軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

021 MORE

エターナの部屋を出たフラムは、寝室に向かった。

するとインクが足音に気づいてドアから顔を出す。

着ているのはミルキット用に買った寝間着で、ほのかなピンク色が女の子らしい可愛さを引き立てる。

相変わらず、縫合された目は痛々しいが――慣れてきたことと、彼女自身がよく笑顔をみせてくれることもあって、以前ほどネガティブな感情は抱かなくなっていた。

「おやすみなさい、フラムっ」

彼女はどうやらそれを言うためだけに顔を出したらしい。

「おやすみ、インク」

言いながら、頭を撫でる。

ミルキットにいつもやっているから、癖になってしまったようだ。

インクは気持ちよさそうに、口元を緩めた。

悪い気はしないらしい。

そして手探りでドアノブの位置を確認し、扉を閉める彼女に軽く手を振ると、今度こそ寝室に入った。

ミルキットはすでに部屋に居て、真剣な顔でペンを手にノートに向き合っている。

彼女が着ているのは、いつものメイド服ではなく、薄緑色の寝間着である。

この格好の彼女を見ることができるのはほぼフラムだけなので、中々にレアな衣装だった。

フラムが部屋に入ってきてもミルキットは気づかない。

そーっと近づいて手元を覗き込んでも、よほど集中しているのかまだまだ気づかない。

どうやら彼女は、読み書きの練習をしているらしい。

普段、フラムに向ける表情は笑顔が多いので、ここまでシリアスな表情を見られることは少ない。

相変わらず目が綺麗だなー、とか。

隙間から見えるほっぺが柔らかそうだなー、とか。

そんな不埒なことを考え、触りたい衝動を抑えきれなかったフラムは指を伸ばし――包帯の間から指を滑り込ませて、ぷに、と頬に触れた。

「ひゃんっ!?」

全く気づいていなかったミルキットは、可愛らしい声と共に跳ねる。

フラムはその反応を見てにやりと笑った。

「ふふっ、調子はどう?」

「ご、ご主人様……もう、入ってきたなら言ってください」

「ここまで近づいたのに気づかないんだし、いじわるの1つでもしたくなるってもんでしょ」

「それでもですよお……」

不満げにジト目でフラムを睨むミルキット。

以前に比べて、感情表現が随分と豊かになってきた。

栄養も十分に取っているおかげか、出会った時よりは体型も健康的な丸みを帯びているように思える。

自分が彼女の心も体も豊かにできている――それを目で見て実感することに、フラムは喜びを覚えていた。

読み書きだってそうだ。

少しずつでも、彼女のできることや、先にある可能性が増えていくたびに、自分のことのように喜ぶことができる。

それはきっと、旅に出る前、田舎に居た頃にだって味わえなかった幸せだ。

守りたい。

強く強く、そう願う。

「……ご主人様?」

気づかぬうちに考え耽っていたフラムは、その声にはっと現実に引き戻される。

「ああ、ごめんごめん、ちょっと考えごとしてた。とりあえず、まずはあれやろっか」

言いながらベッドにぼふっと座り、「おいで」とミルキットに自分の隣に座るよう促す。

彼女はすぐに従い、肩が触れ合うほど近くに腰掛けた。

いつものことなので、2人はすっかり慣れた様子で――フラムがミルキットの顔に手を伸ばし、首の後ろに手を回して、包帯の結び目を解く。

顔を覆う帯はまたたくまに外れていき、すっかり赤みも引いた、繊細な白い柔肌が露わになる。

こうして夜、部屋でふたりきりになった時、彼女の包帯をほどくのがお決まりの儀式のようなものだった。

最初こそお互いに照れに照れまくり、やたら時間がかかったものだが、今では見ての通りである。

普段から包帯を纏っているせいか、彼女の肌はまったく日光の影響を受けていない。

冒険者生活のせいで荒れ気味なフラムとは大違いだ。

羨ましくもあるし、こんなに美しい物を自分だけのものしていいのかという葛藤もある。

しかし――独占と、そしてミルキット自身もそれを望んでいるという事実。

それらが、フラムの胸を満たしていく。

卑怯な人間だという自覚はある。

