軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

皇帝

「すべて世はこともなし……と。うん、最初帝国へ来るときはどうなることかと思ったけど、こんなにのんびり出来ると言うのなら、もっと早く来たらよかったよ」

「そうかい。まぁ、僕の方もそろそろレイスあたりに、事務的な仕事も覚えてもらいたかったところだからね。ちょうどいい機会だったと言えるかな」

アレックスは比較的権限の不要な事務作業の全てを、今回はレイスに任せていた。

もちろんめんどくさがり屋のユイとは違い、アレックスが仕事を振ったのは彼の成長を期待してのものである。

しかし仕事を投げられたレイスは、彼の直接の上司であるフートのデスクワークが壊滅的であったため、毎日泣きながら三人分の仕事をする羽目になっていた。

「しかしこうして君とのんびりするのも久しぶりだね。学生時代以来かな」

「ふふ、ユイ。そんなに暇なのだったら、少し僕の——」

「断る!」

アレックスが更に言葉を続けるより早く、ユイが強い口調で拒否を口にする。

「待ってよ。まだ何も言ってないじゃないか」

「言わなくてもわかる。だから断ると言ったんだよ」

ほぼ間違いなく剣の修行への誘いであると勘付いたユイは、渋い顔をしながら改めてきっぱりと拒絶した。

「でもさ、君が相手してくれなかったら、僕の相手がいないじゃないか。こうして暇を持て余しているんだし、少しくらい手合わせしてくれてもいいだろ?」

「お前と手合わせしたら、絶対に徹夜して働くより疲れるから……」

ユイが首を左右に振ってそう口にすると、アレックスは仕方ないとばかりに肩をすくめながら引き下がる。しかし、そのいつもと変わらぬ笑みの中には確実に残念さを滲ませていた。

