軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

39.貴腐人ローザはけっして萌えを諦めない(2)

「叔父様!」

ローザは、離宮をひっそりと立ち去ろうとしている人物を認めると、ドレスの裾を掴んで慌てて駆け寄った。

寒い、冬の朝のことである。

庭に面した回廊には、淡く靄が立ち込めており、口を開けば、白い息が出た。

「やあ、ローザ。もうそんな風に走っていいのかい? 癒術師殿あたりに見つかったら、即座に寝台へ押し込まれてしまうのではない?」

「それどころではありませんわ!」

のんびりと振り向き、片手を挙げるアントンに、ローザは詰め寄る。

寒さで、小さな鼻の先が、ほんのり赤くなっていた。

「クリス殿下からお聞きしました。叔父様が、今朝にも離宮を離れて、聖ユリア小王国にお戻りになられると」

「ああ、ちょうど外遊終了の期日だからねぇ」

「それで……その後はまた ここに戻る(・・・・・) 、と。小王国内の養護院を閉じる手続きを済ませて、クリス殿下付きのお抱え神父になると、お聞きしました」

「ああ、そうだねえ。国外追放が、おかげさまで解除されたものだから」

慎重な声での確認は、あっさりと応じられてしまう。

そう、アントンは、王妃に自らの正体を明かしたうえで、このたびの事件の真相に最も早くたどり着いたのは自分だと申し出て、その「褒賞に」、国外追放を解いてもらったのである。

風紋術を通じてローザの様子を見ていたレオンたちは、「真っ先に真相に気付き、マティアスのもとに乗り込んでいったのはローザである」と主張したが、アントンはベルナルドと共謀し、「ローザはあくまでフェイの絵について掛け合いに行っただけ。とすれば、最初に真相に気付いたのはアントンである」との反論で押し通した。

王子よりは親友を応援したいフェイもまた、ローザが予言めいた行動を取っていたという証言を取り下げたため、状況証拠しかないローザの功績を認めるわけにはいかず、結局、アントンの主張が受け入れられたのである。

実際、腐毒の性質についての解明は、彼の助力によるところが大きかったため、これは妥当な処置とも言えた。

一躍時の人となったアントンとローザは、叔父と姪、つまり、同じ家系に連なる者である。

アントンを遇し、さらにローザを王子の婚約者に配したなら、ひとつの家系に対して、あまりに贔屓が過ぎる。

よって、貴族間のバランスを取るためにも、レオンは他家の姫君を遇するか、せめて、ローザを引き上げるのはほとぼりが冷めてからに、というように、王城内の世論は一気に傾いたのである。

事情を知らぬ者からすれば、アントンの振る舞いは、有能な姪を踏み台にして自らの名誉を回復させた、利己的なものにも見える。

だがローザは、この風変わりな叔父が、一般的な立身出世などかけらも望んでいないことを知っていた。

現に彼は、「せっかく開いた養護院から引き離されてはかなわないから」、自分に手を貸すと言ってくれたのだから。

そんな彼が、あえてベルク王家の首輪付きになった。

それはいわば、ローザの身代わりになりにいったということである。

ローザはぐっと眉を寄せ、視線を落とした。

「叔父様。本当に申し訳ございません。叔父様は、ベルクから離れ、ご自身の築かれた理想郷で、思うままに過ごすことを望んでいたというのに」

可憐な声は、息苦しそうに震えていた。

「いやあ、そんなに気にしなくてもいいよ。最も恐れていた修道院行きにはならなかったし。元はと言えば、『貢献者を婚約者に』だなんて、考えなしに言い放ったのは私なのだからね」

「ですが! 大切に大切に築き上げてきた理想を、萌えを、自らの手で終わらせてしまうその苦しみを、わたくしは誰より知っております。自分自身のみならず、叔父様にもそれを強いてしまったのかと思うと、わたくし……!」

