軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

盛大な地雷

朝食を食べ終えてリビングに向かうと、エルナ母さんがソファーで座っていた。

エルナ母さんはこちらを一瞥すると、こてりと無言で身体を横に倒した。

おそらく俺がくるまでも寝転がっていたのだろう。

エルナ母さんがだらしない姿を見せるのは、俺からすればいつものことなので特に気にすることはない。遠慮なく対面のソファーに座った。

エルナ母さんは横向きに寝転がっているがその瞳はこちらを向いていない。

視線はソファーの脚辺りに向いている。ただボーッとしているだけだろう。

手持無沙汰にしているなら話しかけるが、ボーッとしているのであれば無理に話しかける必要はない。

誰だって何も考えたくない瞬間はあるものだ。そう思って俺は暇潰し用に持参していた本を広げることにした。

「はぁ……」

しばらくページをめくっていると、エルナ母さんがため息を漏らした。

エルナ母さんだって人間だ。ため息をつきたくなる時はある。

「はあぁ……」

「…………」

特に気にせず本を読み進めていると、再びエルナ母さんがため息を漏らした。

……これはあれだな? 私は今困っています、聞いて欲しいことがあります、でも自分から言うのは嫌なので聞いて欲しいっていう女子特有のサインだな?

ここで無視すると、へそを曲げられてしまうことは前世の経験から理解している。

「……エルナ母さん、お疲れ?」

聞いて欲しいサインを察した俺は、エルナ母さんへと視線を向ける。

この時に読んでいる本をしっかりと閉じるのも忘れない。ながら作業で問いかけると話しを聞いていない認定されて怒られるからだ。

「ええ、今回の王都行きはいつも以上に疲れたわ」

仰向けになって天井を見つめながらエルナ母さんが言った。

「ずっとミスフィード家で過ごしていたし、エルナ母さんたちはパーティーに引っ張りだこだったもんね」

王都で滞在する時は贔屓にしている高級宿で過ごすのだが、今回はシューゲルの厚意によってミスフィード家で滞在する羽目になった。

俺たちとしてはいつもの高級宿の方が心身ともにゆっくりとできるのだが、さすがに公爵家からの誘いとあっては無下にすることはできない。

幼い子供である俺はミスフィード家でも楽しく自由に振る舞えたが、大人であるエルナ母さんは色々と気苦労があったことだろう。

「それもあるけど、今回は季節が冬ということもあって肉体の疲労がね。帰ってきてから三日が経過したけど、どこか疲労感が抜けきれないわ」

どこか疲れの滲んだ表情で呟くエルナ母さん。

今回の旅路は冬ということもあり、ずっと馬車にこもりっぱなしだったからね。いつも以上に足腰への負担が大きく、身体の循環が悪くなっているのかもしれない。

「そんな時は早めにお風呂に浸かって、ゆっくりと眠るに限るよ」

「そうね。でも、今から湯船に入るのは早いわね」

エルナ母さんが面倒くさそうに呟いた。

時刻はまだ昼を過ぎた程度。まだお風呂に入るには早い時間だ。

それでも入ってしまえばいいと思うが、女性は化粧やら髪を乾かしたりと面倒くさいことが多いので気持ちはわからなくもない。

「なら足湯とかどう? 足回りを温めるだけでも身体の調子は良くなるよ」

むくみ解消、疲労回復、リラックス効果、免疫力の向上、旅を終えたばかりで疲労を訴えているエルナ母さんにオススメだ。

化粧をし直す必要もないし、髪だって乾かす必要がない。

そんな提案をすると「うーん」と唸り声が返ってくる。

どうやらエルナ母さんは物ぐさ状態にモードになっており、足湯に浸かることすら面倒くさいと感じているようだ。

こういう時は好奇心を刺激してやり、物ぐさモードを脱却させてあげなければいけない。

「そういえば、『フロレッタ』で薬湯を買ったんだ。それを使ってみるのはどう?」

「……それはいいわね」

フロレッタの薬湯と聞いて、エルナ母さんがむくりと上体を起こした。

どうやら物ぐさモードは脱却できたらしい。

「ありがとう。お言葉に甘えて使わせてもらうわ」

「それがいいよ」

