軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

127 今日までが私たちのプロローグ

しばらく周辺を散策してみたものの、これだけボロボロになったフラムを誰も怪しんだりはしない。

多少は視線を感じるものの、彼女の他にもうかれた仮装をした人も少なくなく、そのおかげか“アンデッドモンスターの仮装”と思われているようだ。

祭り――先ほど出会った男性はそう言っていたが、一体人々はなにを祝っているのか。

だがフラムには、それ以前に気になることがあった。

「ここ、王都なんだよね……?」

最初に降り立った場所から少し歩いてみたが、以前の面影は感じられない。

街に並ぶ建物の雰囲気が変わっているというのも、その大きな要因の一つだろう。

通りがかった家の壁に触れる。

以前はレンガ造りの家が多かったが、今は一枚の岩を使っているというか――どこかセレイドを思わせる雰囲気がある。

人の手で作ったのではなく、魔法で作ったようだ。

だが、全ての建物がそうなっているわけではない。

中には、以前の王都と同じ建築様式のものもあり、さらにはその二つが混ざったようなものも見受けられる。

二つの文化の融合――それが建築のみならず、様々な技術を大きく発展させていることは、想像に難くなかった。

魔族は当たり前のように人間と共存し、歩く人々は水晶の板を耳に当て何やらしゃべってみたり、露店のおばちゃんが使っている鉄板は火をつけずともジュウジュウと美味しそうな音をたてて肉を焼いている。

