軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【企画閑話】ローザ残酷物語の怪(後)

「ふ…ぐぅうう……っ」

もう何度目になるだろうか。

ローザは胸元を強く押さえたまま、こらえきれず寝台に倒れ伏した。

「だ……だめ……っ、尊みが、深すぎる……っ」

突っ伏したまま、強く握った拳でばしばしと寝台を叩く。

住人なき寝台からは盛大に埃が舞い、うっかり吸い込んでしまった彼女は「おぇっほ、えっほ! ごっほ!」と激しく 噎(む) せた。

おかげで目には涙が滲み、息は上がりとひどい状態だったが、いやいや、これでも状況はだいぶ改善されているのである。

なぜなら、つい数分前までは、本に没頭するあまり、石の床に座り込んでいたのだから。

もしそのまま「尊い」とのけぞったりなんかしていたら、後頭部を強打して昏倒していたことだろう。

実際、興奮のままに叩きつけていた拳の側面は、すっかり赤くなってしまっていた。

(だめよ、ローザ。ここで気絶しては、今度こそラドゥ様に軟禁されてしまう。ああでも、せっかく昏倒を避けるべく、 尊死(ソーシャル・) 距離(ディスタンス) を確保して読書に臨んだというのに、このままでは動悸息切れでやっぱり倒れてしまう……っ)

前門の虎後門の狼的状況に、ローザは伏したまま「く……っ」と懊悩した。

だが読書をやめるつもりは毛頭ない。

それほどまでに、この「王子と小姓」の物語は素晴らしかった。

(なんということなの……この物語がこんなにも味わい深いものだったなんて……)

幼少時には、「なんだかすごく俺様な王子(好き)と腹黒美少年な小姓(大好き)があれこれ話しながらドラゴンを倒す話」くらいの理解で留まっていたが、成長とともに、読解力・妄想力を大いに強化した今、その味わい深さは、想像をはるかに超えて彼女の秘孔を突いてきた。

ニヒルにはにかむ王子の描写がよい。

強がりを言うときにほんの少し幼くなる小姓の口調がよい。

時折挟まるうんちくと、それに絡めて王子が小姓をからかう感じがよい。

強い絆で結ばれているのに、互いに憎まれ口をきかずにいられない距離感がよい。

というかもう、よいことしかない。

ドラゴンなんて倒さなくていいから、ひたすらこの会話劇を拝み続けていたい。

(そして彼らの名前が、「リオン王子」に「小姓ベルナー」だというのが、もう……!)

ある意味、最もローザの 秘孔(ツボ) を突いたのは、そのネーミングかもしれなかった。

一文目を読んだその瞬間から、脳内劇場でレオンとベルナルドがイチャイチャして止まらないのである。

尊みが、高まり溢れて、止まらない。

「ああ、あ……」

もはやすすり泣きのような声を上げて、ローザは「聖書」を震える手で掲げ持った。

今日までの自分は、迷走していたのかもしれない。

BL(ベルたんズラブ) ハーレムを率いる筆頭旦那は、フェイでもラドゥでもなく、やはりレオン。レオンなのだ。

たしかにフェイには、幼馴染として積み重ねてきた年月の重みがある。

ラドゥには、エキゾチックイケメンという絵面の芳しさがある。

けれど、レオン――彼には、俺様王子という、ある種陳腐さを感じさせるほどの定番感、そう、原点感がある。

最古にして最先端、どんなシーンでも美味しく「萌え」に昇華させてしまう、万能的組み合わせ。それがレオンとベルナルドなのだ。

「やはり、殿下しかいない……殿下……っ」

真冬だと言うのに暖炉の焚かれない部屋は、怖ろしく寒く、しかも薄暗い。

だが、ローザはそんな現実を吹き飛ばすほど、ごうごうと妄想の炎を滾らせ、次のページをめくった。

いよいよドラゴンと初めて接触し、その手ごわさに二人が撤退してしまうシーンだ。

小姓は王子の足を引っ張ってしまったと、いつもの強気はどこへやら、涙を浮かべ、王子は困ったように肩を竦めてそれを慰める。

ローザはふんすと鼻息を荒げながら、

(抱けぇえええ!! 抱けぇええええええええ!)

ページ越しの二人に、呪詛とまごうばかりのエールを送った。

が、怨念虚しく、その数行後に場面はさっさと、ドラゴン再登場へと移っていってしまう。

ローザは真っ白な灰になって、ぱたりと寝台に倒れた。

あんまりだ。展開が速すぎる。

せめてここで段落を変え、翌日へと場面転換してくれたなら、その空白を利用して怒涛の脳内補完をしてみせるのに。

ローザはうっと涙目になって、作者を恨んだ。

(そういうとこですわ……! 廃刊になってしまうのは、そういうとこですからね……!)

