軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5.ローザは百合に打ち勝ちたい(2)

(以降というもの、叔父様ったらすっかりクリス殿下を気に入ってしまわれて……。のみならず、殿下もまた叔父様のことを信頼されているご様子。ああ、わたくし、選択を誤ってしまったのではないかしら……)

ぼんやりと薔薇初級本の背表紙に指を滑らせながら、ローザはほぅと溜息を漏らす。

まったく、毎日が命がけの攻防。

水面下での性癖の殴り合いに、精神をすり減らす日々だ。

それでも、しょせん数日のことだと高を括っていたのだが、なんとアントンは昨日、逗留期間を一週間に延長したいとクリスに申し出た。

こっそり意図を聞き出してみれば、

「いやあ、クリス殿下と君を見ていると、百合的シチュエーションのアイディアが、次から次へと湧いてきて、到底三日ではねえ?」

との 由(よし) 。

ほら、と披露された彼の手帳には、ローザですら解読できない言語で、夢のシチュエーションと思しき内容がびっしりと書き連ねられている。

「これは、何語ですの……?」

「異なる三系統の言語から独自に発明した、アントン語さ。以前、渾身の百合小説を上級神父に燃やされてしまったので、以降はこうして暗号化しているのだよ」

「し、執筆のために、独自に言語開発まで!?」

「ああ。豊富なオノマトペと品のある淫語が特徴的な、実に百合執筆にふさわしい言語になったと自負しているよ……」

ふ、とアンニュイに微笑むアントンに、ローザは圧倒された。

(己の欲望を実現するためだけに、身バレの危険を冒してベルクに留まり、己の欲望を表現するためだけに、一つの言語まで開発してしまう、ですって? 正気の沙汰とは思えないわ)

自身だって、己の欲望を実現するためだけに出家を延期しているし、己の欲望を表現するためだけに、 七五調芸人(アリーナ) を保護しようとしていたあたり、二人は実に似た者同士なのだが、己のやばさにはとんと気付かぬローザであった。

( 敵(おじさま) は、百合に人生のすべてを捧げた男。本気で沼に落としにかからねば、わたくしが落とされてしまうわ……)

殺伐とした所感を抱きながら、ローザはじっとりと傍らのアントンを窺う。

とそのとき、軽やかな足音とともに扉が開かれた。

ノックなしにこの部屋に出入りできる唯一の人物、クリスである。

「ただいま、ローザ。それにアントニー神父も」

「おかえりなさいませ、殿下。外は寒うございましたね。すぐに温かいお茶を淹れますわ」

今日も今日とて凛々しい主人の登場に、ローザの機嫌は急浮上する。

いそいそと近寄り、甲斐甲斐しく外套など受け取ってみせると、クリスはちょっと照れたように顎を引いた。

「なんだ、そんな侍女の真似事まですることはないんだぞ。何度も言うが、おまえは僕の……ゆ、友人なんだから。僕の帰りなんか待たずに、先に寛いでいたらいいだろ」

(はい! 本日のデレ一丁!)

帰還するなり景気よくデレを振舞うクリスに、ローザのときめきは止まらない。

こんな感じで、今日も本宮の王子たちと絡んできたのだろうか。

「そんな、あの……はい……」

油断するとつい、脳内劇場でクリスたんが萌えを振りまいてしまう。

ドコドコ波打つ興奮と呼吸を抑えるため、ローザは目を伏せ、両手で胸を抑え込まざるをえなかった。

一方クリスはといえば、恥じらう乙女にしか見えないローザの言動に、「相変わらずなんて純真な」としみじみ感じ入っていた。

自分のあんなぎこちない友人宣言に対してさえ、こうも照れ、喜んでくれるとは。まったくローザときたら、年上というのが信じられないくらい、いちいちかわいい反応をする――と。

(アントニー神父を招き入れたのは正解だったな)

部屋の奥から、にこにことこちらに微笑んでいるアントンをちらりと窺いながら、クリスはそんなことを思った。

厳格な戒律と教義で知られ、品行方正な振る舞いから人々の信頼を集める、聖ユリア教の神父。

母親のお抱え神父――こちらはベルク正教の神父だ――でさえ堅苦しいのだから、アントンもさぞ古めかしい思想の持ち主だろうと思いきや、彼は大変柔軟で、また古今東西の様々な書物に通じた、知的な人物でもあった。