空を見上げれば、大きな船が、さらに大きな風船に繋がれてぷかぷかと回遊していた。

フラムはそれを見てあの日の飛竜型キマイラを思い出したが、そう感じるのは彼女だけのようだ。

いや――全ては今の彼女の見える範囲に限った話なので、全ての人がそうである確信は無いのだが。

そしてさらに先に進むと、ゴオォォ――と轟音を響かせながら、鉄の車が目の前を通り過ぎていく。

「すごい速度。そしてすごい人だかり。あれどうやって動いてるんだろ」

フラムよりはずっと遅いが、それでも人々の足となるには十分すぎる速さだ。

城壁までの距離を見るに、王都(仮)は以前よりも広くなっているようで、徒歩で移動するには厳しい。

かといって、日常的に馬車を使うわけにもいかず。

その解決策として生み出された装置なのだろうが――にしても、果てしない時の流れを感じる。

もっとも、それは言うほど人々の日常に馴染んでいるわけではないようで、

『うおぉぉぉおおおおお!』

列車が前を通り過ぎるたびに、彼らは大きな歓声をあげている。

おそらく、正式なお披露目は今日が初めてなのだろう。

お祭りに合わせて、目玉の一つとして用意されたに違いない。

「みんな元気だなー」

他人事のようにフラムは言った。

この景色を見る限り、オリジンの爪痕は感じられない。

フラムの勝利がもたらしたものだと思うと、ちょっとだけ誇らしい。

もっとも、このみすぼらしい恰好をした少女がその英雄なのだと、今のところ誰も気づいていないようだが。

「あれ? これって……」

フラムの視線が、街灯についた看板を見たまま止まる。

そこには――『マンキャシー通り』と書かれていた。

さらに少し離れた場所には、この通りについての説明が書かれたオブジェも配置してある。

彼女はそこに駆け寄ると、文章を読み上げる。

ざっくり言うと、リーチの遺言により、彼の遺産は血縁者や使用人たちに分配され、残った分は全て王都に寄付されたそうだ。

「リーチさん……こうなることも、わかってたのかな」

オリジンに関われば、自分の命に危険が及ぶ。

頭のいい彼のことだ、それは理解しただろうが――おそらく、家族が巻き込まれることまでは考えていなかったに違いない。

いや、一時的とはいえサトゥーキ側についたことを考えると、周囲にまで被害が及んだ場合は自分の気持ちを殺して家族を守ることに徹する、そう決めていたのかもしれない。

結局、それは叶わなかったわけだが。

通りに面した公園は、同じくマンキャシー公園と名付けられていた。

どうやらここも、リーチの寄付金によって作られた場所らしい。

子供の遊び場というよりは、かつての東区の雰囲気を感じさせる落ち着いた空間だ。

片隅には、三体の銅像が飾ってある。

中央の像の前でフラムは足を止め、じっとその顔を見つめた。

少しだけ、実物よりかっこよく作ってある。

だがちゃんと面影はあって、知っている人が見れば一目瞭然で、それはリーチだった。

隣にはこれまた美人なフォイエの像があって、さらに隣にはやたら美少女なウェルシーの姿。

懐かしさと同時に、寂しさがこみあげてくる。

あの時はまともに弔うことすらできなかったが、彼らの遺体はちゃんとした場所に埋葬されたのだろうか。

「時間、経っちゃったんだなぁ」

像になっていると余計にそう感じる。

死者ではなく、過去の人になってしまった、という実感が――切なさと焦燥を、さらに膨張させる。

「リーチさんやウェルシーさんたちとの別れは、私にとってはついこの間の出来事なのに」

実際、まだ一か月も経過していない。

死に際は、鮮明に覚えている。

残酷で、悲哀に満ちていて、救いのない。

一方で像になった彼らは幸せそうに笑っている。

どこか嘘っぽい。

けれど、どこかでそんな風に笑っていてくれればいいと願う。

「また来ますね」

像に話しかけるフラムは、はたから見ると変人だろう。

だが現在、幸いなことにこの公園にはほとんど人がいない。

街中に響くアナウンスが告げているように、王都中で行われているイベント会場にみな集まっているのだろう。

そして西区に行くためには、そのイベントの一部が行われていると思われる大通りを抜けなければならない。

さすがにメインストリートは人でごった返しているだろうし、抜けるのは一苦労だ。

「大通りって……まだあるんだよね?」

そもそもそこが疑問である。

なにせ街が色々と変わりすぎて、どうなっているのか想像すらつかない。

マンキャシー通りなんてものがあるということは、王都には間違いないはずなのだが。

いっそ高く飛び上がってあたりの様子をうかがってもいいのだが、それはさすがに目立ちすぎる。

それ以前に、フラムは現在地を東区だと思い込んでいるが、それが事実なのかすらわからない。

以前は高級住宅が並んでいた一帯には、今はおそらく一般的な家庭が住んでいると思われる一軒家が並んでいるのだから。

「とりあえず、歩くしかないかな」

正直、とても体がだるい。

戦いの中でどばどばと流れ出ていた脳内麻薬は、すでに効果を失っている。

今のフラムが感じているのは、絶え間なく続く頭痛と、体のだるさ、そして心臓の違和感だ。

本音を言えば、この場でぶっ倒れて眠ってしまいたいぐらいだが――まだ早い。

どうせ寝るなら、あの子の胸の中がいい。

「ふぅ……よしっ」

大きく息を吐いて、頬をぺちんと叩き、歩き出すフラム。

とりあえず少しでも人がいない場所を進もうと、彼女は路地へ足を踏み入れ、ひたすら西へ向かった。

◇◇◇

……そして迷った。

袋小路である。

適当に西に進んでいればそのうち目的地に近づく――そう思っていたのだが、というか以前の王都は実際そうだったのだが、なかなか思い通りにはいかないものだ。

そして、フラムは怪しげな男たちと遭遇した。

「あぁん? なんだてめえ」

絵にかいたようなチンピラである。

そんな男たちが十人弱ずらりと並び、用でも足すようなポーズで座り込んでいる。

その一番奥で偉そうに椅子に座り、腕と足を組んでいるのは、魔族だった。

「軍の人間……というわけでもなさそうだな、偶然に迷い込んだ田舎者と言ったところか」

彼は明らかに見下した様子で、舐めるようにフラムを観察する。

不快な視線だ。

「どうすんですか、先生」

「無論、殺すに決まっている」

いきなり物騒である。

王都は平和になったと思っていたのだが、こういった路地裏にはやはり悪人が潜んでいるらしい。

