軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

17.レステンクール伯爵家1

レステンクール伯爵家の一室で当主であるハイドは頭を抱えていた。

二ヶ月前にラシュレとフィリップの婚約を破棄させ、自分の娘であるタチアナと婚約させるところまで彼の人生はほぼ順調だった。

兄が亡くなり手に入れた領地は、祖父が存命のときは書類仕事を少し手伝うだけで、充分なお金が手元に入った。

祖父が亡くなってからはラシュレが領地経営を担った。

始めこそ心配していたが、収入は以前と変わらない。

だから、領地経営なんて簡単で誰でもできると思っていたのに。

「どうしてこんなことになっているんだ?」

数十年前に築いた堤防が決壊し、洪水が小麦畑を襲った。

初夏のこの時期には、大雨が降っただけでも小麦の成長に悪影響が出るというのに、これでは夏の収穫は期待できない。

レステンクール伯爵が頭を抱える横で、家令が一枚の紙を見せてきた。

「もともと、その堤防はこの春に修復する予定だったのです」

「それなら、どうして修復しなかったんだ!」

「その件に関しては、伯爵様に何度も確認したと思うのですが……」

家令がさらに数枚の紙を出してくる。

一枚目には修復にかかる費用と、修復時期が書かれており、施工主の印が押されている。

つまり、修復の契約は成立していたのだ。

「では、この施工主が金だけ受け取って手を抜いたというのか?」

「いいえ、二枚目をご覧ください。予算が三分の一に減らされています。そのため、施工主は簡易的な修理しかしなかったのです」

「そんな話、儂は聞いていないぞ! 誰が勝手に予算を減らした。その分の金はどこへいったんだ!」

唾を飛ばし怒鳴るレステンクール伯爵に、家令は半歩下がり身を小さくする。

そうして三枚目の書類を見て指差した。

「減らされた予算は、先月行われたタチアナ様とフィリップ様の婚約披露宴に使われました。それについては伯爵様に何度も確認しましたが、ご記憶にありませんか?」

聞かれ、レステンクール伯爵の記憶に微かに引っ掛かるものがあった。

婚約披露宴には通常半年ほどの準備が必要だが、タチアナがすぐにでもしたいと言いだしたのだ。

理由は、タブロイド紙に書かれたラシュレとベルナードの婚約の記事だ。

タイトルを見たときは、婚約破棄されたふたりを面白可笑しく書いたのだろうと嘲笑した。

しかし読み進めるうちにレステンクール伯爵は次第に笑みを消す。

記事は、卒業パーティで起こったふたつの婚約破棄によって、運命の出会いを果たしたラシュレとベルナードの様子をドラマティックに書きあげていた。

どこで知ったのか、ベルナードが家宝の宝石と引き換えにラシュレに求婚したことまで書かれていて、まるでふたりこそが真実の愛であるかのように伝えられていた。

それに最も怒ったのはタチアナだった。

捨てられた女がどうしてヒロインのように持て囃されるのかと癇癪を起し、記事の撤回を求めに出版社に行ったほどだ。

すると翌日のタブロイド紙に「従姉の婚約者と不貞を働いたあげく、出版社に苦情を言いにきた厚顔無恥な女」と遠回しに書かれた記事が出た。

さすがに伯爵令嬢を名指で非難はできなかったようだが、きちんと文章を読み込めば出版社の主張が伝わるように書かれていた。

幸いタチアナもフィリップもその遠回しの批判には気づかなかったようだが、それでも自分たちの婚約披露宴をすぐに執り行うべきだと主張したのだ。

しかも、タブロイド紙に取り上げられるほどの豪華なものにすると言う。

娘を辱めるような記事を書かれ頭に血が昇っていたレステンクール伯爵は、ふたりの意見をあっさりと認め、金に糸目を付けないと宣言した。

通常でも婚約披露宴となれば、多くの金が必要となる。

豪華であればあるほど出費は嵩む。また準備に一ヶ月しかなかったため諸々を揃えるために追加料金も支払った。

結果、婚約披露宴の費用は当初予定していた予算の五倍以上にも膨れ上がった。

そのため、レステンクール伯爵は計画していた領地の施策を中止、もしくは見直したのだ。

時間がなかったのもあるが、もともと書類仕事をラシュレに丸投げしてきたレステンクール伯爵は、碌に文章も読まずに計画を変更していった。

幾つもの書類に判を押したのではっきりと覚えてはいないが、その書類に堤防の予算も含まれていたらしい。

