軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第44話:嵐の始業式

四月一日、木曜日。

桜の蕾が膨らみ始めた春の陽光とは裏腹に、大崎市立第一中学校の登校路を支配していたのは、刺すような緊張感だった。

「……おい、あいつだ」

「結城……カイト……」

校門をくぐるカイトの背中に、ひそひそとした囁き声が突き刺さる。昨日までのそれは、才能の行き止まりを憐れむ、あるいは見下すような色の混じったものだった。しかし、今は違う。

掲示板に書き込まれた衝撃のリークや友人間での話から広がった。

三十層で起きた「変異種」の出現と、それを単独で、しかも見たこともない「剣と魔法」で蹂躙したという正体不明の強者の噂。

その真偽を確かめようとする視線、あるいは、もし噂が真実だった場合に「昨日まで馬鹿にしていた自分」がどうなるかを危惧する戦慄。カイトが一歩踏み出すごとに、周囲の生徒たちは潮が引くように道を開けた。

(……やっぱり、筒抜けか)

カイトは内心で小さく溜息をついた。嫌な目立ち方をしないこと、を旨としてきた彼にとって、この居心地の悪さは想定内ではあったが、それでも辟易するものがある。

教室に入れば、その空気はより一層濃密なものとなった。二年生へと進級し、クラス替えのない持ち上がりの面々。慣れ親しんだはずの教室は、カイトという「異物」の帰還によって、静まり返った聖域のような静寂に包まれていた。

カイトが自分の席に鞄を置いた、その時だった。

「……結城君」

凛とした、しかし微かに震える声が彼を呼んだ。

九条院紗夜だ。彼女はカイトの机の数歩手前で立ち止まり、その透き通った瞳でじっと彼を見つめていた。その瞳には、かつての憐憫など微塵もない。あるのは、あの日、死の淵で自分を救った白銀の背中に対する、強烈なまでの憧憬と……。

彼女は何かを言いかけ、薄い唇を震わせた。感謝か、それとも……。

だが、カイトの平然とした——あまりにも「いつも通り」な——表情を前にして、彼女は言葉を飲み込んだ。

「……ごめんなさい、なんでもないわ。また後で」

九条院は、逃げるように視線を逸らして自分の席へと戻っていった。名門九条院家の才女として、最強を目指してきた彼女でさえ、今のカイトにどう声をかけていいのか正解を見つけられずにいた。

ホームルームのチャイムが鳴り、教官が教壇に立つ。

いつもなら高圧的な態度で生徒を見下ろす彼も、今日は心なしか落ち着きがない。視線が泳いでいるかと思えばカイトをちらちらと気にしている。

「えー、進級おめでとう。お前たちは本日から二年生だ、が、浮ついている暇はない。今後の三十層以降の攻略だが……学校側とギルドの協議の結果、クラス全体の『上級職レベル10』への到達を最低条件とする。それまでは、指定された中階層でのレベリングに専念しろ」

「レベル10」という高いハードルに、教室からは溜息が漏れる。しかし、その視線の多くは、すでにその遥か先を行っているであろうカイトへと向けられていた。

教官は、最後の一枚の書類を読み終えると、一度大きく咳払いをしてからカイトを見た。

「……結城。始業式が終わった後、教官室へ来い。話がある」

その呼び出しに、教室内が再びざわめく。

カイトはただ、「分かりました」と短く答え、静かに頷いた。

つつがなく、しかしどこか上の空で進んだ始業式が終わり、カイトは一人、教官室へと向かった。

重い扉を開けると、そこには数名の、三十層攻略時に引率していた教官たちが揃っていた。彼らはカイトの姿を認めるなり、一様に姿勢を正した。それは、生徒を迎える教師の態度ではなく、格上の冒険者を迎える時のそれだった。

「……来たか、結城」

中心にいた教官が、応接用のソファを促す。カイトが座るのを確認してから、彼は苦渋に満ちた表情で口を開いた。

「三十層での例の『変異ボス』……【深淵の処刑人】についてだが、都営ギルドに正式な報告を上げた。我々引率の不手際も含めてな」

教官は一度、手元の資料に目を落とした。

「ギルドの上層部も動揺している。これまで、低階層や中階層で原因不明の全滅事故が数件報告されていたが、今回の報告を受けて、それらがすべて『変異ボス』の出現によるものではないかという疑いが浮上したんだ。ダンジョンには……我々が把握しきれていないことがあると」

カイトは黙って話を聞いている。

「そして、当然ながら議論は『なぜ、今回だけ全滅しなかったのか』という点に及んだ。私は……嘘をつくわけにはいかなかった。引率であるプロの上級冒険者が数名がかりで敵わなかった相手を、一人の生徒が、我々の知らない未知の技術で圧倒し、殲滅した……とな」

教官の言葉には、隠しきれない畏怖が混じっていた。

自分の教え子が、自分たちの理解の及ばない領域に到達していた。その事実は、一人の冒険者としての本能を震わせたのだ。

「ギルド側は、おまえを……結城カイト個人を直接呼び出し、話を聞きたいと言っている。その力は、もはや一学園の範疇で秘匿できるレベルではない。公的な調査が必要だと、彼らは判断した」

教官は、カイトの反応を伺うように言葉を切った。

カイトは少しの間、視線を床に落として思考を巡らせた。

(……避けては通れないか。ここで拒否しても、いずれギルドから強制的に調べられる。なら、ある程度こちらの主導権を握れるうちに接触したほうがいい)

決断は早かった。カイトは顔を上げ、教官をまっすぐに見据えた。

「分かりました。話をすること自体は構いません」

教官が、あからさまに安堵の息を漏らした。

「……そうか。助かる。結城、おまえには色々と事情があるのだろうが……。では、いつが良いか調整を——」

「今からでも大丈夫ですか?」

カイトの不意の申し出に、教官が驚きの声を上げた。

「早い方がいいでしょう。後回しにしても噂が広がるだけですし、学校側も対応に困るはずですから」

「……確かに、その通りだ。君がそう言ってくれるなら、すぐに確認を取ろう」

教官は急いで内線電話を取り、都営ギルドの窓口へと連絡を入れた。

数分後、受話器を置いた教官の顔には、驚きと緊張が混ざり合っていた。

「……ギルド側も、即時の面会を望んでいる。ギルド長自ら、時間を空けるそうだ。……今から私と共に向かう。いいな、結城」

カイトは無言で立ち上がった。

隠していた牙を剥いた以上、もう元の落ちこぼれには戻れない。

これから向かう場所で待ち受けているのは、東京のダンジョン攻略を司る都営ギルドの重鎮たち。

カイトは教官と共に、校門で待機していたギルド専用の車両へと乗り込んだ。

春の風を切り裂き、車は都心部にある都営ギルド本部へと走り出す。

「嵐の始業式」は、まだ始まったばかりだった。

カイトの真の物語が、今、公的な舞台へとその幕を移そうとしていた。

『現在のジョブ:魔騎士』

『現在のレベル:90』