そうしてユイが再び手元の書籍に目を通し始め、アレックスはもともと瞑られているかのようなキツネ目を閉じて瞑想を再開する。

執務室には静寂が訪れ、全く業務時間らしからぬ空間が生みだされた。

しかしそんな静寂はわずかな時間も経たぬ内に、突然の部屋のドアへのノックによりかき消される。

「た、大変です!」

外から転がり込むように慌てて姿を現したのは、事務作業に忙殺され、目の下にひどいくまを作っているレイスであった。

「どうしたんだい、レイス。世の中、そんなに慌てなきゃいけないことなんて、こんな天気の良い日に……待って、今の無し。なんか昔の嫌な記憶を思い出したから」

ユイは王都に戻って間もない時期に、エインスが彼の下へと慌てながら駆けつけてきた記憶を蘇らせ、途中で自らの発言を取り消す。

しかし、そんなユイの事情など知ったことではないとばかりに、レイスは動揺を隠せぬ表情で口を開いた。

「いや、そんなこと言っている場合じゃないんです。こ、こ、こ」

「こ?」

同じ言葉を繰り返すレイスに対し、ユイは怪訝そうな表情を浮かべる。

すると、レイスはユイが想像もしていない単語をその口から発した。

「皇帝陛下が……ケルムの皇帝陛下がここに来ているんですよ。ユイ先生を訪ねて!」

「はぁ……何を言っているんだい? だって皇帝だよ。エインスとかみたいなただの貴族じゃないんだ。そんなお人がヒョイヒョイと現れるわけないじゃないか」

働きすぎでレイスの頭がおかしくなったのではないかと感じ、ユイはかわいそうな人を見る目で彼を見つめる。

一方、隣でユイの発言を耳にしたアレックスはいつもと変わらぬ口調で「いや、エインス君もかなりの大貴族なんだけどね」と、冷静な突っ込みを口にしていた。

そんなユイとアレックスの反応に絶望しながらも、レイスはそれどころではないとばかりにブンブンと左右に首を振ると、ロビーの方を指さして再び口を開く。

「いや、でも、もう下に来られてい——」

「お取り込み中の所をすまんが、少し失礼させてもらうよ」

入り口の所であたふたしているレイスの脇をすり抜ける形で、威風溢れる初老の男が、お供の者たちを廊下に控えさせたまま部屋の中へと姿を現す。

明らかにそのただ者ならぬ佇まいを目にしたユイは、先ほどのレイスの発言を反芻しながら表情を引き攣らせると、恐る恐るその男に向かって口を開いた。

「……あの、一応お尋ねさせていただきますが、どなた様でしょうか?」

「予か? ふむ、人に名前を尋ねられるのは、久しくなかった経験じゃな」

「あ、あの……」

予と言う単語が発せられた時点で、ユイの中ではある結論に到達していた。しかし、まさかという思いが、未だにその答えを受け入れることを躊躇させる。

そんなユイの様子を目にした白銀の髪の男は、ニヤリとした笑みを浮かべると、堂々とした様子で自らの名を口にした。

「ふふ、そう緊張するな。尋ねられたからには名乗ってやる。予はケルム帝国第八代皇帝、リアルト・フォン・ケルムじゃ」

「……り、リアルト陛下。ほ、本物ですか。これは失礼致しました」

皇帝以外の者には決して出来ないであろう、その威厳あふれる名乗りを目の当たりにして、ユイは自らの失礼な発言を省みて急ぎ頭を下げて謝罪する。

「はは、よいよい。不作法にも突然お主の所を訪問したのは予なのじゃ。楽にしてくれ」

「は、はぁ……」

まったく意図のつかめない皇帝の振る舞いと訪問に対し、ユイは困った表情を浮かべながら戸惑いを見せる。

そんなユイの心境をどう受け取ったのか、皇帝は笑いながらユイに向かって口を開いた。

「まあ、良ければ茶などだして貰って、ゆっくり話させて貰いたいものじゃが、如何じゃろうか?」

「は、はい。直ちに……レイス!」

想定外のリアルトの発言に対し、ユイはすぐにレイスに視線を向ける。

「わ、わかりました。すぐにお持ちします」

レイスは二人の顔を交互に見た後にそう口にすると、再び転がるような勢いで、部屋の外へと駆けだして行った。

「ふぅ……うむ、クラリスのコーヒーはなかなかに美味じゃな。我が国に入ってくるものではなかなかこうはいかん」

ソファーに腰掛けながら、レイスが慌てて運んできたコーヒーをゆっくりと口に運ぶと、リアルトは満足そうな笑みを浮かべた。

「はは、こと商いに関しましては、クラリスはなかなか悪くない立地であります。ですので、このような良き物が入ることも少なくありません」

「ふむ、それは良いことじゃ。残念ながら、我が国にはなかなかこれほどの物は出回らん。予がそなた等の土地を欲したのも、わかる気がせんか?」

「それは、なんとも答えあげにくいことでして……」

リアルトの問いかけに対し、ユイは頭を掻きながら弱った様子を見せる。

そんな彼の仕草を目にして、皇帝は笑い声をあげながら、彼へと謝罪を口にした。

「はは、これは失礼。別に今更そなた等に宣戦布告をしようと足を運んだわけではない。今日はただの茶飲み話じゃ、半分は冗談じゃから気楽に聞いてくれ」

「はぁ……それで、本日はどうしてこちらに足をお運びになられたのですか?」

