軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

14.生活習慣、改善します2

出来上がったマフィンをトレイに載せ、執務室へ向かう。

女主人の仕事の引き継ぎはリビングでしたので、執務室に入るのはこれが初めてだ。

少し緊張しながらノックをすれば、いつもより硬質なベルナード様の声がした。

忙しいのかな、やっぱり差し入れなんて迷惑だったかも、と思いつつ入っていいかと問うと、ガタンと椅子の倒れる音がして扉が内側から勢いよく開けられた。

「ラシュレだったのか。どうしたんだ、何か問題があったのか?」

「い、いえ。マフィンを焼いたので差し入れに持って来たのですが、お忙しいようでしたら出直して参ります」

「マフィン?」

私が持つトレイに、ベルナード様の視線が落とされる。

ナッツは生地に練り込むだけでなく、トッピングにも使った。ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。

「俺のために? 嬉しいな。さっそく食べよう。とはいえ、この部屋では落ち着かないから俺の部屋……いや、リビングに行こう」

ベルナード様は素早く廊下に出ると、後ろ手で扉を閉めようとする。

私は反射的にその手を制した。

だって、目の前の光景があまりにも予想外すぎて、考えるより先に手が動いてしまったのだ。

「これは……かなり書類が散らかっていますね」

棚には本がびっしりと並び、入りきらなかった本は床に積み上げられている。

書類は、執務机やローテーブルだけでなく、ソファの上にも散らばっていた。

「……恥ずかしながら片付ける時間がなくて、このあり様なんだ」

「あの、ちょっとだけ部屋の中に入ってもいいですか?」

あまりの部屋の状態にそう聞けば、ベルナード様は閉めかけていた扉を開き私を招き入れてくれた。

本棚にあるのは領地経営に関する書物で、そこに過去の書類も詰め込まれていた。

床にあるのは主に異国の本や書類だけれど、領地に関わる書類も混ざっている。

「あの、これは?」

見知らぬ言葉で書かれた本を手に聞けば、ベルナード様は決まり悪そうな顔をした。

「隠しておいても仕方ないから言うが、クローデル侯爵家の領地経営はうまくいっていない。もともと小麦の生産に向かない土地で父が違う事業を立ち上げたのだが、そちらは俺の代で廃業となった」

「たしか、前クローデル侯爵様は運送業をされていて、船の事故で亡くなられたのですよね」

「あぁ。そこで少しでも収入になればと、異国の書物の翻訳を請け負っているんだ。求婚しておきながら、こんな体たらくで申し訳ない。あっ、昨日買ったワンピースのお金を支払うなんて言わないでくれよ。それぐらいは問題ない」

「分かりました。ただ、この現状ですと……」

私はもう一度部屋を見渡す。

どう考えても仕事が回っていない人の部屋だ。

あちこちにやりかけの仕事が積まれ、どこから手を付けるのが効率的かなんて考える余裕すらない気がした。

こうなると、ますますベルナード様の体調が心配になってくる。

「ベルナード様、眠れていますか?」

「えっ?」

「昨晩、喉が渇いたので台所に行ったのですが、その時、この部屋にはまだ灯がついていました。お会いしたときから顔色が優れないのが気がかりでしたし、もしかしたらお疲れが溜まっていませんか?」

私の問いが意外だったかのように、ベルナード様は青い瞳を瞬かせる。

そうして、つるりと自分の顔を撫でた。

「そんなに疲れた顔をしているか?」

「はい。肌も荒れていますし、髪に艶がありません。身長はあるのに随分痩身だと思います」

あえてはっきりと言えば、ベルナード様は肩まである灰色の髪を摘まみ、鼻を近づけた。

「風呂には入るようにしているが……」

「匂いは気になりません。いつも何時にベッドに入られますか?」

「……実はもう何ヶ月もベッドで眠っていない。ソファか、執務机に突っ伏して気がついたら朝になっている」

突っ伏してって、それはもはや気絶しているのでは?

どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのだろう。

ベルナード様を支えると決めたのに、これでは婚約者失格だ。

「ちょっとこれを持っていてください」

手にしていたトレイをベルナード様に押し付けると、私は手前にあるソファとローテーブルの書類を纏め、奥のソファにそれらを置く。

「座って、とりあえず食べましょう。そのあと少し眠ってください。その間に私がこの部屋を整理します」

「ありがとう。ただ、明後日までに翻訳しなくてはいけない書類があるのだ。気持ちは嬉しいが……」

「駄目です! とりあえず三時間、いえ、二時間でいいので眠ってください。私も経験があるのですが、睡眠不足は仕事の効率を下げます。寝たほうが、結果的に仕事が早く終わることだってあるのですよ」

「だが……」

「とにかく、少し身体を休めてください。領地経営に関する書類なら私でも分かります。翻訳の書類はローテーブルの上に纏めますから、そちらはあとで整理してください」

翻訳も手伝ってあげたいが、おそらく私の知識では無理だ。

でも、領地経営ならやれることはある。

「ベルナード様、これだけの書類から必要なものを探すのに、どれだけの時間がかかりますか? 探し物をしている時間ほど無駄なものはありません。まずは無駄をなくし睡眠時間を確保しましょう」

私はベルナード様にマフィンを食べるよう促すと、本棚の前に立つ。

とりあえず領地経営に関するものを本棚にまとめ、それ以外は新たに棚を用意するか、ベルナード様の私室へ運ばせてもらおう。

「ひとまず領地経営のお仕事と、翻訳の仕事を分けましょう。過去の書類は五年前までこの部屋に置いて、それ以外は別の部屋に移してもいいでしょうか?」

「それなら一番奥の部屋が書庫になっているので、そこに保管しよう。雑用を頼んでしまって申し訳ない。ラシュレの言う通り、もうどうしていいか分からなかったんだ。だから、その……頼ってもいいだろうか?」

躊躇うように問われ、私はもちろんだと胸を叩く。

叔父やフィリップ様のように私を利用するのではなく、純粋に私の助けを必要だと言われるのは初めてだ。

「任せてください! 整理が終わったら、領地の仕事も教えてください。きっとお役に立てます」

父や祖父と一緒に領地経営に関わってきたので、書類仕事には慣れている。

契約書の作成や、計算書といった書き物だけでなく、新たな作物を作るときに必要な準備や視察など、実務を叩きこまれてきた。

「今まで、こういう風に頼りにされたことがなかったので嬉しいんです。だから、どんどん私を頼ってくださいね」

「俺も、そう言ってもらうのは初めてだ。俺の女神が優しすぎて、ちょっと泣きそうなぐらい嬉しい」

「ふふふ、泣いてもいいですよ? いつでも胸をお貸ししましょう」

両手を広げれば、ベルナード様は持っていたカップを震わせながら笑い出した。カップから紅茶が少し零れたが、それを気にする様子もない。

「やはりラシュレは面白い」

そう言って、ちょっと泣きそうな顔で笑う。

もしかするとベルナード様も私と同じように優しさに飢えていたのかもしれない。

女神だなんて思わず冗談を言って誤魔化さなくてはいけないほど、私の言葉が彼の琴線に触れたのなら、婚約者としてこれほど嬉しいことはない。