軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

106 宿り木

そいつ(・・・) を前にしたとき、フラムはチルドレンのことを思い出した。

コアを二つ体内に取り込み、命を犠牲にしてまで戦った子どもたち――その姿と、よく似ていたのだ。

筋繊維がむき出しになったように、束ねた脈打つ赤い糸で作られた人型の体。

出会ったときからすでに彼、あるいは彼女は、その姿だった。

元は魔族なのか、セレイドで見た魔族たちと似たような服を着ていて、その姿は妙に滑稽だった。

無論、フラムは無表情に見つめるばかりで、笑いはしないが。

おそらくその形のままで、南下して緑も増えてきたこの景色を歩いて移動し、偶然にもフラムたちに見つかってしまったというわけだろう。

「私は運がいい」

否、不運だ。

「ここでお前たちと出会えるなんて。一人でも殺せば、ディーザ様が褒めてくれる」

そのようなことが可能だと考えてしまう頭脳を持っていたことも含めて、不運なのだ。

声からして、女なのだろう。

だがフラムにとっては、性別など心底どうでもよかった。

元人間であろうこともどうでもよかった。

どうせ殺すのだから。

反省の意思も無ければ、助けを乞うわけでもない。

そんなオリジンの化物を生かす理由などない。

仮にあったとしても――殺す理由に比べれば、些細なものである。

「さあ始めましょう、せいぜい殺されないように逃げま――」

「黙って始めれば?」

フラムは瞬時に、その懐に潜り込み拳を握った。

「な……っ!?」

異形だろうが何だろうが関係はない。

フラムは腕に反転の魔力を満たし、拳で敵の腹を貫いた。

トドメ――かと思いきや、貫通はしているものの、手応えが無い。

それもそのはず、人の形を作っている脈打つ赤い紐は、解けてしまっていたのだから。

彼女の拳が貫いた部分は空洞になっている。

そしてばらけた紐は、それぞれが独立した蛇のように動き出す。

コアを運んでいるものは特に素早く、みるみるうちにフラムから離れていく。

「逃しません」

リートゥスの黒い腕が、コアを掴もうとアビスメイルの背中からいくつも伸びた。

フラムに襲いかかろうとしていた何体かは掴み、反転によってはぜたが、肝心のコアはするりとすりぬけてしまう。

「ちょこまかと気味が悪い動きねえッ! シェイドトルネード、イリーガルフォーミュラ!」

見かねたネイガスが魔法を発動。

風が、触れた物を溶かす黒き闇を巻き込みながら激しく渦巻く。

砂を巻き上げ威力を増すそれは、コアを運んで逃げる敵の体を囲み、逃げ道を塞いだ。

さらに徐々に範囲を狭め、追い詰めていく。

「おらよ、ド熱いこいつも追加だ! フレアメテオライトッ、イリーガルフォーミュラァッ!」

ツァイオンの作り出した炎球が、竜巻の真上から落下し、敵を押しつぶす。

ゴオォォオオッ!