ユイが苦笑いを浮かべながら、そのように問いかけると、皇帝は意味ありげな笑みを浮かべて彼に答える。

「じゃから茶飲み話をしに来たんじゃよ。そなたが暇だと噂で聞いたものでな」

「どこから漏れたんだ、一体……」

思わず素の表情のままそんな呟きを発したユイを目にして、皇帝は愉快そうな表情を浮かべる。

「ふふ、そなたは自分の価値をわかっておらんようだな。皆が見ておるのだよ、そなたを……な。だからこそ今日は茶飲み話なのじゃ」

「……どういうことでしょうか?」

リアルトの意味するところがわからず、ユイは首を傾げて問い返す。

その反応に対し、リアルトはわずかに考える仕草を見せると、彼はユイへと逆に問いを発した。

「ふむ、では予とそなたが正式な会談をしたと仮定しよう。もしそんなことが行われれば、どの程度の人々が、その会談の内容を注目することになると思うかね?」

「それはもちろん会談の目的や内容にもよるでしょうが……クラリスとケルム、そしてノバミム自治領あたりの人なら注目せざるを得ないかもしれませんね」

ユイはほんの少し考えた後に、彼自身の回答を口にする。

しかしそのユイの言葉を耳にしたリアルトは、わかっていないとばかりに首を二度左右に振った。

「その程度で済むものか。もし正式な会談を開くとするならば、ラインドル、フィラメント、エモール、そしてキスレチンの息がかかった者がその場にずらりと勢ぞろいするはずじゃ。そして話の内容は、彼等の手によって瞬く間に各国へと伝わる。じゃからこその、茶飲み話よ」

「はぁ……可能性としては否定はしませんが、しかし決定権さえ無い小国の一大使との会談ですよ。いささか考え過ぎではないでしょうか」

「ほう? 一国の生命線を握っておる者が、自らを決定権のない一大使と言いよるか」

ユイの発言を耳にしたリアルトは、わずかに右の口角を吊り上げると、そう言葉を発する。

「……それはどういう意味で」

「とぼけるでない。そなたのレムリアックからノバミムを通じて帝国内に大量の魔石が持ち込まれていること、予が知らんとでも思うたか? 既に我が国の経済の一部はレムリアックに左右される状況なのだ。これを生命線を握っていると言わずして、なんと言うのかね」

リアルトの強い視線をユイは受け止めると、彼は肩をすくめながら降参とばかりにその発言を認める。

「正規ではない裏ルートを中心に、帝国へ流し始めたばかりですよ。なのに、もううちへとたどり着かれているんですか」

「元々それだけ帝国内の魔石流通量が少なかったと言うことじゃな。まあ、仲介している業者に関しては言いたいことが無いわけではないが、基本的にそなたの融通には感謝しておる」

闇社会に繋がっているオメールセン商会を介していることに釘を差しながらも、皇帝は感謝の意をユイへと伝える。

一方のユイは、苦笑いを浮かべたまま、彼も目の前のケルム皇帝に向かって感謝の言葉を口にした。

「いえ、私としましても大口の売り先がたまたま帝国であったと言うだけの話です。感謝することこそあれ、感謝されるようなことはございません」

「ふふ、そなたは謙虚じゃな。別にもう少し強く出ても良かろうに。まあ、あえてそうしてはいないだけかもしれんが……おっと、今日はそんな話をしにきたのではない」

「はぁ……では一体、どういったご用件で?」

商業的な話でないのならば用件は軍事的なことだろうかとユイは考えながら、リアルトに向かって問いかける。

しかしリアルトの口から発せられた内容は、ユイの予想の完全に枠外の内容であった。

「実はな、二十日後に一つのパーティーが予定されておってな。今回、そなたをそのパーティーに招きたいと思って足を運んだのじゃ」

突拍子もないリアルトの招きに対し、ユイは一瞬反応が遅れる。そして驚きの表情を浮かべながら、戸惑いを隠せぬ反応を見せた。

「パーティー……ですか」

「うむ」

「それはもちろん参加させて頂きます。しかし陛下のお招きとあれば、わざわざここまで足をお運びにならなくとも、クラリスの大使としては招待状さえ頂ければ馳せ参じましたのに」

ユイは目の前の皇帝の意図を図りかねていた。

皇帝リアルト。

大陸西方の中堅国家に過ぎなかったケルムを、婚姻政策と軍事力を巧みに使い分け、一代にして二大強国の地位にまで引き上げた稀代の大皇帝。

彼の代になってからケルム帝国の領地は倍以上となり、ただ一度の敗戦を除き、ケルムは他国との戦争に負けたことが無かった。

リアルト自身が直接戦闘に赴くことは皆無であり、彼自身は戦場における指揮官としての能力を自らに認めていない。

そんな彼の真価は、他国との戦争においては戦う時点で勝利を収めているとまで言われるほどの、政略的そして戦略的な優位を形成する政治力にあった。

だからこそ日夜政争に追われているはずのこの偉大な皇帝が、パーティーに誘うだけの理由で自分の所へ来たということに、ユイは違和感を覚えたのである。

「いや、ただそなたを誘いに来たわけではないのじゃ。実は今回のパーティーで、我が帝国とクラリスとのこれからの友情の架け橋となるように、主賓への贈り物をイスターツ殿から頂けないかと思ってな。要するに、そのための根回しに来たという訳じゃよ」

