軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

109 その風は、命を凪いでゆく

ネイガス、セーラ、ジーン、ツァイオンは広場の手前で陣取る。

ツァイオンとジーンは迫る果実を容赦なく焼き払い、魔法の発動準備を行うネイガスとセーラを護衛した。

だが、遠慮なく潰せる果実はともかくとして、花のように肉を開き、内臓を見せつけ襲ってくる町の住民を破壊することはできない。

命を奪わない程度に加減をして、追い払わなければならないのだ。

「フレイムウォール!」

まずはツァイオンが炎の壁で周囲を覆う。

近づけば火傷は免れまい。

ならば接近をためらうはず――そう読んでの行動だったが、目論見は外れる。

住民たちは躊躇せずに突っ込んでくるのだ。

自らの肉体が焼け焦げ、灰になるだけだと知っていても。

「怖いもの知らずかよッ!」

彼は即座に魔法を解除し、触手のように伸ばされる大腸を避け、蹴飛ばした。

だがすぐさま別の花が彼に迫る。

炎による攻撃ができないとなると、次に検討する手段は闇属性魔法になるわけだが――そもそも彼はあまりそれが得意ではない上に、扱えるのは、溶解や窒息と言った攻撃的な魔法のみ。

つまり残るは、肉弾戦のみ。

「チィッ、まともに戦うよりよっぽど厄介だな。殴っても殴っても立ち上がってきやがる!」

「脳があるならそれを使え、ツァイオン」

「ジーン、そういうお前はさっきから何もしてねえじゃねえか!」

両手を組んで突っ立っているジーン。

ツァイオンは彼のフォローをしながら立ち回っていた。

だというのに礼の一つもなく偉そうにふんぞり返っている。

「奴らを止める方法を考えていた」

「それはサボりっつうんだよ。いいから脳より先に体を使いやがれ、こんなんじゃネイガスとセーラを守りきれねえぞ!」

「ふん、うるさい男だ」

言い争うジーンとツァイオンの背後では、ネイガスとセーラが指を絡めあって向かい合っている。

どうやれば魔法を調和できるのか、方法はわからない。

互いの魔力を感じ、絡め、一つにしろ――と口で説明するのは簡単だが、具体的な手段をジーンは何も言わなかったのだ。

だから今は、ただひたすらに相手のことだけを想う。

集中あるのみ。

まずは雑念を捨てきることこそが、この町を救うための第一歩なのだ。

それはわかっているが――セーラの視界の端に、咲いた魔族たちが映り込む。

あれを見て平常心でいられるはずがない。

「セーラちゃん……」

彼女の気が散っていることは、顔を見ただけでわかる。

ネイガスが自分の名前を呼ぶと、セーラは「ごめんっす」と俯き謝った。

「辛い気持ちはわかるわ、でも彼らを救うために、今は私のことだけを考えて」

「わかってるっす……わかってるんすけど……こうも うるさい(・・・・) んじゃ、なかなか難しいんすよ」

「……うるさい?」

確かにツァイオンとジーンの言い争いはうるさいかもしれない。

彼らに注意しようかと振り向くネイガス。

だがそのとき、ちょうどジーンが動き出した。

「フリージングフォグ」

白い霧が、彼に迫る花の 背中(・・) にまとわりついた。

すると霧に触れた部位が氷結する。

花と化した魔族たちは、背中から伸びる骨のような茎を伸縮させて移動している。

その結合部を凍らせれば動けなくなるはずなのだ。

霧が発生したのは一箇所だけではない。

ジーンに近付こうとしていた十体以上の花の背中が凍り、ぴたりとその場で動きを止めた。

「やるじゃねえか!」

「どうだ、これが頭を使うということだ。もっとも、天才である僕だからこそうまくいったわけであって、貴様のような単細胞には――」

得意げにぺらぺらとしゃべるジーン。

だが、そこで二人に迫るばかりだった果実の動きに変化が生じる。

凍結した部分を包み込むように、集まりだしたのだ。

そして――ばちゅっ! と果汁を撒き散らしながら、次々と破裂しはじめる。

するとそこで生じた熱が、霧の作り出した氷を溶かしていった。

体の自由を取り戻した花たちは、すぐにジーンへの攻撃を再開する。

「おい、氷が溶けたぞ!」

「この天才の施しを拒絶するとは、魔族とは――いや、オリジンとはここまで愚かを極めていたか!」

確かにうるさい。

だがネイガスには、セーラが聞いているのは二人の声では無いような気がしていた。

「違うっす、おらは……そんなつもりじゃ……でも、それでもっ!」

「セーラちゃん、誰と話してるの? ねえ、セーラちゃんっ!」

必死で呼びかけても反応はない。

最初は聴覚だけだったはずだ、しかし今は目もうつろで、ネイガスが何を言っても届いていないかのようだ。

認識している世界のチャンネルがずれている。

そこにいるようでそこにはいない。

彼女は一晩をこの町で過ごした。

果実を口に含むことはなかったが、そもそも神樹はそれ以前から住民たちに影響を与えていたし、細かな飛沫だって舞っていたに違いない。

それらを媒介として―― あちら側(・・・・) に、引きずり込まれたのだ。

◇◇◇

真っ暗な空間に、木の根を束ねて作られた椅子が二脚、配置されている。

その右側にはクーシェナが、左側にはセーラが腰掛けていた。