それは地面に着弾し爆ぜると、内部を高熱で焼き尽くしながら、天高くまで紅色の柱を伸ばした。

風の渦はその炎を巻き込み、激しさを増してゆく。

二人のコンビネーションによって追い詰められる名も知らぬ敵――だがネイガスもツァイオンも、警戒を解くことはなかった。

気配が、消えていないのだ。

と、そのとき――

「エアバースト!」

まだ戦闘に参加していなかったジーンが、ふいに風の魔法を ネイガスの足元に(・・・・・・・・) 放った。

「きゃあぁっ!」

爆ぜる風に吹き飛ばされ、彼女は宙を舞う。

直後、地中から赤い紐が飛び出すと、回転しながら先ほどまで彼女の立っていた場所を通り過ぎた。

そして空振りすると、再び地中へと潜っていく。

「どうやら地中に逃げ込んだようだぞ」

「助けてくれてありがと。でも『後ろ』って言ってくれれば普通に避けられたんですけど」

ふわりと着地したネイガスは、軽くジーンを睨んだ。

事実、吹き飛ばす必要などなかったはずだ。

だが彼は悪びれず、平然と彼女の抗議を無視する。

「どこからでてくるかわかんねえってわけか……」

「コアもどこにあるのかわからないな、そのまま逃げられるかもしれん」

「だったら私が――」

フラムがガントレットに包まれた手を握りしめる。

同時に彼女から吹き出した殺気に、ジーンたちは背筋にぞくりとした寒気を感じた。

まだ言い切ってはいないが、何をしようとしているのかはわかる。

フラム以外の三人は、慌てて彼女の前方から移動した。

すると予想通り、彼女の拳は大地に叩きつけられる。

「逃げ道もろとも、ぶち壊す! 裏返れぇ(リヴァーサルゥ) ッ!」

ズドンッ、と腕力だけで地面を叩き割ると、彼女の魔力が前方の広い範囲に満ちていく。

その力は地面をお椀状にえぐり取り、裏表を反転させた。

上下が入れ替わった衝撃でひび割れた砂の隙間から、ちらりとコアが姿を現す。

「さすがねフラム・アプリコット。けれど私にもディーザ様の子供としての意地が――」

どこからともなく声が聞こえてきた。

だが彼女の意地になど、誰も興味がない。

言葉を言い切るより早く、ツァイオンが動いた。

「プロメテウス、イリーガルフォーミュラアァァァッ!」

地面から吹き出す炎で、百メートル四方を焼き尽くす火属性魔法、プロメテウス。

その範囲を狭め、威力に特化させることでツァイオンは敵をコアごと焼却しようとしていた。

しかし、紐の方には多少のダメージがあるが、肝心のコアは無傷のまま。

やはりあれを破壊できるのはフラムだけなのか。

また地中へと潜り込もうとする敵を見たフラムとジーンが、ほぼ同時に動いた。

「小賢しいぞ這いずる虫けらが。スワンプドラッガー」

接近するフラムを含むコアの周辺が、澱んだ空気に包まれる。

それは敏捷性を削ぎ落とす魔法。

範囲内に存在する全ての生物は、体に重さを感じるはずだ。

それは人の体を捨てた化物であろうと例外ではない。

しかし、フラムだけは別である。

むしろ彼女は加速する。

そして一気に接近すると、敵の本体ではなく、燃え盛る炎に手を近づけて――

「 凍りつけ(リヴァーサル) 」

その温度を反転させる。

パキンッ、と灼熱が氷点下の氷に姿を変え、一帯を氷結させた。

「オレの熱い炎が……凍っちまった」

がっくりと肩を落とすツァイオン。

そのおかげで逃げ回る敵を捕らえられたのだから、成果としては十分なはずなのだが。

オリジンの力によって強化された肉体なら、灼熱の中を突破することはできるだろう。

だが凍らされてしまえば、どんなに体が頑丈でも、すぐに身動きを取ることはできまい。

「ふぅ……」

フラムは息を吐き出し、右腕に力を込める。

散らばっていた他の部分が慌てて姿を現し、彼女を止めようとしたが、もう遅い。

「はああぁぁぁあッ!」

バリィンッ!

