作品タイトル不明
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「本当にごめんなさい。わざわざお見舞いにまできていただいて申し訳ないですわ……」
ベッドの中から申し訳なさそうに顔を出している少女ーーーアデリアを見て、その顔色の悪さに改めて先日の自分を殴りたくなった。
アデリア・ランデンハント。
新しく俺の婚約者となった少女。
ーーーそう、彼女はまだたった16歳だという事をもう随分と忘れていた気がする。
それ程に、王子の婚約者であった彼女は完璧だったから。
俺の婚約者であったララ・サッチェルが初めてライド王子に出会った時。
俺はもう、その時には予感がしていた。
この2人は、結ばれるのでは無いかと。
幼馴染の様な関係で、誰よりも大切だったララ。
当然の様に彼女と結婚し、家庭を築いていくのだと疑わなかった。
誰よりも幸せでいてほしい。
だから、辛かったけれどその恋を応援した。
ーーーその結果が、全てアデリアに向かってしまうことにも気づかずに。
ライド王子の事を好きでは無いのだから、傷つくこともないだろうと。
そんな問題じゃ無かったのだ。
彼女の10年間を、否定してしまう事の重大さを、俺も、ララも、ライド王子も誰1人気にかけなかったのだ。
余りにも愚かだった。
「顔色が悪いですね……寒くはない?」
額にかかったその眩い金色の髪を耳にかける。
少しだけ触れた彼女の頬は驚くほどに冷たい。
「大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
俺を見上げるその瞳には、疲れしか見えない。
ずっと、ずっと頑張ってきた彼女にとどめを刺したのは、間違いなく俺だ。
彼女は俺がララを引き止めることに期待していたのだ。
ララも多分、俺が強く引き留めればライド王子への感情に蓋をして無理にでも俺の隣に立っていただろう。
……きっと本当はそうすべきだったのだ。
現にララは何一つ王妃教育を受けていなかったのに、そこに立つ権利を得た。
ーーー10年間アデリアが頑張ってきた事を何一つ身につける事なく。
「あの、ルース様。もうお帰りになって?お忙しいでしょうに申し訳ないですわ」
「俺が居るのは嫌?」
「ーー…嫌、ではありませんけど」
「なら、もう少しだけ。ほら、目を閉じて眠っていて」
瞼の上に手のひらを乗せると、最初は居心地悪そうにしていたがーーー暫くすると温かい、と一言を残して静かな寝息が聞こえてきた。
そっと手を退かす。
目の下には少女の顔にはおよそ似合わない濃い隈が残っている。
いつもは化粧で隠しているのだろう。
素顔のアデリアは予想以上に幼気な顔をしていた。
青白く、細い腕。細い、指。
こんなに華奢な体で、1人で立ち続けてきたのだ。
「アデリア嬢……本当にすみません……」
後悔が滝の様に押し寄せる。
あのサロンでようやく向き合ったアデリアは、心底疲れ切ってそして何もかもがもうどうでもいいと身体中で訴えていた。
「貴女はもうずっと、ずっと限界を超えて踏ん張っていたのに……」
ベッドの上に放り出されたその小さな手を握る。
冷たい手に自分の体温が少しでも移るように。
こうしていないと、アデリアをこの世界に繋ぎ止めて置けない気がした。
次の週末。
何とアデリアから先週の埋め合わせをしたいと連絡が来た事で改めて出かけることになった。
「律儀だな……俺と出かけたいとは思ってないだろうに」
迎えにいく馬車の中で1人呟く。
今日は最近流行りの舞台を観劇に行く予定だ。
ランデンハント家の屋敷の前に着くと、既にそこでアデリアは待っていた。
陽の光を浴びて輝く黄金の髪。
長いまつげに縁取られた淡い紫の瞳。
落ち着いた紺色のドレスを着た彼女はハッとするほどに美しかった。
「ご機嫌よう、ルース様。先日はすみませんでした」
「……いえ、もうお加減は大丈夫ですか?今日も辛かったら言ってくださいね」
馬車へとエスコートし、アデリアの正面へと腰をかける。
「それにしても、外で待っていてくれるとは。楽しみにしていてくれました?」
「ーーーえ」
一拍の間をおいて、彼女の顔が真っ赤に染まる。
「あ、えと、いえ……すみません。殿方と待ち合わせをしたことがなかったものですから、外で待つものかと……あ、舞台を楽しみにしていたのは本当です」
わたわたと慌てるアデリアは16歳の少女そのものだ。
しかし、そうか。
ライド王子とはこうして出かけることも無かったのだ。
その事実に、勝手に胸が痛んだ。
ララとライド王子がこっそり出かける為に手を貸した事のある身としては余計に。
「ーー……おかしいと思ってらっしゃる?」