目の前に浮かび上がる景色は、おそらくクーシェナの記憶を再生したものだろう。

望まれずに生まれてきた子供たち。

欲望の薄い魔族だが、個人差はある。

人並み、人以上――そういった物が生まれる確率は低いにしても、ゼロではない。

欲にまみれ、溺れ、他者を顧みない醜さの権化は、クーシェナとミナリィアの姉妹はもちろんのこと、町の住民にも暴虐の限りを尽くした。

「私も、父が憎まれるのは当然だと思ってた」

ここは意識の世界だ、だからクーシェナも普通にしゃべることができる。

初めて聞いた彼女のまともな声は、現実世界で受けた印象よりもかなり落ち着いているように感じられた。

「だからその娘である私が憎まれるのも、たぶん当たり前のこと――みんな、そう思ってるの」

当たり前。

常識。

善悪の区別すらなく、思考が入り込む余地すらなく、そうしなければならないこと。

「セーラは、誰が悪で、誰が善だと思う?」

何気ない、けれど重い問いかけに、セーラは首を横に振る。

「おらには、善悪を決める権利なんて無いっす」

「そう、誰にだってそんなものはない。私だって、妹だって、今こうして町が狂ってゆくことを正義だとは思っていない。でも……どうしたらよかったのかな」

まるで物語のように映し出された映像を見て、目を細めるクーシェナ。

ちょうど今は、両親が死に、二人が町の住民から暴力を振るわれているシーンだった。

笑いながら年端も行かぬ少女を殴り、蹴飛ばす彼らの顔は、一様に笑っている。

誰も止めようとはしない。

全員が同意すれば、法はその場で成立する。

すなわち、 常識(・・) の出来上がりである。

集団心理は倫理観より尊いのだ。

セーラもクーシェナと同じようにそれを眺めていたが、直視するには辛すぎるのか、両手で椅子の端をきゅっと握っている。

「普通に生きたいと願った女の子二人を監禁して、暴力を振るって、犯して、笑った彼らを殺すことは、そんなに間違ってる? 止められなきゃならないほどの悪?」

薄ら笑いを浮かべ、隣で苦しむ少女を見つめるクーシェナ。

「セーラがどうやって私たちを生かそうとしているかはわからないけど、もし生き残ったとして、私たちに待っているのは今まで以上の地獄だよ」

憎しみは止まらない――いや、それどころか、自分たちを化物に変えたミナリィアを町の住民はさらに強く憎悪するだろう。

仮にクーシェナに罪はないとしても、 ついで(・・・) に彼女も虐げられるに違いない。

ちょうど、目の前に映し出される光景のように。

それは――まだ幼いセーラが見るには、あまりに刺激的すぎる映像だった。

ネイガスと関係を結んでいなければ、頭がおかしくなっていたかもしれない。

「町のみんなにとって、私たちは魔族なんかじゃない。殴るのにちょうどいいだけの砂袋に過ぎない。どんなに苦しませたって、何なら殺したって罪にはならない。なぜなら、私たちはあの男の血を引いているから」

「それは免罪符にはならないっすよ……」

「世間ではそうなのかもね。でもこの町ではそれがルールなの。どんなに歪んでいても、みなが認めれば、それは規則として成立する」

感情は時に法よりも優先される。

それが一人のものであるなら、大勢に否定されて潰されるだろう。

だが全員がその感情を肯定したとき、その行為は大義名分を得てしまう。

社会的な正しさを帯びるのだ。

「それでも、セーラは私たちを生かそうと思う?」

「……死が、正しいとは思えないっす」

「どうしようもない魔族たちだよ、あいつらは。私たち姉妹も、今以上に苦しむことになるのに」

「それでも、おらは……道を見つけることを、諦めたくないっす。クーシェナとミナリィアには幸せになって欲しいっすし、おらを助けてくれた町の魔族たちの善意が、いつか自分たちの行いを正してくれることを期待したいっす」

「いい子なんだね、セーラは。ううん……きっと、幸せな世界で生きてきたんだ」

でも私は違う――クーシェナはそう言いたげだ。

「終わらせてよ、もう。たぶん話したってわからないから。幸せにしたいって言うんなら、それが最善だってどうしてわかってくれないの?」

「オリジンは……終わらせてくれないっすよ。こうしてクーシェナとは話ができてるっすけど、ミナリィアはどこにいるんすか? 他の魔族たちはどこでどうしてるんすか!? 単純に消えたわけじゃないはずっす!」

「でもそれは、私たちにとって、現状維持以上に幸せなことじゃない? 苦しいことからは解放されて、意識は別の何かに塗りつぶされて……消滅に近い状態。これまでがマイナス。消滅はゼロ。つまり、今までより遥かにプラスになるの。そして私たちを犠牲にプラスを食い散らかしていた町の連中もまた、ゼロの地平に消える」

彼女は昏い復讐心を満たし、歯を見せて口角を釣り上げた。

セーラの背筋にぞくりとした寒気が走る。

「私ね、事情は知ってるんだ。つながったあとに、たくさんの声を聞いたから。私もさっきまではその一部になって、自分が自分じゃなくなる感覚を甘受してた。けど正直、オリジンがどうとか、世界が滅びるとか、どうでもいい。どういう形であれ、今のこの町が消えて、私たちも私たちじゃない別のものに変わり果てることができれば、それ以上に幸せな結末なんてないよ」