ミルキットの可能性を広げたいと言っておきながら、それとは真逆の行動を取っているのだから。

それでも、“構うものか”と、笑い飛ばせるだけの価値が彼女にはあった。

慣れたって、飽きはしない。

毎日毎晩、フラムは思わず吐息を吐いて、見惚れてしまう。

「そんなに――私の顔を見るのは、楽しいですか?」

じっと見つめるフラムに、ミルキットは俯きがちに恥じらいながら言った。

「うん、一日の最大の楽しみって感じかな」

彼女は即答する。

するとミルキットはさらに羞恥心から顔を伏せる。

こんなやり取りを、もう何度繰り返しただろう。

いい加減にミルキットも主の言葉を疑うのをやめて、少しずつ自信をつけつつある。

けれどそれは、『私のご主人様は変な人だから、たまたまその好みと自分の顔が合致しただけ』という斜め上の方向を向いたものなのだが。

「今日もミルキットは、最高にかわいいよ」

ちょっとおふざけ気味に、フラムは頬に手を当て、奴隷の印を親指で撫でながら言った。

疑念という壁が消えれば、与えられた言葉はすっと胸に染み込んでいく。

凍りついた心を溶かす時期はとうに過ぎた。

今は、すっかり柔らかくなった空っぽのそれに、フラムの色を染み込ませるタイミングなのだ。

言葉よ沈め、もっと深い場所まで。

想いよ育て、取り返しがつかなくなるまで。

ある地点まで膨らみ続けた喪失への恐怖は、最近では日に日に薄れていた。

“きっと”大丈夫から、“絶対に”大丈夫へと近づいていく。

そう、この人は、絶対に私から離れたりはしない。

毎晩のやり取りを通して、感情の根が広く、深く伸びていくたび、ミルキットはその確信を強めていった。

2人はその後も、他愛もない会話を交わしたり、急に目があって微笑みあったり、ふざけてじゃれあったり――意味なんてない、ただ幸せな時間を過ごした。

そんな中、ベッドから体を起こしたフラムは、ふいに窓の外を見る。

視線を追ってミルキットも同じ場所を見たが、そこには夜の暗闇が広がるばかりだ。

しかしフラムには何かが見えているようで、立ち上がると、そこに近づいていく。

そしておもむろに窓を開けた彼女は外に手を伸ばし、窓枠に付いた何かを 引っこ抜いた(・・・・・・) 。

「何かがくっついていたんですか?」

「……ナイフだ。しかも手紙が刺さってる」

おそらく、誰かが外から部屋の窓を目掛けて投げつけたのだろう。

引き抜いた紙を開くと、そこには雑な字で――

『外に出るな』

とだけ記してあった。

「何これ、脅し? こんなの今さらじゃない」

セーラが行方不明になった。

これで首を突っ込むなと言う方が無茶な話だ。

何を言われても、明日にでもフラムは彼女を探すために町に出るつもりだった。

「でも、どうしてわざわざナイフにつけたりしたんでしょう。それに、この文字も、やけに汚いというか……」

「書きなぐった感じがするよね」

ミルキットの指摘通り、文字は乱雑で、平らな場所で書かれていないのか線がガタガタだ。

そうまでして、フラムに忠告したかった人物とは――頭を捻って考えたが、浮かんでこない。

「デインの部下あたりのイタズラかな」

いつでも狙えるぞ、という警告のつもりなのか。

エターナが居る限り、この家に手を出すことはできないというのに。

「はぁ……そろそろ寝よっか」

テンションが下がってしまったフラムは、そう提案する。

すると、ミルキットはすぐに頷く。

「そうですね、明日に備えないと」

部屋の明かりを消すと、それぞれのベッドに横になった2人は、最後に「おやすみ」「おやすみなさい」と言葉を交わして瞳を閉じた。

それからしばらくして――

ガタン……カタ……。

フラムは遠くで、窓枠が揺れるような音を聞いた。

眠りが浅いのだろうか。

目を覚ますほどではないが、まどろむ意識の中で、その音はやけにはっきり認識できる。

しかしまた眠りが深くなると、音は遠ざかっていき、やがて完全に聞こえなくなっていった。

それは取るに足らない、目覚めた瞬間に忘れているような記憶である。

◇◇◇

翌朝、朝食を終え、顔を洗っていつものシャツとホットパンツを纏い、準備を済ませると、フラムはミルキットとインクに送られ家を出た。