「あの、西区に行きたいんですけど、どっちに進めばいいですか?」

「能天気なことだ。状況がわかっていないようだな、田舎娘」

確かに事実だが、田舎娘田舎娘と連呼されるとフラムもあまり気分がよくない。

それに、彼女だって状況はわかっている。

わかっているからこそ――大した脅威では無い故に、のんきに道を聞いているのだ。

「どうでもいいんで、道を教えてもらえませんか。あんまり時間がないんです」

「私を誰だと思っている?」

「はあ、誰なんですか」

「ふっ、聞いて驚くな。私は創造神オリジン様の意思を継ぐ、“神の血脈”幹部――」

それを聞いた瞬間に、フラムの体は動いていた。

無理はできない。

けれどこの程度の 雑魚(・・) 相手ならば、何百体いようが無理にはならない。

相手が認識できない速度で懐に入り込み、みぞおちに拳を一撃。

「ぐ……ご……っ」

あっさりと、魔族の男は崩れ落ちた。

「どれぐらいの期間、んなことやってるのか知んないけど、もうそういうのはいいでしょ」

オリジン教の熱心な信者だった人間は、実は神様が悪ですでに倒されました――と言われても納得はできないだろう。

過激派が先鋭化して、こういった団体を作り出してもおかしくはない。

とはいえ、認めるつもりはなかった。

芽だろうが種だろうが、フラムの視界に入るのなら容赦なく潰す。

それは使命ではなく、反射だ。

やっと平和な日常にたどり着けそうだというのに、こんなものは残しておいちゃいけない。

「な……先生が、一撃で!? 魔力5000を超えるSクラス並の実力者だぞ!?」

「だ、誰だよこいつ……こんな女が、どうしてっ!」

「大人しく私に西区への道を教えて解散するなら、見逃してあげるけど」

「俺たちにはオリジン様の加護がついてんだよ、相手が誰だろうと負けるわけがねえだろ!」

男は――握った銃の発射口をフラムに向けた。

躊躇なくトリガーを引き、パンパンパンッ! と銃声が鳴り響く。

フラムは軽くその場で蹴りを放った。

銃弾を狙ったのではない。

何もない場所を足で薙いで、その風圧で銃弾を落としたのだ。

さらに風圧は男たちを襲い、バランスを崩し尻餅をつく。

「ば、馬鹿な……魔法でも使ったのか!?」

そして戸惑う敵を、即座に屠る。

一瞬で全ての男に手刀を叩き込み、全員の意識を刈り取った。

どさっ、と全員が同時に地面に倒れ伏す。

彼らはおそらく、何が起きたのかも理解していないだろう。

「西区の行き方……」

結局、わからずじまいだ。

フラムは肩を落として、その場を離れ――

「う……ぷっ……」

体が、ぐらりと揺れる。

肩が壁にぶつかり、ずるりと崩れ落ち、口から大量の血を吐き出した。

「げほっ……ごふ……ふ……うあ、やばいかも……」

無理はしていないつもりだったが、思った以上に体にガタが来ている。

赤く染まった口元を手の甲で拭くと、彼女はよろよろと歩き出した。

◇◇◇

路地をさまようフラムの耳に、遠くからアナウンスが聞こえてくる。

『英雄――の手により、人類がオリジンの――されて――、その間に王国は……』

遠すぎるのか、はたまたフラムの聴覚がいかれてきているのか、聞こえる声は途切れ途切れだ。

『しかし国民は……生き、ここコンシリアは……よりも発展……た。この発展は、この……に住む――や、魔族――ろん、世界を救った英雄たちの協力があって……』

断片的な情報から察するに、どうやら王都はコンシリアという名前を付けられたようだ。

そして、魔族との共存は今のところうまくいっているらしい。

とはいえ、先ほどのような胡散臭い集団の例もあるため、何もかも順調というわけではないようだが。

『……日は、これまで…………し、実を結ぶ……です。みなさんも――で……』

声がさらに聞こえなくなる。

フラムは音に意識を集中しながら、ゆっくりと歩き出した。

『この魔導列車も――の……の一つで、インテージ号という名…………英雄であり、この魔導列車の開発……天才……イン……から取られたことは……』

何やら不穏な言葉が聞こえたような気がする。

彼は死んだのだし、かつての英雄から名前を取るというのはそう珍しいことではないが――

「よりによって、あいつの名前をチョイスしなくてもいいのにね」

そのうち言うことを聞かずに暴走しそうである。

そんなことを考えられる程度には、体の調子は落ち着いた。

ひとまず歩くだけなら、何の問題もないようだ。

「あれ、魔導列車って言うんだ」

そのアナウンスからフラムが得た情報はそれぐらいのものだ。

肝心な、あの戦いから何年が経過しているのかは、まだわからない。

ひとまずこの路地をどうにか脱出して、西区へ向かわなければ。

歩幅を広げ、速度をあげたフラム。

すると彼女は、角から現れた黒髪の少女とぶつかりそうになった。

「うわっとぉ!?」

大げさに飛びのく少女。

彼女はフラムの方を見ると、手を合わせて「ごめんねっ」と軽く謝罪をした。

「気にしないでいいよ。それより聞きたいんだけど、西区に行くにはどっちに歩けばいいかわかる?」

「ごめんねぇ、実はあたしも迷っちゃったんだよね」

ぺろっと舌を出しながら、少女は頭をかく。

表情が豊かだが、それ以上にフラムは、彼女の目が気になった。

不思議な色をしているのだ。

相手の性格を目で判別することの多いフラムだったが、少女のそれからは何も読み取れない。

作り物めいた、不思議な感覚である。

「ちゃんと見ながら王都を歩き回ったことなくってさ。あ、でもあたし、中央通りの方から来たから、さっき通ってきた道を出たら西区に近づけるかもよ?」

「そっか、ありがとね」

軽く手を振って別れる二人。

だがフラムはどうしても気になることがあって、そこで足を止めた。

「ねえ」

振り向くと――そこにはもう、誰もいなかった。

思わず苦笑いを浮かべるフラム。

よほど急いでいたのだろう、元気いっぱいに走り去ったようだ。

「似てた気がしたけど……気のせい、かな?」

かつての仲間たちとの再会を望むあまり、そう見えてしまったのかもしれない。

しかし先ほどの少女は、はっきりと目が見えていた。

フラムの思っている人物とは別人だろう。

言われた通り、少女の来た道をフラムは進む。

◇◇◇

路地を抜け中央通りに出ると、案の定、人の量がさらに増えた。

もはやまともに歩くことすら困難である。

他の人に血が付かないように、道の端っこに体を寄せるフラム。