彼女の諦観は、すでに悟りの境地にまで達している。

もう言葉は届かないのではないか、そんな考えがセーラの脳裏をよぎった。

否――再び彼女は首を振る。

なぜ自分はフークトゥスに戻ってきたのか、何のために大事な人たちを巻き込んでまで。

ここで折れるわけにはいかない。

「ミナリィアは、消えることを望んでないっす。クーシェナと一緒に静かに生きたいって言ってたっす!」

「優先すべきは消えること。父が作り出した悪夢もろとも、全て消えてしまうべきだと思う」

「そんなことしなくても、悪夢から抜け出す方法はあるはずっす」

「あるとか、どうにかなるとか、さっきから根拠のない希望ばっかり」

「そうかもしれないっすけど……それでも、どうにか、なるはずなんすよ……!」

未来は、あまりに暗い。

諦めようと思えば簡単だ。

しかしセーラは、そうはしなかった。

これまでも、そしてこれからも。

「生きてさえいれば、手遅れなんてことは無いはずなんすよっ!」

「綺麗事だよ。どうにかなるって言ったけど、本当にそう思う? 私が産んだ誰が父親かもわからない子供を、目の前で首をねじって殺す連中と、私たちが和解できるとでも?」

ちょうどそのシーンが、セーラの目の前で流れている。

吐き気がするほど凄惨な光景だ。

それでも、町の住民は笑っている。

それが正しいことであると疑わずに、泣き叫ぶクーシェナを前に、まるで喜劇でも見るように腹を抱えて笑っている。

「……っ、和解は、無理っすよ。それぐらいおらにもわかってるっす。お互いが気持ちよくわかり合ってハッピーエンドなんてありえないっすよね。でも、全部消えて終わりなんて、そんなの誰が望んだ結末でもない、ただオリジンの思惑に乗っかって思考停止してるだけっす!」

「幸せに生きてきた人間の子供にそんなことを言われても、どう信じろって言うの?」

「おらが……幸せに生きてきた、っすか。さっきも同じこと言ってたっすね」

不幸自慢はあまり好きじゃない、だからセーラは黙ってきた。

しかし、そのせいで言葉が薄っぺらく聞こえるというのなら、仕方あるまい。

「おらだって、裏切られたことぐらいあるっすよ。小さい頃に、故郷の人たちや家族を魔族に殺されたっす」

クーシェナは少し意外そうな顔をして、セーラの方を見た。

「そこから救ってくれたのは、オリジン教っていう組織だったっす。助けてくれただけでなく、育ててくれて、魔法の使い方も教わって、新しい家族もできたっす。ずっと感謝して、これから先も、尽くしていこうと思ってたっす」

少なくともフラムと出会い、エニチーデへ向かうその前までは、そう信じてやまなかった。

確かに一部は腐敗していたけれど、それもいずれ、恩返しの延長線上で消していけるはず――そう、思い込んでいたのだ。

「でも本当は……教会と魔族はつながっていて、おらの故郷を滅ぼすように指示を出したのは、教会そのものだったんすよ」

「そう、だったんだ」

「大好きだったお兄さんたちも、教会で出来た新しい家族も、おらが信じてきたもの――オリジンや教会のせいでみんな死んで、もう、何を信じていいのかわかんなくなることが、たくさんあったっす」

それは十歳の少女が背負うにはあまりに重すぎる運命だった。

セーラの心が強くなければ、とうの昔に彼女は壊れていただろう。

彼女より前に壊れた、もうひとりの聖女のように。

「でも……今は、あれほど憎んでいた魔族とわかりあえて、希望を得ることが出来たっすよ。ネイガスのおかげで、前に進むことができてるっす」

セーラがここまで来ることができたのは、彼女自身の強さだけではない。

いくつもの別れに心を砕かれた分だけ、いくつもの出会いが彼女を支えてくれたのだ。

「どうにかなる、って。挫けそうでもそう信じ続けたら、どうにかなったっす。何度も心が折れそうになったっすけど、諦めなければ道は続いたっす!」

「やっぱり、私たちとは違う。セーラには“出会い”という名の幸運があった。でも私たちには……」

映像は弱りゆくミナリィアを映し出している。

クーシェナは歯の無い口で、必死に彼女を励ましていた。

それでも、町の住民は誰ひとりとして救いの手を差し伸べない。

嘲笑い、二人に――かつての暴君の姿を重ね、復讐を続けている。

うなだれるクーシェナ。

セーラは立ち上がると彼女の前に立ち、その手を強く握って真っ直ぐ伝える。

「おらと出会えたじゃないっすか!」

自分で言っておいて少しだけ恥ずかしい。

けれど今のクーシェナには必要な言葉だ。

「おらは、絶対にクーシェナたちを助けてみせるっす。そして一緒に、新しい道を探すっす! 今までは誰も手を差し伸べなかったかもしれない、でもこれからは違うんすよ!」

「セーラ……」

きっと彼女だって、細かい部分では納得できていない。

ただ勢いで押しているだけだ。

それならそれでいい。

押せるうちに、彼女の心を少しでもポジティブな方へと引き戻す。

「善と悪を決めつけたり、誰かの選択を間違ってると断ずることができるほど、おらは偉くないっす。でも……一つだけ、例外があるっす」

「それは、何?」

クーシェナの興味がセーラの言葉に向く。

だからこそ、セーラは自信を持って言い切った。

「このままオリジンに身を委ねて終わることだけは、絶対に間違ってるっす!」

その迷いの無さは、きっとクーシェナにも届いているはずである。

「ひょっとすると、クーシェナにはオリジンの見せる救いが、心地よいものに見えてるかもしれないっす。そうやって、オリジンはいつだって、手遅れになる直前の人の心につけ込むんすよ。本当はまだどうにかなるはずなのに、救いを見せるフリをして、神を気取って、わずかな可能性すら壊していくっす」

そうやって命を落とした人が、今まで数え切れないほど存在する。

セーラの身近な人だって、そのうちには含まれていた。

ゆえに言葉には実感が籠もっている。

「そのせいで命を失った人や、悪夢から抜け出せなくなった人が、たくさんいるっす。けど……クーシェナとミナリィアは、まだ手遅れなんかじゃないっす」

ギリギリの崖っぷちだ。

あと一歩後ずされば、この姉妹は終わっていたかも知れない。

その瀬戸際だからこそ、セーラは必死に言葉を紡ぐ。

「その先に幸せがあるって保証はできないっす。おらは神様でも聖女様でも無いっすから。でも――」

一旦握っていた手を離し、力強く意思を込めて相手の瞳を見つめる。

そして、最後の選択を彼女自身にさせるため、手を差し伸べた。

「おらを信じて、この手を取ってくれれば、今よりは光のさす未来を見せられるっすよ?」

おそらくクーシェナは、オリジンがセーラの心を折るために差し向けた刺客だった。

「光のさす、未来……」

「そうっす! ミナリィアも一緒に、これまでとは違う毎日を過ごすっす!」

「そんなものが……本当に、あるの?」

「あるっす。目の前に、あと一歩踏み出せば見えてくるはずっすよ」

しかし、セーラの信じ続ける心は、そんな思惑すら乗り越えてゆく。

「私は……私、は……」

クーシェナの手が、葛藤に震えている。

だがゆっくりと前に動き出し、セーラの手に指が触れ――手のひらを重ねようとした。

「……ありがとう。ごめんね」

「クーシェナ?」

パンッ!