目的はもちろん、セーラを探すためだ。

まずは彼女の通った道を辿ろうと、西区の教会へと向かった。

門の前で立ち止まり、教会の建物を見上げる。

中央区の本堂と比べると、外の飾りも質素で、古く小さい。

耳を澄ますと、中から男性の話し声が聞こえてきた。

フラムは建物の横に周り、窓から様子を覗き見る。

そこには説教を行う、どこか不安げな表情をした神父と、黙って話を聞くやけにたくましい男たちの姿があった。

一番前の椅子には、デインも座っている。

なるほど確かに、これはなかなかに気持ち悪い光景だ。

しかし信者を名乗り、真面目に話を聞く彼らを、相手にしないわけにもいかない。

神父はさぞ苦労していることだろう。

フラムは見つかる前に、そこから離れる。

そして敷地の外に出て、教会の隣にある孤児院を見た。

施設の外では、子供たちが無邪気に遊んでいる。

――ふと、フラムは小さな女の子と目があった。

女の子はにこりと笑う。

フラムも笑顔を作り、控えめに手を振ると、彼女も同じ動きをして、友達の元に向かうため背中を見せた。

遊んでいる子供の数は、やはり5人などという少人数ではない。

ひょっとすると、ここの地下に施設がある可能性もあるが、フラム1人で踏み込むのは無理だ。

諦め、踵を返し、今度は騎士の詰所を見に行った。

遠くから様子を伺う。

そこには知らない顔の2人の騎士が待機していた。

だが2人とも不安そうで、落ち着きがなくあたりを見回している。

同僚ならば、エドとジョニーに宣告された異動の命令が、まともなものでは無いことを知っているはずだ。

あるいは、すでに死んでいるという噂も流れているのかもしれない。

不安になるのも仕方がない、次は自分かもしれないのだから。

だが今のところ、あたりの様子を見てもおかしな所は無い。

西区にしては閑静で、清潔な、それだけの場所である。

フラムは頭の中で地図を広げ、次にセーラが向かったと思われる方向へ歩き始めた。

教会を離れ、細い道に入り、壁沿いの通りに出るまでの道のり――そこを自分の足で進んでいく。

壁に近づくにつれて、すれ違う人々の人相が悪くなり、道に寝そべる浮浪者も増え、衛生面も悪化してくる。

特に手がかりも得られないまま、例の異形の死体が見つかった通りに出た。

鼻をつく、独特の匂い。

あんな事件が起きたからか、発見現場周辺に人はあまり居なかった。

だが通りを少し進んだ先には、廃材を寄せ集めて作ったような住居が並んでいる。

セーラはここに出て、一般人を巻き込んでしまったことを悔い、また細い道に入ったはず。

死体の配置を思い出しながら通りを歩くと、薄暗い路地への入り口を発見する。

フラムはそこに足を踏み入れ、セーラが駆け抜けたかもしれない道を進む。

この路地は入り組んでおり、彼女がどこを通ったのか当てるのは困難だ。

虱潰(しらみつぶ) しで、右側から順番に道を辿っていく。

分岐路に当たる度、何度もそれを繰り返しているうちに――フラムは、とある行き止まりにたどり着いた。

前にも左右にも石の壁があり、逃げ道はない。

何の変哲もない袋小路、のはずである。

だがそこには――

「これって、明らかに戦闘の跡だよね」

壁に、鋭い刃物で切りつけられたような傷が無数に刻まれていた。

いや、壁だけではない、地面にもだ。

フラムは傷に指を這わせ、何かを確かめている。

「深さも広さもてんでバラバラ……同じ武器で付けたにしては妙な傷だよね。だとすると、誰かが魔法でも使ったってこと?」

鋭い刃となると、やはり風だろうか。

あるいは、水をカッター状にして切り裂いた、か。

いや、土の可能性もまだあるか。

何にせよ、魔法の規模を見るに使用者は只者ではない。

「これはセーラちゃんが付けたものではない。じゃあ誰が……」

どれだけ調べても、そこから手がかりらしき物は見つからなかった。

さらに別のルートの探索も行い、それが終わると別の地域へ向かい、最終的に太陽が傾くまで広範囲に渡ってセーラの痕跡を探したが――結局、セーラを発見することはできなかった。