ローザは目を潤ませた。

過去、アプトの里で理想シチュを四連続で失ったことは人生最大の苦しみと思っていたが、今考えれば、それらはまだ自爆の域で済んでいた。

ところが今回は、他人様を巻き込んでの事態である。

アントンの百合趣味はいまだに理解できないが、例えばこれを薔薇に置き換えて、もし自分が大切に築き上げてきた腐紳士養成所を、親類の尻拭いのために手放さなくてはならないとしたら、それはいったいどんな苦しみだろうか。

天才万画家を自爆で失ってしまったショックと、アントンへの申し訳なさがないまぜになり、ローザは今にも泣きそうなほど追い詰められていたのである。

「ローザ、君、まだまだ青いね」

「え?」

だがアントンは、余裕を漂わせてふっと笑った。

「この世はね、 色即是百合(しきそくぜゆり) なのだよ」

「え……?」

「私が独自に見出した真理さ。世の中のすべては百合である、という意味だよ」

厳かに告げる様子は、まさしく悟りの境地に至った聖職者そのものであった。

「君は、やたら特定のシチュだとかカップリングにこだわる性質があるようだけど、あえて言おう、それは未熟であると。いいかいローザ。理想の枠なんかに嵌め込まなくても、百合はただそこにあるだけで気高い。完璧に整えた 養護院(ユートピア) で咲く百合も、ベルクの王城で見掛ける野生の百合も、みんな違ってみんな尊いのだよ」

「みんな違って、みんな尊い……」

ローザは圧倒されて、ごくりと喉を鳴らした。

アントンの主張は揺るぎなく、その声には時間を掛けて磨き上げられた宝石のような、きらめく信念が宿っている。

彼女は今、初めて、心の底から目の前の人物を尊敬できるような気がした。

「そうとも。考える、ゆえに百合あり、だ。私くらいのレベルになるとね、べつにもう、理想の美少女が理想のシチュで、とかでなくても全然かまわないんだ。ただ目の前に二人女の子がいたらそれでいいんだ。むしろ、そういうゆるい感じのほうこそ、妄想が捗るんだ。つまり、どこでも萌えられるんだ……ッ」

「なんだか、わかるような気がします」

後半、少し昂ったのか、拳を握って朗々と語るアントンに、ローザはしみじみと頷いた。

なんだろう。

やはり彼には、叔父と姪という関係を越えた、なにか業めいた因縁を感じる。

「……叔父様」

「なんだい」

「わたくし、叔父様のことが好きです」

唐突な告白に、アントンが驚いたように息を呑む。

その反応は、日頃の彼からすれば少々大仰に見えたはずだったが、考えに沈むローザは、それには気付かなかった。

彼女は、握った拳で胸元を押さえ、続けた。

「最初は、いったいなんて方なんだろうと思ったけれど……今では、叔父様がとてもとても優しい方だということが、よくわかります。ですが、だからこそ……」

そこで彼女は、途方に暮れたような笑みを浮かべた。

「わたくしなんかを守るために、そんな叔父様にご迷惑をかけてしまったことが、一層、心苦しいのです」

「それは違う、ローザ」

だがそれを、アントンはきっぱりと退けた。

「理解してほしい。君は、誰よりも愛らしい、守られるべき、大切な人間だ。守られることを心苦しいなんて感じる必要は、まったくない。だって、私は望んでそうしたのだから。ベルナルドくんやフェイくん、王族一味や癒術師殿だって、望んで君を守ろうとしているのだから。いいかい。君はそれだけ、大切な存在なんだ」

染み込ませるように、ゆっくりと言葉をかけると、ローザは難しそうに眉を寄せる。

ややあって、おずおずと、怪訝そうに首を傾げた。

「……ですが叔父様は、わたくしの腐趣味のことをさんざんおぞましいと……」

「あーうん言ったね。言ったよ。今でも俄然そのあたりは抵抗があるのだけども、でもそれでもさ」

アントンは少しばかり視線を泳がせたが、やがて少し屈みこみ、幼い子どもにするように、こつんと額を合わせた。

「それでもなお守りたいと思うくらい、私は君が大切だということだ。ついでに、私はこうも言ったろう? 自分の趣味を卑下するんじゃない。ポジティブに世の中に伝えなさいと」

