作品タイトル不明
第二十六話 此処からは――
□■国境地帯・議場
ベヘモットは不意を突かれて《天よ重石となれ》の発動を許した。
しかしその渦中で、冷静に察していた。
己の想定外が……もう一つあることを。
(これは、データにあったアトラスの重力場とは違う)
《獣心憑依》したベヘモットのSTRは二二万オーバー。
地球の成人男性のSTRが一〇程度であることを思えば、二万人力を優に超える。
ゆえに、高々五〇〇倍の重力など、ベヘモットにとってはさほどの障害でもない。
付加効果である【拘束】の状態異常も、ベヘモットのSTRと《四苦堅牢》の制限系状態異常への耐性で効くはずもない。
それでも、今のベヘモットは明らかに動きを制限され始めている。
最初は月夜が《薄明》の対象をSTRに切り替えたのだと考えた。
実際、感覚的にそれは正しいとベヘモットは理解している。
だが、STRが六分の一になっただけでは、ここまでの制限は受けないだろう。
つまりは、この重力場も……ベヘモットの調べていたそれとは違うのだ。
「…………!」
レイの影から出てきたビースリーは、両手をベヘモットに向けながら歯を食いしばっている。
本来なら、《天よ重石となれ》にそのような動作も、集中も、必要ではない。
だが、彼女が今使っているものは、ただの《天よ重石となれ》ではない。
かつての彼女とアトラスから、進化以外のカタチで一歩を踏み出した力である。
その仕掛け人――扶桑月夜は笑みを浮かべながら、あるやりとりを思い起こしていた。
◇◇◇
「ビーちゃんは『テリトリーの<エンブリオ>ってちょっと変やなー』っておもたことない?」
四月の某日、T大学内の<CID>の部室で月夜は唐突にそんな質問を梢に投げかけた。
「急にどうしました?」
「まーまー。ちょい聞いて。ほら、他のカテゴリーは、まず<エンブリオ>の本体があって、それに色んな能力がくっついとるもんやろ?」
アームズ、ガードナー、チャリオッツ、キャッスル、そしてテリトリーといった<エンブリオ>の基本カテゴリー五種。
月夜の言うようにそれぞれに<エンブリオ>としての実体があり、そこに固有の能力が付随している。
しかし……。
「でもうちらのもっとるテリトリー系列は違う。実体のない能力の空間がそこにあるだけや」
テリトリーだけは、スキルとその効果範囲だけが存在する。
スキルを行使すると空間の見た目が変わる程度はするものの、他のカテゴリーを含まない純粋なテリトリーは実体というものを持ち合わせていない。
また、ハイブリッドでもメイデンやアポストルに限れば、カグヤのようにテリトリーとして力を発揮する際は実体をなくしているので純粋なテリトリーと同じだ。
「それってちょっと損してる感じやあらへん?」
「損ではないでしょう。実体がないとは、つまり壊されにくいということです。あの【破壊王】のような例外も存在はしますが、基本的に他の<エンブリオ>のように本体を壊されて使用不可能に陥ることがありません」
梢が思い出したのは、先日のトルネ村への道行きでの狼桜との戦い。
ガシャドクロの本体である槍を砕かれた狼桜は、本人が生き残っていても<エンブリオ>のスキルは使用不能状態に陥った。
梢のアバター……ビースリーが行使するアトラスのように能力だけがあるのならば、そうした事態は免れる。
「せやねー。でもなー、ビーちゃん」
梢の返答に月夜は肯きながら、
「テリトリーにもう一つ利点があるって言うたら、どうする?」
そんな言葉を言い放った。
「……詳しい話を聞きましょう」
「んふふー。じゃあ実践兼ねてデンドロにログインなー。本拠地で待っとるからー」
月夜はそう言って部室内に置かれたベッドに颯爽と飛び乗って横になり、
「…………」
梢はその早過ぎる行動への反応に困ったものの、行くしかないのだろうと諦めた。
梢は事前に部室のドアの鍵は閉めてから、部室においてある備品のハードを装着してソファーに横になった。
◇
二人は王都にある<月世の会>の本拠地で合流した。
<月世の会>の本拠地は先日の 脳筋(フィガロ) 襲来で壊れた後、改築と増築をしている。
周囲の土地を買って以前よりも巨大になっており、『なんということでしょう』と言いたくなるほどのリフォームを遂げていた。(その結果として月夜の資産が底を突きかけ、ハンニャの事件でアズライトに多額の借金を作るわけだが)
