作品タイトル不明
楽観とは消えゆく泡の如く
「陛下、今回フィラメントとの関係が疑われた百四十八名。そのことごとくを拘束いたしました」
ノインは今回の事件の後始末として、フィラメントとの関係が疑われる全ての者の拘束に成功している。そしてその過程で、彼は帝国の魔法関係者に根付く深いフィラメントの闇に驚愕することとなった。
それほどまでにフィラメントの手の者は、帝国内に長い時間をかけて深く根を張っていたのである。
「そうか……これほど大規模な組織網を構築しておるとはな。裏を返せば、ゼリアムがやはり優秀な男であったということじゃろうて。実に残念なことではあるがな。しかし、イスターツがたまたまわが国に駐在しておらんかったら、我等も危ないところであったわ」
自身も危険であったとは口にしながらも、リアルトはまったくその様に考えていなかった口振りでそう言葉にする。
すると、ノインはリアルトの内心ではなく、その発言の内容に対して渋い表情を浮かべた。
「はい。確かにこの度は彼が我が国に居たことが僥倖であったと言えるでしょう。しかし…」
「しかし、なんじゃ?」
「改めて思いましたが、やはりあの男は危険です。今回、彼とともにゼリアムを罠に掛けたわけですが……その過程で彼と共に策を練る過程で思いしりましたが、正直に言ってあの男の底が見えません」
今回のゼリアムを一網打尽とするための計画は、その草案のほとんどはユイがノインに口頭提案したものである。もちろんノインが何もしなかったわけではなく、その提案を実行段階まで移し、全ての手はずを整えたのはノインの手腕であったと言えよう。
しかしながら彼自身は、他の誰よりも今回の下絵をスケッチしたユイのことを高く評価し、それとともに改めて彼の存在を脅威に感じていた。
「ほう、お前もそう思うか」
「はい。自らの無能をさらけ出すようで恥ずかしいのですが、我らこの国に住まう者が暴くことが出来なかった今回の陰謀を、この国に来て間もない彼が解決に導いたということは事実です。しかしだからこそ、彼は普通ではない。少なくとも彼は私に見えていない何かを見て、そして私の思考の及ばぬ領域のことを考えているのでしょう。今回の件でそのことがよくわかりました」
間近でユイと触れ、そして彼の能力を皮膚で感じ取ったノインは、僅かな悔しさを滲ませつつそう評価する。
「ノイン、成長したなお前も。ふふ、今回の事件での最大の収穫は、この国のフィラメントのスパイ網を一網打尽にしたことではなく、お前がイスターツと組む機会をもてたことかもしれんな」
以前のように感情的な言葉を発せず、冷静にユイを評価したノインの言葉を耳にして、リアルトは彼に向かって微笑みかけた。
すると、その笑みを眼にしたノインは、ニヤリとした笑みを浮かべ、リアルトに向かって言葉を返す。
「ええ、そうかもしれません。ですが、どちらにせよわかったことはシンプルです。今は彼の方が私より上手でしょうが、父上、あなたの方がさらにもう一枚上手だということ。そして私がいつかあなた方を越えてみせるつもりだということです」
「ふふふ、おもしろい。いいだろう、予を、そして奴を越えて見せよ。では、予もお主に抜かれぬよう、次の一手を打つこととしようか」
意味ありげな笑みを浮かべてリアルトがそう口にすると、ノインは以前に父が口にしたことを記憶の中から蘇らせる。
「次の一手ですか……もしやとは思われますが、彼を本気で引き抜くおつもりですか?」
「うむ、その通りじゃ」
リアルトはあっさりとノインの言葉を肯定すると、その困難さをノインは懸念する。
「ですが……地位を与えるにしても、彼はかの国でもすでにかなり高い地位にあります。それに領地のレムリアックは豊富な魔石資源があって、金銭的にも私たちになびく事も有り得ないでしょう」
「ふふ、金や役職程度でなびくほどの男なら、予も別にあの男を欲しがらんさ」
「ならば、何を持ってユイ・イスターツを引き抜くと……まさか本気で例の切り札をお使いになるつもりですか」