「……なるほど、そのようなことですか。そうでしたら、喜んでなにかクラリス製の記念になる品物を贈らせて頂きますよ」

ユイはどのようなことを言い出されるかと不安に感じていたこともあり、一瞬安堵の表情を浮かべ、あっさりと皇帝からの依頼を了承する。

「そうか。はは、快諾いただけるとはさすが希代の英雄殿。お心が広いな」

「いや、そこまでのことでも……それで贈り物をさせて頂く主賓の方なのですが、どのような方なのでしょうか?」

贈り物の内容を決めねばならない為、ユイはその贈呈相手の話をリアルトに問いかける。

すると、リアルトはわずかに視線を宙に漂わせ、ゆっくりと口を開いた。

「うむ、予の目をかけておる女性でな。なかなかに美しい女性じゃ」

「はぁ……女性の方ですか。わかりました、何か喜んでいただける物を考えさせていただきます」

取りあえず性別がわかったことで、これである程度贈り物が絞り込めるなとユイは考え始める。そして彼がさらなる詳細を問いかけようとする前に、リアルトは間髪入れずに口を開いた。

「そうか、そうしてくれるか。これはありがたい、わざわざお忍びで茶飲み話に来たかいがあったわ」

「それは……どうも」

「ふふ、ならばこれにて失礼させて貰おうか。また来るでな」

「えっ?」

ユイは先ほど来たばかりでもう立ち去るということと、またここへ来るという発言に面食らう。

しかし彼が驚いている間にも、リアルトはソファーから立ち上がると、そのままドアに向かって歩き始めた。

そうしてユイが引き止めるまもなくリアルトはドアノブへと手をかけると、急にそこで立ち止まる。そして忘れていたことを告げるかのように、ユイの方へと振り向き口を開いた。

「そうそう、言い忘れておったが、その娘の名はミリアという。では、パーティーでまた会おうぞ」

そう口にすると、リアルトは満足した笑みを浮かべながら、颯爽とユイの前から立ち去っていった。

そうしてその場に残されたユイは、護衛として背後に控えていたアレックスに向かって、正直な感想を口にする。

「……なんか、疾風怒濤というのが相応しい方だね。颯爽と現れ、颯爽と帰ってしまわれた」

「あのさ……ユイ。君、簡単に了承しちゃったけど、本当にいいのかい?」

「え、何を?」

アレックスは彼らしからぬ遠慮がちな口調で、ユイに向かい問いかける。

一方、尋ねられた側のユイは、アレックスの反応の理由がわからず、キョトンとした表情で首を傾げる。

「いや、ミリア様へのプレゼント」

「ミリア様? アレックスはその娘のことを知っているのかい?」

様付けでアレックスがその女性のことを口にしたことに、ユイは訝しげな表情を浮かべた。

そのユイの反応を目にしたアレックスは、やっぱり知らなかったのかといった表情を浮かべる。

「皇帝陛下が目にかけている美しいミリアと言えば、おそらくは第四皇女のミリア・フォン・ケルム様のことだと思うんだけど……」

「第四皇女……それってもしかして、陛下の娘さん……ってことかな」

「まあ、皇女だからね」

アレックスのその言葉を聞いたユイは、途端に大きな溜め息を吐き出すと、そのまま目の前のテーブルへと突っ伏す。

「まいったなぁ……これは真剣に贈り物を考えないといけなくなりそうだ」

ユイは疲れた口調でそう呟くと、まるで糸が切れたタコのように、その場から体を起こすことができなかった。