首をかしげるセーラの目の前で、クーシェナの意識は風船のように弾け、消えた。

生々しく魔族の肉体が破壊される様が再現され、根で作られた椅子にべっとりと血液がこびりついている。

「クーシェナ、クーシェナあぁっ!」

叫んでも虚しく反響するだけで、返事はない。

誰がやったかなど、考えるまでもなかった。

セーラは天を見上げ、絶叫する。

「オリジン……お前はああぁぁぁぁぁあああぁっ!」

答えはなくとも、オリジンは笑っているように感じた。

あれは、そういう存在なのだ。

「手遅れになるまで堕ちた人間なんて、ごく一部しかいないっす」

拳を握り、腕を震わせながら、セーラは絞り出すように吐き捨てる。

「だったら、たくさんの人間を繋げたとして、それで出来上がる意識が、こんなに邪悪なものになるはずがないっす……!」

趣味も嗜好も醜悪で、生命を愚弄するものばかり。

仮に世界の平和のために命を奪っていたとして、そこまで冒涜する必要は無いはずなのだ。

「オリジンっ! お前の奥底にある“個”こそが――それこそ、お前が嫌って、この世界から滅ぼそうとしている生き物の醜さそのものじゃないっすか!」

確かに誰もが醜い心を持っているかもしれない。

教会の裏切り、ディーザの所業、その他にも様々な口にだすのも憚れるような悪意が、この世界にははびこっている。

しかしオリジンさえ存在しなければ、そのうちのいくつかは、この世に存在しないものだったかもしれないのだ。

「お前に、この世界の命を自由にする権利なんて……ぐうぅぅっ!」

激しい頭痛が、セーラの言葉を遮った。

果実を口にしていれば、とうに肉体は異形と化し、完全に意識も乗っ取られていただろう。

しかしこの町に滞在したことで浸透した神樹の一部は、確実に、少しずつ彼女の脳を食んでいく。

彼女が戻りさえしなければ、魔法が完成することはない。

オリジンにしてみれば、この町を放置して先に進んでくれるのが最善だったが、攻め込んでくるのならそれでもいい。

ミナリィアのコアを破壊し、町の住民がみな死ねば――それでオリジンの目的は果たされるのだから。

「こんな……ところで……」

「……ちゃん」

どこからか声が聞こえる。

記憶の再生すらなくなり、完全な闇に包まれた空間の中、セーラはよろよろと、その声のする方へと歩き出した。

「セー……ちゃん……」

「ネイガスが……呼んでるっす」

ここは意識の中にある、隔絶された世界。

果実――すなわちオリジンの力で繋がれた者同士はともかくとして、他者が入り込む余地などない。

しかし確かに、セーラの耳にはネイガスの声が届いていた。

それはオリジンでは止められない、生命と生命を、個と個を繋ぐ感情。

他を否定する彼には理解できない、常識すら凌駕する想いの奔流。

「セーラちゃん……っ」

「ネイガス、ネイガスっ!」

狂おしく求め、手をのばす。

するとセーラの目の前に光が現れ、やがて“白”が視界を埋め尽くし――

◇◇◇

「セーラちゃんっ!」

「ネイガスぅっ!」

意識を取り戻したセーラが自分の名前を呼んだ瞬間、ネイガスは彼女の体を強く抱き寄せた。

そして口づける。

何度も、何度も、彼女の存在を確かめるように。

「ん、ふ……よかった、戻ってきてくれたのね」

「ネイガスの声が聞こえたっす。それだけ、おらのことを強く想ってくれたってことっすね」

「もちろんよっ、ありったけの愛を込めたわ!」

恥ずかしげもなくネイガスは言った。

するとついに肉弾戦を始めるしかなくなったジーンが八つ当たり気味に愚痴る。

「おいそこの二人、いちゃついてる暇があったらとっとと準備を進めろっ! こっちはもう限界が近いんだよ!」

「ネイガスたちに言ったって仕方ないだろ、まだフラムの方も終わってねえんだぞ!?」

ツァイオンの体も傷だらけだ。

だが戦い方も、ジーンよりは様になっている。

「クソがっ、どいつもこいつも僕の足を引っ張りやがって!」

「てめーもオレの足を引っ張ってんだろうが、さっきから何回助けられてんだよ!」

「仕方ないだろうが、僕は考えながら動いてるんだ。脊髄反射だけで動く脳筋魔族と一緒にするな!」

「オレだって好きで素手で戦ってるわけじゃねえんだよぉおおおおッ!」