穏やかな笑みで相手に傾聴し、すんなりと人の心を解してしまうところは、どこかローザにも似ている。

人見知りのきらいがあるクリスでも、アントンの前では肩肘張らない素直な自分でいられたし、それにどうもローザも、アントン登場以降、生き生きとしているように見えるのである。

(なんだかローザ、少し変わったよな)

クリスから見るローザとは、芯の強さを持ちながらも、やはり儚げで、心の底に深い哀しみを湛えた人物である。

日頃はどんなに穏やかな笑みを浮かべていても、その一方で、書物からふと顔を上げた際に、愁いを帯びた瞳で遠くを見つめていたりする。

そんな姿を見ると、彼女の繊細さや翳りを思わされて、クリスはぎゅっと胸が痛くなるのである。

だが、アントンが来てからの彼女は、どこか違う。

頬を温かく紅潮させていることが増えたし、目に力が籠り、表情に人間味が増した。

きっと、神父の包容力や、穏やかな人となりが、ローザに安心感を与え、素直な感情を引き出しているのだろう。

この前など、花瓶に飾る花は百合がいいか薔薇がいいか、みたいな些細なことでアントンとじゃれあいをしていたが、考えてみれば、この奥ゆかしい少女が、誰かと言い争う姿を見るなど初めてのことだ。

ローザが不慣れな感じで相手をにらむ様子に――上目遣いにしかなっていなかった――、クリスは微笑ましい思いをしたものだった。

それに、

「ね、クリス殿下。とっておきのお茶を用意したんですの。わたくしの紅茶、飲んでくださいますでしょう?」

ぴったり張り付いて、真剣な顔で紅茶を勧めてくるローザに、クリスはつい相好を崩した。

アントン登場以降、ローザはこれまでにないくらい積極的に、クリスの世話を焼いてくるのである。

どうも、一気にクリスの信用を得てしまった彼に、対抗心を燃やしているらしい。

(まったく、やきもちか? かわいいやつめ)

最近のローザは、アントンに張り合うようにしてクリスに菓子を勧めたり、本を読み聞かせたりと、忙しい。

ローザ以外のそば仕えを強制退去させた際、「あら、わたくしもですか? ごきげんよう」とあっさり身を引きかけた以前の態度とは大違いである。

構われたがりのクリスとしては、この状況がもちろん好ましい。

ローザの差し出すカップを上機嫌で受け取りながら、クリスは改めて、ローザがレオンの妻となり、自分の義理の姉となってくれたらどんなにか幸せだろうと頬を緩めた。

そして、そんな未来予想図への布石として、彼女は一層湧き上がろうとする笑みをなんとか堪え、扉の外に向かってぱちりと指を鳴らした。

「いいぞ、入れ」

「失礼いたします」

合図とともに入室してきたのは、誰あろう騎士服姿のベルナルドである。

離宮は基本的に男子禁制であるが、聖職者と医師、そして本宮からの正式な使いを任された騎士のみ、クリスの承諾のもと入室が許される。

レオンとクリスはそれを利用し、ベルナルドを御用聞きに仕立てることで、ローザと彼を引き合わせてやっているのである。

それを知っているローザは、弟の登場に嬉しそうに微笑みながら、クリスに感謝の礼を取った。

クリスは軽く手を挙げ、鷹揚にそれに応える。

(実際、今日に関して言えば、ローザのためというより僕と、兄上のためだしな)