そんな俺の視線に勘違いをしたのかアデリアは口を尖らせながら言葉を続けた。
「だって、貴方には全部お話ししてしまいましたから。もう肩の力を入れていても仕方がないでしょう。今までの私と違うと思われても、もう戻れませんわ」
「ーー…今の貴女も、素敵だと俺は思いますよ」
「お口がお上手ですこと」
本当に、心からそう思った。
けれど俺がどれだけ言葉を重ねてもアデリアの心には染み込まないだろう。
「まだ始まるまで時間があるので……アデリア嬢さえ良ければ市井を見に行きませんか?」
「え?」
「今日はちょうどバザールが開かれているはずなので、賑わっていると思いますよ」
「……いい、の?」
その瞬間、その瞳が流れ星のように輝いた事を俺は生涯忘れないだろう。
あまりにも美しくて、宝石の様で、飲み込んで隠してしまいたいと思った。
「ええ、行きましょう」
程なくして馬車が止まり、その扉が開かれた。
王都のバザールは治安も良く、今日程度の恰好ならばちらほらと見かける程には貴族間でも人気がある。
「わっ……すごい人……」
恐る恐ると俺の手を掴みながら馬車から降りてきたアデリアは、忙しなく首を動かして辺りを見回していた。
「治安は良いですが迷子になると大変なので。俺の手を離さないでくださいね」
「え、えぇ、わかりました」
「何か見たいものがあれば遠慮なく言ってくださいね。あぁ、ここは食べ物も美味しいですよ」
「あ、あれは何かしら?」
アデリアが指差す方を見る。
「あぁ、あれはクリームとフルーツをパンで挟んだもので、今の時期だと桃のーーー」
「クリーム……」
「食べて見ますか?」
「あ、え、でも……」
アデリアの葛藤に気付き声をかける。
「もう食べても怒る人はいません」
俺の言葉にアデリアがハッと顔を上げる。
「そ、そうですよね!食べても、いいんだわ……」
「買ってみましょう。何個食べます?」
「ひとつ……あの」
「はい?」
「ふたつ……食べても良いかしら?」
遠慮がちなその可愛さに声を出して笑ってしまった。
アデリアはその食べ物を大層お気に召したらしい。
手で持ち齧り付くことに驚いてはいたが、とても綺麗な所作で2つ食べ切った。
俺は情けないことに、彼女の髪を耳にかける仕草、小さな口を開く仕草、口に入れた瞬間ほのかに染まる頬から目が離せなかった。
「……これは、いつでも買えるのかしら?」
「えぇ、季節によって果物も変わるので面白いですよ」
彼女の顔を覗き込む様にして答える。
「……あぁ、ふぅん」
途端にアデリアが納得した様に一度二度と頷く。
「?」
「貴方の事、随分猫背な方だと思ったのだけど……なるほど、貴方はちゃんと人の目を見る方だったからなのね。大抵の人は貴方より背が低いだろうし」
「そう、でしたか?無意識でした……」
「素晴らしい事だと思うわ。でも、猫背を直した方が異性からの好感は高いでしょうね」
「貴女は、嫌ですか?」
「ーーー私?……いえ、私はどちらでも……」
「でも、そうですね。これからは貴女の隣に立つのだから極力意識する様にしてみます」
「……別に、私に合わせなくてもよろしいのよ?」
「でも、これから俺と結婚してくれるのは貴女ですから」
「ーーー?あの、この間私が言った事覚えてらっしゃる?無理に私を気にかけずに、また良い方が出来たらその方を「そんなつもりありませんよ」
声のトーンが一つ落ちる。
「そんなつもり、露一粒もありません」
横に座るアデリアの顔に驚愕が浮かぶ。
「一つ、伝えておきますアデリア嬢。俺は確かにララを好きでした。大事な存在です」
「え、えぇ…よく知っていてよ」
「ーーーけれど、俺は貴女と結婚する。アデリア嬢、貴女と」
「は、はい」
「俺は貴女をこれ以上踏み躙る存在になる気は無い」
強い風が吹く。
アデリアの柔らかな髪がふわりふわりと乱れるのを、優しく撫でつけた。
舞台は想像以上に面白いものだった。
隣に座るアデリアが終始その瞳を輝かせて見ていたことも良かった。
踊り子が出た時など小さく歓声を上げていたのだ。
その事がたまらなく嬉しかった。
時間が経つのは早いもので、舞台が終わる頃には空はすっかり夕闇の間になっていた。
「今日は本当にありがとうございました。とても、とても楽しい日でしたわ」
「それは良かった」
帰りの馬車の、窓の外を穏やかな顔で眺めるアデリアは今まで見た事のない顔をしていた。
ーーーたった2ヶ月と少し前。
俺は愛しい人に振られた。
長い、長い間その人だけを見て生きてきた。
ーーーーなのに。
俺は、こんなに気の多い男だったのか。
ララを大切に思っていたのはもちろん本当で。
今でも幸せになってほしいと願わずにはいられない。
ーーーけれど、今この目の前に座る少女を自身で幸せにしたいと想う心も真実だった。