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龍の刺繍のハンカチを、あなたに。えっ、なんで婚約者を捨てる話に?

作者: 有梨束

本文

婚約者とは、ここのところすれ違っている。

理由は簡単、忙しいからだ。

再来月、我が国から遠く離れている国に輿入れされる王女殿下のために、王城で働く者はいつになく時間がない。

それは婚約者のスヴェン様も、例外ではない。

むしろ、私まで忙しかったりする。

あまりの忙しさに手が足りないと、少し裁縫が得意というだけで、私にまで臨時の王城お針子係の役が回ってきたくらいなのだ。

学校を卒業済みの令嬢で、まだ嫁ぐ前の私のような子たちがみんな集められて、毎日修繕の仕事で目まぐるしく過ごしている。

臨時の仕事の件はもちろんスヴェン様に伝えてあるし、お互いこの期間は仕事を頑張ろうと言ってあるが…。

もうひと月近く顔も見てないのは、さすがにまずいかしら。

「ねえねえ、今流行っているラブロマンス小説、知ってる?」

「口より手を動かしてちょうだい」

「よく小説を読める時間があるわねぇ。私なんて修繕作業に疲れて、ここのところ家では寝るだけよ」

「慣れない仕事に疲労困憊よねぇ」

年頃の娘ばかり集められているうえ、お茶会や夜会と違って堅苦しくもないものだから、作業しながらもお喋りが止まらない。

「なんでも王女殿下が輿入れされる国の小説なんだって」

「へえ〜、どんな話?」

「龍を選ぶか、騎士を選ぶか、って話」

「掻い摘みすぎよ」

「お姫様が龍と騎士に惚れられて、生きる時間の違う愛してしまった龍を選ぶか、同じ時間を生きられる愛してくれた騎士を選ぶかでドロドロに揉める話」

「疲れている時に、ドロドロはパス」

「で、どっちが選ばれるの?」

「人間の騎士様」

結末を聞いて、おのおのそれなりの顔をしたあと、討論のようなものが始まっていく。

「主人公は意気地なしだったかぁ」

「えっ、一緒に過ごせる相手の方がいいでしょ」

「そうだよ、先に自分だけ老いるのよ。そんなところ、好きな人に見られたくないでしょ」

「愛し抜くより、愛される方が楽なのかもねぇ」

愛し抜くより、愛される方か…。

まあ、気持ちはわからなくもない。

愛をずっと維持できるか、私も自信はないし。

一生寄り添うのなら、同じ時間を生きてくれる人を選びたくなるのもわかる気がする。

私とスヴェン様って、今同じ時間を生きているのかしらね…。

「トニアは?どちら擁護派?」

ぼんやり考えているうちに、擁護派閥ができていた。

いけないいけない、会話の輪に戻らないと。

「うーん、お姫様擁護派、かな」

そう答えた時、ベテランのお針子さんに「手を動かしてね!」と言われて、私たちは黙々と作業に戻るのだった。

「スヴェン様、お元気なのかしらね」

夜、眠るまでの少しの間、刺繍をしながらまた婚約者のことを思い出す。

今、刺繍しているのはハンカチで、銀糸の龍を縫っていた。

昼間にあの小説の話を聞いた時、龍のモチーフを縫ってみたいなと思い、新しく縫い始めたのだが。

「仕事でも縫って、家でも刺繍して、…私、実は裁縫こんなに飽きなかったのね。知らなかった」

こんなに長い時間、作業をしたことがなかったから知らなかったけれど、私、縫うのは苦痛じゃないらしい。

どちらかというと、針を通している間は、頭が空っぽになって、穏やかで、心地がいい。

王女殿下が輿入れされれば、臨時の仕事もお役御免だろう。

でも可能なら、続けてみてもいいかもしれない。

スヴェン様のところに嫁ぐまで、きっとまだ時間がある。

スヴェン様は、そうでなくてもお忙しい方だ。

それまでの間、お針子の仕事ができたら、気が紛れていいのにな。

「ねえ!聞いた!?王女ファンのふざけた話っ!」

「まーたどこから仕入れてくるのよ、あなたは」

「今度はなんですって?」

「だ!か!ら!王城で働く王女ファンの男どもが、もう会えなくなるからと毎日謁見を申し込んでお茶しているって話!」

「はあ?こんな忙しい時にお茶会?私たちがやりたいわよ」

「まあ、王女殿下、お綺麗だもんねぇ」

「最後に一目くらい見たいかもねえ」

「だからって、お茶会じゃなくてもいいでしょ!」

「なんでそんなに怒っているのよ?」

1人の子が訊くと、いつもは賑やかなその子がしゅんと静かになった。

手は動いているが、こんなに静かなこともない。

少しだけ、胸の奥がザワッとした。

「……私の婚約者も、その場にいたらしいの」