そうして今、リフォーム本拠地の大講堂で月夜は壇上に立ち、ビースリーは聴衆席に座っていた。
月夜の傍では、いつも通りカグヤが穏やかな笑みを浮かべている。
「まずうちのカグヤの《月面除算結界》は知っとるやろ」
「ええ」
「ほなら、基本形の“夜”から見せるわ」
月夜がそう言うと、カグヤは“夜”……テリトリー系列としての彼女の姿である《月面除算結界》に姿を変える。
実体なきこの空間こそが、カグヤである。
「ほんでここからが重要なんやけど、まずは“燕”」
月夜の言葉の後に“夜”が消え去り……月夜は燕とも三日月ともつかない形の蒼黒い塊を飛ばしていた。
「それから《 陽寝墨(ひねずみ) の皮衣》」
言葉の後、月夜は“夜”を圧縮したような蒼黒い衣を身に纏っていた。
この“燕”と《陽寝墨の皮衣》は、かつてのフィガロの戦いでも使用したものだ。
衣を纏いながらも、月夜は“燕”を飛ばしている。
「そんでまた“夜”、っと」
再び周囲が“夜”に包まれるが、月夜は《陽寝墨の皮衣》を纏ったままだった。
「って感じにスキル見せてみたんやけど、なんか気づいたことある?」
「……カグヤのスキルにはあと必殺スキルと《薄明》があったはずですが?」
「ああ、うん。それらもあるんやけどね。 必殺(あれ) は色々と別口やし、《薄明》はカグヤの処理能力を一点に集中するスキルで併用できひんからこっちも今回は関係ないんよ。んー、こうした方がわかりやすいかもしれへんな」
月夜はそう言うと、《陽寝墨の皮衣》を纏いながら……周囲に“夜”を展開した。
それから“夜”を消して“燕”にして飛ばし、あるいは“燕”ではなく月影の使う影のように触手……木の“枝”のように動かしてみせる。
そうした光景を見ていて、ビースリーも気づく。
「組み合わせ……。“夜”と“燕”や“枝”は併用できないということですか? けれど、衣とは併用できる」
「うんうん。で、それは何でやと思う」
「……さっきの言葉からすれば単に併用できないというわけではないのですよね?」
「そうなんよ。まぁ、正解を言ってまうとな」
そうして、月夜はスキルを解除しながらこう言った。
「 “夜”と“燕”と“枝”は 同じ(・・) なんよ」
「同じ?」
「全部、スキルとしては《月面除算結界》のまんまや。変わったスキルが生えたわけやなく、カタチが変わっただけ。だから広げたままの“夜”と、それを圧縮した他のカタチは併用できひん。《陽寝墨の皮衣》は別スキルやから併用できる」
「圧縮した他のカタチ……」
月夜の言葉を反芻しながら、ビースリーはその意味に思考を巡らせる。
「簡単な話や。純粋なテリトリーには実体がなく、能力を発揮する空間だけがある。せやから、 カタチを変えること(・・・・・・・・・) ができる。本来は薄く広く広がるはずのカグヤの“夜”を、こうして“燕”や“枝”に固めたりな。そんで圧縮した分だけ、その効力は強まるゆーことや」
全ては同一の《月面除算結界》。
ただし、“燕”や“枝”は対象とする空間のカタチを変えて効果を集中させ、レジストの難易度を引き上げたバリエーションなのである。
このように、テリトリーは実体がないからこそ……カタチに自由がある。
「うちも《陽寝墨の皮衣》を習得してから気づいたんやけどね。『あ。こんな風に範囲絞られて効果強まるスキルがあるなら、普通の《月面除算結界》も固めたら強くならへん?』って」
月夜は両手を広げてからギューっと押し固めるようなジェスチャーと共にそう言った。
「まぁ、練習はめっちゃしたけどなー。それと影やん達と検証もしたんやけど、テリトリーのスキルでも形を変えるのに向いてるのと向いてへんのがあるみたいやね。ルールみたいにそもそも範囲を自分の内に固定しとるもんは特に無理っぽいよーやし。でも、ビーちゃんの《 重石(ウェイト) 》なら上手くはまるんやないかなー?」
アトラスの《天よ重石となれ》はビースリーを中心に円状に広がるもの。
しかしその範囲を一方向に絞ることが出来れば……その威力は圧縮され、効果も強まることは十分に考えられる。
「なぜ、今になって……?」
ビースリーはT大のサークルである<CID>に入会したことで、<月世の会>のデータベースにアクセスする許可を得た。
だが、今の情報はそこには記載されていない。
月夜自身が編み出した秘奥とも言える技術。
