軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5.ローザは「推し」を育てたい(2)

「あら……? おかしいわね、耳飾りが一つ足りない……?」

朝、身支度を整えようとしたローザは、鏡台に置いてあったはずの金の耳飾りが見当たらないことに気付き、ことりと首を傾げた。

書物で金の製錬法を知った時、若気の至りで採掘から始めて作った一品だ。

処女作なので不純物も多く、さして高価なものではないが、思い出深い品だったために愛用していたのだが。

(ベルたんの輝きに負けて、自主的に姿を消したとか?)

ありえる。

真顔で頷いてから、ローザは「いやいや」と首を振った。

その理論でいけば、太陽が姿を消さないのはおかしい。

今は朝で、陽光はさんさんと降り注いでいる。

となれば、耳飾りが消えたのは人為的ななにかが原因だ。

(そういえば……先週は調理場から鋼の包丁が消えていたわね。あと、先々週は、マントルピースのレース飾りも)

どれも些細なものだが、どれもローザが鍛錬の過程で精製したものなので、把握している。

半月ほど前には、一部の使用人たちが、「ベルナルドが夜に屋敷内をうろついていた」だとか「怪しい」と奏上してきたこともあった。

廊下ですれ違う際に、彼らがベルナルドを睨み付ける場面にも遭遇したものだったっけ。

(どちらも、無意識にベルたんに惹かれるがゆえの反発と解釈していたけれど……もしや……?)

もしや、ベルナルドのあまりの魅力に嫉妬した「受け」系使用人が、憎しみを発散させるために盗難に走ってしまったりしただろうか。

ローザにはあくまで、ベルナルドを疑う発想がなかった。

とそこに、「ローザ様」と、囁くような声とノックが響く。

入室させてみれば、やって来たのは、難しい顔をした馬丁のルッツだった。

最近攻め攻めしい風貌になってきたこともあり、めっきり会話の機会が減っていた彼だ。

「突然の訪問をお許しください。実は――どうしてもお目に入れたいものがありまして」

声は低く、かなりの葛藤を抱えていることがわかる。

ローザが頷くと、ルッツは彼女を厩舎へと案内した。

そうして、彼がそこで指し示したものを見て、ローザは目を見開いた。

「馬蹄が……」

「ええ。ローザ様の馬には特別に高価な馬蹄を嵌めておりましたが……それが、いつの間にか安物にすり替えられていたのです」

そう。

表面に薔薇をあしらった、ローザお気に入りの馬蹄が、いつの間にか無柄のそれに変えられていたのである。

「旦那様は、時折高価な馬具や家具を勝手に売り払ってしまうことがあるので、最初は旦那様の仕業かと思いました。ですが……」

「お父様には、馬蹄を嵌め直す技術などないわね……」

ぽつりと呟く。

じわり、と、白い布に墨が広がってゆくような感覚があった。

馬蹄。

自分で嵌め直す。

金属の製錬に、刺繍。

「あれ、姉様」

場違いに軽やかな声がかかったのは、その時だ。

振り向けば、相変わらず無垢な顔をしたベルナルドが、にこりとこちらに向かって微笑んでいた。

「おはようございます。どうかなさいましたか?」

「ベル……」

たん、と呼びかけようとしてしまい、慌てて口を噤む。

脳外では「ベルナルド」と呼ばねば。

だが、その不自然な間をどう取ったか、ベルナルドは、ふと笑みを深めた。

これまでのはにかむような笑顔とは異なり、どこか 翳(かげ) りを感じさせる表情だ。

「……馬蹄が幸運を呼ぶというのは、きっと本当ですね、姉様。僕は今、とても幸せです。自由にものを買えるというのが、こんなに気持ちのいいことだなんて」

「ベルナルド……?」

思わせぶりな発言に、心がざわつく。

なにかを裏付ける言葉ではなかったが、このタイミングでそれを告げるということは、明らかになにかを意味していた。

例えば――屋敷のものを売り払って、金を得ているとか。

現に、最悪の可能性を理解したルッツは、険しい表情で、唸るような声を上げている。

「ベルナルド坊ちゃん……まさか……」

ベルナルドは肩を竦めるだけだ。だが、その妙に大人びた仕草が、回答の役割を果たしているとも言えた。

「ローザ様にこれだけ世話になっておきながら、よくもそんなことが――」

「待って、ルッツ」

今にも殴り掛かりそうなルッツの腕に触れ、なんとか制止する。

自分の声が震えていることに気付いて、ローザは小さく咳払いした。

ベルナルドは、それを冷めきった瞳で見つめていた。

(そう……そういうことなの……)

