作品タイトル不明
2.ローザは友に出会いたい(2)
自分と鏡合わせのような姿に、ある予感を嗅ぎ取って、ローザはどくりと胸を高鳴らせた。
同時に、男性がふっと、鼓動に呼応したかのタイミングで顔を上げる。
銀縁の眼鏡をかけた彼と、見つめ合うことしばし。
やがて口を開いたのは、彼のほうだった。
「……今、なんて……?」
「そ、その……。主役二人の……幼馴染の関係が、尊い、と」
ローザは逡巡したが、ぐっと拳を握り、視線に力を込めた。
だって、彼は、もしや。
「大変萌える、と、申し上げました……!」
「…………!」
途端に、目の前の男性が大きく息を呑む。
眼鏡の奥の瞳に、驚き、興奮、そして喜びが、素早くよぎっていくのを、ローザは見た。
(もしや……)
どくどくと鼓動が速まる。
周囲の光景がすっと消え、世界に自分と男性だけが残されたかのような錯覚を抱く。
「き……君も、この関係性のすばらしさ……つまり、 同性同士(・・・・) の道ならぬ愛を、理解できるというのですか……?」
「…………!」
決定打となる言葉を聞いて、ローザはふるりと身を震わせた。
「え、ええ……。ええ!」
声がかすれる。目が潤む。
興奮が全身を貫き、渦巻くような感情が駆け抜けてゆく。
ああ、この世に生を受けて十四年余り。
腐道の孤独に凍える日もあった。秘境開拓の困難に負けそうになったこともあった。
だが、今日、とうとう自分は――!
(腐レンドに出会ったぁああああああああ!)
ローザは 脳内快楽物質(ドーパミン) を大量放出しながら快哉を叫び、ガッと男性の腕を取った。
「むしろ、わたくし、大好物ですの。生きがいですの! わたくし……っ、わたくし……っ!」
「いいや、皆まで言わなくていい……! なんということだ、なんという、奇跡……!」
感動のあまり言葉を詰まらせるローザに、男性も感極まったように口調を崩し、首を振りながらぎゅっと両手を握り返してくる。
親子ほどに年の離れた二人だったためか、そこにはなんら性的な嫌らしさはなく、ただただ、同志が交わす固い握手のような、どっしりとした熱量だけがあった。
「あの、おかしなことを申し上げてもいいでしょうか。わたくし……あなた様とぜひお近づきになりたい……っ」
「もっとおかしなことを言っていいかな。――YES!」
小声ながら、両者は熱烈に囁き合い、折しも歌劇が幕間の休憩に差し掛かったのをいいことに、するりと扉を抜けだした。
***
五分しかない短い休憩なので、観客の多くは場内に残り、劇場のロビーには人気がない。
ローザたちは、念のため、ちょうど死角となった柱の隅に落ち着くと、共犯者のような笑みを向け合った。
ああ、こうして、腐トークをするために人目に付きにくい場所を探す行動にさえも、同志としてのわかりみを感じる。
名乗り合うのももどかしく、二人は慌ただしく歌劇の感想を述べあった。
「あの、わたくし……っ! 今日は特に『幼馴染』という関係性が琴線に触れて……っ」
「わかる、わかるとも……っ。同じ年月を重ねたからこそ共有しえるエピソード、記号、ちょっとした一言……。異性の恋人なんかよりもよほど長く重ねてきた友情、いや、もはやそれは愛……っ、そこに芳しさのすべてが詰まっている、そうだろう……っ?」
「~~~~~~~~~っ!」
ローザは涙目になってこくこく頷いた。
ツーと言えばカー。
ああ、こんな友人がずっとずっとほしかったのだ。
「親友同士で倍音になるよう重ねたハーモニーも、互いを引き立て合う二人の関係を表しているかのようで、本当に素敵で……っ」
「わかる、あれは素晴らしい演出だった……っ! 不協和音を奏でる男女カップルとの対比がまた見事で……っ」
「深い信頼を感じさせる、背中合わせのポージングも……っ」
「からの、時折爽やかに手を打ち付け合う演出も……っ」
二人は、己の萌えポイントが完全に一致していることを理解し、どんどん前のめりになってゆく。
「冷え切った男女仲と対照的な、同性ゆえにどこまでもピュアな想い!」
「相手の弱さもずるさも、自分だけが知っている……!」
「甘酸っぱくも揺るぎない、そう、それこそが」
「幼馴染……!」
もはや息ぴったりの掛け合いを披露し、最後二人は「萌えぇえええ!」と叫びながら互いの両手を握りしめた。
触れあった手のひらから、相手の熱が伝わってくる。これこそ魂を通わせる瞬間。
こうして心置きなくソウルトークをするその日を、自分はいったいどれだけ待ちわびていたことか。
二人はしばらくそうしていたが、ややあって互いにはっとしたように、慌てて手を離した。
「も、申し訳ない。淑女の手を、男の私が掴むだなんて。我々の仲であったとしても、慎むべきだったね」
「い、いえ、そんな」
我々の仲、という言い回しが少々気になったが、彼のほうも自分に強い同志感を抱いてくれているのだろうかと思うと、心が弾む。
ローザはまるで恋する乙女のように、赤らんだ頬を両手で挟みながら、もじもじと申し出た。