肩を落とし、とぼとぼと家路につくフラム。

住居に到着するなり、気だるげな動作で玄関を開き、これまた覇気の無い声で「ただいまー……」と言う。

すると小走りでミルキットがやってきて、笑顔で出迎えた。

「おかえりなさい、ご主人様っ」

釣られて、フラムも笑う。

やはり彼女だ。

彼女が居るだけで、自分は――日に日にフラムの中の想いは強くなっていく。

「ちょうど買い物に行こうと思っていたんですが、ご主人様はどうしますか?」

見ると、彼女は手に、いつも買い物に行く時に持ち歩いているカゴバッグを提げていた。

フラムが帰ってくるまで、買物に行くのを待っていたのだろう。

胸元に赤いリボンが付けられた給仕服と相まって、お金持ちの家の使用人にも見えなくもない。

実際は、一端の冒険者であるフラムのパートナーなのだが。

最初に彼女に買い与えた服とは別のもので、最近では毎日違う給仕服をローテーションさせてフラムの目を癒やしてくれる。

もっとも、今はその癒やしだけでは、回復するのは難しいほど疲労しているが。

「……ごめん、私は家で休んどく」

一緒に行きたい気持ちはあったが、体と気持ちがついていかない。

「わかりました、ご主人様はゆっくり休んでいてください。エターナさんと一緒に行ってきますね」

「行ってくる」

エターナは、ひょっこりと居間から顔だけを出して言った。

フラムは2人とすれ違って、出かける彼女らを見送る。

そして居間に入ると、パズルに興じる、フラムのお下がりであるブカブカのシャツを着たインクの真ん前に座った。

「おかえり、フラム」

「んー、ただいま」

「どうだった、セーラの手がかりは何か見つかった?」

「成果はほぼゼロ、どこ探してもセーラちゃんは居なかった。一日で見つかるとは思ってないけど、結構しんどいね」

「そっか……でも、絶対に、見つかると思う」

「うん、私もそう思ってる」

思わなければ、やっていられない。

フラムは疲れからか、その場でテーブルに突っ伏した。

そんな彼女を心配してか、インクはしばし手を止めて考え込んでいたが――自分にできることは、フラムを休ませることだけだと気づいたらしい。

余った袖を捲くると、今までよりも慎重な手つきで、なるべく音を立てないように、パズル遊びを再開した。

◇◇◇

ミルキットとエターナは、買物を終えてフラムの待つ家への帰り道を急ぐ。

食材の詰まったバッグはエターナの腕にぶら下がっており、ミルキットは申し訳なさそうにそれをチラチラと見ていた。

「あの……本当によかったのでしょうか、持ってもらって」

「構わない。わたしの方がミルキットよりも力持ち」

そう言って左腕で力こぶを作ってみせるエターナ。

その腕はとても細い。

だが実際、彼女の筋力値は他のステータスと比べると相対的に低いというだけで、400は超えている。

この程度の荷物、どうということは無かった。

「それにしても、フラムが好きなものばかり」

「ご主人様を元気づけなきゃ、って思ったんです」

「……相思相愛」

「そんなんじゃありませんよ! ただ……私は、ご主人様が私に与えてくれる分を、少しでも返せたら、って思っているだけです」

「健気」

「私はご主人様の奴隷ですから」

彼女は胸を張りながら、そこに手を当てて言い切る。

そんな幸せそうに言うセリフだろうか。

「良い出会いだったみたいだね。フラムにとっても、ミルキットにとっても」

「はい、それは間違いなく」

出会いは地獄のような場所だった。

偶然生き残って、傷を舐め合うように手を取り合っただけだった。

ミルキットは何も選択していない、いつもそうだったように、状況に流されただけだ。

それが結果的に、自分の人生を好転させようとは、何が起きるかわからないものである。

「おー? 珍しい組合せだな。厄介だ、ああ厄介だなぁ、なんだってかの英雄エターナ・リンバウがあんな小娘に味方すんだろうなあ」

路地から現れた男は、手を広げながら、舞台俳優のようにわざとらしく言った。

身長は高いが体は細身で、髪は明るい茶色。

今日はオフモードでは無いのか、肩からかけるタイプの皮鎧を纏っている。

腰には刃渡り20cmほどのダガーを下げ、大きめのボウガンを背負い、腕には木製のバックラーを取り付けている。

まあ、装備などどうでもいいのだ。

問題は、それが誰なのかであって――

「デイン・フィニアース……!」

ミルキットは珍しく敵意を剥き出しにして、デインを睨みつけた。

