっと間違っていないと思う。

「こんなときに失礼を承知で申し上げるのですが……実はつい先ほど失職してしまいまして……エルンフェルト公爵家で働き口はございませんでしょうか?」

リディアナが訝しげに俺を見る。

「でも……あなた……」

「俺、怪しすぎますかね?」

リディアナがゆっくり頷き、少し笑った。

「でもきっと良い方なんですよね?」

「はい。もちろんです」

「それで、お仕事がなくて困っていらっしゃるのよね?」

「はい……。王家の書記官として働いておりましたので、きっとお役に立てると思います」

「そうですか。わかりました。お父様に伺ってみます」

これだけで信用してしまうとは……。しっかり守ってやらないとまた死に戻りそうだな……。

俺の一抹の不安にはまったく気づかず、リディアナは「安心しろ」とでも言うように、俺に微笑みかけた。