相変わらず、誰も彼女がオリジンを倒した英雄であることには気づかない。

今の彼女は、ただの質の高いコスプレイヤーである。

「魔導列車とやらのレールから離れたら人が減ると思ったんだけどなぁ」

少なくとも中央区はどこに行っても人だらけだろう。

だがこれを突っ切って抜ければ、無事西区である。

「でもこの様子じゃあ、ミルキットが住んでる家が西区にあるとも限らないよね」

そもそも、彼女がこの街にいるのかも――

ひょっとしたら、もうフラムのことなんて忘れてどこかで幸せにやっているかもしれない。

「……いや、無い無い」

そんな考えを、即座に否定するフラム。

彼女の自分への好意がそんなもんじゃないことぐらい、もうわかっている。

たぶん死ですら二人を別つことはできない。

だから、ミルキットはこの街にいる。

フラムがわかる場所で、待っているはずなのだ。

そう信じられるぐらい――フラムもまた、彼女に焦がれている。

「さて、じゃあこの人の波をどうにかして抜け――」

気合を入れて、通りに突っ込んでいくフラム。

勇ましく進んでみたのはいいものの、

「あーれー!」

あっさりと流され、目的とは違うどこかに運ばれていく。

別にフラムがひ弱なわけではない。

流れが、先ほどよりも明らかに早くなっているのだ。

「な、なんで急に、こんなに人の密度が増してっ!?」

そのまま成すすべもなく目的地に近づいてるんだか遠ざかってるんだかわからないまま翻弄され――ようやくたどり着いたのは、教会の前だった。

「ふひー……ここって……中央区教会、だよね」

初めて、見覚えのある建物に遭遇できた。

そこはかつてセーラが暮らしていた教会だ。

王都が壊滅したときにダメージを受けたのか、かなり補修されているものの、面影ははっきりと残っている。

ひょっとしたらセーラがいるかもしれない――そう思って試しに覗き込んでみたが、彼女の姿はなかった。

代わりに、シスターたちが慌ただしく走り回っている。

これだけの人が集まっているのだ、怪我人や病人には事欠かないだろう。

セーラはいなくとも、他に見覚えのある修道女はいないかと思い観察してみたが、それすら見当たらない。

終いにはそのうちの一人と目が合ってしまい、気まずくなって駆け足でその場を離れてしまった。

なにせ格好が格好だ、怪我人と間違えて話しかけられでもしたら――

「……したら、何が困るんだろ」

仮装で誤魔化して、その修道女に道を聞けばいいだけじゃないか。

何をそんなに、おびえているのか。

事実を知るのが怖いのか。

「そんなの、怖くて当たり前だよね……」

体が消耗して二度と動かなくなるのと同じぐらい怖い。

二つの恐怖と同時に戦っているようなものだし、心だって消耗する。

本当は、早く誰かに聞いて、何年経ってるかを知るべきなのだろうが――それが自分にとって都合の悪い事実だったら、たぶん、ぽっきり心は折れてしまう。

「誰も、私のことを覚えてなかったらどうしよう」

フラム・アプリコットという名前だけが残って、自分自身のことを知る人間が誰もいないのだとしたら。

ここはもう帰るべき場所なんかじゃない。

世界全体が――いわば異世界みたいなものだ。

リーチの像がそう古くなかったことだけが今は希望だが、それだって、手入れが行き届いているのだとしたら、何年経ったかの指標になんかなりやしない。

「誰も……残ってなかったら」

ありえない話ではないのだ。

少なくとも、街中を走る魔導列車も、変わった建物も、見たことのない道具も、全て――フラムがいた頃にはなかったものなのだから。

復興と技術の発展が同時に進むことなどありえるのだろうか。

普通にやれば、あのボロボロの王都をここまで復興させるだけでも、かなり年月を要するはずである。

少なく見積もっても二十年――いや、三十年は――

「そんぐらいだったら、みんな生きてるけども。だけど……」

大人になったみんなと、子供のままの自分。

親と子ほど年齢が離れてしまえば、以前と同じとはいかない。

微妙な距離感があって、自分がいない間に彼らは彼らなりの人生を歩んでいて。

きっとミルキットだけはフラムを待ち続けてくれているだろう。

だけど、たぶん彼女の方が先に逝ってしまうし、同じ時間を同じように感じて、同じ景色を見続けることもできない。

残酷な物言いになるかもしれないけれど、たとえそうやって生きて再会できたとしても――どうしても、距離は生まれてしまう。

「……私は」

どうしようもない。

自分が選ぼうが、来るのを待とうが、結果はすでに出ている。

ブラックボックスを暴くか、暴かないかの違いだけで。

フラムが俯き考え込んでいると、大通りの方からひときわ大きな歓声が聞こえてきた。

同時に、青い空に花火の爆音が鳴り響く。

自然と視線がそちらの方を向く。

「なに……?」

「パレードが行われるんですよ」

背後から聞こえてきた声は、先ほど目があったシスターのものだった。

「あ……すいません」

気まずさから、意味もなく頭を下げてしまうフラム。

すると相手は口元に手を当ててくすくすと笑った。

「なんのパレードが行われるんですか?」

「国王様の結婚を祝したパレードです。今日のメインイベントでして、これを目当てに王国中から人が集まったんですよ」

「それでこんなにたくさんの人が……」

さすがに普段から、ここまで道を埋め尽くすほどの人であふれているわけではないらしい。

今日という日に戻ってこられたのは、果たしてフラムにとって幸運なのか不幸なのか。

「大通りを通っていくと人に押しつぶされてしまいますから、あちらの右手の小道に入ると、見られる場所まで移動できると思います」

修道女はそう言って、大通りから少し離れた場所にある道を指し示した。

地元の人間しか知らない裏道なのだろう、ほとんど利用している人はいない。

「ありがとうございます、えっと……」

別にパレードには興味などないのだが――ニコニコ笑う彼女を前に、断るわけにもいかない。

笑顔に背中を押され、フラムは仕方なく裏道へと入った。

◇◇◇

今日が記念日だからか、はたまた普段からそうなのか、道にはごみすら落ちていない。

もちろん、路上で寝泊まりしている人の姿だって。

先ほどの謎の集団のような例外を除いて、以前の王都よりここは治安がいいのかもしれない。

フラムはそんな路地を道なりに進む。