内心でほくそえみながら、クリスはベルナルドに声を掛けた。

「例のものは持ってきたか?」

「はい、こちらに」

ベルナルドが恭しく掲げてみせたのは、上質な封蝋と、金彩まで施された封筒である。

蝋に落とされた紋章は、交差する剣に獅子。王家からの通達ということだ。

不思議そうに見守るローザの前で、クリスは器用に手紙を開封すると、中に入っていた一通の招待状を取り出した。

「ローザ。母上――王妃陛下からおまえ宛てに、茶会の招待状を預かってきた」

「え? わたくしに、ですか?」

「ああ。もともと陛下は、茶会の類が大好きな方でな。我が子の友人たちと、ぜひテーブルを囲みたいのだそうだ。特におまえには、病を治してもらった恩もある」

もっとも建前としては、「娘クリスの友人たちを招いて」とのことなので、ローザだけでなく、離宮に参上したことのある数人の令嬢も同席することになるのだが。

「これには、僕がかつて強制退去の強権を揮ったことへの、詫びという意味もある。王妃陛下主催の茶会に招かれるのは大変な栄誉であるので、それを以って令嬢たちの評判を回復させようということだ。もちろん、おまえの誉はさらに強まることになるだろう」

クリスは滑らかに説明したが、ローザはかえって困ったように眉を下げた。

「いえあの、お茶会の趣旨がご令嬢方の引き立てということでしたら、没落貴族のわたくしが参じるのは、厚かましいような……。王妃陛下のご快癒も、わたくしの力ではなく、ラドゥ様や、医師団の皆様の努力の賜物だと思いますし」

ローザは、カミルが癒力によって王妃を長らく苦しめていたことを知らない。

ローザの 繊細な心(・・・・) を気遣った周囲が、忌まわしい陰謀の真相を、詳しく伝えなかったからだ。

結果ローザは、カミルが「重大な事件に手を染めて修道院送りになった」ということだけは知っていたが、それは「攻受を誤認したローザに報復しようとするあまり、アプトの里を巻き込みかけたから」だと思っていたし、「王妃が癒力の呪縛から逃れて回復した」というのも、単純にラドゥや医療関係者のおかげと理解していたのである。

そんなわけで、ローザとしては、掛け値なしの本音を述べたのだったが、そうした行動が、ますます己を「謙虚で奥ゆかしい少女」と見せていることには、ついぞ気付かなかった。

「それにわたくし、お恥ずかしながらデビュタントも済ませておりませんもので。初めての社交の場が、陛下主催のお茶会というのは、先方にもご迷惑でないかと思うのです」

「逆だ、ローザ」

「え?」

丁寧に断りを入れるため、ほかの理由も挙げたローザだが、それにはすぐに反論があった。

「茶会には僕も出るし、兄上も、ついでにラドゥも陛下の主治医として招待する。かえって安心だろう? それにデビュタントを陛下主催の茶会で飾れるなど、これ以上ない栄誉だぞ。僕たちは、おまえのデビュタントを全面的に支援する用意もある」

「支援……? 殿下『たち』?」

「ああ。先ほど茶会の話が上がったとき、兄上と相談して、おまえのドレスを仕立ててやろうということになったんだ。予算に糸目は付けない。フリルとレースに全身を溺れさせてみせよ、と兄上も仰っている。三日しかないが、必ず素晴らしいドレスを用意してやるぞ」

「え……」

ローザは歓喜するよりも、純粋に困惑した。

(腐臭をフリルとレースで 厳重密閉(コーティング) せよということかしら……。けれど、そんなことよりも、少年神のようなベルたんの衣装を拡充するなどして、一層の萌えの発展を図るというのが、国益に叶った血税の使い方ではないの……?)

なにしろ、「推し」が輝いている状態というのが、つまり世界平和ということだから。

「あの、わたくしにそのようなご厚意を割いていただくくらいなら、ベルナルドに――」

「今回に限っては、それはなしだ。ついでに言えば、騎士団末席の彼にまだ護衛は任せられないし、三日後、彼は非番のはずだから、ベルナルドは茶会には立ち会えない」

きっぱりと告げられ、ローザはますます眉を下げた。

レオンとクリスとラドゥも出席するというのに、肝心のベルナルドがいないだなんて。

いや、三人が茶を飲み交わす絵面は十分に美しいだろうが、それでもそんな茶会、ぶどう抜きのワインと一緒だ。

さすがに醸せない。存在意義すら危うい。

ローザが渋っていると、意外な方向から後押しがあった。

「姉様。僕のことなど気にせず、どうぞ茶会に参加してください」

ベルナルドだ。

彼は、今日もこの世の真善美を感じさせる美貌を微笑ませ、言い募った。

「社交に詳しくない僕でも、王妃陛下の茶会に参加するのが最高の栄誉だとは理解できます。僕だって、このあたりで一度、きっちり周囲をビビら……きっちり周囲に美々しい姉様の姿を見せたいのですから」