突き出された拳が、氷もろともコアを粉々に打ち砕く。

「あぁぁぁあああああああッ! ディーザ様ああぁぁぁぁあッ!」

鳴り響く断末魔に、フラムは「うるさいなァ」と吐き捨て露骨に顔をしかめた。

そして、地面に横たわるいくつもの残骸は、痙攣した後に二度と動かなくなる。

確認するまでもなく、それは絶命していたが、フラムはあえて歩み寄り、足の先で踏みつけた。

さらにぐりぐりとすりつぶし、両端から内側に溜まっていた血液が吐き出される様を冷酷に見下ろす。

その口元には、笑みが浮かんでいるようにも見えた。

ただ残虐なだけで無意味に見えるかもしれない。

けれど荒んで乾いた心が、少しだけ晴れた。

ならば今のフラムには、必要な行為なのだろう。

ネイガスは不安げな表情でフラムを見つめていたが、反転によってめちゃくちゃになった地面の中に、麻袋が落ちていることに気づく。

自分たちが使っているものではない。

おそらく先ほどの、ディーザの子供を自称する女の持ち物だろう。

拾い上げて中身を覗き込むと、ネイガスは「げっ」と声をあげ、露骨に嫌そうな顔をした。

「どうしたんだネイガス、マズイもんでも食ったような顔して。何が入ってたんだ?」

「コアがゴロゴロ入ってるのよ、さっきの女のだと思うんだけど」

「トーロスだったか? あの男のように、配って回っていたようだな」

わざわざトーロスの名前を出すジーンを、ツァイオンは睨みつけた。

本当は胸ぐらを掴んでやりたい気分だったが、どうせさらに煽られて、苛立つのがオチだ。

怒りをぐっと抑え込み、話を続ける。

「あいつが歩いてきてたのって、確か南東の方からだったよな」

「南東って何かあるの?」

「フークトゥス。魔族領南側じゃ最大規模の町よ、無事なら五百人ぐらいは住んでるんじゃないかしら」

「ですが、普通に歩けば三日はかかります。あなたがたならそこまではかからないでしょうが」

「あの化物が用事を済ませてここまで徒歩で移動していたとしたら、フークトゥスとやらは三日は危機に晒されていたわけだ。全滅は免れないだろうな」

デリカシーの無いジーンの言葉だが、あながち間違いでもない。

フラムがいるからこそ怪我人も出さずに排除できたが、ネイガスやツァイオンの魔法を耐え抜く化物など、普通の魔族では太刀打ちできないはずだ。

良くて全滅、悪くて――

「いや、むしろ全員が化物に成り果てている可能性もあるか」

「……考えたくありませんね」

フラムの背後に浮かぶリートゥスが、暗い表情で俯く。

「でも、私たちが次の集落に向かってる途中で遭遇したってことは、今から向かう場所は無事なんじゃない?」

「とっくに別の化物にやられているかもしれんぞ」

「あんたはどうしてそうも魔族を殺したがるわけ?」

「気にするだけ無駄だぞ、ネイガス」

「うん、無視がいいと思うよそんなクズ」

「おいフラム貴様、また僕にクズと――」

憤り、身を乗り出すジーンだが、そんな彼への対応も慣れたものである。

視線すら向けることなく、フラムは言葉を続ける。

「次の目的地はすぐそこなんだし、早く行って、無事を確認できたら、そのあとでフークトゥスにも向かおうよ」

「賛成だ」

「そうね、そうしましょう」

「また生きた魔族と会えるといいですね」

意思が一致した四人は、同じ方向へと歩き出す。

「待て貴様ら、まだ僕の話は終わっていないぞ! この天才たる僕に、まるで子供のいじめのような仕打ちをして許されると思っているのか!?」

ジーンは、大きな声でフラムの背中に怒鳴りつける。

彼女は「はぁ」と大きく息を吐き出すと、足を止め、振り返り言った。

「その子供のいじめ以下の行為をやってきたのは誰だっけ?」

「知るか、誰なんだ」

「……今まで自分がやってきたこと思い出してみたら?」

「僕は人生において正しいことしかしたことがない。他者を虐げたとしても、“子供のいじめ以下”ではないな。つまりさっぱり心当たりがない」

「じゃあ一生このままだと思う」

言い捨てて、再びフラムは歩き出す。

するとまたジーンはわめいたが、今度こそ誰も振り返ることはなかった。

◇◇◇

フラムたちが化物と交戦する二日前。

つまり 彼女(・・) がフークトゥスを出ていったその翌日、一人の少女――セーラ・アンビレンが町を訪れた。

目には生気が宿っておらず、足取りもふらふら、金色の髪もぼさぼさ、服も汚れている。

何より彼女は、人間だった。

魔族の町に人間が現れることなど滅多に――というか、今まで一度も無い。

しかも今は夜だ。

すれ違った魔族たちは、誰もが暗い町を歩く少女の様子を遠巻きに眺めていたが、やがて彼女は道のど真ん中で、顔から倒れてしまった。

さすがに意識を失ったとなると、放っておけるはずもない。

一組の夫婦が駆け寄り、話し合うと、夫が彼女の体を抱えあげた。

ベッドの上でセーラが目を覚ましたとき、その視界に写り込んだのは肌の青い、優しげな女性の姿だった。

魔族領をあてもなくさまよい、時折通りがかった集落で傷や病を癒しながら、フークトゥスの目前までたどり着いたことは覚えているのだが――そこからぷつりと、記憶が途切れている。