一瞬間があって、それから嘘みたいに声が飛んでいった。

「なにそれ、浮気!?」

「最低!」

「私たちはここで仕事しているのに、優雅気ままに王女鑑賞会!?」

「ふざけてるわ!」

こういう時の一致団結感は凄まじい。

あれよあれよとそのお相手の男性を、言葉で火炙りにしたり八つ裂きにしたりと、物語以上にとっちめられたあと、また静かになって。

「……真偽がわからない以上、これ以上悪く言うのはやめておきましょう」と今更遅そうな提案とともに、情報を掴んできた彼女を慰める会へと変わっていったのだった。

スヴェン様は、どうしているのかな。

とうとう銀の龍が縫い終わって、窓に向かって広げてみた。

月に照らされた龍は、なかなかの出来栄えだった。

「このハンカチ、スヴェン様に送ろうかしら」

よく出来たもの、臨時お針子係で腕も上がった。

スヴェン様にも、見てほしいな…。

そう思って、封筒に入れた。

明日にでも、送っておきましょう。

お仕事でお忙しいだろうから、手紙のように送ってしまおう。

直接会える時間など、ないはずだから。

手紙も一緒に書こうかと思ったのだが、何を書いていいのかわからなくなってしまった。

お元気ですか?は、たぶん元気だ。

よほどのことがあったら、我が家にも連絡が来る。

お忙しいと思いますが、などにしたってそれはそうだろうという気持ちが勝ってしまう。

私ですら忙しいのだ、スヴェン様だって目を回しているだろう。

次いつ会えますか?は、書けなかった。

王女殿下が輿入れして、しばらくは残りの仕事でバタバタして、通常業務に戻ったとして、それだってやっぱり忙しいには変わりないのだ。

私も、仕事をしてみたからわかったことだ。

忙しい中で合間を縫うのは、思ったより大変で、思ったより疲れる。

スヴェン様は今までそうしてくれていたんだとわかってしまったら、次を催促するのはどうにも気が進まない。

私と会う時間があるなら、少しでも休息してくれた方が嬉しいかもしれない。

月を見上げながら、この月の下でスヴェン様もゆっくり休めていますようにと願った。

だから、封筒の中にはハンカチしか入れなかった。

仕事前に家の者にスヴェン様宛に送ってほしいと頼んで、王城に向かった。

いつものように話が盛り上がりながら、ひたすらに縫って、それからいつものように帰ってきた。

遅めの夕食をとり、湯浴みをし、今日はもう寝てしまおうかと思った時だった。

「トニアお嬢様、大変です!」

「どうかしたの?」

「その、スヴェン様が、お越しになっています…!」

「えっ?」

もうすっかり寝間着に化粧も落としているのだが、こんな夜中にどうしたのだろう…?

慌てて厚めの上着を羽織って、応接室へと向かった。

前触れもないなんて、こんなことは今までなかった。

部屋に入るなり、スヴェン様は真っ青な顔で私のところへ来ると、ガバッと抱きついてきた。

「トニア!僕のことを捨てないでくれっ!」

はい?

「え、っと、なんのことですか…?」

「僕のことが、いらなくなったのだろう!?」

「へ?」

「だって、銀っ!銀の龍の刺繍のハンカチを送ってきたじゃないかっ!さっき家に帰ったら、受け取ったんだよ!」

今朝頼んで送ったものは、無事にスヴェン様の元に届いたらしい。

それはよかった。

なのに、どうしてこんなに不穏な話になったのだろうか。

「たしかに、上手く出来たので、スヴェン様にお渡ししたいなと思いましたが…」

「ああ、見事だった!けれど…、だって、龍はあの小説の龍だろ?」

こんなに取り乱したスヴェン様ははじめて見るので、こちらが戸惑ってしまう。

小説の龍って、王女殿下が輿入れする国の小説の話…?

「あの小説をご存知なのですか?」

「え?今、流行っている龍か騎士かを選ぶ恋愛ものだろ?」

「スヴェン様も、恋愛小説をお読みになるんですね…?」

「いや、嫌というほど王城で耳にするだけで」

ぎゅうぎゅう抱き締められながら、その腕の中でスヴェン様を見上げるが、ずっと泣きそうな顔をしている。

「小説になぞらえて、あのハンカチをくれたのではないのか?」

「いえ、小説の話を聞いて、龍のモチーフって素敵だなぁと思って縫ったのはそうなのですが」

「うん」

「話の内容までは掻い摘んでしか知らないので、なぞらえたかは微妙なような…」

「うん…?」

「ただかっこいいなあぐらいしか…」

龍の刺繍の経緯をそのまま話すと、スヴェン様の顔はどんどん歪んでいく。

まずいことを言ったかしら?