すぐ横にある大通りは、音を聞くだけで眩暈がするほど混みあっているというのに、こちらは静かなものだ。

たまに人とすれ違うが、薄暗い路地とフラムの格好の親和性が高いのか、みな決まって驚いた表情で横を通り過ぎていく。

そのまま前進を続け、ほどほどのところで左折。

すると人で埋め尽くされた大通りが見えた。

フラムはその一番後ろに張り付き、背伸びをしてパレードの様子を覗き見る。

だが、まだパレードの列はここまで到達していないらしく、ずらりと並んだ兵士によって開かれた道が見えるだけである。

早く西区に行きたいのだが、ここに来てしまった以上は、パレードを見ないわけにもいかない。

それに、国王というのがスロウのことだとしたら――彼の年齢で、どれぐらい経ったか確認することができる。

人々が祝福ムードで見守る中、フラムは一人、緊張した面持ちで国王を乗せた馬車が前を通るのを待った。

しばらく待っていると、やたら車輪の大きな、豪華な馬車が何台も近づいてきた。

観客が沸く。

どうやら先頭の馬車には国王ではなく、有名人が乗っているようで、『キャー!』という黄色い声も聞こえてきた。

心臓が高鳴る。

強く脈打つと、ボロボロに傷ついているせいか痛みが走る。

彼女は苦しげに胸を押さえ、顔をゆがめた。

同時に不安も襲い掛かってきて、この場から逃げてしまいたい衝動に襲われる。

ここを通るのが、フラムの知らない誰かだったら。

知っていても、よぼよぼのおばあさんになっていたら。

再会を喜びはするだろう。

けれど、共に歩める時間はあまりに短い。

必死に頑張って、ここまでたどり着いたのだ、わがままを言う権利だってあるはずだ。

もう綺麗事なんて言いたくない。

フラムは――大好きな人たちと、同じ時を、同じ歩幅で歩くことを望んでいる。

胸に当てられた手を強く握りしめ、『どうかあなたが遠くへ行っていませんように』と願った。

そして、馬車がフラムの前に差し掛かり――

「キリルちゃん……だ」

少し大人びた彼女の姿が、そこにはあった。

白い鎧を身にまとい、群衆に手を振っている。

おそらくパレードということで、あえて勇者の格好をしているのだろう。

だがその顔に浮かんだ笑顔はぎこちない。

キリルのことだ、『私はパレードにふさわしくない』と最初は断ったに違いない。

「何十年も……経って、ない……?」

それとも、勇者の力で年を取らなくなったのだろうか。

真相は本人に聞かなければわからないが、今はとにかく彼女に気づいてもらわなければ。

「キ、キリルちゃんっ、私、フラムだよっ! 帰ってきたよ!」

必死で手を振って、声をかけるフラム。

だが人々のざわめきには敵わず、かきけされてしまう。

それでもやけに重い体に鞭打って、必死でアピールを続けた。

「キリルちゃんっ! キーリールちゃーんっ!」

はしゃぐファンにしか見えないわけだが――キリルの視線が、フラムの方で止まった。

「……!?」

声は聞こえないが、口が開く。

目も見開かれ、唖然とした表情のまま固まってしまった。

だが馬車は止まらない。

凍り付いたキリルが、フラムの前を通り過ぎていく。

すると間髪入れずに、次の馬車がやってきた。

続けて手をぶんぶんと振り回してアピールするフラム。

自分の体の調子を鑑みずに動きまくるもんだから、すぐに反動が押し寄せてきた。

「あ、やば……ごぶっ……」

口からあふれる血。

もちろん、近くにいた人たちも驚く。

何もそこまで気合を入れてコスプレしなくても――とほとんどの人はそういう演出だと思ったようだが、おかげで馬車に乗るエターナがフラムの存在に気づいた。

「……?」

最初は目を凝らしながら、首を傾けて睨むようにこちらを見ていたが、

「……!」

それがフラムだということがわかると、カーゴの上で立ち上がり、指をさしながら大声をあげている。

だがやはり、聞こえない。

「エ、エターナさーんっ!」

どうにかもちなおしたフラムは、先ほどよりも控えめに手を振った。

彼女は変わらない。

それはなんとなくわかっていたことなので、さほど驚きはなかった。

そのまま、無情に過ぎていく馬車。

というかこの二人では、何年が経過したのか正確に把握できない。

そう思っていると、次の馬車がやってくる。

今度は、フラムが戸惑う番だった。

「……へ?」

乗っていたのは――ジーン、だった。

死んだはずのジーンが、生きて、パレードに参加している。

だがキリルと異なり、彼に年齢による変化は一切なかった。

自爆魔法で命を散らしたあの時と全く変わらぬ姿で、不敵に笑んでフラムの方を見ているのだ。

「な、なんでっ、なんで生きてんのっ!?」

フラムの声は聞こえていないはずだが、やたら得意げな表情がとにかくむかつく。

そのままジーンは通り過ぎていく。

今度は――セーラとネイガスが現れた。

「あ、セーラちゃんっ! ネイガスさんっ!」

ネイガスはともかく、セーラはびっくりするぐらい変わってない。

いや、身長は多少高くなっているし、顔つきも微妙に大人びたように見えるが、たぶんそれは着ている豪華なローブのせいだ。

キリルといい、エターナといい、ジーンといい、二人といい――あれから何年経っているのかが、てんでわからない。

するとフラムとセーラの目が合い、そこで、馬車は止まった。

さすがにフラムを放置したままパレードを続けるのは無理だと判断したのだろう。

そして慌てた様子でカーゴから降り、フラムの方に駆け寄ってくる。

ざわつく群衆。

彼らが近づくと、勝手に人の群れは割れ、道が開いた。

ここまで来ると、観衆の中にもちらほらとフラムのことに気づく者が現れたようだ。

水に波紋が広がるように、『フラム・アプリコットが帰ってきた』という言葉が伝わっていく。

自然と、彼女の表情にも笑みがあふれた。

不安や苦悩ではない――反転する必要もない歓喜と祝福が、今日まで戦い続けた彼女に、ようやく降り注いだのだ。

「フラム……なの?」

猛スピードで真っ先に近づいてきたキリルが、目に涙を浮かべながら言った。

「うん、私だよ」

ごしごしと口元の血を拭いながら、そう返事をするフラム。

「……本当に、フラムだぁっ!」

そして彼女は、フラムの体を思いっきり抱きしめる。

フラムも抱き返し、二人は心の底から再会を喜んだ。

「フラムっ、フラムぅっ! 会いたかった、待ってたよ、ずっと、ずっと!」

「んへへ、そっか、待っててくれたんだぁ」

忘れられてなどいなかった。