鼓動が高まる。

じわりと汗が滲みだす。

ローザは、押し殺した声で二人に告げた。

「このことは、後できちんと話し合いましょう。今は、わたくし……ちょっと、庭の様子を見てくるわ。まだ、 薔薇(はな) に水やりをしていないの」

「ローザ様……!」

一人にしてくれ、というメッセージは伝わったのだろう。

ルッツがもどかしそうに身を乗り出すのがわかる。

しかし、ローザはそれに答えず、ぱっとドレスの裾を翻して、その場を走り去った。

(つまり……)

走って、走って、息の続く限り遠くへ。

一人きりになれる、薔薇の花咲く庭へ。

(つまり、ベルたんは……)

やがて、飛び込むようにして茂みの傍へと崩れ落ち、顔を両手で覆うと、ローザは心の中で海老反りになって絶叫した。

(腹黒属性すら完備した、霊長類最強の「受け」ってことおおおおおおおお!?)

叫びの一部は肉声となって、「ふぐ……っ」という奇妙な音が漏れた。

そう。

ベルナルドによる盗難など、ローザにとっては犯罪どころか、キャラ魅力点にしか映らなかったのだ。

殺傷などされていたらさすがに困るが、この程度の行為、小麦一粒ぶんほどの問題もない。

そもそも、ローザのものはすべてベルナルドのものなのだから。

(信じられない! こんな奇跡があっていいの!? 神よ、きゃわわで純粋なだけでも十分だったベルたんに、「実は腹黒だった」などという素晴らしい奥行きまで授けてくださるのですか!?)

脳内では、実は腹黒だったベルたんが、世話焼き系「攻め」に出会い、心を通わせていく妄想物語が、凄まじい速さで上映されていた。

反発しながらも惹かれあう二人。ひとときの幸せ。

しかし「攻め」による突然の裏切りがベルたんを襲う。「攻め」にはなにかやむを得ない事情があったのだ。

だが諦めきれないベルたん。

彼はこれまでの投げやりな姿勢を捨て、勇気を振り絞り、「攻め」に震える手を差し伸べる。

振り払おうとする「攻め」。だがそこにあえて踏み込むベルたん。

そして彼は、拒絶の恐怖に震えながらも、「攻め」に向かってこう叫ぶのだ。

置いていくなんて許さない。

だって……、あなたが僕に愛を教えた……っ!

ローザは顔を覆ったまま天を仰ぎ、くぐもった声で呟いた。

「尊い、な……」

白い布に落ちた墨は、ものの数分の間に、のっぴきならないレベルの大薔薇画を描き出していた。

ああ。薔薇界の未来は明るい。

ローザは今、世界中の人々に向かって叫びたかった。

みんな聞いて。ここにすごい「受け」がいるのよ。

百年に一人、いえ、千年に一人の逸材なの。

(ああ……なぜわたくしは、この世に 独(ひと) りなのかしら……)

興奮に全身を浸しながらも、時々ローザは無性に悲しくなる。

こんなに素晴らしい薔薇ラブが、なぜ世の中には浸透していないのだろう。

秘境を切り拓く喜びはあれども、それを分かち合う相手がいないのは、あまりに切ない。

(きっと、世界のどこか……いえ、異世界には、「攻め」や「受け」といった概念が、当然のように存在しているはず)

もしかしたら、「上」と「下」とか、「剣」と「鞘」とか、違う言葉が当てはめられているのかもしれないが、きっと。

きっとその概念は、存在していて。

(それで……その世界では、きっと、薔薇ラブを描いた書物や歌劇もたくさんあって、「受け」のキャラのバリエーションも開拓しつくされていて……いろいろな人が、いろいろな愛の形を尊び、見守っているのよ……それで……)

きっとその世界は、とてもとても美しくて。

幸福に満ちていて。

皆が笑顔を浮かべて、それぞれの愛を持っている。

(そんな、……美しい、世界……)

すう、と頭から血が引いていく。

徐々に意識が遠ざかる。

やはり、興奮しすぎたのだ。

だめだ。

また、病弱と思われてしまう……。

そんな懸念を最後に、ローザはばたりとその場に倒れ込んだ。