「どうしたらいいんだ」

レステンクール伯爵は頭を抱えた。

毎年潤沢な収入があるからと安心して、貯えはほとんどない。

どれだけ無計画に使っても、伯爵家の財政が破綻することはなかったのに。

年末には決まった量の小麦を納めなくてはいけないが、今の状況では無理だし、なんなら、数ヶ月先の生活でさえままならない。

八方塞がりだと苛立っていると、タチアナとフィリップが揃って現れた。

彼らの後ろには見慣れない男が一人、愛想笑いを浮かべている。

「タチアナ、そちらにいるのは誰だ?」

「マルセル・ボナパルト男爵様です」

「マルセル? どこかで聞いたことがあるような……」

首を捻るレステンクール伯爵にそっと家令が近づき、耳打ちした。

「フィリップ様と一緒に婚約破棄されたエリザベート・バーデル侯爵令嬢様の新しい婚約者です」

「あぁ、あのなり……」

成金、と言いかけて、レステンクール伯爵は軽く咳払いをした。

それから泰然とした仕草でソファを勧めると、自分はその向かいに腰かける。

タチアナはレステンクール伯爵の隣に座り、フィリップはその横に控えるように立った。

「それで、今日はどのような要件で来たのだろうか」

「実は、我が商会で新しく手に入れた作物があり、それをレステンクール伯爵様に見ていただこうと参りました」

ボナパルト男爵はそう言うと、持ってきた鞄から布袋を取り出し中身を見せる。

小さな粒は、植物の種のようだ。

「これは、新種の小麦です。一般的に小麦は春に種を蒔いて晩夏から秋に収穫する春小麦と、秋に種を蒔いて春から初夏に収穫する冬小麦の二種類です。レステンクール伯爵領では春小麦を栽培されていると存じます」

「いかにも。それで、その小麦は何が新しいというのだ」

「種を蒔く季節を選びません。いつでも、好きなときに蒔くことが可能で、穂が実るのも三ヶ月と通常の小麦より早いです。同じ土地で一年に二度同じ作物を作るのを二期作といいます。小麦の二期作は不可能とされてきましたが、この種でしたら可能です」

三ヶ月ということは、とレステンクール伯爵は指折り月数を数える。

今は五月だ。洪水被害のあった土地を一ヶ月で整備すれば、六月には種を蒔ける。

となると収穫は九月。春小麦の収穫時期とほぼ同じだ。

「それは興味深い話だ。しかし、どうして今まで取引がなかった儂を訪ねてきたんだ?」

その問いに答えたのは、タチアナだった。

「エリザベート様が紹介してくださったのです。彼女もまた、元婚約者が運命の相手を見つけたと持て囃され、自身は悪女だと罵られ悲しんでいます。同じ境遇にある私に知恵を貸してくださいました」

「エリザベートは私との婚約こそ真実の愛だと認めてもらいたいと言っております。また、タチアナ嬢とフィリップ様には幸せになっていただきたいと思っております」

要は、婚約破棄されたラシュレとベルナードが幸せそうなのが気に入らないのだ。

そのふたりを貶めるには、婚約破棄したエリザベートとフィリップがそれぞれの新しい婚約者と幸せなのを、周りに知らしめるのが一番だと考えた。

洪水被害でレステンクール伯爵家が破綻したなんてことになっては、周囲の人間は「不貞したあげく婚約破棄したから天罰が落ちた」と面白可笑しく言うだろう。タブロイド紙の格好の餌食になるに決まっている。

そのとばっちりがエリザベートにまで及ぶのは考えに易く、そんな状況にならないためにもレステンクール伯爵家は安泰であってもらわなくてはいけない。

ボナパルト男爵の話を聞きながら、レステンクール伯爵は冷やかな笑みを浮かべる。

(なにが「エリザベートこそ真実の愛」だ。多くの愛人を囲っているくせに。お前のような成金に口説き落とされた阿婆擦れと、タチアナを一緒にするな)

ボナパルト男爵は気に入らない。だが、目の前に置かれた種は、なんとしても欲しい。

いつでも種を蒔ける上に三ヶ月で収穫できるなら、二期作、いや三期作だって可能だろう。

そうなれば、今まで以上の金が手に入る。

(邸の調度品を売れば、種ぐらい買えるだろう)

レステンクール伯爵はそう算段すると、身体を前のめりにさせた。

「ボナパルト男爵殿、その種だが幾らで売ってくれるのだろうか」

ボナパルト男爵がにこりと笑う。そうして鞄から書類を取り出した。

取引額が記載されたそれに、レステンクール伯爵はその日のうちにサインしたのだった。