叫びながら、両腕に絡みつく触手を振りほどくツァイオン。

そんな二人のやり取りは、すっかり自分たちの世界を作り上げたセーラとネイガスには届いていない。

「セーラちゃん、なんか私、今ならできそうな気がする」

「おらもっす」

二人は見つめ合い、正面から指を絡め合う。

迷いを断ち切ったセーラと、最初から信じ続けたネイガスの心が通じ、さらにその奥にある魔力までもが触れ合った。

「セーラちゃんの魔力、とっても温かいわ」

「ネイガスの魔力は、優しいっすね」

互いの肉体に流れる、五感では察知できない温度を確かめつつ、二人は深く魔力を結びつけてゆく。

◇◇◇

「はあぁぁぁぁぁああああっッ!」

フラムの 気想剣(プラーナブレイド) が、幹の中央を深く切り裂いた。

傷口はすぐに塞がろうとするが、すかさずリートゥスが腕を挿し込み、力尽くで広げる。

「見えたっ!」

胸にコアを宿したミナリィアの姿が、開いた溝の奥に現れる。

フラムはそこに手を伸ばすが――

「ダメですフラムさん、また閉じてしまいます」

届くより先に、傷がふさがってゆく。

リートゥスが“また”と言っていたのは、これが初めてではないからだ。

気想斬(プラーナブレード) をフラムが使いだしてから、神樹は形勢が不利になったと判断したのか、守りに徹しはじめた。

あるいはセーラとネイガスがやろうとしていることに気付いた上で、時間稼ぎをしていたのかもしれない。

以後、何度もフラムはコアが見えるところまでは相手を追い詰めたが、手をのばす前に傷がふさがってしまい、触れられずにいた。

「まだ……行けるッ!」

「背後からも敵が来ています、これ以上は危険です」

「いや、もう時間をかけていられない。セーラちゃんたちのためにも、まずは私が、あのコアを破壊しないとッ!」

花から伸びた臓物が、フラムの背中に触れる。

しかし鎧を貫くことはできず、諦めたかと思えば――その隙間からぬるりと入り込み、むき出しの素肌を貫く。

「づっ……ぅ……ああぁぁぁああっ!」

「フラムさんっ!」

フラムには焦りがあった。

だが、冷静さを失ったわけではない。

「これぐらい、今までだって味わってきた。だから平気。全然、痛くないッ!」

確かにエンチャントのおかげで痛みはあまりない。

だが、再生能力の無い今、負った傷が癒えないという恐怖はあった。

鎧の隙間から入り込み、体内をうぞうぞと蠢く他人の臓物の感覚。

吐き気がする。

腰が引けそうになる。

けれど――フラムは自分に言い聞かせるのだ、『思い出せ』、『思い込め』と。

魂喰いはもう無い。

だが、あると思えば。

以前の、自らの肉体を顧みないような無茶が――できるはずなのだ。

「ふううぅぅぅ……っ」

まったく同じようにとはいかない。

それは誤魔化しにすぎないのだ、心の奥底では臆病な自分が震えて膝を抱え込んでいる。

それでも、やらなければ。

目の前の少女を救ってみせなければ。

それは一種の願掛けである。

ミルキットが生きているのだと信じるために――この奇跡を、自らの手で掴み取らなければならない。

しかし傷は閉じていく。

見えたコアが、遠ざかっていく――

「はあぁぁぁぁぁああああああああッ!」

ちまちま斬っているだけじゃ届かない。

多少の犠牲は払ってでも、威力の高い一撃を打ち込まなければ。

左手に、幾度となく作り出してきた 気想剣(プラーナブレイド) を握り、狭くなる裂け目に挿し込む。

そこで、剣を通してプラーナを注ぎ込むのではなく、プラーナの塊である剣そのものに――反転の魔力を満たした。

内側と外側が入れ替わる。

その結果、起きるのは――剣の破壊、その際に生じる爆発的な衝撃。

ゴオォオオオオッ!

吹きすさぶ風。

粉々に砕けた 気想剣(プラーナブレイド) が、神樹だけでなくフラム自身にも牙を剥く。

風圧によろめき、頬にいくつもの傷を刻みながら、フラムは再び開いた裂け目――その先にあるコアに、右手を伸ばした。

今度は、届いた。

閉じゆく傷口が彼女の腕を押しつぶそうとするが、触れてしまえばこちらのもの。

「 砕けろ(リヴァーサル) ッ!」

パリィンッ!