なんだか途中で言葉を噛んだような気もしたが、ローザのことを気遣ってくれているようだ。

そこに、クリスがぐいとローザの耳を顎ごと引き寄せ、悪戯っぽく囁く。

「それに、ベルナルドがいない方が話しやすいことが、僕や兄上にはあるから……な?」

「え……?」

意図を掴みかねて見返せば、クリスは「内緒だぞ」とばかりにぱちんとウインクを寄越す。

素早く言葉を反芻したローザは、はっと顔を上げた。

(ベルたんには内密でわたくしに話したいこと……? こ、これはもしや、ベルたんの攻略法を秘密裏に教えてほしいという、つまり作戦会議ということかしら!?)

貴腐人的思考回路で考えれば、必然そのような解答となる。

思えば、レオンたちはローザの望むBL万華鏡を見せてくれると言っていたのに、結局これまでの時点で、それらしいアプローチを披露してくれたことはなかった。

ローザも内心焦れてはいたのだが、彼らのほうはもっと焦れていたということだろう。

だいたい、これまで女性にしか興味がなかったのだろうレオンたちが、ベルナルドへのアプローチ方法を把握しているとも考えにくい。

きっと彼らは、その辺りのアドバイスを 貴腐人(スーパーバイザー) たる自分に求めているのだ。

ローザはにわかに緊張し、ごくりと喉を鳴らした。

なんという重大なミッションだろう。

だが、必ず期待に応えてみせる。

恐る恐る頷いてみせると、クリスは満面の笑みになって、ローザの手をぎゅっと握りしめた。

「よかった! 僕はとても嬉しい。約束だぞ。絶対参加するんだぞ。後からやっぱり欠席、というのは無しだからな」

よほど作戦会議が嬉しいのか、何度も釘を刺される。

そうして、「ローザの気が変わらないうちに」と呟き、さっと席を立つ。

「そうと決まれば、針子の手配だ!」

言うが早いか、颯爽と扉を抜けていく。

恐らく、方々に連絡を取るのだろう。

ドレスなどで釣ってくれなくても、BL作戦会議なら二十四時間受け付けるのにな、とくすぐったい思いで見送っていると、

「……ちょっと」

背後からおどろおどろしい声が掛かった。

すっかり会話に取り残されていた、アントンである。

「あら、叔父……神父様。わたくしたちばかり話し込んでしまい、申し訳ございませんでした。どうでしょう、せっかくベルナルドも来てくれましたし、彼も交えて少しお茶でも――」

「そんな場合ではないだろう!」

ローザがいそいそベルナルドとの 接近(ティータイム) をセッティングしようとすると、それを遮られる。

彼は、口調を乱したことを恥じるように、ごほんと咳ばらいをすると、改めてローザとベルナルドを見据えた。

「君たち。とんでもない事態に陥ろうとしていることに、まさか気付きませんか?」

「え?」

ローザたちは、同時に目を瞬かせる。

「ローザ。君、貴族令嬢としてのマナーはどうやって身に付けてきたのです?」

「ええと……主には書物で、足りない部分は、旧家の出の家令から……」

「なるほど。女性から教わらなかったことが敗因ですか……」

突然の質問にまごまごと答えると、アントンは溜息を落とし、疲れたように目頭を揉んだ。

「いいですか。適齢期の息子を同席させた、しかもその家の夫ではなく妻が主催する茶会とは、即ち、見合いです」

「え? 誰と誰のです?」

貴腐人的観点からすれば、真っ先に考えられるのはレオンとベルナルドだ。

だが、ベルナルドは茶会に出ないのに。

ローザは眉を寄せたが、

「もちろん、君とレオン殿下に決まっているでしょう!」

叱りつけるように言われて、とうとう絶句した。