軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

33.ローザは聖地を守りたい(1)

ローザは走った。

萌えのために。

途中でヒールを投げ捨て、重いドレスの裾をからげ、髪も風になびかせながらがむしゃらに走る。

ラドゥを見つけられなかったらどうしようと思っていたが、幸いすぐに居場所を特定することができた。

いや、この場合、不幸にもと言った方がいいのだろうか――。

麓に足を踏み入れた途端、空気が不穏な淀みを帯びたのを、ローザは肌で感じ取った。

異国情緒あふれるタイル張りの民家のそこここから、獣のようなうめき声が聞こえる。

先ほどまで畑仕事をしていたのだろう男たちは、道端に蹲ってえずいている。

喉元を掻きむしったり、止まらない出血に苦しむ者もあった。

(まさか、こんなに苛烈な「症状」だなんて……)

普段なら、ベルクでは見られぬ民族衣装や、折り重なって倒れる男たちに盛大にときめいたものだろうが、ローザの腐りきったハートですら興奮の余地がない。

つまり、未曾有の危機ということだ。

青褪め、咄嗟に男たちに近寄りかけたローザだったが、彼らが這いずりながらも、ある場所を目指していることに気付き、動きを止めた。

この道の先、少し開けた土地にある、大きな建物。

二階建て程度と、高さはそうないが、中央に細い塔がそびえて旗を揺らしている。

目を凝らせば、壁一面に、祈祷画と同じようなレリーフが施されていた。

その入り口付近では、悶え苦しむ人が続々と押し寄せ、救いを求めるように手を伸ばしている。

礼拝堂か、霊廟か。

なんらか、アプトの民の信仰の中心となるような施設なのかもしれない。

ローザは道で蹲る人々に、アプト語で『あとで、必ず、治す、ますから』と断りを入れると、建物に急行した。

ラドゥは、優れた医術の腕を誇る首領の息子。

もしかしたら、ベルクで癒力者が聖職者を兼ねるように、こうした施設で領民を導くこともあるかもしれないと踏んだのだ。

果たして、彼はそこにいた。

「ラドゥ様!」

医療用なのだろう、白い 長服(カフタン) に、さらに清潔な白い口布と、角ばった帽子を身に着けている。

その姿はやはり、どこか儀式を執り行う聖職者のようにも見えた。

ずらりと寝台の並ぶ建物の奥、透かし彫りのされた仕切りの向こうで、ラドゥをはじめとする幾人かの男たちが、治療に当たっている。

おそらく彼らは医師、そして首領の一族なのだろう。

患者の傍に屈みこんでいたラドゥは、ローザの声に顔を上げる。

ただし、その動きはぎこちなく、緩慢だった。

「……ローザ。来たの」

彼は、寝台に横たわる患者の手を取り、なにかの薬剤を注射している。

ローザは髪をまとめ、動きづらいドレスの裾を破り、それで足の泥を落とすと、ほかの患者たちを真似て、入り口付近に置かれている液体を手に取った。

医療技術の発達していないベルクの民でも、消毒くらいは理解できる。

寝台と寝台の隙間にまで横たわる人々を避けながら歩き、ラドゥのもとにたどり着いた。

ベルクでは、基本的に医師のほうが往診し、病人は家に籠るものなので、弱った人々がこうして一か所に集まっている光景というのは、なかなかに圧倒的だ。

「すごい人数ですね……」

「……病院、と言ってね。ベルクで言う救護院みたいなものかな。ただしアプトでは、子どもや貧民でなくても、病に罹れば皆ここに集まる。彼らを癒すのが首領の一族の使命の一つだ」

ラドゥは説明してくれるが、こちらを見ようとはしない。

単純にそれどころではないというのもあるが、彼自身の具合も悪そうだ。

「あの、ラドゥ様ご自身も――」

「悪いけど、今、君の相手をしてる余裕はないんだ。俺の肋骨を労わる余裕もね」

発言から察するに、やはり先ほどカミルに、骨を痛めるほどの攻撃を受けていたようだ。

そしてもちろん彼自身も、「病」に苦しめられている。

冷静に見える彼も、近付いてみれば、口布の下では息を荒げ、汗を浮かべていた。

ラドゥは瞳だけを動かすと、低い声で告げた。

「ここを出てって。君のためにも、俺たちのためにも」

複雑な感情を浮かべた琥珀色の瞳を見て、ローザは怯んだ。

彼は、焦っているし、苛立っている。

ローザの「罹患」を懸念しつつも、同時にベルクに対しての怒りを抑えられずにいるのだ。

彼らが築き上げた癒術をあざ笑うかのように、腕一振りで里を壊滅させてしまう魔力。

それを、実に身勝手な理由で行使するベルクの人間に。

「……ラドゥ様。骨の再生と、免疫というのは、関係がありますか?」

「は?」

だが、ローザは拳を握ると、意を決してラドゥに問うた。

「先ほどカミル様は、治癒過剰を引き起こすことで病のような症状を引き起こすと言っていました。つまりこれは、祈祷画で言う、 免疫(アプタス) の暴走なのですよね? わたくしが今、骨を癒すために癒力を使うと、その暴走は悪化しますか? それとも、関係ない?」