フラムの魔力によって、ミナリィアのコアが砕け散る。

すると神樹と少女の同化は解除され、フラムの方に倒れてきた。

どうにか彼女の肉体を支える。

しかし同化していた手足や背中はズタズタで、原型を留めておらず、このままでは失血死してしまうだろう。

他の魔族たちも同様に、オリジンの支配から逃れても、開いた肉体はそのまま元には戻らない。

「ああぁぁぁあああっ!」

「ぎゃっ、あがっ、おぉあああああっ!」

「た、たひゅっ、け……えぇっ……!」

地面に倒れた住民たちが、苦しげにのたうち回る。

大半は意識を失っていたが、聞こえてくる一部の声だけでも、地獄にいるのかと錯覚してしまうほど壮絶だった。

見上げると、あれほど緑が生い茂っていた神樹が、一気に枯れていく。

「セーラちゃん、ネイガスさん、あとはお願い……ねっ!」

それを見届けたフラムは、ミナリィアを地面に寝かせると、重力を反転して高く飛び上がった。

二人の回復魔法が町全体を覆うというのなら、回復を反転してしまうフラムは遠くへと逃げなければならない。

「難儀な体質ですね」

「まったくですよ」

リートゥスの言葉に、フラムは苦笑いを浮かべるしかなかった。

◇◇◇

ツァイオンとジーンを追い詰めていた花たちが、一斉に動きを止める。

さらに果実から生えていた指も消え、ようやくただの果物へと戻った。

「終わった、のか……?」

「フラムのやつめ、遅すぎるんだよ!」

恨み言をこぼしながら、肩で呼吸をするジーン。

なんだかんだで彼も、最後は頭を使わず脊髄反射で戦うしかなかったようである。

そして完全に互いの魔力をつかんだセーラとネイガスは、ついに魔法の発動を開始した。

「これ、ほとんどネイガスの魔力ばっかりっすね。やっぱりすごいっす」

魔族の中でも有数の実力者であるネイガスと、セーラの魔力の差は歴然としている。

指を絡めあい、互いの力を感じあえる、それがより顕著に感じられた。

「でも私一人じゃみんなの傷を癒やすことはできないわ、セーラちゃんがいてこそよ」

「持ちつ持たれつ……なんか恥ずかしくてくすぐったい気分になるっすね」

「素敵じゃない、夫婦みたいで」

ネイガスが微笑むと、セーラははにかむ。

「さあ、そろそろやるわよ」

「了解っす!」

もはや不安は無かった。

方法は、一度コツさえつかんでしまえば、とても単純明快だ。

けれど昨晩結ばれていなければ、こうはいかなかったかもしれない。

かと言って二人がジーンにあえて感謝することは無かったが――それも含めて、二人の意識が同調する。

『エンゲージ・ホーリーウィンド』

セーラとネイガスは見つめ合いながら、声を合わせ、心を合わせ、魔法を発動させた。

魔力が混ざり合い、調和し、一つの力となって、フークトゥスの町を包み込むように、ぶわっと広がっていく。

光の粒子を乗せた暖かな風が吹き、二人の方を見ていたツァイオンとジーンの髪が逆立つ。

「これは……すげえ、あっという間に傷が治っていく……!」

「ふっ、成功したようだな。やはり僕の理論は正しかった、くはははっ!」

先程までの不機嫌さはどこへやら、ジーンは高らかに笑う。

ツァイオンはそんな彼を呆れながら見ていたが、その視線はすぐに開いたまま倒れていた住民の方へと向いた。

ただ血を垂れ流し、呻くだけだった住民たちの肉体が、時を巻き戻すかのように治っていく。

上位回復魔法であるリカバーに匹敵するほどの治癒能力である。

それだけの魔法が、町全体をすっぽりと覆っている。

距離が遠ざかっても性能が減衰することはない。

善も悪も問わない。

優しく、しかしある意味で残酷に、全てを癒していく。

救われたのは花だけでない。

広場に横たわる、ミナリィアの傷も当然治癒されていた。

また、フラムがコアを破壊するときに背後から襲ってきた花――実はそれこそがクーシェナの肉体だったのだが、彼女も元の魔族の形に戻っている。

もっとも、以前から失われていた歯だけは戻らないが。

そして、その絶大な効力と引き換えに、魔力が枯渇したセーラとネイガスは、強烈な倦怠感で立つことすらままならなくなっていた。

よろめくセーラを、どうにか支えるネイガス。

しかし彼女も限界を迎え、二人は揃って膝をつき、そのまま地面に横たわる。

「……うまく、いったんすかね」

ここからでは町がどうなったのかを見渡すことはできない。

少なくとも周囲にいた住民は救えたし、神樹は枯れ果て、果実も朽ち、以前のように他者を操ることはできなくなったようだが。

「いったに決まってるじゃない、私とセーラちゃんが心を一つにして頑張ったんだから」

「実質、根拠ゼロっすね」

「こんな関係になっても毒舌なのね……」

「ふふっ……でも今は以前と違って、本当にネイガスが言ってる通りに思えるから不思議っす……」

ネイガスさえいれば、セーラさえいれば――二人は、心の奥底からそう思う。

愛おしげに互いの頬に手を伸ばし、手のひらにぬくもりと柔らかさを感じる。

その心地よい感触に導かれるように、まぶたが重くなり、意識は深いまどろみへと落ちていく。

「あの二人、寝ちまったみたいだな」

「当然だろう、これだけの魔法を行使したのだから。調和魔法を自由自在に使いこなせるのは、やはりこの天才ジーン・インテージだけのようだ!」

「オレらも普段から使ってるって言ってたじゃねえか……ほんとめんどくせえ方向に熱いやつだなお前」

「さあ用事も終わった、僕たちはさっさとそこの二人を連れて今度こそ先に進むぞ」

「いや無理だろ」

ツァイオンは冷静に突っ込んだ。

「なぜだ? 町の魔族どもを救えば先に進むと前もって言っていたはずだが」

「じゃあお前、 三人(・・) を担いだままキマイラに襲われても勝てるのかよ?」

「三人……?」

ツァイオンは無言で、広場の方から明らかに青ざめた顔で、よろよろと近づいてくるフラムを指した。

彼女の背中から伸びる腕は、二人の少女を掴んでいる。

もちろん、クーシェナとミナリィアである。

「いや、五人だな」

「それならフラムに任せればいいだろう」

「あの様子じゃ無理だろ……」

視線の先で、フラムが顔面から地面に倒れ込む。

「ほら見ろ、倒れたぞ」

「……」

無言で頬を引きつらせるジーン。

再生能力のないフラムがあれだけ血を失ったのだ、気絶してしまうのも仕方のないことだった。

「五人ということは……よもや貴様、あの魔族の餓鬼まで連れて行くつもりではないだろうな?」

「それは彼女たちが目を覚ましてから聞けばいいだけの話ではないですか」

ぬるりとジーンに近づいたリートゥスが言った。

「リートゥス、貴様まで!」

「あなたは天才なのですよね? でしたら、旅の道連れが二人増えたところで何ら問題ないはずです。それとも、あなたの頭はせいぜいその程度の出来でしかなかったということでしょうか? 天才だ天才だと自称するので期待していたのですが、がっかりですね」