しかし、宿や誰かの家に泊めてもらう交渉をした覚えはないし、目の前の女性に助けてもらったことは、想像に難くなかった。

まずはお礼を告げなければ、とセーラは体を起こした。

頭はふらつくが、話せないほどではない。

だが女性は慌てて立ち上がり、両手でセーラを支えた。

「平気っす、体力には自信はあるっすから」

我ながらよくわからない理由だ、と彼女は思ったが、一応これで納得してくれたらしい。

心配げな表情はそのままだが、女性はひとまず腕を引いた。

「おら、もしかしてどこかで倒れてたっすか?」

「そう、うちの旦那があなたを抱えてここまで連れてきたの」

「本当に助かったっす、ありがとうございますっす」

「いいの、困った時はお互い様だから」

声を聞いていると安心するのは、喋り方がどことなくネイガスに似ているからだろうか。

言うなれば、変態性を取り払ったネイガス――

「……それは別人っすね」

「ん?」

「いや、なんでもないっす……なんでも」

首をかしげる女性と、自分で思い出しておいて寂しさに胸が締め付けられるセーラ。

ネイガスは自分を逃がすために頑張ってくれた、それは理解している。

しかし、そんなことをするぐらいなら、いっそ一緒に破滅してしまいたかった。

捨てられるのは、苦しい。

大事な人を失うのは、痛い。

何度味わったって慣れることは無いし、傷が消えることもない。

両親も、エドも、ジョニーも、教会のみんなも――失っただけ、積み重なっていくのだ。

そこにネイガスまで加わってしまったら、もう前に進むことなんてできない。

今はまだ『生きているかもしれない』と言い聞かせることで前に進めているが、そんな付け焼き刃の偽薬がどこまで役に立つのやら。

すでに絶望は目に見える場所まで迫っている。

本当は今だって、目をそむけるのをやめれば、ほら――

セーラは首を振って、ネガティブ思考を追い出した。

さらにぺちんと両手で頬を叩き、気持ちを入れ替える。

「ほ、本当に大丈夫なの?」

「問題ないっす! それより、自己紹介がまだっすよね。おらはセーラ・アンビレン、色々あって魔王城からここまで逃げてきたっす」

「魔王城から!? 他所からフークトゥスまで逃げてくる人はいたけど、そんな遠い場所から来た人は初めてよ」

セーラも一人であれば、不可能だったろう。

もっとも、ネイガスに逃がしてもらった地点から、キマイラに殺されることなくフークトゥスにたどり着けたこと自体は、紛れもなく奇跡なわけだが。

「あ、そういえば自己紹介だったわね。私はルゥラ。それで、リビングでぐうたらしてる旦那がジツェイル。二人で果物農家をしているわ」

「果物、っすか」

「フークトゥスは有名な果物生産地だから、おかげでみんなそれなりに裕福な生活ができているのよ」

言われてみれば、セーラの寝かされていた部屋も広いし、ベッドもふかふかだ。

窓の外から見える町の景色も、そこそこ大きな民家が立ち並んでいる。

しかしそれより気になるのは――

「なんか外、暗くないっすか?」

すでに夜は明けているというのに。

何かが日光を遮っている、ということだ。

曇っているわけではなく、まるで影のようである。

「“神樹”の葉が空を覆っているのよ」

「神樹……?」

「この町の守り神みたいなものね。中央の広場に生えている大きな木で、もう何百年も私たちを見守ってくださっているの」

修道女ながら“神”という存在が信用できないセーラは、少し胸騒ぎを覚えた。

中央広場に生え、町の空を覆うほど巨大な樹木――そんなものが、果たして本当に存在しうるのだろうか。

王国にも、神が宿ると言われる木は存在する。

主にオリジン教以外を信仰している地域にあるものだが、書物によるとそのどれもが立派な木なのだという。

しかし、あくまでそれは常識の範囲内での話だ。

こんな人智を超えたサイズではない。

それに――この町の名前、“フークトゥス”と女性は言っていたが、その単語にセーラは心当たりがあった。