ご主人様の敵。

それだけで、感情を動かすだけの理由になる。

「こいつがそうなんだ」

エターナは無感情にそう言いながらも、手のひらに魔力を集中させる。

警戒は怠らない。

この手の輩は、どんな卑怯な手を使ってくるかわからない。

「待て待て、今日の出会いは偶然だ、戦おうってわけじゃない。僕だって力の差を見極められる程度の実力はあるつもりだからな」

「だったら、どうして近づいてきたんですか?」

「話がしたい。お互いにとって、とても有益な話だ」

「お断りします、帰りましょうエターナさん」

エターナは頷く。

そして2人はデインに見向きもせずにそこを通り過ぎようとした。

だが彼はニィ、と口角を吊り上げ、再び演技がかった言葉を放つ。

「あぁ、残念だ。セーラ・アンビレン。フラムが一日中駆けずり回って探してなあ。どうしてあの子が居なくなったのか、知りたくないのかなぁ?」

「セーラさん……!」

ミルキットは思わず足を止めた。

「……ミルキット、止まっちゃダメ」

「でもっ」

自分だって、彼女と過ごした時間は楽しかった。

見つかって欲しい。

またお話して、遊んで、料理を食べて欲しい。

それに――フラムが、あんなに疲れ果てるまで探し続けたのだ。

もし、自分が、何かしらの情報を得ることができたのなら。

役に立てたのなら――

「利口な奴隷は好きだぜ、僕。いい感じに肉も付いてきたし、顔も治ったんだろ? 今ならそこそこの値段で売れるなお前」

「黙れ、下郎が」

エターナがデインを睨みつける。

その迫力は、余裕をかましていた彼が思わずすくむほどだ。

しかし、デインはどこでミルキットやセーラの情報を仕入れてきたのか。

西区で知らないことは無いと豪語する彼の情報網は、若干の劣化を見せながらも、今も健在のようだ。

「うっへへ、怖い怖い。だが今の僕は怖いもの知らずだ、守られてるってのがこうも気が楽なもんだとは思わなかった。今まで、僕は守る側だったからな」

「どうでもいいので、セーラさんのことを聞かせてください」

「くへ、へへ、そう慌てるなって。ちゃあんと説明してやるからさ」

デインの浮かべる表情は、全体的に以前よりもずっと下品だ。

ミルキットが見ていて思わず顔をしかめるほど、みっともなく、威厳が無い。

「あの子はさ、行方不明になった日、西区の教会に行ったんだよ。そして騎士から、インクっつー女の子の情報を聞き出そうとした」

そう言って、デインは一旦間を置いて、2人の顔を見た。

なぜ彼からインクという名前が出てくるのか――どうやら彼は、そのリアクションを見ているようだ。

反応を見せるべきではない。

自分たちの住む家に、インクが居ることをこの男に悟られてはいけない。

エターナは理論的に、ミルキットは直感的にそれを察した。

おそらく彼らは、インクを探している。

だからこそ、今こうして、カマをかけたのだ。

2人はどうにか表情の変化を抑え、ポーカーフェイスを維持する。

期待した反応が得られなかったことが不服だったのか、デインは「ちっ」と小さく舌打ちをし、話を続けた。

「そこの話の詳細までは知らねえ、ただの騎士ってんなら、聞いたのはただの噂話だったのかもな。だがそれが、結果的に トリガー(・・・・) になった」

「トリガー?」

ミルキットは思わず聞き返す。

「ああ、自動過剰防衛とでも言うべきなのかねえ。あれは優しいんだよ、その優しさを反映してか必要以上に味方を守ろうとしやがる。判別条件は、 あちら側(・・・・) と、 こちら側(・・・・) だ」

抽象的なデインの話を、2人は理解できない。

彼は「しかたねえなあ」と不敵に笑うと、具体的な話を始めた。

「教会か、それ以外か、じゃねえ。 螺旋の子供たち(スパイラルチルドレン) か、それ以外か、だ。そして僕たちは 子供たち(チルドレン) の味方になった。だから、守られるってわけだ」

「スパイラルチルドレン? まさか、教会の人体実験のことですか?」

「そう、それ! ああなんだ、お前ら知ってんのか。いや、違うな、だったら条件は満たしてる。あー……つまりあれだな、それは、別のチームだわ」

「チーム……」

「 螺旋の子供たち(スパイラルチルドレン) ってのは、生まれつき心臓の代わりにコアっつーの? あのよくわかんねえ物を埋め込まれた化物の総称だ。いくつもある教会の研究の1チーム、中でも大きな成果を上げてる優秀な連中。王都の地下のとある場所に研究所を構えててな――」