以前リアルトが一度口走った切り札の存在を思い出すと、ノインは目の前の父に対し目を見開いた。
「ふふ、切り札はいざというときまでは伏せて置くものじゃ、そして本当に必要なときには、躊躇せずに札を切る。それこそが正しい使い方じゃろうて」
「ミリアを……ですか。私は反対です」
「ほう、お前がそこまでミリアを大事にしておるとは知らなんだわ」
意外そうな口振りでリアルトがそう発言すると、ノインは首を左右に振って彼の見解を口にした。
「いや、そうではなく、彼がミリアという札に本当に食いつくのかという事です」
「ふむ……お前もあの器量良しのミリアでさえ、あの男にとって不足だと思っておるのか。そうだとしたら、全くもって予と同意見じゃが」
溺愛している娘を天秤に掛けつつも、彼女でさえ力不足だと言いきるリアルトに、ノインは困惑の表情を浮かべつつ自らの発言の真意を口にした。
「そんな事を言っているのではありません。そうではなく、奴がミリアを差し出そうとする我らの意図に気がつき、警戒して断ってこないかと言っているのです」
「ふふ、あの男がその程度の意図を見抜けんはずが無かろう。だからこそ、奴がミリアを選ぶ以外無い状況を作り出すことこそが肝要なのじゃ」
「ミリアを選ぶ以外無い状況……それは一体」
父の意図するところが見えず、一層困惑するノインをよそに、リアルトは笑みを浮かべながら口を開く。
「ふふ、まあうまくいくかは予達、そしてゲストの演者の力次第じゃな」
「ゲスト? 誰か他に協力者を仰ぐのですか?」
全くリアルトの企みが見えないノインは、彼の言葉の中で気になった単語を抜き出して問いかける。
すると、リアルトは歪な笑みを浮かべながら、想像しないゲストの名を口にした。
「ふふ、その通りじゃ。特別強力なゲストに踊って貰うつもりじゃ。フィラメントという名のな」
ゼリアムによる謀反騒動が解決し一ヶ月の時が過ぎていた。
クラリス大使館のユイの執務室では、机に脚を投げ出しながら本を読む大使に向かい、副大使が今回の事件の余波を報告に訪れていた。
「帝国はフィラメント公国に対して正式に抗議を行うようですね。場合によっては戦争も辞さないと」
「まぁ、仕方ないだろうね。皇族の暗殺を意図していたとなればさ。しかし戦争を回避するとしたら、どの辺りを落とし所とするんだろうね」
ユイは今回の事件で戦争をしかけるとしたら帝国側からだと踏んでいた。それはもちろん喧嘩を売られた側であるからもあるが、何より戦力が劣ると思われる魔法公国が戦争をしかけるとしたら、今回の謀反騒動にて何らかの収穫があった場合に限定されると考えていたためである。
理想は皇族の壊滅、それがだめなら皇帝か軍を統括する皇太子のどちらかの命を取ること、それが魔法公国が戦争をしかけるための最低条件と考えていた。
それ故に、謀反をしかけるも返り討ちに遭い、諜報網まで一網打尽とされたフィラメントが、どの辺りを手打ちのための条件として飲むのかに彼は注目していたのである。
「場合によってはユイさんにも火の粉が飛んでくるかもしれませんよ」
「おいおい、フェルナンド。なんで私に火の粉が飛んでくるんだい?」
フェルナンドの意味有りげな言葉を耳にしたユイは、思わず机に投げ出していた足を床に降ろすと、抗議するかのような口調で疑問を口にする。
「こういった二国間の交渉は、当事者同士ではなかなか話がまとまらないものですから。なので、場合によってはユイさんが中立な立場として、和平交渉に駆り出される可能性があると思いますよ」
「……それは困った話だね。うん、その場合は君に任せるよ。別に副大使が仲介役を引き受けても構わないだろう? なにしろ、先日の事件では私も当事者の一人なんだから」
「それはそうですけど……もしかして、単にめんどくさいと思っていませんか?」
自分に仕事を委ねようとするユイの発言を受け、疑いの視線を送りながらフェルナンドはそう問いかける。
「あ、バレた?」
「はぁ……全く貴方という人は」
