作品タイトル不明
変わるものと変わらないもの、そして疑うべきもの
「さて、セシルの協力も取り付けたことだし、少しこれからの計画というか各自の仕事の割り振りを話そうか」
ユイはそう口にするなり、三人を順番に見回す。すると彼を見つめる三人は順に頷いた。
「では、まずクレイリー。君にはこの市役所の帳簿や名簿、それと現在のルゲリル病の発生数と発生場所について調べてもらいたい。ただし、直接現地に行って調べるのは禁止ね」
「しかし旦那。それだと正確な統計は取れやせんぜ。かなりいい加減なものになるかもしれやせんが、それでよろしいんで?」
彼の身を案じて条件をつけられたことはクレイリーも理解していた。しかし彼としては、ユイのために出来るだけのものを作成したいという思いは強く、念を押す様に確認する。
「ああ、それで構わない。いずれ正式なものは作るから、とりあえずは大まかというか、だいたいの報告でいいんだ。だから今回はスピードだけを重視してくれ。それとまとめた資料は私が処理するから、収集だけに集中してくれればいい」
「だ、旦那がそんな雑用をやるといいだすなんて……ここに来るまでに、なんか悪いもんでも食いやしたか?」
自分で集められた資料を処理すると言い出したユイの発言に、クレイリーは珍しいものを見たかのように驚き、真剣に心配そうな表情を浮かべる。
「え、ユイ君って、そういう統計処理とか得意だったじゃない。最近はあまりやらないの?」
『紙の知識オタク』と呼ばれていた頃のユイを知るセシルは、クレイリーの言動を耳にして意外そうな声を発する。
「はは、ああ言った作業にはすっかり飽きてしまってね。やってくれる人が別にいるなら代わりにお願いするところさ。だけど、今は人がいないならね。それに今回私はしばらくこの建物内から身動きが取れなくなりそうだから、書類仕事ぐらいは手伝おうと思っただけさ」
ユイは今の自分の適当さを暴露されているような気分になり、恥ずかしそうな表情を浮かべると、頭を掻きながらそう告げる。その発言を耳にしたクレイリーは、彼の発言に僅かな違和感は覚えたものの、すぐに彼の命令に従うことを宣言した。
「旦那がなにする気かわかりやせんが、わかりやした。へへ、そう言われるんでしたら、任せてくだせえ。最速で取り揃えてみやす」
「うん、じゃあ次にカインス。君の仕事はレムリアックの軍の掌握と訓練だ。軍務長代理のセシルは、しばらくフルタイムで軍の仕事をすることが出来ないから、君が代わりにまとめ上げてくれ」
カインスに向かって視線を移すと、ユイは彼に軍事面の仕事を依頼する。
「隊長、おいらでいいんですか? そんな軍務長の仕事なんて、正直言って自信がないんですが……」
「大丈夫さ。君には親衛隊の弓部隊を訓練してもらっているんだろ。あの要領で訓練と統率をしっかり取りまとめてくれたらいい。それ以外の仕事はセシルがやってくれるから」
現在の親衛隊において、六位まで昇進した元カーリン軍戦略部の面々は、ユイの副官のような仕事をしているクレイリーと単独行動を好むクレハを除いて、フートは剣士隊、ナーニャは魔法士隊、そしてカインスは弓士隊をそれぞれ率いている。
他の二人のように癖もなく、爽やかで面倒見の良いカインスは三人の中で最も上手く隊をまとめあげており、その能力は隊長であるエインスも満足していた。
「……わかりました。やってみます」
「ありがとう。それじゃあ、君たち二人は早速明日の仕事の準備に取り掛かってくれ。あと部屋探しもしてきてくれて構わない」
ユイが二人に向かってそう告げると、クレイリーはわずかに含みのある笑みを浮かべ、ユイに向かって口を開く。
「へぇ、では行ってまいりやす。あと旦那、二人きりになるからっておかしな気は起こさないでくださいよ。エリーゼ様やリナが泣きやすぜ」
「ああ、もううるさいな。わかっているから」
「はは、では隊長。行ってきます」
カインスはいつものようなさわやかな笑みを浮かべそう口にすると、彼等は部屋から歩み去って行く。そうして部屋には、かつての同級生二人が残された。
「さて最後に君だ、セシル。君には私の研究を手伝ってもらいたい」
「研究? そりゃあ、君が手伝ってくれって言うのなら構わないけど……具体的に何をすればいいの?」
セシルは真剣な表情でそう尋ねると、ユイは頭を掻きながら、あっさりと一見ふざけた内容を口にする。