だが「廃刊」の二文字でかえって、自分ではもうこの物語をどうこうできないのだという事実を突きつけられたように思い、ローザは両手で顔を覆うと、ぐすぐすと作者に、そして作中のリオン王子に縋り付いた。

「お願い……お願いです……助けてくださいませ……ベルナーと、ベルたんと、ちゃんと結ばれてやってくださいませ……!」

読者にできるのは補完だけなのだ。その先を生み出す作業は、作家にしかできない。

リオン王子が描写されてくれないことには、ローザの願いは、永遠に叶えられないのだ。

完全に情緒不安定となったローザは、リオンとレオンを、そしてベルナーとベルナルドを混同しながら、切なげに彼らの名を呼んだ。

「助けて……お願いです……薄汚れた願いでごめんなさい……けれどどうか、叶えてほしい……っ。ううっ、レオン王子……っ」

まるで、すっかり出来上がってしまった酔っぱらいかのよう。

扉の向こうで、アントンが顔を強張らせたのは、ちょうどその頃であった。

(なんか……すごくまずい展開になってる……!)

ペトロネラとともに、離宮の一室までたどり着いた彼は、扉の手前で耳を澄ませていたところであった。

部屋に近付くにつれ濃くなっていく媚香。

扉越しに漏れ聞こえるすすり泣きのような「助けて」の叫び。

アントンは、己の推理が正しかったことを確信した。

ローザときたらやっぱり罠に嵌められている。

しかも、醜態をさらすというより、思い切り誤解を招き、同情を集める方向に出来上がってしまっている。

今のあの、救いを求める悲痛な声を聞いたら、誰もがローザを可憐でいじらしい少女と思ってしまうことだろう。

(もはやさすがと思える、このローザのクオリティよ……)

ここまでの道中で、すでにペトロネラから、「ローザ様に古本を探してもらっていた」との情報を聞き出していた。

おそらくはこのすすり泣きは、閉じ込められた恐怖ではなく、たまたまその古本とやらが、がっちり性癖にミートしてしまったことによるものだろう。

ある種の同志だけに、これが身に迫った恐怖によるものではなく、切実な萌えによるものだということが、彼にはわかってしまうのである。

アントンは天を見上げ、一瞬遠い目になってから、軽く首を振ってペトロネラに向き合った。

「ペトロネラ嬢。あなたは、とんでもないことに手を染めてしまいましたね……」

「えっ」

あからさまに動揺するペトロネラの前で、アントンは重々しい溜息を落とす。

大切な 少女(ローザ) を傷付けられた、という怒りは、今の彼にはない。

どうせ媚香の効果なんてあと数時間もせぬうちに抜けるし、そもそもローザは良本に興奮しているだけだ。

どちらかといえば、軽い気持ちで藪をつつき、とんでもない蛇を呼び寄せようとしているペトロネラへの、呆れというか、憐れみのほうが勝った。

「いいですか。罪とは結局、受け止め方次第です。あなたからすれば、この行為は罪とも言えぬ些細なものかもしれませんが、見る者から見ればそれは、処刑されても文句は言えない重罪となりえるのですよ」

「神父様……?」

懇々と諭してくるアントンに、ペトロネラは困惑の目を向ける。

それから扉の向こうに耳を澄ませて、はっとした。

「助けて……いいえ、こんな薄汚れた願いを口にしてはいけない……っ」

どうやら、扉の向こうの少女は、相当追い詰められている様子であるのに、助けを求めることを厳しく自制しているようである。

媚香は、あらゆる理性を奪うはず。

となれば彼女は真実、部屋に閉じ込められたことに恐怖し、しかも、悲鳴を上げまいとこらえているということか。

(では……まさか、彼女にまつわる不幸の噂は、本当だったということ……?)

たとえば男性が怖いだとか、幼少時に虐待を受けていただとか。

しょせんそんなもの、ローザ・フォン・ラングハイムが周囲の関心を集めるために撒いた嘘だと思っていたのに、まさか、真実だと言うのか。

(だとしたら……わたくしは、彼女になんということを……!)

先ほどアントン神父が言った「重罪となりえる」というのは、さてはこういう意味なのか。

口元を抑えてがくがく震えはじめたペトロネラをよそに、アントンは溜息をつき、眼鏡のブリッジを押さえて思考に没頭していた。

いったいこの事態を、どう収めたものか。

とにもかくにも、あの王子たちに見つかる前に、ローザをどこかに隔離すべきだろう。

(それにしても、前回の失敗に学んで、まずは自分一人で来て本当によかった――)

人はそれを、フラグと呼ぶ。

アントンが自身に密かな喝采を贈ったその瞬間、ことは起こった。

「どうした? なぜローザとは違う部屋の前で立ち止まっている?」

背後から、怪訝そうな声が掛かったのである。

艶やかな低いその声の持ち主は、――誰あろう、先ほど図書室に置いてきたはずのレオン王子であった。

(ぬぁっ!?)