デインはなぜか、自分から重要な情報をぺらぺらと喋っている。

エターナは首をひねる。

なぜ彼は、わざわざ出てきて、敵に塩を送るような真似をしているのか。

その行為に、一体何の意味があるというのか――真意を探る彼女の耳に、ぽとりと、何かが落ちるような音が聞こえてきた。

「……とまあ、どうしてこんなことを話すのかっていうとさ。僕、頭いいからさ、思いついちまったんだよ。別に聞かれなくても、探られなくても、こっちからお前らに情報を与えても、条件は満たされる、ってさ」

彼は人差し指でこめかみを何度かつつく。

ぼと、ぼとぼとっ。

屋根の上から、何かが大量に落ちている。

いや、それだけではない。

地面から、路地から、家の窓から、そいつらは湧き出し、転がりながら2人に近づいてくるのだ。

「ひひ、ひっははははっ! 集まって来てるぜ? 早く逃げないと――あの臭くて気持ちわりぃ体になって死んじまうぞぉ?」

そう言ってデインは今日一番の――壊れた笑みを、2人に向けた。

臭くて、気持ち悪い体。

西区で見つかった異形の死体の話は、2人ともフラムから聞いている。

デインの言葉が事実ならば、あれに触れるのは危険だ。

「ひっ……ぃ……」

「ミルキット、逃げるから捕まって!」

「は、ひっ……」

エターナは恐怖に震え、喋ることすらままならないミルキットを抱え上げた。

ミルキットは、うまく動かない腕を必死で自分を持ち上げる彼女の首に回す。

しっかり固定できたのを確認すると、エターナは自分の 足(・) に魔力を集中させ、つま先で地面を叩いた。

「ウォーターニードル」

ザシュッ!