「別に君自体は何もしなくていいんだ。毎日お昼に二時間ほどこの部屋に来て、そこの椅子に腰掛けてくれたらそれだけでいい」
ユイの発言を耳にしたセシルは、一瞬ユイが何を言っているのか理解できず、訝しげな表情を浮かべる。
セシル自身、自分の美貌に多少の自信はある。そして王都にいた頃に、彼女は当時の上司にいつも舐め回すように見つめられていたことも有り、そのような目的の可能性も一瞬彼女の脳内をかすめた。
しかし、彼女を置物や話し相手として求めるような人間じゃないことは、ユイと行動を共にした経験から明らかであり、セシルはそれ以外の可能性を考え始める。
「私は何もしないでって……ユイ君、どういうことなの? 君のことだから、意味のないことではないとは思うんだけど」
「そうだね、君には全部話しておこうか。これを見てくれないか」
ユイはそう口にするなり、荷物の中から一つの紙の束を取り出すとそれをセシルに渡す。その表紙には『ユニバーサルコード理論を応用したレムリアックにおける諸政策第二稿』というタイトルが記されていた。
「こ、これは……だって、あれはもう使わないって」
その表紙を目にしたセシルは、わずかに震えるような声を発しながら表情を強ばらせる。すると、ユイは二度首を左右に振り、彼女に向かって優しく語りかけた。
「あの頃とは事情が変わったんだ。置かれている状況も、自分の立ち位置もね。もう僕も……いや、私もあの頃のままじゃないんだよ、セシル。歳を取るということは、自分と周りの変化を受け入れるということだと思うんだ」
「そうかもしれないけど……でも、変わらないものもあるし、変えちゃいけないものもあるんじゃないの?」
彼女の心境を案じてあえて抽象的に語りかけてくるユイを見つめ返すと、セシルは絞りだすような声でそう口にする。
「それはそうかもしれない。でも、昔のままの僕ではこれ以上先には進めないんだ。だから私は、多少のリスクはあったとしても、一歩前に進むことにしようと思っている」
ユイはそれだけ口にすると、決意は変わらないということを示すかのように、彼女の返事も確認せずに椅子から立ち上がる。そして、そのまま部屋のドアへとまっすぐに歩き始めた。
「どこへ行く気?」
「取り敢えず市庁舎内を探索しにね。どうせ住むにしても、少しくらいは住み心地の良さそうな部屋がいいからさ。取り敢えず、それに関しては明日のお昼には始めるつもりだから、それまでに目を通しておいてくれるとありがたい。では、また明日に」
ユイはニコリとした笑みを浮かべ彼女にそう告げると、そのまま部屋から姿を消す。そうしてその場には、過去の記憶を思い出して目に涙を貯めた女性が、ただ一人残された。
「でもね、ユイ君。変わらないものは確実にある。私のあなたへの気持ちみたいにね……ただ、残念ながらあなたの気持ちも、あの頃と全く変わってないみたいだけどね」
「教授、アズウェル教授はいらっしゃいますか?」
普段は紙をめくる音とものを書く音以外の音は存在しない教授室に、急に若い男の声が響き、部屋の中に男が入ってくる。すると、書類の山に埋もれるような形で椅子に腰掛る部屋の主は、嫌そうな表情を浮かべながら返事を返した。
「ん、なんじゃ。また客か……今月はいったいどうなっとるんじゃ。それで、何の用じゃ? ラインの小倅よ」
「はは。どうもご無沙汰しています、教授」
「だから、ここに何の用じゃ。わしは忙しいのでな、いつもいつもお前ら軍人どもの相手をしとる暇はないんじゃぞ。要件を言え、要件を」
エインスに対して睨みつけるような視線を送るとともに、アズウェルは彼を急かすようにそう指示する。
「わかっていますよ。今日は幾つか教授に確認したいことがあって、こうしてお訪ねさせて頂いたわけです」
「ふん。お前が若い女ではなく、わざわざこんな老人の所へ来るくらいじゃ。どうせ、あやつの話を聞きたいんじゃろ」
お前の考えはお見通しとばかりに鼻を鳴らしたアズウェルは、エインスの発言を先回りしてそう口にする。
「かないませんね、教授には……ええ、その通りです。実は昨日、このような手紙がレムリアックから届きまして」
エインスは手に持った手紙を広げると、アズウェルに向かってそれを手渡す。その手紙には、「準備が整ったから至急、優秀な治療魔法士を送る手配をしてくれ」と書かれていた。