「究極的に見れば無関係ではないだろうけど……いったいなに?」

「無関係ではないけれど、即座にどう、とは言えないのですね? ならば――」

ローザは強引に言葉尻を奪って解釈すると、ラドゥの上腹に両手を押し当てた。

――ふわ……っ

途端に、柔らかな光が辺りに溢れる。

驚いて身を引いたラドゥは、肋骨から痛みが引いていることに気付き、さらに目を見開いた。

「…………!」

「わたくしも、癒力者なのです。だから、カミル様の癒力は効きません。それより、ラドゥ様のお加減はどうです? 今は、ひとまず骨の痛みだけを引かせました」

『本当だ、熱感も嘔吐感も残ってるのに、痛みだけが引いてる……神経系の痛みだけを消失させたのか……』

ラドゥはしばしアプト語で呆然と呟くと、ローザの顔をまじまじ見つめた。

「癒力って、こんなに細かく制御できるものなの? 王宮で見た癒力者たちは、もっと力技というか、どこもかしこも再生力強化、みたいにして治癒してたけど」

「魔力量が多い殿方はそうなりがちなのでしょうね。わたくしは、魔力の質や、制御の緻密性を鍛えることに特化したのです」

神妙に頷いてみせたが、ローザの魔力の緻密性が高いのは、ほとんど偶然の産物だ。

魔力の緻密性は、制御の様子をどれだけ綿密に定義できるか、つまり想像力がものを言う。

言い換えれば、二十四時間三百六十五日、妄想という名の鍛錬を重ねてきたローザは、ほとんど当代一と言っていいほどの魔力制御性を誇るのである。

本人はあまり意識していないが、無詠唱で物を腐らせることができるのも、実は、「呪文を介さずとも、脳内で膨大な量のイメージを紡げる」という貴腐人的能力のおかげだったりする。

と、ちょうどローザたちの背後で、治療に当たっていた癒術師の一人が、低いうめき声を上げてその場に倒れ込んだ。

『ちょっと、この場で脳震盪とか、起こしてくれないでよ……!?』

ラドゥは毒づきながらも、咄嗟に手を差し伸べて体を支える。

基本的に、人質に出された彼とその兄弟の仲は悪い。

それでも、患者となれば、ほとんど本能的と言えるレベルで、治癒に当たらずにはいられない――アプトの民が神と交わす「誓約」とは、そうしたものなのだ。

民も、兄たちも、そして自分も、いよいよ限界を迎えようとしている。

ラドゥは心を決めて、ローザに向き直った。

「ローザ。君の癒力を貸してくれないか。たとえ王国に売られた身であっても、俺はアプタン――アプタスの末裔。民の命をひとかけらだって零すわけにはいかないんだ」

嫌味も混ぜず、飄々とした態度もかなぐり捨て、真摯に告げる。

が、ローザが突然ぐっと鼻筋を押さえる仕草をしたので、ラドゥは眉を寄せた。

「ローザ?」

「い、いえ、なんでも」

日頃皮肉っぽいS系キャラの、真摯な一面にやられて、鼻血をこらえただけだ。

(つ、つい脊髄反射で、「民」を「ベルナルド」に置き換えてしまった……これもある種の国防系男子……やはり国防系男子はよい……いえいえいえいえ、そんな場合じゃない、そんな、場合じゃ、ない……!)

ローザは気合いを込めて煩悩を追い払ってから、きりりと顔を上げた。

「もちろんです、ラドゥ様。わたくしにも、アプトの皆さまを助けるお手伝いをさせてくださいませ。アプたん……アプトの里が、こんなふうに蹂躙されることなど、わたくしは絶対に許さない」

「…………」

自分から申し出たくせに、ローザがきっぱりと請け負うと、ラドゥはわずかに息を呑んだ。

(彼女は、なんて……)

内心で、素直な感嘆が漏れる。

小柄で、自分よりも年下の少女だというのに、凛とした紫の瞳から溢れる意志の光が、眩しいほどだった。

(こんな子が、王国にも存在したんだ)

ラドゥは、ベルクの神を信じない。

王国の連中が教会に据える白い天使像にも、慈愛の笑みを称える聖女像にも、ついぞ心を動かされたことなどなかった。

しょせん、白磁の肌とやらの下に流れるのは、他者を貶め搾取する、冷ややかな青い血だ。

美しいと称えられる微笑みは、異端を蔑む冷笑だ。

世の 理(ことわり) を無視した 魔力(ちから) に溺れ、弱き者の説く真理に耳を傾けなどしない。

だが――彼女は違った。

ローザは、アプトの言葉に興味を示し、祈祷画の意味を見抜き、守り、そして今、彼女にとっては異端でしかないアプトのために、その魔力を差し出そうというのだ。

ラドゥは胸が熱くなるのを感じながら、ローザを傍らに座らせた。

引き寄せるために触れた腕、ローザに触れた自分の指先に、「病」によるものとは異なる熱を感じる。

「魔力には詳しくない。ローザが癒力を発揮するには、俺はなにをしたらいい?」

「わたくしに、症状と、その原因――できれば、 免疫(アプタス) のなんたるかを教えてください。情報があればあるほど、どのように癒力を揮うべきかの手掛かりになるはずです」

「わかった」

ラドゥは頷くと、すぐに話しはじめた。