なぜここに。

しかも、驚愕するアントンの前に、彼を追ってきたらしいほかのメンバーもが次々と現れるではないか。

「ここは……以前ペトロネラに与えていた部屋だな」

「ん? この香りは、前に俺が処方した……」

「あっ! 中から姉様の声が!」

順に、クリス、ラドゥ、ベルナルドである。

傾くように悪化を遂げる事態に、アントンはさあっと青褪めた。

「あっ! いえあの、あのですね! ここはまず、私が――」

「大丈夫か、ローザ!」

慌てて制止するが、それをも振り切って、行動力溢れるレオンが扉を開けてしまう。

(話聞いて!?)

危うく泣きそうになりながら、アントンはばっと部屋の中を覗き込んだ。

落ち着け。

落ち着くのだ。

媚香でキマッたローザが、はあはあとむくつけき興奮ぶりを露わにして、王子たちにドン引かれるというベストな選択肢も、まだ残っている――!

「王子……殿下……?」

だが、レオンを視界に入れた途端、はっと顔を上げ、堪えられぬように涙をにじませたローザを見て、アントンは無理ゲーを悟った。

彼女は、その絶世の美少女顔をくしゃりと歪め、勢いよくレオンの胸元に飛び込んできたのだから。

「殿下……っ。殿下! お願い、お願いです! わたくしを救ってくださいませ……!」

きゅっと衣服に縋り付く指は震え、その拳の白い肌は、救いを求めて扉を叩きつけでもしたかのように、赤く腫れている。

「ロ、ローザ……?」

(うわあっ! なにその初めて恋を覚えた少年みたいな顔!)

はっと息を呑み、おずおずとローザの背に腕を回しはじめたレオンを見て、アントンは両手を髪に突っ込みそうになった。

それはそうだろう。

これまでローザは、自ら身体的に接触することはおろか、彼らに向かって感情を激しく吐露することもまた、ほとんどなかったのだから。

実態は腐妄想に興奮しているだけとはいえ、初めて少女のほうから、こんなにも熱烈なアプローチをかけられて、十代の青年の心が沸き立たぬはずがなかった。

「ローザ……ど、どうした、泣いていたのか――」

「殿下! 抱きしめてください……! 不安を忘れさせるほどに、強く強く……どうか……っ」

目を潤ませ、指の関節が白く浮き立つほどに力を籠めたその姿は、日頃押し殺していた欲求を、こらえきれず溢れさせたかのように見える。

事実、暖炉もない部屋に長時間いたのだろうその小柄な体は冷え切っていて、いかにも痛々しく、哀れを誘った。

(なんだろうね! この、「日頃ぐっとこらえていた恋心が、恐怖を引き金に溢れ出てしまいました」みたいな展開は!)

アントンの額を、滝のような冷や汗が走る。

背後では、ローザの激白にショックを受けた様子のベルナルドたちが、

「姉様……これはいったい……」

「これは媚香の香り……自制心を緩め、その者の持つ欲求を増幅させる作用があるんだ」

「ということは、ローザは、やはり兄上を……!?」

などと、破滅の足音を感じさせる会話が繰り広げられている。

(まずいまずいまずいまずい!)

アントンは大慌てで、レオンの胸に縋りつくローザをべりっと引きはがした。

その際、さりげなく彼女の口をふさぐことも忘れない。

「いやあ! なんでしょうねえ! ずいぶん取り乱しているようで――」

「抱きしめて…… ベルたんを(・・・・・) ……」

だがその瞬間、そのまま大声で言わせておけばきっと誤解を解いてくれたであろう言葉をもごもごと呟いたので、アントンはいよいよ発狂しそうになった。

(目的語は! 先に! 言っておくれよおおおおおおおおおおお!)

というかもしや、今自分が彼女を引きはがさなければ、すべてがうまく行ったのか。

「ちょ! ローザ! ローザ、アゲイン! 今の、もう一度……!」

アントンはがくがくとローザの肩を揺さぶったが、それがかえって彼女の体に致命的なダメージを与えてしまったのか、その華奢な体がふうっと沈んでゆく。

「うわああ! 頼むから今気絶しないでぇええええええ!」

「叔父様……わたくしの墓碑には、どうか……」

この本の153頁の5行目を、丸ごと。

力なく微笑んで、とうとうローザは気を失った。

(萌えポイント明示してくれなくていいからぁあああああああ!)

すよ……と満足そうに寝息を立てるローザを呆然と抱きしめたまま、アントンはぎぎぎ、と背後を振り返ってみる。

純情な青年のように口元を覆っているレオン。

ここまでの経緯はともあれ、最愛の女性が気絶したことで青褪めるベルナルドにラドゥ。

ペトロネラに対して訝しげな視線を送りはじめたクリス。

そして、涙を浮かべ小刻みに震えているペトロネラ。

(ええと……)

アントンは、ふっと魂が抜けるかのような心地を覚えた。

(これ、私一人で、対処するのかい?)

ローザ残酷物語は、その誤解を解こうとすればするほど、かえって強化されてしまうこと。

のみならず、その努力を捧げた者にとんでもない禍が降りかかってくること。

つい十分ほど前まで、野郎を圧倒してやったぜと悦に入っていたはずのアントンは、青褪めながらその事実を噛み締める羽目になるのだった。