軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

37.ローザは危機を抜け出したい(6)

ローザはベルナルドに覆いかぶさった――つもりが、なぜかベルナルドに腕を回されており、さらに、その上からアントンにしかと抱きしめられていたのだ。

同時に、クリスとレオンが凄まじい魔力を揮い、マティアスは今度こそ完全に無力化されていた。

その傍らで、ちゃっかりと小瓶を回収するラドゥの姿も見える。

「まったく、君ときたら」

敵が殲滅されたのを確認してから、アントンははあ、と溜息をつき、腕を緩めた。

瓶の中身は、顔の前にかざした聖衣の袖でほぼ受け止めたようだったが、飛沫がほんの一滴、眼鏡の表面に散っている。

呆然とそれを見つめるローザに向かって、アントンは目を細めた。

「なぜそうやって、無茶ばかりする」

切羽詰まったような、かすれ声。

それが、なんとも妄想上のものと絶妙に一致してしまい、ローザは思わず息を呑んだ。

(え、ちょ、待っ)

待ってほしい。

丁寧口調系イケオジが真顔かつ至近距離で囁く相手は、奔放小悪魔系の「受け」に対してのみ、と相場が決まっているのだ。

それをここで無駄打ちしないでほしい。

「お、叔父様、いやですわ、落ち着いて――」

「落ち着いていられるものか」

そのセリフ、どうせ言うならベルナルドにぜひ! と促そうとしたのに、アントンは遮り、それどころか自身の眼鏡に手を掛けるではないか。

毒と思しき液体の付いたそれを、「くそっ」と忌々し気にむしり取る姿に、かつての自分の妄想が蘇る。

――激情に震える男は、穏やかな言動をかなぐり捨て、眼鏡さえ地面に叩きつけ、荒々しく叫ぶのだ。

「君のせいで、柄にもないことをしてばかりだ。これ以上私の心を搔き乱さないでくれ!」

(いやああああああああ!)

ローザは脳内で絶叫してしまう。

なにも、そこまで精密にトレースしなくたって!

眼鏡キャラが眼鏡を捨てるという、一世一代の名シーンを、自分のために無駄打ちさせてしまった事実に、ローザが灰になりかける。

だが、現実は彼女が灰になる暇すら与えてくれなかった。

「心臓が止まるかと思ったぞ、ローザ。いくら真実の瞳で黒幕を見通したからといって、のこのこその縄張りに飛び込んでいくだなんて」

精悍な顔を顰めたレオンが、思わしげに指を伸ばしてきたからである。

(あばばばばば! まずい! すっかりわたくしが黒幕を突き止めたと思われているわ!)

焦ったローザは、いまだ強くローザを抱きしめているベルナルドに頭突きする勢いで、ぶんぶんと首を振った。

「いえ! わたくしは単に、フェイ――そこの彼の絵を売り込もうと教会に来ただけで! 黒幕だとか、腐毒の製造がどうだとかは、まったく! まったく気付いておりませんでした!」

掛け値なしの事実を叫び、藁にも縋る気持ちでフェイに「ね!」と援護を求めたが、

「なにを言うんだ、ローザ」

あろうことか、当人から、伸ばした腕に鉈を振り下ろされるかの暴挙に出られた。

「教会に行くのは、多くの人に関わる、重要なことだと、あんなに必死に、訴えていたじゃないか。それをなぜ隠す?」

(おいいいいいいいい!)

ローザは泣きそうになった。

そんな言い方をされては、まるで本当に自分が予知でもしたかのようではないか。

「い、いえね、フェイ、わたくしはあくまで、あなたの絵を重要だと言ったつもりで――」

「フェイ、と言ったか。この教会を半壊させたのは、おまえの力だな? てっきりローザの癒力かと思っていたが、どうも、おまえの体から魔力の残滓が漂っているようだ」

と、そこにレオンが目を細めて問うてくる。

一国の王子から、それも魔力を帯びた金色の瞳を向けられ、フェイは身を固くしたが、

「よくぞローザを守ってくれた。俺からも礼を言う」

「べつに。彼女を守りたかっただけで、あんた……あなた様に、礼を言われることでは」

反射的、といった感じで失礼な返答をしてしまい、怪訝そうに口を押さえていた。魔力で本音を引き出されてしまったというのが、肌で分かったのだろう。

「ふっ。褒美をねだる欲より、反発心のほうが先に立つとは」

だが、一介の庶民から反抗的な物言いをされたというのに、なぜかレオンは愉快そうである。

彼はにやりと笑うと、そこで驚きの提案を持ちかけた。

「おまえ、騎士にならないか」

「はい!?」

ぎょっと声を上げたのは、フェイでなくローザである。

いやいやいや、俺様王子が「ふっ、生意気なやつめ、気に入った」と庶民キャラに目を付ける展開は大好物だが、それはベルナルド相手に発揮すべきところだろう。

同じ「攻め」のフェイを口説いてどうするのだ。

(だいたい、フェイは騎士ではなく、絵師という輝かしい職に就くのだというのに!!)