確か、王国でネイガスと二人旅をしていたときに聞いたはずだ。

そのとき彼女は、『おいしい果実が取れて有名』とは言っていたが、こんなに巨大な木があるとは言っていなかったはず。

これだけ目立つ神樹があれば、果実などより真っ先にこちらが挙げられるはずなのに――だ。

「素敵な景色でしょう? 見た目だけじゃなくて、神樹から取れる果実もすごく美味しいの。元気も出るから、あとで食べさせてあげる」

「気を遣わないでくださいっす、助けてもらっただけでもありがたいのに……」

「いいのよう、どうせ果実はたくさんあるんだから」

その後、セーラはベッドから出て、助けてくれた夫がいるというリビングへ向かう。

すると彼女が廊下に出た途端、果実の甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐった。

収穫直後なのか、家のいたる場所にはカゴに入った様々な果実が置かれている。

王都でも食べられる定番の果物から、魔族領でないと取れない独特な色をしたものまで、種類は多岐に渡っていた。

ここが果物の名産地というのは、事実のようである。

中でも特に量が多かったのは、赤黒く、ねじれたような形をした果実だ。

甘さと腐敗臭が混じり合ったような癖のある匂いに最初は驚いたものの、慣れると実にいい香りである。

表面の皮からは何もせずとも蜜が滴っており、口を付けずとも、相当甘いことだけはセーラにも理解できた。

ただし、『いい香り』、『美味しそう』とは思っても、不思議と食欲は湧いてこなかったが。

リビングに入ると、日に焼けた大柄な男性がセーラを迎えた。

彼がジツェイル。

ルゥラの夫であり、セーラをここまで抱えてきた張本人だ。

「がっはっは! 果物の入ったカゴに比べりゃ軽いもんだ、あんま気にすんな!」

彼女が運んでくれた礼を告げると、ジツェイルは笑いながらそう言った。

彼の頬はほんのり赤らんでおり、手元にはジョッキに入った果実酒が置かれている。

どうやら酔っ払っているようだ。

「“いいご身分”とは思わないであげてね。収穫がやっと終わって、やっとゆっくり出来たところなんだから」

そんなことを考えるセーラではない。

だが、さすがに昼から飲むのは……とは思っていたが、そのような理由があるのなら仕方あるまい。

それからルゥラは気合を入れて夕食を作り始め、セーラは縮こまりながらジツェイルの前に腰掛けた。

酔っぱらいの相手はあまり得意ではないセーラだが、彼は酔っても陽気になるだけらしく、思っていたよりまともに会話は成立するようだ。

「そうか、ネイガス様に守られて魔王城から……大変だったなあ。こっちまで詳しい情報は伝わってないんだが、オリジンの封印がどうにかなっちまったんだろ?」

どうやらフークトゥスの魔族は、セレイドの魔族よりもオリジンの封印に対する意識が薄いらしい。

大なり小なり『封印を守ることが役目』と思っていた彼らとは異なり、“封印が解けた”と知ってもどこか他人事のようである。

「ディーザのせいで封印は解けたっす。それで、キマイラが活性化したり、化物が歩きまわったりしてるっす」

「物騒な世の中になっちまったもんだ。幸い、フークトゥスにはそういう話はねえが、外から入ってきたならず者連中が暴れてるからなぁ」

「ならず者っすか?」

セーラがジツェイルに尋ねると、料理中のルゥラが答える。

「町の南の方に陣取って、土地をよこせって喚いてるのよ。確かに集落が潰されたのは気の毒だけど、いきなり言われても困るわよねえ」

「魔族にもそういう連中はいるんすね」

「人間と同じだ。嬢ちゃんみたいに良い子もいりゃあ、どうしようもない悪い奴だっている。少し前までこの町を治めてた“暴君”だってそうだったからなあ」

「今は穏やかな町に見えるっす、急激に変わったんすね」

「少し前って言っても二十年以上前だもの、人間にとっては大昔よ」