それどころか――ひょっとすると、フラムが思っていたよりずっと、時間は経っていないのではないだろうか。

だとすると、急速な技術の発展に疑問が出てくるが、その答えが視線の先にある。

「えっと、再会を喜んでくれるのはうれしいけど、とりあえず聞いてもいい?」

「なんでも聞いて」

「あれ、何?」

「ジーン……だね」

キリルも頬を引きつらせている。

ということは、何かしらのトリックがあるに違いない。

「というより、正確にはジーンもどき」

「もどき?」

エターナの言葉に、首をかしげるフラム。

そこにインクの姿はない。

さすがに彼女がパレードに参加するわけにはいかなかったのだろう。

「ヒントはシア」

「あ、そういえばっ!」

ふいにフラムは思い出した。

シアを保護し、王都に戻る途中、ジーンが彼女と何やら話し込んでいたことを。

あの段階で、夢想の能力を利用し自身を蘇生する算段を立てていたのだとしたら。

「あれ、でもそれって……」

「たぶんフラムの認識で合ってる。あれはあくまで人々の想像から作られたジーンであって、本人ではない」

「僕のことは新生ジーンとでも呼ぶがいい」

腕を組んで、偉そうに言い放つジーン――あらため、ジーンもどき。

「遠慮しときます」

冷たく距離を取るフラム。

彼から、以前のような嫌味ったらしさは感じられない。

それは言ってしまえば、ジーンからジーンらしさを取っ払ったようなもので、別にフラムは彼のことが好きだったわけではないが、言い知れぬ気持ち悪さを感じていた。

言ってしまえば、彼は“天才”ジーン・インテージではなく、“英雄”ジーン・インテージなのだ。

もっとも、似て非なる別人になってしまったとしても、自称世界最高の頭脳がこの世から失われなかった時点で、ジーンの目的は達せられているのだろうが。

「しっかし、こんな日に帰ってくるたぁな」

「嬉しいことは重なるものです」

歯を見せて笑いながら、ツァイオンが近づいてくる。

その隣を歩くシートゥムは、ドレスを纏っていた。

「ツァイオンに、シートゥムちゃんも、その格好ってもしかして、結婚式の?」

時間が経ったところで、魔族の姿は変わらない。

肩を寄せ合い並ぶ二人の姿は、どこか犯罪めいている。

「ああ、プロポーズから四年もかかっちまったがな」

「戦いが終わってすぐでしたもんね、それからこの街の復興や、魔族と人間の共存にと、忙しかったですから」

「四年……? え、四年しか経ってないの!?」

頷く二人。

「あの王都を、四年でここまで復興したってこと? 見たことない道具だって、この四年で、全部!?」

「復興に関しては、魔族の協力が大きい。セレイドでキマイラを迎え撃ったときもそうだったけど、城壁みたいな単純な建築物だったら、どんなに巨大でも数日で作れるから」

フラムたちは、魔族がほんの数日で街を覆う壁を作り上げたことを知っている。

その技術が人間の世界に伝わったことで、技術だけでなく早さも向上したということか。

「あとは、だいたいあれのせい」

エターナはそう言って、ふんぞり返るジーンを指さした。

確かに、彼が全力で王都のために働けば、様々な発明品が生まれてもおかしくはない。

そして今の彼は、以前のジーンとは異なる。

人々の思い描く“英雄”ジーン像が、その頭脳を世界を救うために使う善人なのだとしたら――技術の発展も、納得できないことはない。

できればフラムは納得したくなかったが。

「あの人に気を取られる気持ちはわかるっすけど、おらたちのことも忘れないで欲しいっすよ」

次に声をかけてきたのは、満面の笑みのセーラだ。

やけに豪華な錫杖を手に持ち、ローブを着ている――というより、ローブに着られている。

「フラムおねーさん、お久しぶりっす!」

「セーラちゃん、変わんないね」

想像以上にそのまんまな彼女をみて、ほっとするフラム。

一方でセーラは不満げである。

「そ、そんなことないっすよ! 四年前に比べて見違えて大人っぽくなったはずっす!」

「その割には、体つきとかほとんど変わってなさそうだけど」

「着やせっす!」

便利な着やせである。

だがまあ確かに、このぶかぶかのローブでは実際の体がどうなっているかは判断できない。

「そこんとこどうなんですか、ネイガスさん」

「セーラちゃんはいつだって合法ロ……ごほっ!?」

何かを言おうとしたネイガスの横腹にセーラの肘が炸裂する。

二人の仲は相変わらずのようで、フラムは安心した。

「エルボーは……しっかり……成長してるわ……」

「時の流れを感じさせますね」

「そんなとこで感じないで欲しいっす!」

ぷくっと膨らむセーラ。

そういうところも含めて、やはり格好以外はほとんど変わっていない。

だがすぐに頬が萎むと、唇をへの字に結んだままフラムに近寄り、その手を取った。

「さて、それじゃあさっそくおねーさんの治療を始めるっすよ」

「治療?」

「そうっす、体の治療っす。早速、大聖堂に――」

「待ちなさい、セーラ。そいつにはやることがあるのよ」

具体的に何の治療なのかわからないまま、セーラの言葉は遮られる。

そして前に出てきたのは――

「ぶっ……」

思わず吹き出してしまうほどに気合の入った化粧に、異様に豪華なドレスを着た――イーラだった。

「あんたなんで笑ったのよ」

「いや、だって……えと、イーラだよね?」

「そうよ、悪い?」

「悪くはないけど……なにその格好、仮装してんの?」

ドレスの裾は立つと地面の上を引きずるほどに長く、使用人らしき女性たちが数人がかりで持ち上げている。

「どっからどう見てもウェディングドレスでしょうが!」

「え、結婚するの?」

「私が一人でこれ着てパレードに参加する変人だと思ってるの?」

「いや、だって相手が……ってまさか!?」

彼女の後ろから、控えめに現れる、王冠を被った男性。

威厳を出すためなのか髭を生やしているので最初は気づかなかったが、その顔には見覚えがある。

「……スロウ?」

「お久しぶりです、フラムさん」

声が渋い。

あと喋り方もそれっぽい。

四年の歳月で一番変化したのは彼かもしれない。

「え、えと、じゃあもしかして、イーラはスロウと結婚するの?」

「それ以外にあり得ないわよ」

「王妃になる、ってこと?」

「そういうことになるわね」

「西区のギルドで腐ってたチンピラの手下が王妃に……」

フィクションでもなかなかないレベルのシンデレラストーリーである。

