軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

終.貴腐人ローザは陰から愛を見守りたい(3)

そうだ、修道院行こう。

それが、意識を取り戻したローザの第一声だった。

寝すぎて重い身を起こし、ぼんやりと周囲を見回す。

どうやら今は深夜で、ここは離宮に与えられた自室であるようだった。

(やってしまったわ……)

ローザはもぞもぞと足を引き寄せ、抱えた膝に顔を押し付けた。

やってしまった。

自分なんかのために、ベルナルドに捧げられるべき夢のシチュエーションをすべて浪費してしまった。

その事実が心に重くのしかかり、ローザは「うぅ……」とうめき声を上げた。

(わたくしは、なんということを……。これでは貴腐人の面汚し……ほかの誰が気にしなくとも、わたくしの中のBL神が許さないわ……)

これはいわば、百年の歳月をかけて熟成させたワインを、うっかり肥溜めに落としてしまったがごとき、あってはならない最低最悪の所業だ。

事態は取り返しがつかないし、ワイン職人ならばその肩書を剥奪し、一徒弟の身分に落とすべきである。

ローザは痛切に罰されたいと願った。

「そうだわ、修道院に行こう……」

天啓のように、その決意が蘇る。

だいたい、いくらベルナルドが愛らしいからといって、調子に乗ってシャバに長居しすぎたのだ。

ベルたん総受け計画を自分ごときがプロデュースできると、傲慢な考えにとらわれていた。

自分の本分は、陰からによによと薔薇愛を愛でることだというのに。

その結果、ローザは無意味に出しゃばることとなり、美しく咲くはずだった薔薇を踏みにじってしまった。

そろそろ自分の 分(ぶ) というものを弁えよう。

貴腐人は貴腐人らしく、苔のようにじっとりと日陰にいるべきなのだ。

(今ならまだ、地味な苔に戻れるはず……)

まったくもって手遅れなことを真剣に考え、ローザはぐっと拳を握った。

(出家し、最愛の推しと離れることで、自分を罰するのよ。そうして、一から修行をし直すの。実在する王城のイケメンたちから安易に閃きをもらうのではなく、自分の身一つで、脳に汗をかいて妄想をひねり出す)

今回浪費してしまった四つのシチュエーションに代わる、新たな萌えを、そう、十ほど見つけ出せたなら、そのとき自分の償いは済んだということにしよう。

自分は腐教の始祖として、険しき修行の道を進むのだ。

悲愴な顔でそう決意すると、心がいくらか楽になる。

そういえばアプトの里はその後どうなったのだろうとか、カミルの性癖はあんな形でオープンにされてしまってよかったのだろうかとか、今更ながら様々な疑問が胸をよぎったが、ローザは首を振って己を戒めた。

(今はそんなことを考えている場合ではないわね……。一刻も早く、貴族籍を離れ、修道女となる段取りを付けなくては)

優先順位が狂っている。

だが、ローザは己の価値観を、至極真っ当なものと信じて疑わなかった。

決意するやいなや、素早く寝台から離れ、行動を開始する。

鞄に愛読書を数冊と、日用品のいくつかを放り込み、それから彼女は、偽装用の本の間から、二枚の用紙を取り出した。

出家の誓約書と、修道院へ寄付するための小切手だ。

(保証人の権威が、そして寄付の額が高ければ高いほど、修道院での暮らしは快適なものになる。この二つを高めることこそが、素晴らしい 腐本執筆生活(セカンドライフ) のための必要な行動だと思って、ここ数年努力してきたけれど……)

保証人欄と寄付額を空欄にした用紙を、ローザはじっと見つめた。

自分を罰するという観点からすれば、これらの項目は低ければ低いほどいい。

けれど、真にBLを広めるという目標に則ったとき、自らを罰するためとはいえ、将来の布教資金源まで断つ必要はあるだろうか。

(寄付額が多いほど、修道院の運営は豊かになり、修道女への教育も行き届く。即ち、執筆活動水準も上がる可能性があり、夏コミ冬コミの活性化が見込まれ、布教速度は上がり、やがて大陸全土が薔薇薔薇しくベルたんきゃわわ……)