セーラがまだ生まれる前である。

魔王であるシートゥムが取り締まるべきだったのだろうが、二十年前というと、慣れない魔王としての役目で右往左往している頃だろうか。

目が行き届かないのも仕方のないことだったのかもしれない。

「ま、昔はどうであれ、今は自然豊かでいい町だからな!」

実際、魔族領北部と異なり、このあたりは雪も降らなければ、草原や森だってある。

かなり王国と近い環境にあった。

さらに綺麗な川まで近くに流れるここなら、果実の栽培がうまくいくのも、北部と交易することで町が豊かになるのも頷ける。

食欲の薄い魔族にとって、フークトゥスの果物はいわば高級嗜好品扱いらしいが、それだけに稼ぎも大きいだろう。

「飯もうまけりゃ空気もうまい。さらに人情にもあふれると来たもんだ。嬢ちゃんも遠慮せずに、しばらく休んでいくといい!」

セーラは場の空気を読んで「そうっすね」と頷いたが、本当は二、三日中にでも出ていくつもりだった。

いつまでも世話をかけるわけにはいかないし、何より――彼女には目指す場所があったから。

それは今にも壊れそうな心の、新たな拠り所を作るために必要な行為。

あるいはギャンブルとでも言うべきか。

彼女が目指しているのは、王都であった。

そこならば、ひょっとすると、第二の故郷である中央区教会の誰かが生きているかもしれないから。

逆に死体で見つければその時点でおしまいだが、何も目標が無いまま朽ち果てていくよりはマシだと、彼女は考えていた。

その後、ルゥラの作った料理に舌鼓をうち、セーラの気持ちは少しだけ楽になった。

しかし食後、例のねじれた果実を勧められ、断るのに手間取ったことで、また気持ちが重くなってしまう。

ここまで何も強要してこなかったルゥラとジツェイルの夫妻だが、この果実を勧めるときだけは態度が変わる。

なんでも、例の『神樹』から取れたものらしいのだが、それはそれはもう美味しいらしい。

なぜ美味しいのか、どう美味しいのかは関係なく、とにかく美味しいのだとか。

美味しいのは当然だし、栄養価も優れていて、しかも神樹から取れたものとなれば神の祝福も受けている。

だからぜひ食べるべきなのだ。

なぜなら美味しいから。

だというのに、美味しいのになぜセーラは拒むのか、ルゥラとジツェイルはさっぱり理解ができない。

少し苛立ちすら覚える。

この甘腐ったような匂いが素晴らしいとはセーラも認めている。

じゅるりと滴る赤い果汁も、熟れてぐじゅぐじゅになった果肉も美味しそうだと感じている。

ならばなぜ食べようとしないのか。

食欲が湧かないなどと言い訳を繰り返すのか。

美味しいのに、どうして。

美味しいのに、なぜ。

美味しいのに。

美味しいのに。

美味しいのに――

……セーラは逃げ出すように、リビングを出た。

そしてベッドのある部屋へと駆け込む。

自分でもなぜそこまで拒むのかはわからない。

ただ本能が、それは避けるべきだと叫んでいるのだ。

あんなに美味しそうなのに、体は食べたがっているのに。

それも、不自然だ。

本当に、あの腐った肉に腐った果実を混ぜた香りは、いい匂いなのだろうか。

嗅いでいる間はそう思える。

だが冷静に、全ての要素を解きほぐして考えてみると、異常だ。

見た目だって内臓のようだし、垂れる果汁だって血液によく似ている。

あれを見て、美味しいと感じるものだろうか。

「おかしいっす、絶対。おかしいはずなんすよ……」

ドアを背に、セーラは座り込んだ。

“おかしい”と必死で思い込まなければ、おかしいとすら感じない。

異常が正常に置き換えられる。

あの果実を見ていると、思考が狂わされるような気がする――それもまた異常であった。

いや、それともセーラがおかしくなっているのだろうか。

ネイガスを失い、魔族領を一人で彷徨ってきた自分の方が。

「わかんないっす……おらには、何も……!」

何が正しくて、何が間違っているのか。