リートゥスのあまりに露骨な挑発。

ツァイオンはわざとらしすぎる演技に頬を引きつらせている。

無論、そんなものに釣られるジーンではない。

「見え透いた挑発だなリートゥス。だが不可能だと認めるのも癪だ、今回は大目に見てやる」

「さすが天才です、心も広いんですね」

「あんまりふざけていると無理矢理にでも成仏させるからな」

「できるものなら」

そう言って微笑むリートゥス。

元魔王なだけあり、彼女も相当に肝が据わっているようである。

◇◇◇

ドンドンドンドンッ! と部屋の入口が外側から激しく叩かれる。

壁に背中を預けていたツァイオンは、眉をひそめてドアを睨みつけた。

「ったく、いい加減に諦めろっての」

ぼやいても音は止まらない。

幸い、ジーンがドアを凍らせているため、破壊は不可能だが、うるさいものはうるさいのである。

意識を失った五人を連れてツァイオンとジーン、リートゥスが入ったのは、近くにあった宿屋の一室だった。

二つしかないベッドには、少女たちが窮屈そうに寝ている。

フラムの背中の傷はどうにか止血できたようで、上半身がまるでミルキットのように包帯でぐるぐる巻きにされていた。

そのまま適当に寝かせて意識を取り戻すのを待っていたわけだが――彼女らが目を覚ますより先に、住民たちが復活してしまった。

あれだけ盛大に操られ、体を変えられていたのだから、もちろん 犯人(・・) が誰かはわかっている。

彼らにとってクーシェナとミナリィアは虐げられるべき存在であり、そんな彼女たちに危害を加えられた住民たちは、それはもう激昂した。

鼻息荒く、『見つけたら可能な限り苦しめて殺してやる』と心に決めて捜索し、結局は消去法でこの宿にたどり着いたらしい。

おそらくドアの向こうには、武器代わりに農具を持った魔族たちがひしめいているのだろう。

ジーンは「はあぁ」と盛大に溜息をつくと、数分前に意識を取り戻した姉妹を睨みつけた。

「これからどうするつもりだ?」

「決めてないよ、生き残るとは思ってなかったから」

「おらは、町の外に出た方がいいと思うっす。でもその前に、一度は町の魔族たちと話した方がいいと思うんすよ」

「わかいは、ふい」

歯のないクーシェナが、目を細めながら言った。

どうやら『和解は無理』と主張しているらしい。

同じく目を覚ましたばかりのセーラが言う。

「それはわかってるって、あのときも言ったっすよ。必要なのは和解じゃないっす、きっと、悪い夢を終わらせる区切りが必要だと思うっす」

「悪い夢って……何?」

まだ意識がぼんやりとしているフラムが尋ねると、セーラは困った表情を浮かべた。

「なんていうか……たぶん、この町のみんなにとって、暴君による統治はまだ終わってないんすよ」

「そいつらの父親はとうに死んだと聞いたが」

「それはそうっすけど……」

「私は、セーラちゃんの言いたいことがわかるような気がするわ」

ネイガスがフォローに回ると、セーラは嬉しそうな顔になる。

その甘い空気にジーンは、うんざりといった様子で頭を抱えた。

「んで、こいつらはどうすんだよ。逃げようと思えば窓の方から飛べるが、それじゃ嫌なんだろ?」

「おらが説得してみるっす」

「無茶だよ、私たちが何をされてきたのか見たんだよね?」

「それでも、クーシェナとミナリィアを生かしたのはおらっすから、ここはおらがやるべきだと思うっす」

ベッドから立ち上がったセーラは、毅然とした表情でドアの前に立った。

「ジーン。この氷、解除してもらってもいいっすか?」

「本当に大丈夫?」

「フラムおねーさん、心配ありがとうっす。できるかどうかはわかんないっすけど、できるだけやってみるっす」

諦めれば、そこで終わる。

その言葉を何度も自分に言い聞かせ、意を決してドアノブに手をかけた。

するとジーンが魔法を解除し、ドアにまとわりついた氷が溶ける。

開かれた入り口。

その向こうに立つ住民は 鍬(くわ) を振り上げ、そしてセーラを見ると動きをぴたりと止めた。

先頭にいたのが、セーラを助けてくれたジツェイルとルゥラだったのが幸いだった。

もっとも、あのときは半分ほど果実に操られていたので、記憶が若干曖昧になっているようだが。

「君は……」

憤怒に歪んでいた表情が、次第に冷静さを取り戻していく。

しかし彼の背後にも住民は待機しており、ドアが開いたのに中に入ろうとしないジツェイルに業を煮やし、ナイフ片手にセーラに迫った。

「よくも俺らをあんな目に合わせてくれたな、死ねえぇぇぇぇっ!」

すると前に躍り出たフラムの拳が頬にめりこみ、その体を壁に叩きつける。

「落ち着いてよ」

無論、死なないようには調整しているが、意識は失ってしまったようだ。

その姿を見て、住民たちの血の気がさっと引いていく。

「……ごめんセーラちゃん、余計なことしちゃった?」

「いいやナイス判断だフラム。そんぐらいしねえと、頭に血がのぼって話どころじゃねえからな」

「ありがとうっす、フラムおねーさん」

つい反射的に動いてしまったが、結果的に良い方へと事態は転がったようだ。

「ここにいるみんなに、おらの話を聞いて欲しいっす!」

廊下に待機する全ての魔族たちに聞こえるよう、セーラは大きな声で言った。

「今日をもって、クーシェナとミナリィアは、この町から出ていくっす!」

突然の宣言に、町の住民たちはざわつく。

しかし次第にざわつきは罵倒へと代わり、心無い言葉がセーラに投げつけられた。

「ふざけんなっ!」

「そんなことを勝手に決めないで!」

「そいつらは罪を償わなきゃなんねえんだよっ!」

「私たちを傷つけておいて逃げるだなんて納得できないわ!」

「二人を差し出せ! 今日こそは殺してやる!」