それをどうして、今になってビースリーに教えたのか。
「最近のビーちゃん、見てて面白いんやもん」
「面白い?」
「うん。前から世話焼きやったけど、今はレイやんのために一生懸命やん? なんだか健気でちょっと応援したくなったんよ」
「…………」
「それに、今ビーちゃんがレイやん達と一生懸命練っとる対【獣王】の戦術。手札は多い方がええやろ? めっちゃ頑張れば今からでも習得できるかもしれへんよ」
◇◆◇
あれから、ビースリーは僅かな期間で月夜の教えたテリトリーの秘奥を会得した。
それはこれまで真円に展開していた結界を半円に、そこから四半円に、さらに半分に、そしてさらに半分にしていく作業。
これまでの十六分の一の範囲にまでの、結界の圧縮。
この作業には尋常ならざる集中力が必要である。
それは圧縮重力場を制御せんとするビースリーの、歯を食いしばった表情が物語っている。
さらにこの圧縮はノーリスクではなく、制御から僅かに漏れた重力場の反動がビースリー自身の両手の骨を軋ませ、血管も破裂させていく。
それでもビースリーは重力場の圧縮を成し遂げている。
自らの周囲三六〇度全てに発生させていた重力場を、前方二二・五度に絞って発動する。
範囲は十六分の一になり、圧縮過程でロスを生じさせながらも形成される重力場は……これまでを凌駕する。
その重力、最大点で五〇〇〇倍に至る。
『…………!』
五〇〇倍の重力は、ベヘモットにとっては毛布を一枚被せられた程度のもの。
ゆえに重力が五〇〇〇倍になっても、毛布が一〇枚になる程度に過ぎない。
常人ならば致死以外にない必殺の重力であろうと、ベヘモットにとっては痛苦にもならない。
だが、逆に言おう。
毛布の一〇枚も被せられれば誰であれ……否応もなく動きは鈍る。
まして、今のベヘモットは月夜によってSTRも六分の一にまで落とされている。
今は常人の三七〇〇倍ほどのベヘモットのSTRに対し、五〇〇〇倍の重力。
――ここに“物理最強”の【獣王】は初めて地に伏すこととなった。
そしてこの静止こそがビースリーの……レイ達の勝機だった。
レイが背後に回りこんだまま身動きの取れなくなったベヘモットへと向き直る。
「《シャイニング――――」
レイが左手の砲門を照準し、《黒纏套》全体が白く、眩く、輝いていく。
AGIが元に戻ったベヘモットであるが、《追撃者》でAGIが連動したレイはそれに追いついている。
ゆえに、間もなく《シャイニング・ディスペアー》がベヘモットの額を穿ち、傷痍系状態異常によって死に至らせるだろう。
『…………』
デスペナルティが間近に迫る中で、ベヘモットは心から賞賛していた。
全員が一丸となってチームとして自分をここまで追い詰めた者達。
最初に散ったルークのように、圧倒的暴力を前にしても、チームの勝利を一切諦めていなかった。
そんな彼らが、ベヘモットにはひどく眩しい。
それはきっとベヘモットには絶対に至れない強さだから。
始まりからして、『他人とまともに話さずに済む』という理由からこの小動物のカタチのアバターを選んだベヘモットだから。
(そんなわたしのカタチは、嫌いではないけれど)
いずれにせよ、ベヘモットにはない彼らの強さは……確かに彼女に届いた。
そのことが、ベヘモットには本心から嬉しかった。
こんなに全力でぶつかって、良い勝負をしてくれる相手がいたことを。
(……ごめんね)
だからこそベヘモットは悔やみ、彼らに心で謝る。
ここで終わってしまうことを。
(……ごめんね、クラウディア)
ベヘモットは空で戦っているだろう友人にも心で詫びる。
彼女との 約束(・・) を破ってしまうから。
超重力に囚われたベヘモットは離脱できず、《シャイニング・ディスペアー》の発射は間近。
間もなく強力な貫通性能を誇る集束レーザーがベヘモットの頭部を撃ち貫くだろう。
だから、もう終わりなのだ。
“楽しい時間”も、“勝利を目的とする戦い”も、此処で終わる。
此処からは――“一方的な蹂躙”と“確定した勝利”しか存在しないのだから。
「――――ディスペアー》!!」
そして、“最強”を撃ち破る輝きがレイの左手から放たれる寸前。
『 変身(チェンジ) ――――《 天翔ける一騎当千(グレイテスト・トップ) 》』
ベヘモットが首から提げたアクセサリーが――金色に似た輝きを放った。
To be continued