自制しよう、自律しようと戒める傍から煩悩に脳を蝕まれてゆくのは、もはや仕様だ。

しかも、元々予定していた執筆生活に、単に二年ほど早く潜り込むことで自分への罰としようとしているあたり、結局どこまでも自分に甘いとしか思えない。

己の業の深さに今更気付き、ローザは絶望のうめき声を漏らした。

「ああ……本当に、どこまでわたくしは腐りきった人間なの……?」

「――なにを仰っているんですか、姉様?」

涼やかな声が掛かったのは、その瞬間だった。

「きゃっ」

声の主は、燭台を手にしたベルナルドだ。

突然明りに瞳を射抜かれたこともあり、やましさ満載のローザはつい、突然明りを灯された 台所の黒い悪魔(ゴキブリ) のようにびくついてしまった。

春書を読んでいたところに踏み込まれたような焦りを覚え、咄嗟に持っていた用紙を後ろ手に隠してしまう。

が、その動きで、かえってベルナルドの関心を引いてしまったらしい。

彼は、

「目覚めたんですね。心配しましたよ。起きたと思うや、いったいなにをしているのかと思えば……」

そんなことを口にして、ゆっくりとこちらに近付いてきた。

その顔はいつものようにあどけなく、笑みだって変わらず愛らしいのに、なぜだかぞくりと背筋が粟立つような心地を覚える。

(な、なぜかしら……?)

世界一愛おしい推しを前に身震いするなんて、我ながら異常としか思えない精神状態だ。

ローザは自分の感受性に内心で首をひねりながら、近付いてくるベルナルドを、冷や汗を浮かべて見つめた。

「ベ、ベルナルド……? ど、どうしたのかしら、なにか、怒っていて……?」

「怒って? とんでもない。言ったでしょう、心配しただけですって」

彼は、相変わらず穏やかな口調を維持して、微笑んでいる。

しかし、その美しい空色の瞳は、荷造りをしかけた鞄や、ローザの握りしめている用紙を見つめていた。

「なんです、これ?」

「あ……っ」

「『出家に際する誓約書』……」

意外に強い力で、強引に用紙を奪い取られる。

次の瞬間、身長もさして変わらない彼に、至近距離からすぅっと瞳を覗き込まれ、ローザは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。

「……ほらね。ええ、僕は 心配(・・) でしたよ、姉様が目覚めるなり、勝手に羽ばたいていってしまうんじゃないか、って」

(あ……、あれ……っ? あれれ……っ?)

おかしい。どうも、推しを前にした興奮とはなにか異なる、異様な緊張感が全身に満ちてくる。

しかも、

「これは、不要ですね」

ベルナルドはそれを後ろでにぽいと放り投げてしまうではないか。

「あ……っ」

――ぼ……っ!