憎悪に支配され、理性を失ってしまった魔族たちの声。

表情も、鬼のように歪んでいる。

セレイドに住んでいたネイガスやツァイオンには、信じがたい姿だった。

「確かに、みんなひどい目にあったかもしれないっす。でも、この二人には何の罪も無いじゃないっすか!」

「知った風な口を聞かないでくれッ!」

優しそうだったジツェイルが声を荒らげ、セーラはびくんと肩を震わせた。

「あの夫婦の血を引いている、この町ではそれだけでも十分に罪だ! むしろ、今まで生かしてきたことを感謝して欲しいぐらいだ!」

彼の意見に同調した住民たちが、「そうだ!」、「恩を仇で返すな!」などと声をあげる。

あまりの迫力に怯みそうになるセーラ。

その肩に、ネイガスが優しく手を置いた。

そして一言、「大丈夫、私もついてるから」と耳元で声をかけた。

セーラはしっかりと頷き、再び前を向く。

「暴君の血を引いてるのは、この町に住む魔族だって同じことっす!」

「なっ……」

突然の暴論に、言葉を失いかけるジツェイル。

「クーシェナとミナリィアにとって、ここにいる全員が暴君そのものじゃないっすか! やり方も、動機も、理不尽さも、これを暴君と呼ばずに何と呼べばいいんすか!?」

「ふざけたことを言うなぁッ!」

彼は脅すように、鍬を振り上げた。

だがセーラは微動だにしない。

真っ直ぐに、ジツェイルの目を見ている。

その実直さに、彼は振り下ろすのをためらった。

「そもそもの原因は、この町の暴君が、病気であっさり死んでしまったことっす。あまりに突然すぎる死に、誰もが“終わった”という実感を得ることができなかったんすよね。だから、暴君の身代わりが必要になってしまったっす」

処刑、あるいは少しずつ病気で弱っていた結果での死なら、未来は変わっていたかもしれない。

男が何の報いも受けず、信じられないほどあっけなく死んでしまったからこそ、クーシェナとミナリィアは代用品として使われることとなってしまった。

「でも、そのはけ口に二人を使ったところで、何も終わらないっすよ。苦しかったかもしれないっす、憎いかもしれないっす。けどそれを続ける限り、暴君の支配は終わらないっす!」

自分たちの中に暴君が生きている――それを誰もが、心のどこかで自覚していたのだ。

だからこそ、セーラの言葉で胸が痛む。

「ならば、私たちはどうしたらよかったんだ! 消えない傷を負った者がいる。家族を殺された者もいる。望まれずに生まれ苦しんでいる者もいる! だというのに、あいつはあっけなく死んだ! この空虚感を、どう埋めればよかったんだ!?」

「埋める必要が、あったんすか?」

「は……?」

「どうして、暴君が消えた穴を、埋めようとするんすか? 終わらせたかったはずなのに、終わらせられたはずなのに、どうして代わりを求めたんすか? それじゃあまるで、他でもないあなたがた自身が、暴君を望んでたみたいじゃないっすか」

ジツェイルは、言葉を失った。

セーラはそんな彼に、そして彼の後ろに立つ魔族たちに向けて、最後にこう告げる。

「傷は消えないっすけど、時間が経てば少しずつ小さくなっていくっす。それでよかったんだと思うっすよ。そうすれば、今ごろとっくに、辛かった日々は“過去”になってたはずっす」

もう何十年も前の話だ。

その後に生まれてきた子供たちに、『昔はこんなことことがあって大変だったんだよ』と語る親がいたかもしれない。

あるいは、『俺たちの時代はこんなに大変だったんだぞ』と威張る男がいたかもしれない。

それで、よかったのだ。

相手のいない復讐など、ただひたすらに不毛なだけなのだから。

「クーシェナ、ミナリィア、そろそろ行くっすよ」

セーラは振り返り、姉妹に声をかけた。

二人は立ち上がると、彼女の後ろについて部屋を出ていく。

残るフラムたちもそれに続いた。

廊下を塞いでいた住民たちは、セーラが近づくと自然と道を開ける。

もう、敵意を向ける者は誰もいない。

その空間には、ただひたすらに、虚しさだけが満ちていた。

◇◇◇

「ちょっと偉そうに言い過ぎたっすね」

フークトゥスから出た途端に、セーラは苦笑いしながら言った。

「ううん、ありがとね。私たち、あいつらのことなんて考えたことなかったから、セーラみたいに言い負かせなかったと思う」

「ひょっほ、すかっほひた」

「私も、聞いてて気持ちよかった。ずっと……もう何年も、こんな気持ちになってなかったな……」

クーシェナとミナリィアの目に、涙が浮かぶ。

「くうきも、おいひい」

「ん、そうだねクー姉。初めて吸う、外の世界の空気だ」

二人が町の外へと踏み出したのは、正真正銘、これが初めてである。

ただ息をするだけでも胸がいっぱいになる。

ミナリィアはセーラとネイガスの魔法により病からも解放され、いつになく体が軽いらしい。

意味もなく手を広げてその場で回ってみたり、ふざけすぎてこけそうになって、姉と笑い合ってみたり。

ただ歩くだけでも、知らなかった世界がそこには広がっている。

みなが微笑ましくその姿を見守る中、少し距離を取って歩くジーンは、全く別の方向を向いていた。

「まったく、時間が無いと言っているのに呑気なものだな。王国にたどり着くまでにもう半分近くも浪費してしまったぞ」

彼は空気を読まず愚痴る。

とはいえ、聞こえないように音量を控えめにしているあたり、多少は気を遣っているようだが。

「はっ、そうか、お前がそれでいいと言うのなら……」

その口ぶりは、まるで誰かと会話でもしているようだ。

「僕も、少しは茶番に付き合ってやってもいいかもしれないな」

そう言って笑い、指で眼鏡の位置を調整する。

彼の一連のつぶやきは、風に乗って消え、フラムたちの耳に届くことはなかった。