「その……このようなお誘いをするのははしたないかもしれませんが、もう少し、お話できませんか? お茶でも、お食事でも、いえ、いっそ我が家にお招きしてでも……」
衝動的に提案してから、そういえば王都内の屋敷は返上してしまったため、自分の我が家とは即ち離宮になるのだと思い至る。
彼をラングハイム領に攫ってゆきたいくらいだが、二年は王都勤めとなっている身の上を考えると、それも難しいだろう。
というか今日の外出も厳格な門限があるため、冷静に考えれば、彼をそのへんのカフェに連れ込むことすら困難だ。
ローザがおずおずと、今は王城内で働いており、そこの寮のような場所でならゆっくり話せると思うのだが、と告げると、男性はぱっと美しい笑みを浮かべた。
「それは大変ありがたい。実は、私は今、隣国――聖ユリア小王国に身を寄せているものでね。ベルク内での逗留場所を探していたところなので、もし数日でも過ごさせてもらえるのなら、この上ない僥倖だな」
「まあ、そうだったのですね。あの……ただ、逗留となると、さすがにわたくしの主人の許可を頂かなくてはならないのですが」
「それについてもご心配なく。私の今の身分は、聖ユリア教上級神父。厳格な聖ユリア教は、格式としては本流のベルク教より上位にあたるから、実は神父としてなら、王宮や教会ならどんなところでも優遇してもらえるんだ」
「まあ! なんてご立派な!」
腐レンドの思いもかけぬ立派なプロフィールに、ローザは感嘆して目を見開いた。
やはり腐で魂を磨き上げた人間は、おのずと頭角を現してくるという事例だろう。見習わなくてはならない。
「ふふ……最底辺からのスタートだったのだけどね。真実の愛を信じ、努力を重ねた私を、神は見捨てなかった。聖ユリア教でも異色の、叩き上げ系神父さ」
まあ、修道院時代に苦労を重ねたせいで痩せ細ったし、髪の色まで抜けてしまったけどね。
そう苦笑する男性に、畏怖と敬愛の眼差しを向けながら、ローザはふとあることに気付いた。
「あら、いやですわ。わたくしったら、お話に夢中になるあまり、名乗ることも忘れて。遅ればせながら、わたくしの名は――」
「いやだな、ローザ。そんな他人行儀に」
「え?」
「え?」
名乗った覚えのない名を、しかも呼び捨てにされて驚く。
すると相手もその反応に驚いたように首を傾げてきたので、ローザはますます困惑した。
そうして、男性が次に告げた言葉に、ローザはたっぷり五秒沈黙する羽目になった。
「おや、もしかして私のこと、わかっていなかったのかい? アントンだよ。淑女の味方、アントン叔父さんだ。追放されてからは、アントニーと名乗っているけれど」
「…………」
硬直したローザの脳内で、膨大な情報が嵐のように吹き荒れる。
アントン。
叔父。
アントン叔父さん。
追放。
淑女。
幼少時に数度だけ会った彼。
恐る恐るこちらを抱っこし、撫でてきた、そう、優しげでふっくらとした頬のラインが印象的だった、繊細な金髪と白い肌、大人なのにまるで子豚のようにつぶらな瞳――豚。
百合豚。
(…………っぇええええええええええええ!?)
ローザは大絶叫した――つもりだったが、実際には驚愕が強すぎて、唇から、はくっと息が漏れただけだった。
「……ァ、ア、……アン……っ? ゆ、……ぶっ?」
(ア、アントン叔父様!? 女性同士の恋愛を愛しすぎるあまり、ベルク社交界から追放された!?)
腐的興奮以外のことで言葉を失うなんて、人生初ではないだろうか。
いやだって、あまりに様相が違いすぎる。
目の前の男性は、銀髪にも見えるさらりとした灰色の髪と灰色の瞳、そして繊細な眼鏡を装備し、いかにも清廉で知的なイケメン紳士で、豚の「ぶ」の字の影すら見当たらないのに。
ろくに言葉を紡げずにいるローザをよそに、アントンは朗らかな笑みのまま続けた。
「私はすぐにわかったのだけどなぁ。美しくなったね、ローザ。申し分ないよ。なにが素晴らしいって、見かけも一級なのに、中身も伴っているところさ。君が百合に目覚めてくれて、私は本当に嬉しい」
呆然として聞いていたローザだが、ふと叔父の言葉の中に、なにかとんでもなく不穏な響きが混ざっていることに気付く。
――百合。
彼は今、百合という言葉を使った。
「あ、百合という言葉はわかるかな? 私の家紋や聖母という意味ではなく、女性同士の恋愛、という意味さ。女性同士ゆえの清らかさと気高さから、私が命名したのだよ」
誇らしげに彼が告げるのを聞き、ローザの中で渦巻いていた感情が、ぴたりと凪ぐ。
追放されてもなお己の嗜好を曲げなかったアントン。
とすれば、彼が先ほどから熱く語っていた、「同性同士の恋愛」、「同性ゆえのピュアな愛」というのは、つまり――
「私たち二人して、 女性同士(・・・・) の恋愛を愛でられるなんて、奇跡的な感性の一致だね。もっと早く君に会いに来ればよかったよ、ローザ」
(そっちですかぁあああああああああ!)