地面の隙間から溢れ出した水が無数の針となり、地面からせり出す。

接近していた眼球は全て、正確無比にその針に刺し貫かれ、機能を停止した。

「おっと!」

デインは飛び退くと、バックラーからワイヤーを射出、アンカーが近くの建物に引っかかると、そこに向けて引き寄せられる。

「長居は無用だな。せいぜい逃げてみせろよ、英雄様に奴隷ちゃん。ひゃはははははははっ!」

笑い声を響かせながら、彼はワイヤーを駆使してどんどん遠ざかっていく。

エターナは追撃のため魔法を発動させようとしたが――

「エターナさん、まだ増えてます!」

「問題ない」

ミルキットを守って戦わなければならない。

今はデインを諦め、また大量に迫ってくる目玉の相手をしなければ。

また足に魔力を集中、今度は足裏で地面を叩き、魔法を発動する。

「アクアシェルター」

地面から湧いてきた水は、今度は2人を包む壁となる。

攻撃を防ぐ防御のための魔法だ。

その壁は水ではあるが、凝縮されており並の威力では突破できない。

敵は今も増え続けている。

町中ではド派手な魔法で一掃するのは難しい。

だから、可能な限り引き付けて、数が増えた所で一気に潰すつもりだった。

だが――

「通り抜けようとしてる……」

眼球は視認した獲物に向かって、真っ直ぐに進もうとしていた。

ちょうど彼らが体内に入り込むのと同じように、水の壁を侵食して。

「どうするんですか、エターナさんっ」

「キリが無い、とりあえず逃げる。スプラッシュ」

また足で地面を鳴らすと、今度は大量の水が下から吹き出し、シェルターの上部が開きエターナの体を空に舞わせた。

「ひぁ……っ!?」

驚きのあまり、またうまく声が出せないミルキット。

しっかりとエターナが掴んでいるため、落ちる心配は無い。

近くの住宅の屋根に着地すると、その後もスプラッシュを跳躍のアシストに利用しながら、隣の家へと飛び移り逃走する。

眼球たちは、場所を選ばずどこまでも追ってきた。

振り切ったと思っても、今度は別の場所から這い上がって、また囲んでくる。

ミルキットの脳裏に浮かぶのは、やはりフラムのことだ。

自分たちが帰ってこないとなれば、きっと彼女は、今以上に落ち込むだろう。

主が無茶をしないように祈りながら――2人の逃走劇は、まだ始まったばかりだった。

◇◇◇

一時間経っても。

二時間経っても。

三時間経っても。

2人は、戻ってこない。

インクの腹がぐぅと鳴ったが、部屋に満ちる重苦しい空気に、「お腹が空いた」とは言えなかった。

夕食の時間はとうに過ぎ、ミルキットとエターナが何らかのトラブルに巻き込まれたのは確実だ。

しかもこのタイミング。

セーラと同じように、あの眼球に追われているのだとしたら。

座った状態で、テーブルに肘をつきうつむくフラム。

「う……うううぅぅぅ……ッ!」

彼女は頭を掻きむしりながら呻いた。

自分が、何をしたというのか。

教会のことを調べなくては、とは思った。

デインをどうにかしなくては、とは考えた。

だがそれだけだ、まだ何も実行に移せていなかったはず。

それなのに――何が間違いで、どこで道を踏み外したのか、自分でもわからない。

わからないまま、いつの間にかセーラが消えて、デインたちもおかしくなり、そしてついにはエターナと、ミルキットまでもが。

……そう、ミルキットまでも、が。

「あぁ、ああぁぁああ……! ミルキット……私が一緒についていってたらよかったの……!? でも、でもっ……!」

エターナでもどうしようもない状況を、フラムが解決できるはずがない。

無力だ、無力だ、無力だ。

どこまでも果てしなく無力で役立たずの自分のままだ。

何も、変わっちゃいない。

「私は……まだ、奈落の底を這いずっている……」

その証である頬の奴隷の印に爪を立て、傷ができるほど強く引っ掻く。

痛みはある、指先も血で濡れる、だが呪いですぐに痕は消えた。

「こんな、こんな力があっても、あの子を守れないんじゃ……!」

「フラム……」

あまりに深い絶望に、インクはどう声をかけていいのかわからなかった。

慰めたいのに、言葉が浮かんでこない。

歯がゆくて、テーブルの下で拳をぎゅっと握りしめる。

その時、フラムはガタンッと椅子が倒れるほどの勢いで立ち上がった。

「……探してくる。インクは、絶対に外に出ないで」

「わかった、待ってる」

外は暗い、この中を1人で探すのはあまりに無謀だ。

フラムは別の部屋に置いてあったカンテラを持ち出し外に出た。

そんな彼女の後ろ姿を、インクは不安げに見送る。

◇◇◇

明かりを灯しても、見える範囲はかなり狭い。

不自由な視界の中、フラムはミルキットやエターナの名前を呼びながらさまよった。

いつも買い物に使うルートを歩き、そこから枝分かれした路地の中も探索する。

やはり、セーラと同じで手がかりはほとんど見つからない。

唯一それらしき痕跡と言えば、通りにあった水たまりぐらいのものだ。

今日は雨など降っていない、エターナの水魔法の痕跡かもしれない。

しかしそこから――彼女たちがどこへ消えたのか。

そして今、誰に追われているのか。

何時間探したって、2人が見つかることはなく。

昼間の探索の疲れもあるのだろう、体が重く、足がしびれ、呼吸も荒くなってくる。