エルナ母さんは居住まいを正すと、ちりんとベルを鳴らした。

「はい。何かご用でしょうか?」

程なくしてメイドのサーラがやってきた。

「足湯に入りたいわ。準備をお願い」

「かしこまりました」

サーラは恭しく頭を下げると、リビングを退出して足湯の準備に取り掛かった。

エルナ母さんはソファーから立ち上がると、鼻歌を鳴らしてタンスからボディクリームを取り出していた。かなりご機嫌そうで何よりだ。

若い頃はたった一晩があれば、大抵の疲労は吹き飛ばすことができるが、徐々に年をとると一日、二日、三日と回復するのに時間がかかるようになってしまうのである。

俺も転生する前は、年齢による疲労に苦しんだものだ。

「……アル、何か余計なことを考えなかった?」

「考えておりません」

ボディクリームを選別していたエルナ母さんが鋭い視線を向けてくる。

女性という生き物はどうしてこうも鋭いのだろうか。喉から心臓が飛び出るかと思った。

別の話題にすり替えるべき口を開こうとすると、廊下の方からドタドタと足音が響いてきた。

この屋敷でそんな派手に足音を立てる者は一人しかいない。

「アル、稽古をするわよ!」

扉を勢いよく開けて入ってきたのは、予想通りエリノラ姉さんだった。しかも、開口一番に世迷い事を言ってくる。

「やだよ」

「なんで?」

「王都から帰ってきてから三日だよ? まだ疲れているんだ」

俺は先ほどの話題を動線にしてエリノラ姉さんの誘いを断る。

「もう三日も経ったじゃない!」

「三日しかだよ。まだ疲労が残っているんだ」

「三日もあれば疲労なんて十分にとれるでしょう? 体力のないおじさんやおばさんじゃあるまいし」

エリノラ姉さんが目の前で盛大な地雷を踏んだ。

おそるおそる視線をずらすと、未だに疲れが抜けきっていないエルナ母さんがにっこりと微笑んでいた。

「……エリノラ、随分と元気が余っているようね? それだけ元気だったら、今日も魔法の勉強をしましょうか」

「え? 一昨日と昨日頑張ったから今日はお休みだって言っていたわよね? 不当だわ」

「エリノラは私と違って若いから疲労に苦しむことはないでしょう? おばさんな私とは違って」

エルナ母さんの皮肉によって、察しの悪いエリノラ姉さんも自らが地雷を踏んでしまったことに気付いたようだ。

エリノラ姉さんが助けの視線を求めてくるが、こればっかりは俺でもどうしようもない。

この間とは別の意味で俺は視線を逸らすことしかできなかった。

「あ、えっと、母さん、さっきの言葉は違うの! あくまでアルに稽古をさせるために発破をかけるための言葉であって……」

「それで?」

「ごめんなさい」

エルナ母さんが圧をかけると、エリノラ姉さんが素直に謝った。

「エリノラの謝罪を受け取るわ」

「それじゃあ……!」

「魔法の勉強をするわよ」

エリノラ姉さんが期待の表情をする中、エルナ母さんは微笑みながら無慈悲な宣告をした。

「ええ!? 謝ったんだから許してくれるんじゃないの!? 魔法の授業は無しじゃないの!?」

「謝罪の気持ちは受け取ったけど、許すとまでは言った覚えはないわ」

「そんなぁ!」

またしてもエルナ母さんに連行されていくエリノラ姉さん。

世の中、謝罪の言葉一つですべてが許されるわけじゃない。盛大な地雷を踏んだことでエリノラ姉さんは人生で大きな教訓を得たに違いない。

「お待たせいたしました。エルナ様、足湯の準備が整い――あれ? いない?」

綺麗に二人とすれ違うようにして戻ってきたサーラがリビングをキョロキョロと見渡す。

「エルナ母さんならエリノラ姉さんの勉強をみることになったよ」

「え?」

一連の流れを見ていなかったサーラからすれば、どうしてそうなったのだろうと不思議でしかないだろうな。

「エルナ母さんは使わないだろうし、俺が足湯に入るよ」

「は、はぁ……わかりました」

せっかく足湯を用意してくれたのに浸からないのも勿体ないからね。

「よかったらサーラも一緒に浸かる? フロレッタの薬湯だよ」

「ご一緒します!」

フロレッタの薬湯をちらつかせると、サーラは即座に頷いた。