「そこに関してはすでに国民に色々言われたけど解決したからほじくりかえさないっ!」

やはり言われてしまったらしい。

デインの悪事は、いまだすべての人の記憶から忘れられたわけではないということか。

それとも、元部下あたりが、王妃になる彼女に近づいて騒動を起こしたりしたんだろうか。

何にせよ、やはり四年という月日は短いようで長い。

フラムの知らない出来事が、知らないうちに沢山起きているのだろう。

俯きがちに物思いにふけるフラム。

そんな彼女に、イーラは呆れた様子で言う。

「あんたさっきから悠長に話してるけど、あの子のことはいいの? 真っ先に会いに行くべきでしょう」

「わかってるよ。そうしたいのはやまやまだけど、道がわかんないの!」

「屋根の上にでも上ってみればいいじゃない、あの古い家はそのままなんだから」

「そうしたいのもやまやまなんだけど――ちょっと、体が無茶できないみたいで、歩くので精一杯なんだよね」

セーラがぴくりと体を動かし反応する。

それをネイガスが制した。

イーラも目を細め、悲し気な表情を浮かべる。

おそらく、フラムの体の状態はみな知っているのだろう。

正直、フラム自身も詳しくどうなっているのか知っているわけではないので、下手すれば彼女たちの方が詳しい可能性だってある。

セーラが急いで大聖堂に連れて行こうとしたということは、割と一刻を争う事態なのかもしれない。

ならばなおさら、早くミルキットに会いに行かなければ。

イーラはすぐに「はぁ」と息を吐き出し、いつもの意地の悪そうな顔に戻る。

そしてぶっきらぼうな口調で、フラムに道筋を示した。

「この路地の突き当りを右に曲がると、そのうち中央区教会が見えてくるわ。そこを左にずーっと道なりに進めば、あの家にたどり着くはずよ」

「ありがと、助かる」

「フラム、私が送っていこっか?」

キリルの提案に、フラムは首を横に振った。

「気持ちだけもらっとく。あの子のところには、自分の足でたどり着きたいんだ」

「……そっか」

彼女は少し寂しげだったが、すぐに納得したようだ。

そして仲間たちに背を向け、あの家を目指す。

◇◇◇

四年という月日は――あまりに長い。

一日一日が地獄のようなもので、まず朝、主のいないベッドを見るたびに胸が締め付けられる。

同じ家に住むキリルやエターナ、インクたちは何かとミルキットのことを気遣ってくれた。

少しはそれで寂しさも和らいだかもしれない。

けれど、根っこの問題が解決しなければ、彼女の気持ちが晴れることはない。

ミルキットは自室の机に向かい、日記を書いていた。

四年間、フラムと離れ離れになってから、一日も欠かしたことはない。

それは彼女が戻ってきたときに、いなかった間の出来事を話せるようにと始めた習慣だったが――長く続けば続くほど、その日々の重みがミルキットにのしかかってくる。

いつまで待てばいいのか。

何十年だって待つ覚悟はあるが、だからといって辛くないわけじゃない。

なにせ、自分の心のほぼ全てを、今だってフラムが占めているのだから。

残った心は、その大部分がぽっかりと空白の闇に覆われている。

今日が祭りの日だということは、重々承知している。

国王や魔王たちの結婚式も兼ねているため、当然ミルキットも参加するように誘いを受けたわけだが――そんな気分にはなれなかった。

知人のお祝いの席だ、夜に開かれるパーティにはさすがに出席するが、浮かれた街に繰り出したところで、馴染めやしないだろう。

特に内容のない、フラムへの恋慕を綴った日記を書き終えると、ミルキットはその日記帳を棚にしまいこむ。

そしてそのままふらりふらりと主のベッドへと歩み寄り、ぼふっと顔から倒れこむ。

もうそこに、彼女の匂いは残っていない。

だが、フラムがここにいたという事実は変わらないのだ。

たったそれだけでも、今のミルキットにとっては救いになりうる。

「私、ご主人様より年上になってしまいましたよ」

くぐもった声で、恨めしそうに彼女は言った。

「前より、お料理はずっと上手になりました。ご主人様はきっと気に入ってくれると思います」

いつか帰ってくる日を夢見て、ミルキットは自分を磨き続けた。

全ては、主を喜ばせるためだけに。

「あとアクセサリー作りも、売り物になるぐらい上達しました。本も、一人で読めるようになったんです」

努力はしてきた。

全ては“いつか帰ってくる日”のために。

しかし――そんな日々は、いつまで続くのだろうか。

どんなに褒められても、どんなに賞賛されても、それがフラムでなければ意味などない。

「だから、ご主人様……」

今日まで、ミルキットが誰かの前で弱音を吐くことはほとんどなかった。

フラムがいなくても大丈夫か、と聞かれれば、笑顔で『必ず帰ってくるって信じてますから』と答えていた。

けれど本当は、一人になると、必ず涙を流しているのだ。

手を繋いだときのぬくもり。

頭をなでられたときの喜び。

抱き合ったときの幸せ。

口づけを交わしたときの愛おしさ。

思い出すたびに――今は手に入らないものだと思うと、喪失感が、感情を奈落の底に引きずり込む。

吐き気にも似た感覚がせりあがってきて、勝手に瞳が濡れる。

理性で抑制できない涙があふれて、フラムのベッドに染み込んでいく。

「ご主人様……どこにいるんですか、ご主人様ぁ……っ」

探したって意味はない。

ミルキットにできることはない。

それが、一番、辛くてしかたない。

ただ待つだけなんて――本当に、拷問のような日々だ。

そのまま布団に沈み込んでいると、意識を手放しそうになる。

ミルキットは体を起こし、悲しみを払うように首を左右に振った。

涙はじきに乾く。

気持ちもそのうち落ち着く。

パレードからエターナたちが戻ってくる頃には、すっかり元通りだろう。

慣れたものだ。

四年間繰り返してきたのだから当然である。

そのまま、今度はフラムのベッドの上に横たわり、ぼんやりと天井を見つめた。

心を空っぽに、悲しいことは何も考えずに済むように。

すると――家の中に、インターフォンの音が鳴り響いた。

魔力駆動式のものを、二年ほど前に取り付けたのだ。

まだ完全に普段通りのミルキットに戻ったわけではないが、出ないわけにもいかない。

彼女はベッドから降りると、うつろな目のまま一階に下り、玄関の前に立つ。

(パレードへの誘いでしょうか、あの手のイベントには参加する気分になれないのですが)

