軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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ハッ、と目を覚ましたときに感じたのは焦げ臭いニオイ、そして周囲に充満する濃厚な——魔力の気配だった。

僕の身体に残った魔力が少なかったせいもあって、頭がぐらんぐらんする、船酔いに似た感覚に襲われる。急いで道具袋から水薬を取り出すと——とりわけ頑丈なビンを使っていてよかった——栄養ドリンクのようにそれを飲み干した。ただし味はヤバイ。ほうれん草と小松菜が結婚してえぐみだけを抽出したようなマズさがある。

ミミノさん特製の「激・魔力回復薬」だ。ちなみに「激」は味の話ではなく効き目のほうだ。

「うえっ、げほっがはっ——」

むせながらも僕は、すぐそこに立ち尽くす少女の後ろ姿を見た。

服のあちこちはすすけ、髪も焼けたのかところどころ不揃いで、露出した肌にも多くの火傷があって——アナスタシア殿下だ。

「殿下——」

なぜここに殿下が? と疑問を口にする前に、殿下が振り返った。

「あぁ……よかった。目を覚まされたのですね」

ぽっ、ぽっ、と小さな炎が泡のように弾けただけだった。

初めてまともに聞いた殿下の言葉は、あまりにもか細く、あまりにも弱々しかった。

殿下が声を出せば【火魔法】が顕現する。それは変わりないのだけれどこれだけ ちゃんと(・・・・) しゃべっているのにほんのかすかにしか炎が出ないのは——。

「殿下!!」

僕は立ち上がり、走った。後ろに倒れそうになる殿下を両腕で抱き止める——殿下の体内にも残魔力はほとんどなかった。

あれだけ莫大な魔力量を誇った殿下が魔力切れ? いったいなにが起きた?

「あ……」

見上げた僕は気がついた。

赤色の空が割れ、向こうにはこちらの世界の夜空が見えている。ぱらりぱらりと数が少ないながらも降っている黒い点はモンスターのようだ。

しおれたヘビギンチャクはいまだぶら下がっていたけれど——根元から、腐り落ちるように落ちてきた。いくらしおれているとはいえ、とんでもない質量だ。先端が地面に触れて血だまりを踏み潰すと、しなだれた残りの部分が落ちていき広範囲に渡ってまたも建物を破壊し、地響きとともにもうもうと砂煙を上げる。

ヘビギンチャクがちぎれた後には、残り少なくなった赤い空。ひび割れ、欠けた、ガラスの破片のような空だったけれど、そこで崩壊は踏みとどまった。

「ッ!!」

赤い空に、金色の巨大な目が現れた。

瞳孔が水平になっているために、金色の目の中心に、黒っぽく瞳を閉じているような、不思議な見え方になっている。ヤギの瞳孔と同じだ、と僕は直感する。

しかし目の大きいことと言ったら、その目のヤギがいたとしたらさっきのヘビギンチャクは、ヤギの足一本程度になってしまうだろう。

(来るな、来るな、来るな……)

僕はそれだけを念じていた。赤い空の広がりは止まっている。あの 向こうに(・・・・) 巨ヤギがいるのならば、あの赤い部分ではくぐり抜けることができないだろう。

ガンッ。

巨ヤギが、その隙間を通り抜けようと衝突したようだ。衝撃波が離れたここまでやってきて、僕は殿下を抱いたまま尻餅をついてしまう。

ガンッ。ガンッ。

目の前で巨大な鐘でも衝かれているような波動が響いてくる。

いや、それは鐘なのかもしれない。

この国の終焉を告げる鐘だ。

なんなんだよ、あの化け物は。あんなのが出てきたらこの国なんてすぐにも破壊されるじゃないか。

僕は殿下をかき抱き、せめて殿下だけでも守れないかと考えた。「逃げる」一択しかない。だけど魔力不足の状態では走るどころか殿下を背負うこともままならない。

じっと待つしかない。ミミノさんの薬が効いて、じわじわと魔力は回復しつつあるのだから。

《ぉああああぉぉぉあああああああああええええええええええええ》

イラ立った巨ヤギが吠えた。ヤギの鳴く「めー」なんていうカワイイ鳴き声じゃない。

聞いた瞬間、全身に鳥肌が立ち、瞳孔が開いて、頭が真っ白になるような——恐怖を催させる声だ。

こちらに来られなくてイラ立っているのか、空を割れないことにイラ立っているのか、あるいは単に空腹で——僕らというエサを目の前にして「おあずけ」されていることにイラ立っているのか。

大丈夫、大丈夫だ。あの巨ヤギがこちらへ通ってくることはない。僕のなすべきは、今のうちに殿下を抱えて逃げることだ。

そう、思ったのは僕だけではなかった。

呆然と空を見上げていた飛行船の乗組員たちも動き出し、巨ヤギからは逃げるべきだと悟ったのか、急旋回して距離を置こうとしている。

「月下美人」を——ラルクのいるはずの船を探したけれど、すでに見える範囲のどこにもいなかった。さすがラルクの仲間だ。逃げ足はばっちりだ。……また、会えなかったけれど、「月下美人」に乗っていることがわかったのは十分な収穫だ。

僕の背後、巨大飛行船の人たちも、船から下りると遠くへと逃げていく。誰かが僕へ向かって叫んでいるが、早くこっちへ来い、ということなのだろう。

「今、行きま——」

背筋に、冷たい予感が走った。

《ええええげえええええええっ》

巨ヤギがなんらかの魔力を放った。空の隙間に干渉しようとしているのだ。光とともにもう一度空に亀裂が走る。

だが一方で、絶壁に立つ「九情の迷宮」の光の柱にも変化があった。より強烈な光が走り、空へと再度干渉する。

ふたつの、とてつもなく莫大な魔力と魔力がぶつかり、雷が轟き、爆発が起き、空間が裂け、空間が閉じ、新たな術式が発生しては破棄される。

耳が痛い、と思った。

可聴領域を超える音が鳴っている。それは低音を含むようになり爆音となって降り注ぐ。

「え……」

髪の毛が逆立つような感覚。

「ええ……?」

煙が、足元の石ころが、がれきが——浮いた。

「ええええええええええええええ!?」

殿下を抱えた僕の身体まで宙に浮かび上がった。

吸い込まれていく。

空へと。

「伸びろ!」

僕は左腕で殿下を抱えつつ、右手で道具袋からロープを出して放ると、わずかに回復した魔力で【花魔法】を発動、近くにあった建物の柱にしっかりと結びつけた。

これで、吸い込まれることはない——。

「はあっ!?」

甘かった。柱ごと、地面ごと、宙に浮いたのだ。

僕は殿下とともに空へと舞い上がる。

周囲には大量のがれきと、ときどき大蛇と、逃げ遅れた飛行船が2艇、浮かび上がっている。

空にはすでに巨ヤギはいなかった。巨ヤギがいた空間とはつながっていないのか、あるいは巨ヤギはいないのか。

吸い込まれていく。加速していく。

赤々とした空間へと。

僕は殿下を抱きしめることしかできなかった——せめてこの人だけでも無事でありますように。

せっかく、自分の特異体質との向き合い方に気づいたんだ。

がんばればふつうに話すことだってできるようになるはずだ。

ほんの少ししか声を聞いていない。

それも、切羽詰まったときの声だけだ。

殿下が笑えばきっと、鈴を転がしたような明るい声が聞けるはずなんだ。

せめてこの人だけでも——。

視界一面が真っ赤になり、僕の身体はまるで宙に投げ出されたような感覚に包まれた。