咄嗟に手を伸ばしたその先で、突然用紙が炎に包まれたので、ローザはぎょっとした。

「ならば燃やしておいてやろう」

「王子、実は焚書が趣味でしょ。ま、今回に限っては意義ある処置だと思うけど」

「もう、燃えかすを残さないでください、兄上。ローザの部屋が汚れるじゃないですか」

口々に話しながら、レオン、ラドゥ、クリスの三人が部屋へと踏み込んでくる。

彼らは驚くローザに、にっこりと微笑みかけた。

「無事に目覚めてよかった、ローザ。……で、どこに行こうって?」

なぜだろう。

皆爽やかな笑みを浮かべているというのに、得も言われぬ圧を感じる。

ローザは無意識に後ろに下がりながら、言葉を探した。

「いえ、あの、このたびの件で、いろいろと思うところがありまして……そのぅ、落ち着いた場所で、自分を見つめ直したいかなぁ、などと……」

「へえ?」

「その、今回の騒動はわたくしが引き金となったようなものですし、それ以外にも猛省すべき点がたくさん……本当にたくさんございまして。ええ」

ローザが一歩引けば、そのぶんベルナルドが距離を詰めてくる。

いや、彼だけでなく、レオンたち三人もまた、一歩ずつこちらへ近づいてきていた。

出家しようとしただけで、なぜこうも追い詰められなくてはならないのか。

理由はわからないが、とにかくホラーだ。

「考えてみれば、わたくしのように薄汚れた、性根の腐りきった人間が、皆さまのお傍にいたこと自体が間違いだったと言いますか――」

「姉様」

ベルナルドが不意に、鋭い口調で遮ってきたので、ローザはびくっと顎を引いた。

踵がこつ、と本棚の枠に触れる。

もう、後がなかった。

「そのようなこと、もう二度と言わないでください」

「え……」

そのようなこと、とは。

至近距離で切なげに歪められた顔に、ローザが心臓をばくばくさせていると――ああ、やはり睫毛のカール具合一つを取ったって一級品だ――、彼はその手で、ローザの頬に触れてきた。

「姉様。ここにいる四人は、皆、姉様の秘密を知っています」

「…………!?」

腐バレしているということか。

突然の宣告に、どっと汗が噴き出す。

「そ、それは……つまり、わたくしの…… 汚(けが) れた、本性を……っ?」

念のため震え声で問うと、ベルナルドはますます悲痛な表情を浮かべ、ひとつ頷いた。

「ええ。でも、僕たちはそれを、汚れだなんて思ってはいません。ひとかけらも。誰一人として」

「えっ」

即座に補足されたベルナルドの言葉に、ローザは鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。

(け、汚れだと、思わないの!?)

つまり、腐に――BLに理解があるということなのか。

(ど……どういうことなの……?)

話がさっぱり見えず、おずおずと周囲を見つめ返してみれば、それをどう取ったのか、彼らは皆、ローザを勇気づけるような笑みを浮かべて、頷き返してきた。

ますます意味不明だ。

やがて、一同を代表するように、レオンが口を開く。

「べつに、俺たちは寛容な人間というわけではない。ただ、俺たちは皆、おまえが貴婦人の中の貴婦人であるということを知っている。そして、それにふさわしい敬意を払いたいと思っているだけなんだ」

「貴腐人の中の貴腐人、だなんて……」

そんな表現を、彼らはどこで知ったというのだろうか。

それとも、自分で発明したと思っていたこの呼称は、実は既に世界中に広く流布されていているものなのか。

戸惑いを含んで呟くと、レオンはくっと、例の自信に溢れた笑みを刻んだ。

「誰もが認める事実だ。謙遜するな」

「そ……それは、その、どうも……」

リアクションに悩む。

すると今度は、レオンの言葉を引き継ぐように、ラドゥが問うた。

「ねえ、ローザ。ずばり聞くけど、君が今、俗世を離れようとするのは、求めていた愛が手に入らなかったからだよね?」

「…………? そう、ですね……?」

予想外に意味深な質問を寄越されて、ローザは曖昧に頷いた。

厳密に言えば、理想の萌えを自ら踏みにじってしまったからなのだが、多少着飾って、求めていた愛が手に入らなかったからと言い換えても、なんら問題ない。

「もちろん、それはわたくしが悪いのですが……」

一応言い添えると、ラドゥたちは素早く視線を交わし合って、小さく頷いた。

「ならば」

と、今度はクリスが一歩前に出る。

彼女はまるで少年のような、凛とした態度できっぱりと告げた。

「代わりに僕たちが、君に、君の求める愛を捧げよう」

「へ……っ!?」

完全に想定の外角を抉っていった言葉に、ローザは素っ頓狂な声を上げた。

「あ、愛……っ? えっ? 『僕たち』……殿下が、わたくしに、愛、え……っ?」

ローザは混乱した。愛を捧げるというフレーズだと、まるで男が女に恋情を差し出す、みたいな意味を想起してしまう。

(え……っ? でも、殿下は女性……待って、それとも心は少年ということなのかしら? いえでも、そもそもわたくしの求める愛というのは、殿方同士のラブということだから、結局どちらの意味においても要件は満たないような……?)