今日の朝、出かける前も、インクにしきりに誘われた。

気分転換にもなるはずだ、と。

実際、行けば気持ちは晴れるのだろうが、同時に罪悪感がこみあげてくる。

フラムが戻ってこないのに、自分だけ楽しんでしまっていいのだろうか、と。

今も同じだ。

もしインクが誘ってきたのなら、すぐに断ろう。

そう決意し、ドアノブに手を伸ばす。

開いた扉の先には――

「ただいま、ミルキット」

幻が、立っていた。

「……」

無言で見つめるミルキット。

実を言うと、今までもフラムの幻覚を見たことは何度かあって、それは決まって疲れているときに起きる現象だったが――まさかそれが今起きるとは。

目をこする。

それでもフラムの姿は消えなかった。

「もしかして、夢とか思ってる?」

「思って、ます」

「じゃあ、こうしたらわかるよね?」

そう言って、フラムは両手を広げた。

ふらふらと近づき、ミルキットの体がその中に納まる。

いつも通り、通り抜けて、幻は消えてなくなると思っていた。

けれど体はそこで止まり、体温と、柔らかさと、ほんのり血の匂いが混じった懐かしい香りを、 確かに(・・・) ミルキットは感じた。

「……あ」

声が、こぼれた。

「あー、ミルキットだ。うん、この感触は間違いない」

「あぁ……」

感情が、あふれる。

「ああぁ……あ……ご主人様……?」

「そう、ミルキットのご主人様だよ」

至近距離で見つめあう二人。

なおも、幻は消えない。

「いるん、ですか? 夢じゃなくて……ちゃんと、ここに……」

「いるよ。幽霊でもないから。生きて、両足で立って、ミルキットのこと抱きしめてる」

フラムの目にも、涙が浮かんでいた。

何の脅威にもおびえずに、こうして抱きしめる日を、どれだけ待ち望んできたことか。

「ご、ごしゅ、ご主人、様……」

「うんうん、何度でも確かめよう。私がミルキットのご主人様だぞー」

「うあ……あったかい……ご主人様の、体……」

「そりゃあ生きてるからね。ミルキットの体も暖かいよ、私の心もぽかぽかするぐらい」

「私、ずっと、こうすることが、夢で……だから、夢みたいで、でも、夢じゃなくてぇっ……私っ、ずっと、ずっとぉ……っ!」

はっきりと覚えているつもりだった。

けれどこうして実際に抱きしめられると、全然違う。

記憶なんて――現実と比べれば、こんなにも軽いものだったのか、と痛感させられる。

「ごめんね、長い間待たせちゃって」

「……っ」

フラムの涙声を聞いてしまえば、もう我慢はできなかった。

「ご主人様あぁぁぁぁっ!」

叫んだ。

人生で出したことないぐらい大声で、感情のすべてを吐き出すくらい全力で。

それでも足りない。

この歓喜は、声をあげたぐらいで表せるものじゃない。

「ご主人様、ご主人様、ご主人様ぁっ!」

ぐりぐりと肩に顔を押し付けて、ひたすらにミルキットは呼び続ける。

「ミルキット」

返事がある。

ただそれだけで、死んじゃいそうなぐらいうれしい。

「ご主人様……っ!」

「ミルキット」

名前を呼んでくれる。

ただそれだけで、魂が張り裂けそうなほどうれしい。

「ごしゅじん……さま……」

「うん、ミルキット」

そこにいる。

ただそれだけで、もう他に何もいらないぐらい、うれしい。

「は……あぁ……っ、うぅ……大好きです……ご主人様……愛しています……っ」

「私も愛してる。たぶん世界中にある愛情を束ねたって足りないぐらい、ミルキットのこと愛してるよ」

「じゃあ私は、もっと、愛してます」

「だろうね。ミルキットの愛には勝てそうにないもん」

あっさり負けを認めるフラム。

ミルキットの愛情が途方もないことは、すでに痛いほど知っている。

だが――今のフラムは、ただ負けを認めるだけではない。

「でも、今の私は割といい勝負だと思う。それぐらい、ミルキットのことで頭がいっぱいだよ。前よりずーっと、ぎゅうぎゅうに詰まってる」

最強の口説き文句だ。

いや、たぶんどんな言葉でも、フラムが発したものなら、ミルキットにはクリティカルヒットするに違いない。

腰が砕けて、崩れ落ちそうになる。

するとフラムの両腕が、体を支えてくれるのだ。

守られている――そう思うだけで、さらに体に力が入らなくなった。

我ながら、惚れすぎていて感心してしまうほどだ。

そのまま抱きしめられるうちに、二人の顔は自然と近づいて――一日ぶりの/四年ぶりの、キスを交わした。

「んっ……」

「ふぅ……ん、ぅ」

長く、深く、互いの感触を確かめるような口づけ。

抱きしめあうよりはっきりと、相手の存在が感じられる。

“そこにいるんだ”と、強く、強く。

体温が上がって、心臓が高鳴って、でもそれよりも――感動の方が上回ってしまって。

自然と、二人の瞳からは涙がこぼれていた。

ミルキットが流した雫がフラムの胸元を濡らすと、自然と唇が離れる。

蕩けた表情で見つめあう。

できればもう一度、いや一度と言わず何度でも繰り返したかったが、フラムの限界が近い。

感覚でそれを察したミルキットは、“これだけは”と大切な言葉を伝える。

「おかえりなさい、ご主人様」

それは、長い長い戦いの終わり告げる福音だった。

明確な区切りを迎えて、フラムはようやく全てから解放される。

そして――一人の少女としての人生が、始まるのだ。

体がぐらりと傾いた。

今度はミルキットが体を支える番だ。

よろめき、フリルスカートを揺らしながらも、どうにか抱き留める。

フラムはその胸に顔をうずめ、ゆっくりと目を閉じていく。

「ごめん……本当は、もっと色々、話したいことがあるんだけど……」

「目を覚ましてからでいいですよ、もう無理をする必要はないんです。時間は、いくらでもあるんですから」

「そっか……そう、だよね……じゃあ、少しだけ眠るね。起きたら、たくさんお話しようね」

「はいっ、私もご主人様に伝えたいことが、まだまだいっぱいありますから!」

「……楽しみ、だな。ミルキットの……話……」

フラムは意識を手放し、寝息を立てる。

疲れ果てた体は、ようやく休息を手にしたのだ。

「ゆっくり休んでください、ご主人様」

もう誰も、フラムの安らぎを邪魔したりはしない。

神も、人も、彼女を縛ることはできない。

そして次に目を覚ました、その瞬間から始まるのだ――

ずっと待ち望んできた、この街で暮らす、気ままな日々が。