なによりローザ的には、そこが大問題であった。

「な、なぜ突然そのようなことを仰るのです!? フェイは騎士など目指していません! 彼はすでに、絵の道に進む決意をしたのですわ、殿下!」

「だがローザ。これだけの膨大な魔力は、王国で管理されなくてはならない。それに男ならば、紙に絵を描くよりも、大切な人間を守るために剣を握りたいと思うものではないか?」

(それはあなた様のお考えでしょおおおおお!?)

マスキュリンなレオンの価値観に、ローザは絶叫しそうになった。

いや、彼は俺様王子なわけだから、それでいい。

だが、その価値観はあくまで彼個人のものであって、皆がそうだとは限らないということを、彼は理解すべきである。

(誰もかれもが、そういう攻め攻めしい「攻め」だと思ってもらっては困るわ! フェイとベルたんは、攻受関係すらあやふやなこの絶妙なバランスが尊いのよ!? というか、フェイがここで筆を置いてしまったら、薔薇愛の文化が百年分後退してしまうではないの!)

自分こそ価値観を偏らせていることにはついぞ気付かず、ローザは身を乗り出してフェイの手を取った。

「フェイ、殿下の仰ることはいったん置いて、自分の心に従えばそれでいいのよ。無理に騎士になど、ならなくていいの。自分のなりたいものに、なればいいのよ」

「俺の、なりたいもの……」

フェイは握られた両手と、ローザの顔を順に見つめ、ぽつりと呟く。

「そうよ。自分はなにがしたいのか。その問いへの答えが、あなたの本当の夢よ。フェイ、あなたはなにがしたいのか、もう、その答えはわかるわね?」

ローザは必死だった。

貴族キャラは満枠である。

ぜひフェイには、騎士よりも絵師となり、BLハーレムの多彩さを拡充させてほしかった。

それ以上に、彼は百年に一人、いや、千年に一人の天才絵師。その肩には、BL万画の展望が懸かっているのだから。

「……ああ」

やがてフェイが、目を真っすぐ見つめ返しながら頷いたので、ローザはほっとした。

「今回のことで、よくわかった。俺は、なにをしたいのか」

「ええ、そうね。そうでしょう。あなたには、その力があるのだから」

「俺は、――あんたを守りたい」

「んっ?」

「俺は、騎士になりたい」

きっぱりと言い切ったフェイに、ローザは硬直した。

「え……?」

「絵は、好きだ。でも本当は、絵を、あんたに褒められるのが、好きなんだと思う。絵を描くと、世界が広がる気がした。でも、それは、あんたが広げてくれた世界だ。だから俺は、あんたを守ることのほうを、したい」

「ええ……?」

どうしよう。

衝撃が大きすぎて、彼の主張のほとんどが頭に入らない。

半泣きになったローザをよそに、ずっと彼女のそばで耳を傾けていたベルナルドが、「いいのか?」と、少し意地悪そうに――そして嬉しそうに、声を掛けた。

「あんなに毛嫌いしてた、騎士職で」

「腐敗は、内側から処理するという、手もある」

「二枚舌め」

「誰かのがうつったんだな」

相棒らしく、そんな短いやり取りですべてをわかり合う。

「ようこそ、 こっち側(・・・・) へ」

「ああ」

ぱんっと小気味よく手を打ち鳴らす二人を、ローザはただ呆然と見つめた。

魂が抜けたように立ち尽くす彼女をどう思ったのか、それまでやり取りを見守っていたラドゥが「やれやれ」と苦笑を向けてくる。

「まったく、ローザ。君はどこでも幸運の天使だね。君に関わっただけで、一介の下町の住人が、魔力を操り、羨望を集める騎士に大出世だ」

「ええ……?」

そんな出世、誰が望んだというのか。

むしろ余計なお世話だ。

(神よ、いったいなぜ、フェイに魔力なんかを授けやがりましたの? 天に召された暁には、あなた様の胸倉、掴み上げてやりますからね!)