「たしかに……」

「君はすでに一度、その約束を破った。だから今度こそ、守ってくれ。君は独自性に溢れる趣味を持った、素晴らしい女の子だ。いいかい?」

念押ししながらアントンが身を起こすと、ローザは無意識に額を撫でながら、じっとアントンを見つめた。

「……はい」

寒さでひりつくような冬の朝。

一瞬触れ合った肌は、ほのかな熱を残している。

じわり、と心が緩むような、不思議な感覚を抱き、ローザはいつまでも、己の額から指先を離せずにいた。

「はい、叔父様」

この、心の奥からとくとくとなにかが湧き出るような感覚。

薔薇に興奮するときとは異なり、血の気は引かず、むしろ全身が温まってゆく。

これはいったい、なんなのだろう。

正体はわからないけれど――でも、ローザは、今ならなんでもできるような心持ちがした。

そこでローザはふと、彼を呼び止めた目的を思い出す。

本当は「償い」として切り出すつもりだったけれど、

(泣いて詫びるよりも、もしかしたら朗らかに語りかけるほうが、叔父様は喜ぶのではないかしら)

そんな思いが、ローザの肩から力を抜いた。

おそらく。

守らせてしまってごめんなさい、ではなく、守ってくれてありがとう、と微笑むことを、きっと自分は望まれているのだ。

いや――そうして、いいのだ。

ならば自分は、楽しげに語ろう。

とびきり楽しいお礼を、共犯者に囁くように、わくわくと。

ローザは一度だけきゅっと口を引き結ぶと、次にはその唇に、淡く笑みを浮かべる。

瞳には自然と、悪戯な猫のような光が宿った。

「叔父様。ひとつ、提案がございます」

「提案?」

「ええ。叔父様が閉じて来られるというその養護院。そちらで保護していた少女たちを、全員ベルクの孤児院で保護させていただけませんか?」

目を見開いたアントンに、ローザは身を乗り出した。

「わたくしも、今回の孤児院滞在を通して、子どもたちに早期の薔薇教育を施すことの重要性、そして喜びを強く噛み締めておりました。近い将来出家をと思っておりましたが、その先、叔父様のように養護院や孤児院を開くのもアリだな、いえ、ぜひ開きたいと、そう思ったのです。そして、その教育の対象は少年だけでなく、もちろん少女も含みます」

「ローザ……」

「わたくしはね、叔父様。魂が重要なのです。薔薇の心を持った少年少女を育てたいのです。薔薇を愛でる少女たちの姿が、誰かにとって百合に映ることもあるのかもしれない。けれど、もうそれならそれはアリです。薔薇の魂と百合の才能を併せ持つ、 薔薇魂百合才(ばらこんゆりさい) 。大いに結構ではありませんか」

「ローザ、君という子は……!」

薔薇の使徒と百合の聖者は、今すっかりわかり合い、ひしと手を取り合った。

触れあった手のひらから、相手の熱が伝わってくる。

これこそ魂を通わせる瞬間。

歌劇場で出会ったときと違い、彼が同類ではないということを、今のローザは知っている。

だが――彼と自分は正反対を向いているからこそ、これほどまでにぴったりと見つめ合えるのだ。

ローザはそれを、嬉しく思った。

「だが、ローザ。養護院の少女たちをも擁するとなると、結構な規模の土地建物が必要だ。君に、そんな場所を用立てられるのかい?」

「ええ」

首を傾げたアントンに、ローザは神妙に頷き、顔を上げた。

いつまでも落ち込んではいられない。

一歩後退してしまったら、二歩でも三歩でも前に進めばいいのだ。

そうとも、これしきのことで 神絵師(フェイ) を諦めようとしていたのも、どうかしていた。

欲張りに、すべてを手に入れてこそ貴腐人というものだ。

「実はすでに一か所、確保するべく手を打ってまいりました」

ローザはそう言って、ふふっと薔薇の花が綻ぶような笑みを見せた。