「龍は選ばれなかったから、僕も龍のように愛想を尽かされたわけではないってことで、いい…?」

「そうですね。スヴェン様って普段こんなにお忙しいのに、どうやって私との時間を作ってくれているのかしらと不思議に思うようにはなりましたが」

そこまで言うと、スヴェン様は深いため息をついて、ヘロヘロと力が抜けていった。

私の肩に顔を埋めて、動かなくなってしまった。

何も言わずに、ただ甘える猫のようにぐりぐりしてくる。

「スヴェン様…?」

「トニアに見捨てられたかと思った…、よかった…」

「龍は、捨てられるのですか?」

「姫にこっぴどく振られて泣き尽くして、その涙で湖ができたらしい」

そうなのか、それは知らなかった。

それはタイミング悪く、龍のハンカチを送ってしまったな。

「スヴェン様、こんな遅い時間に飛んできてくださってありがとうございます」

「……飛んでくるに決まっている」

「嬉しいです」

私がそう言うと、スヴェン様はホッと息をついた。

「仕事を言い訳に全然時間を取れていなかったから、とうとう呆れられたかと」

「私、お針子の仕事をしてみて、スヴェン様の凄さがわかりました。尊敬が増しただけで、呆れてなどいません」

「僕の婚約者は、器が大きかったらしい…。命拾いした…」

スヴェン様はすりすりと私の首元にくっついてくるので、くすぐったい。

こんなに甘えられるのは、はじめてだ。

「スヴェン様、お身体は大丈夫ですか?」

「体だけは丈夫だからね」

「眠れていますか?」

「それは王女殿下の茶を飲まされているから、大丈夫」

「王女殿下のお茶…?」

それって、王女殿下ファン鑑賞会のことかしら。

「輿入れされる国のお茶で、とんでもなく苦いんだ。眠気覚まし用に殿下が振る舞ってくださるから、どうしても必要な時だけ駆け込んで飲んでいるからなんとかなっているよ」

「それ、王城で働く皆さんもですか?」

「ああ、あの茶を飲まずにいられるように、みんな必死で起きてるよ」

う〜ん、ここにもまたひとつ誤解が…。

きゃっきゃうふふではなく、疲れまみれでドロドロのギトギトそうな。

私はそっとスヴェン様の顔に、頬を寄せて、同じようにすりすりしてみた。

スヴェン様は一瞬固まったけれど、そのまま私にされるがまま受け取ってくれた。

「スヴェン様、今日はお帰りになってゆっくり休んでください」

「トニア…」

「それで、殿下が輿入れされても、通常業務に戻っても、いっぱい休んでいっぱい寝てください」

「でも」

「スヴェン様がよく眠れたらいいなと、ここ数日ずっと思っていましたの」

私の言葉にようやく顔を上げたスヴェン様と目が合って、その瞳の龍と同じ色が揺れていて、愛おしくなった。

眠気覚ましの茶で無理矢理起きているのだ、クマがひどい。

その頬をさらりと撫でて、私は笑っていた。

「たくさん休まれて、私と会えるくらい眠くなくなったら、その時には会ってくれると嬉しいです」

「善処する。…でも」

「でも?」

「僕だって、トニアに会いたい」

そう言われると、心がぐらついてしまう。

「それは…、今度折衷案を考えましょうか」

「わかった、次は僕から手紙を書く」

「無理しないでくださいね」

「トニアに捨てられないためだったら、無理ぐらいする」

それでは意味ないのだけれど。

「ふふっ」

「トニア?」

「一緒にどうしたらいいか考えるのも、楽しいかもしれませんよ?それに…」

「それに?」

「私とスヴェン様は、姫と龍ではないので、同じ時間を生きられます」

「っ…!」

「一緒に生きていきましょう、スヴェン様」

私の静かな告白に、私の婚約者ははにかむように笑った。

ようやく苦しい以外の顔が見られて、嬉しくなる。

「ああ、一緒に生きていくために、考える。君を、龍にも騎士にも渡してやらない」

ライバルなどどこにもいないのにそんなことを言うから、笑ってしまった。

今度会えた時は、思いの外裁縫の時間が楽しいことも聞いてもらおう。

でも、今は休息だ。

私はそこではじめてスヴェン様を抱き締め返して、帰る前のスヴェン様を少しだけ久しぶりに味わったのだった。