レオンたちとしては、順々に説得しているだけなのだが、「愛を捧げる」というフレーズをクリスが担当したのは、致命的にまずかった。

ローザはこれまで相当倒錯した価値観でクリスを愛でていたため、今のクリスの発言をどう解釈してよいのかわからなかったのである。

結果、完全に狼狽したローザに、クリスはぷっと噴き出した。

「やだな、ローザ。『愛』のすべてが、男女間の 恋愛(・・) を指すわけじゃないだろ?」

ちなみにこの言葉の真意としては、「友愛や家族愛もあるだろ?」といったところで、つまりクリスからは深い友情を捧げるという意味である。

だがなにしろ、発言者が男装しているのと、聞き手が腐っているのとで、言葉はすっかり捻じ曲がって受け取られてしまった。

「そ……っ、そうですわね……! 男女間(・・・) の恋愛がすべてではないですわね……!」

ローザはすっかり、クリスが薔薇愛を許容してくれたものと思い込んでしまったのである。

(すでにわたくしの嗜好はばれている。それでもなお彼らは、わたくしのことを受け入れてくれる……そして、わたくしの求める、男女間でない恋愛を捧げてくれようとしている……)

慌てて発言を整理しながら、ごくりと喉を鳴らす。

総合すると、これはつまり。

(わたくしに、イケメン四人によるBL恋愛模様を、見せてくれるということ……!?)

いや、そうとしか考えられない。

「そ……そんなことを……? わたくしなんかの、ために……?」

信じられない思いでベルナルドを見つめると、彼は笑みを深めて頷いた。

「なんか、じゃない。姉様だからこそ、したいんです。僕たちは皆、姉様に救われたんだ。だからこそ僕たちは、今度はあなたが溺れるほどの愛を、捧げてみせる」

たとえばそれは友愛かもしれない、師弟愛かもしれない、姉弟愛かもしれない。

今はまだ明確に定義することはしないけれど、とにかく、これまで孤独に震えてきたローザを温かく包み込み、慈しむことを、ベルナルドたちはしたいと考えたのだ。

――もちろん、自分から捧げるそれは、いずれ男女の愛に進化させていくつもりだけれど。

ベルナルドはそんな思いを心の内に隠し、今度はローザの両手を握りしめた。

「だから、姉様。修道院なんか行かないでください。ずっと――僕たちの傍にいて」

甘さを含んだ声は、花売りの息子に相応しく、まるで理性を溶かすかのよう。

あっさりやられたローザは、心拍を急上昇させながら、

「は……はい」

と小さく頷いた。

(いえだって、これはYES一択でしょう!? だってだって、これから夢のBL祭りが始まるのよ!? 修道院行きは、延期よ延期!)

なぜ自分のために、彼らがそんなことをしてくれるのはわからないが――いや、先ほどベルナルドは、彼らがローザに救われたと言った。

もしかしたら、今回結果的にアプトの里を救ったことにはなるから、そのあたりを感謝されているのかもしれない。

(正直、アプトの里はわたくしの不用意な発言で巻き込まれただけだし、病を癒したのも、単にわたくしが腐妄想を堪能したというだけだから、全然感謝されるべきではないのだけれど……)

それでも、頂けるネタはありがたく頂戴するのがローザ流だ。

だって彼らは、ローザが溺れるほど――どハマりするほどの恋愛模様を見せてくれると言った。

そんなもの、拒否できるわけがない。

(ああ……どうしよう、興奮でまた目が潤んできたわ。顔も強張っている気がする。こんなに、こんなに嬉しいのに、誤解されたらどうしましょう。ああもう、わたくしのこの、ポンコツな顔ときたら!)

ローザは、入力と出力がちぐはぐになることのある己の表情筋を、内心で激しく罵った。

が、もしかしたら、今回ばかりは、外見のほうが正しい仕事をしていたかもしれない。

四人から迫られ半泣きで怯える美少女、とでもいった趣のローザ。

本人としては、前のめりでBLを堪能してやろうというくらいの心持ちなのだが――やはり実情として、四人の愛執に絡めとられているのは、彼女のほうなのだから。

咲き乱れる薔薇の花園を、陰から見守っているつもりで、

――その実、絡みつくような薔薇の檻に、すっかり閉じ込められつつあることを、ローザだけが知らなかった。