マリアや教会、そしてディーザを含む一部の魔族――正しいと思ってきたものに裏切られ続けてきたセーラには、正しさの基準がない。

ネイガスがいなければ、それを決めることすらできないのである。

「セーラちゃん」

ドアの向こうからルゥラに話しかけられ、セーラの体が震える。

「ごめんなさいね、さっきは強引に勧めてしまって。でも本当に美味しいのよ、ここに置いておくからあとで食べてね」

ことりと、彼女はドアの手前に果実の乗った皿を置いた。

「いいっす、食欲が無いっすから」

「食べてね」

「食べないっす。もったいないっすから、戻しておいてほしいっす」

「必ず食べてね」

話が通じない。

ルゥラは一方的にそう言い残して、部屋の前を去っていく。

間違いなくいい人たちなのだ。

倒れたセーラを助けてくれたし、食事だって提供してくれた。

ここに泊まることにも文句一つ言わない。

なのに――あの果実にまつわる部分だけが、まるで切り取られたように別の何かに塗り替えられている。

少なくとも強引に襲われることはないし、今のところ危害を加えてくる素振りも無い。

念のために部屋の鍵を閉め、セーラはベッドに潜り込んだ。

逃げるにしても、暗くなってからでないと危険である。

◇◇◇

想像以上に疲れが溜まっていたのか、セーラが目を覚ましたのは日付が変わってからだった。

本当はもっと早くに起きる予定だったのだが。

体を起こすと、独特の甘い匂いが鼻をつく。

いつの間にか、室内のテーブルの上に、例の果実が置かれていた。

鍵をかけていたはずなのに――と思いドアの方を見ると、鍵が力尽くで破壊されている。

寒気がした。

やはり彼らはどうかしている。

おそらく、あのねじれた果実のせいで。

「やっぱり、オリジンが絡んでるんすかね……」

形状からして、その可能性は高かった。

眉間に皺を寄せてテーブルの上の果実を観察していると、家の玄関の方から何やら音が聞こえてくる。

こんな時間に、夫婦は外出しているようだ。

こっそりと窓から外を見ると、夫婦だけでなく、町の人々がランプを手に、ぞろぞろと南へ向かう姿が見えた。

逃げるなら今だ。

しかし、この状況を放置して逃げ出してしまっていいものか。

まだ助けられる魔族がいるかもしれないのに。

「……行くっすか」

何が正しいのかはわからない。

だが、命に危険に晒されている誰かを見捨てることだけは違う。

セーラは胸に手を当て、二度深呼吸をして、部屋を出た。

◇◇◇

夜の町には、足音だけが響いている。

あらゆる場所から、ある一定の方向に向かって、声一つ出さずに全員が歩いているのだ。

建物の影に身を隠し、セーラはその様子を観察していた。

「あの果実に操られている可能性が高いっすね。植物にもオリジンコアの効果が……でも、それにしてはやけに回りくどいやり方っす」

キマイラなら、とっくにこの町の住民を皆殺しにしているだろう。

しかしあの果実は、操るだけ。

今のところ、命にかかわるような危険性は感じられない。

彼らの向かう先にそれがある可能性は高いわけだが――恐怖に足が竦む。

セーラは小声で「がんばれ」と自分を励まし、住民の視線をかいくぐって前へ進んだ。

南と言えば、確かジツェイルが言っていた、『よそから来た人間が陣取っている場所』のはず。

あの話しぶりからして、相当困っている様子だった。

つまりこの魔族たちは、そのよそ者を追い出そうとしているのだろうか。

それならいい。

まだ、それなら。

住民たちは、町の南にある小屋の周りに集まりだす。

そして完全に取り囲むと、ひげを生やした貫禄のある男性が前に出た。

町長だろうか。

彼はまず、小屋のドアを二度ほど叩いた。

……反応はない。

次に、小屋のドアを乱暴にまた二度叩く。

やはり、反応はない。

「そこまでやるんすか……?」

今度は斧を手渡され、それを大きく振りかぶり――ドアに叩きつけた。

バギィッ! と刃が板を貫く。