仕事を支障がない範囲で手を抜こうとする目の前の男の性格を思い出すと、呆れたように溜め息を吐く。
そうして弛緩した空気が執務室を覆った瞬間、突如その空気をなぎ払うかのように、レイスが部屋の外から駆け込んできた。
「た、大変です」
「どうしたんだい、レイス。そんなに慌てて。ナーニャがアレックスの大事にしている剣を折りでもしたのかい?」
ユイが軽い口調でそう問いかけると、そんな冗談を言っている場合ではないとばかりに、レイスは即座に否定する。
「そんなことではありません」
「なら、君が普段の恨みを晴らすために、あいつを闇討ちにしようとしたのがバレたとかかい?」
「ふざけている時ではないんです。大変なんですよ、魔法公国が、魔法公国が」
のんびりした表情で冗談を口にするユイに向かい、レイスは怒鳴りつけるようにそう口にすると、彼の予想が外れたことを告げる言葉をその空間に解き放つ。
「魔法公国が宣戦布告してきたんです。このケルム帝国に向かって」
「えっ、そんな馬鹿な……いくら何でも早すぎる」
レイスの報告に驚きを隠せず、目を見開き固まってしまったフェルナンドを横に、ユイはボソリとそう呟く。そして彼は右手でゆっくりと頭を掻いた。
「魔法公国がこのタイミングで挙兵する意味。彼らが見積もっている勝算……いや、この戦いで真に利益を得るのは……なるほど、そういうことか」
「あの……ユイ先生?」
再び独り言をブツブツとつぶやき始めたユイを目にして、ここまで走ってきたために息を切らせていたレイスも言い知れぬ違和感を感じ、そう呼びかけた。
「ああ、すまないね。いや、さすがに私も驚いてしまってさ。とにかくレイス、そしてフェルナンド。急いで情報の真偽を再確認してくれないか。万が一誤報だとしたら、話が大きく変わるからね」
「確かにそうですね。すぐ確認してまいります」
レイスはユイの発言に納得すると、大きく頷いたのちに部屋から駆け出していく。もう一人その場にいたフェルナンドも、これまでに目にしたことのないユイの反応に首を傾げつつ、頭を下げると部屋から歩み去っていった。
「チェックメイト……かな」
「帝国が? それともフィラメントの方かしら?」
ユイだけが残されたはずの執務室。
その彼の座席の背後から、見知った黒髪の女性の声が、彼へと向けられた。
「いや、そのどちらでもない。この私がさ」
「……どういうことかしら」
抑揚の少ない透き通るようなクレハの声が、ユイの鼓膜を打つ。そこで初めて彼は彼女の方へと向き直ると、首を左右に振りながら口を開いた。
「この状況を最大限に利用しようとしている者がいる。もしかすると、彼が現在の状況を生み出したのかもしれないが……いや、それはさすがに無いか。引き換えとするものが多すぎる。やはり状況を利用したと考えるべきだろう」
「私には全く意味がわからないわ」
「はは、私にもさ。どちらにせよ、最大の問題はあの人が必要以上に私を買いかぶってくれているということなんだろうけど……しかしこの状況は、本当に詰まれているということなんだろうね」
「詰み?」
普段からまるで彫刻のように変わらぬその凍りついたとも言える美貌を、ほんの少しだけ動かし、クレハはユイに向かって問い返す。
「ああ、すでに盤上の状況は完成している。まさに詰みというやつさ……だけど今回の差し手と違い、私は悪あがきが好きでね。盤上でもはや打つ手が無いのだとしたら、全く別の選択肢を選びたくなるというものさ。それがたとえ盤上というくびきから逃れる、完全にルール違反の一手だとしてもね。というわけでだ、あのリアルト皇帝の定めたシナリオから逃れるために、一つ君に頼みたいことがある」
ユイはそう口にすると、クレハの側へと歩み寄り、そしてその耳元でそっと耳打ちする。その内容を耳にした瞬間、クレハは目を見開くと驚きの表情を浮かべユイの顔を見つめ返した。
のちに大陸の戦史において長く語り継がれることになる帝国と魔法公国との戦い。そしてそれを引き金とし、ある英雄譚において決して忘れられることのない事件は、この日この瞬間にその始まりを告げた。