夜の空気によって少し頭の冷えたフラムは、深夜と呼べる時間にさしかかった頃に、インクの待つ家に戻った。

◇◇◇

家にはまだ明かりが灯っている。

いつもならとっくに寝ている時間だが、フラムを待って起きているのだろうか。

「……ただいま」

か細い声でそう言った。

返事はない、だが足音が聞こえる。

前を見ると、階段を登って2階に向かうインクの姿が見えた。

「インク?」

呼びかけるも、彼女は止まらず、そのまま姿を消す。

「どうしたんだろ」

無理して起きていたけど、あまりに眠すぎて意識が朦朧としているのだろうか。

それにしては、足取りはしっかりとしていたように見えたが。

フラムは彼女を追って階段を駆け上った。

そして、いつも彼女が寝ている客間のドアをノックする。

……反応はない。

ガタンっ、ガタ……。

しかし、中から窓を開くような音がする。

インクがそこに居るのは間違いないのだ。

「ねえインク、入ってもいい?」

やはり返事はない。

「もう入るよー」

本人には悪いと思いつつも、フラムはドアを開き部屋に足を踏み入れた。

室内に明かりはついていなかった。

暗いその場所で、まず最初に視界に入ったのは、インクの後ろ姿だ。

彼女はなぜか窓から身を乗り出して、家の裏にある路地の地面を見つめている。

「何してんの? もしかして、ミルキットたちを探し――」

そう言いながら彼女の背中に近づいた所で、フラムは足を止めた。

ぶじゅるっ、ぶじゅっ……。

どこかで聞いたことのある音が、聞こえたのだ。

全身が硬直する、顔の筋肉が引きつる。

血の気が引き、フラムは強烈な寒気を感じた。

「イ、インク……?」

勇気を出して、一歩を踏み出す。

音はまた、大きくなった。

湿った肉が蠢き、何かが吐き出されるような音が。

ぶちゅっ……じゅぼっ……ぼとっ、ぼとぼとっ。

以前聞いたソレと違うのは、何かが地面に落ちる音が聞こえるという点だ。

何が、起きているのか。

インクは、何をしているのか。

知りたくない。

見たくない。

けど――目を背けるわけにも、いかない。

また一歩、前に踏み出す。

音が大きくなる。

床板がギィと軋み、その振動が足裏に伝わる。

唾を飲み込んだ。

粘り気のある唾液は、喉の脈動と共に食道を通り胃に落ちていった。

こめかみから浮き出した汗が頬を伝い、顎から落ちる。

肺が痙攣したように、半開きの口から「はっはっ」と浅い呼吸を繰り返した。

何もかも、全ての感覚が、不気味なまでに鮮烈だった。

目眩がするほどの動悸に、いっそ意識を失ってくれたら良いのにと嘆きながら、フラムは――手を、伸ばす。

指が、彼女がインクに貸したシャツに触れる。

布がくしゃりと皺を寄せ、その内側にある肌を擦ると、それに気づいたインクは首を回して振り向いた。

「ぶじゅっ、ぶじゅるっ……ぶちゅっ……」

目の前に見えるのは、肉の渦巻き。

オーガや、研究所で見た死体と全く同じもの。

それが脈動し、血液を吐き出す。

だがそれだけではない。

吐き出しているのは――大量の眼球も、である。

「あ……ああぁ……」

何が間違いで、どこで道を踏み外したのか。

その答えを――フラムは、知った。

流れ出た血液が自身が貸したシャツを赤く染め、ボトボトと大量の眼球が床に落ちる。

その光景に、インクと過ごした記憶が、全て塗りつぶされていった。

「う……うぁ、あああぁ……ぁぁぁあ……っ!」

吐き気と共に、絞り出すような呻き声。

全身をじっとりと濡らす汗に、とめどなく流れる涙。

けれど、そんな悲壮感あふれるフラムの表情を見ても、インクだった何かに変化はない。

しばらく見つめ合ったあと、彼女は興味を失ったようにまた窓の外に身を乗り出し、地面に向けて眼球を吐き出し続けた。

「ああぁ……か、あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああッ!」

耐えきれず、フラムは叫ぶ。

そして部屋を飛び出し、まるで先ほどの光景を無かったことにするようにドアを乱暴に閉めた。

バタンッ! と大きな音が響き、廊下と部屋が隔絶される。

彼女はそのドアを背にして座り込んだ。

しかし、まだ、室内から何かの音が聞こえてくる。

べちゃべちゃと、ぼとぼとと、何かが蠢き、何かが吐き出される音が。

両手で耳を塞いだ。

手のひらに滲んだ汗がにちゃりと音を立てる、張り付く感触が気持ち悪い。

だけど、それでも、 あれ(・・) を聞くよりはマシだと思った。

「なんで……なんで……なんでえぇぇ……っ」

ひたすら問いかける。

誰に? 知らない。

誰でも良い、答えが欲しい。

今なら、どんな悪党が出した答えでも喜んで受け入れるだろう。

けれどもう誰もいない。

セーラもミルキットもエターナも、そしてインクだって。

この家には誰もいない。

居るのは、フラム自身と、インクだった、インクだと信じ続けてきた――化物だけだ。

「う……うぇっ……は、あぁぁ……うげ……っぷ……ぶ……はっ……はああぁっ……」

耳を塞いでも、まだ微かに音は聞こえる。

絶望の底だと思っていた。

けれどまだ、それは浅い場所にあった。

ここだ。

ここが、絶望の、本当の、底。

汗も、涙も、涎も、胃の内容物や胃液まで吐き出して。

フラムはじっと、音が終わるまで、そこで耳を塞いで座り込んでいた。