完全に破壊するには至らなかったが、さすがに中の魔族もこれは無視できない。

慌てた様子で飛び出してきたのは、三人の男性である。

「待てよっ! いくらなんでもそれはないだろ!? 俺らはただ、ここに泊めてくれって言っただけじゃねえか!」

見たところ、そこまで悪人であるようにも見えない。

小屋を不法占拠していたのは事実かもしれないが、斧で壊さずとも、話はつけられたのではないだろうか。

だが彼らを囲む魔族は無言で、その包囲網を狭めていく。

「なんだよ……ま、またその果物か? 俺らは嫌だって言っただろ、気持ち悪いんだよ、それ。なんだよ、まさかそれでそんなに怒ってんのか!?」

返答は無い。

意趣返しのつもりなのだろうか。

はたまた、今の彼らには、“個の意思”と呼べるものが存在しないのだろうか。

近づいた魔族が、三人のうち一人の腕を掴んだ。

すると、それをきっかけに、住民はなだれ込むように男たちに殺到し、押し倒して拘束する。

「やめろっ、やめろぉおおおおっ!」

セーラからは叫ぶ声だけが聞こえ、その内側で何が起きているのかは見えなかったが――

「嫌だっ、それは、食わせ……がっ、が、ぼ……うえぇっ……」

その音から、果実を無理やり食わされているだろうことは、予測できた。

人の拳より大きな果実を一個まるまる胃の中に詰め込むと、男たちは解放される。

そして住民たちは彼らから離れ、遠巻きに苦しむ姿を凝視した。

「な、なんなんだよ……おかしい、だろ……こ、こりぇ……ひっ、はっ……あああぁ……!」

一人の男が、自分の腹の肉を掴みながら、体を震わせ始めた。

すると他の男たちも同様に、様子がおかしくなる。

顔が紅潮し、汗が吹き出し、口からはよだれが流れ出す。

「がっ……ああぁ……あがあぁぁぁああああッ!」

「ひっ……」

その姿を見たセーラの肺が引きつる。

ぐちゃあッ、と男の背中から、血を吹き出しながら植物の蔓のようなものが伸びたのだ。

それは地面に突き刺さると、男の体を持ち上げた。

「おかしい……こんなのは、おかしい……どうして……ど、して……っ」

その頃になると、男の表情から苦しさは消えていた。

紅潮した頬はそのままに、口元はいびつに歪み――彼は、恍惚としている。

「ごんな、にいぃっ! いひっ、ぎもちいいんだよぉおおおおおおおッ!」

夜の町に響き渡る男たちの喘ぎ声。

そして――バチュンッ! と盛大に血を撒き散らしながら、 花が咲いた(・・・・・) 。

体が開き、四枚の花弁となって、大きく開いたのである。

脈打つ心臓は雌しべのように。

蠢く腸は雄しべのように。

その花は、血と腐敗臭と果実の甘さを混ぜ合わせた香りを広げる。

「う、ううぅ……っ」

想像を絶する光景に、さすがのセーラも直視することはできなかった。

身を隠す建物の壁に背中を預け、口を手で抑え、瞳に涙を浮かべる。

「う、うぷっ……ううぅ……」

セーラが苦しむ一方で、住民たちは咲き誇る花を見て、パチパチと拍手を始めた。

まるでコンサートホールでスタンディングオベーションでもしているようだ。

誰一人として、その光景の残酷さを認識することなく、全ての住民がその美しさを賞賛する。

「こんなの、ばっかりっす……どこに、行ったって……!」

逃げ場はどこにもない。

この世界の、どこにも。

そんな彼女に、誰かが近づく。

暗闇の向こうから、幽鬼のようにゆらりと近づいてくる、色白で手足も細い少女――彼女はセーラの前でしゃがみ込み、顔を近づける。

そして、にぃっと笑った。

開いた口には、歯がほとんど残っていない。

「はれへ、いほうほなほ」

「……へ? 妹?」

辛うじて聞き取れた言葉を繰り返すと、彼女は頷く。

そして――町の中央にそびえ立つ、神樹の方を見た。

「あれは、わらひの、いほうほ」

にっこりと笑う少女。

現状ではっきりしていることはただ一つ。

彼女が、セーラの味方ではないということだけであった。