彼女は半べそをかきながら思った。

が、一連のやり取りを不思議そうに見ていたクリスが、

「しかし、下町の民に、なぜあんな膨大な魔力が発現したのだろう。それも、貴族でも珍しいと言われる癒力がだぞ」

と首を傾げたのを視界に入れ、彼女はふと目を見開く。

言いようのない不吉な予感が、胸に兆したからだ。

同じ感覚を、さっきも抱いた。そう、マティアスが癒力について語っていたときだ。

彼は、なんと言っていたか――。

「それなのですが」

と、フェイが厳粛な面持ちで切り出す。

彼は、慣れない敬語をぎこちなく操りながら、ぐるりと周囲を見渡した。

「先ほどマティアス神父は、癒力、だとかいう魔力のことを、『人一倍の魔力素養と、想像力を持つ者にのみ授けられる力』と言っていました。俺……私は、魔力には縁がない、下町の人間です。ただし、この半年、ずっと、バイコーンの血を集める、仕事をしていました」

魔獣の性質には詳しくない。

ただし、バイコーンの血に触れると、妙に気が立ち、攻撃的な力が湧いてくる感覚があって、今思えば、それが魔力だったのかもしれないと、彼は語った。

つまり、ずっと魔力を取り込みつづけていたのかもしれないと言うのだ。

「そして、 想像力(・・・) という点では」

フェイが、ちらりとこちらに視線を向ける。

(待って)

話の先を察したローザは、ひくりと口の端を強張らせた。

癒力発現には、魔力と想像力が必要。

フェイは魔力を魔獣から得た。

では、想像力は?

自分はこの一週間、彼のなにを、徹底的に鍛えつづけてきた――?

「俺……私は、ずっと創作や想像といったものとは、無縁の生活を送ってきました。けれど」

フェイはまっすぐにローザを見つめる。その黒曜石のような瞳には、今や、熱っぽい光が浮かんでいた。

(待っ……)

「ローザが、孤児院での授業を通して、私の、凍り付いていた想像力を、解放してくれました」

「待……ぁ」

(ぁあああああああああ!)

ローザは内心で悲しみの咆哮を上げ、ふらついた。

なんということだ。

胸倉を掴まれるべきは自分だったなんて!

だが、小刻みに身を震わせる様は、もちろん傍からは、フェイの発言に「まぁ」と感動して打ち震えているようにしか見えず、アントンを除く周囲は微笑ましそうに、次々と驚嘆、そして祝福の言葉を投げかけた。

「すごいじゃないか! では、フェイの癒力は、ローザが開花させたようなものだな」

「さすがは姉様ですね!」

「ほんと、君って子は」

「この国の権力構造の根幹を揺るがす偉業だぞ。この顛末を聞いたら、王城のあらゆる部署がおまえを放っておかないだろう」

レオンは感嘆したように顎を撫で、それからくっと笑いかける。

「ますます、得難い女だな、おまえは」

それを聞いて、ローザは真っ白な灰になった。

(……なんなのかしら、これ?)

あまりにショックが大きすぎて、周囲の声が、微笑みが、膜一枚を隔てたかのように感じられる。

「兄上、帰城したらすぐにこのことを母上に報告しましょう。きっと、腐毒事件の真相解明と併せ、今度こそローザの功績が認められるはずです」

「ああ。母上なら、即日で評議会に掛けてくれそうだな」

下町に引っ込んで大人しくしていたはずなのに、いつの間にか腐毒事件の真相を解明したことになっていて。

「やれやれ。ローザの『真実を見通す瞳』には、ほんと驚かされるよね」

いったいなぜなのだか、この節穴にはそんなハイスペックな瞳が搭載されていることになっていて。

「でも、ちょっともったいないかもな。フェイ、せっかくここ一週間、絵を頑張ってきたのに」

「まあ、考えてみれば、戦闘行為は、『十五年頑張ってきた』と言えるしな。適職だ」

「それもそっか」

BL文化を百年進める神絵師を発掘したはずなのに、気付けば彼は絵師ではなく、騎士なんかになっている。

「ローザ」

呆然と立ち尽くすローザの肩に、この場で唯一、彼女の心情を理解できるアントンが、そっと手を置いた。

「なんというのかさ。もう……どんまい」

アンニュイな笑みを浮かべる彼には、そう、先ほど萌えシチュをひとつ消滅させられてもいたのだった。

(神よ、あんまりです)

ふ、と、指先から力が抜けてゆく。

気絶してはいけない、と強く自身に言い聞かせてきたが、さすがにこの現状は、あまりに受け入れがたかった。

(そりゃあ、お叱りは後でとは、申しましたけれど)

目先のフェイに囚われて、レオンを筆頭旦那候補から引きずり落としたのがいけなかったのか。

それとも、万画実現に固執したのがいけなかったのか。はたまた、欲を掻いてベルナルドをレオンの婚約者の座に近づけようと企んだのがいけなかったのか。

(あんまりに、お叱りが厳しすぎます。こんなの、……こんなの、もう)

わいわいと解放感に湧く面々の姿が、ひどく遠くに見える。

その、淫靡さの欠片もない、健全な喜びに溢れた姿。

もう、薔薇も生えない――。

「では早く城に……姉様!?」

「ローザ! どうした!?」

「気が緩んだのかもしれない。誰か、毛布を!」

閉じた瞼の縁から、はらりと一粒、涙が零れてゆく。

ゆっくり世界が閉じてゆくのを感じながら、ローザは気を失った。