「ふむ、どうやら今のところは順調にいっているようじゃな」
「……やはりあなたが絡んでいたんですね。それでこの手紙に書いてある準備って何を意味しているんですか?」
満足気な表情を浮かべたアズウェルに対し、エインスは呆れたような溜め息を吐くと、彼に向かって自らの疑問を口にする。
「人の意見を求めるのなら、まず自分の意見を表明するのじゃな。小倅、お前はどう考えておる?」
「確かにユイ先輩が作成して僕に見せて下さったレムリアックでの計画書の草案には、治療魔法士が今後必要とされる人材であるとして書かれていました。そしてレムリアックで治療魔法士を求めるということは、おそらくルゲリル病と何らかの関係があるんじゃないかというところまでは、僕にも分かります。でもユイ先輩が書かれている『準備が整った』っていうのが何を示しているのかと、なぜこのタイミングなのかがわからなくて。だからこうやって教授の所に、足を運ばせて頂いたわけですが……」
エインスは本当に弱ったような表情を浮かべながら、アズウェルに向かってそう返答した。
「ふむ……一つ聞くが、この手紙はわし以外の誰かに見せたか?」
「リュート先輩とアレックス先輩には。二人共これを見るなり厳しい表情をしまして、特にリュート先輩はそのまま部屋から立ち去ってしまいました。アレックス先輩はアレックス先輩で、ニコニコするだけで何も答えてはくれませんし……それで困ったので、教授のところに足を運んだ次第です」
「なるほど、ある程度のことを知っているとはいえ、あやつらはさすがじゃな。なら、後はあやつらに任せておいてもよかろうて」
アズウェルはそれだけ口にすると、エインスから興味を失ったように、手元の論文へと視線を落とす。
「ちょっと待ってください。今のはどういうことですか。一体、貴方とユイ先輩は何を計画したんですか。そしてリュート先輩たちは何をしようとしているんですか?」
「質問が多いのう。ふむ、回答するのも面倒じゃから、これからわしがする問いかけに答えたら、ユイの奴と作った本物を貴様に見せてやる」
「本物? どういうことですか、もしかして僕達に見せていたのは……」
予想外のアズウェルの言葉に、エインスは驚きの表情を浮かべると、わずかに彼に詰め寄る。
「貴様らに見せたのは、あやつが計画した内容の中でも、知られても構わない最低限必要な部分だけを抜粋したものじゃな。そしてあやつが書いた原本はここにある」
ユイが持ってきた計画書の原本をアズウェルは引き出しから取り出してエインスに提示する。すると、それを目にしたエインスは反射的にその計画書に手を伸ばした為、アズウェルはすぐに彼の手を躱してさっと計画書を引っ込めた。
「おっと、まだわしの問いに答えておらんだろうが。しかし全く貴様はやはり手が早いし、手癖も悪い。こんな所に女癖の悪さが垣間見えるわ」
「すいません、つい……」
空を切った手を恥ずかしそうに引っ込めながら、エインスはアズウェルに謝る。
「まあ良い。では、貴様に聞くが、ラインの小倅よ。お前はユイという人間の能力をどのように評価しておる?」
「え? ユイ先輩ですか。そりゃあ、やる気のない英雄様ですよ。それ以上に僕の大事な先輩ですけど」
「ふん、そう言った表層的なことを聞いているのではない。あやつの能力、そして実力をどう貴様は認識しておるのかと聞いている」
アズウェルの言葉を受けてエインスはわずかに考えこむと、冷静な口調で回答した。
「そうですね……頭脳は比類なく明晰、そして剣技も一番とはいいませんが間違いなく一流でしょう。それにあの先輩にしか使えない魔法もどきもあります。正直言って、軍人としては格別な存在だと思いますよ」
「それだけか?」
「それだけかって……」
更なる問いかけにエインスが答えに窮すると、アズウェルは溜め息を吐きながら、残念そうな表情を浮かべた。
「……やはり貴様はユイの本質を理解できておらん。本当にお前はあやつを理解しようとしておるのかね?」
「お言葉ですが……僕ほどあの人を尊敬して、理解しようとしている人間はいないと思います。なにしろ、あの人と出会ってからこれまでずっと、僕はあの人の背中を追いかけてきたんですから」
自分以上にユイを慕い尊敬するものはいないとエインスは自負していた。それ故に、アズウェルの発言を耳にして、彼は僅かな苛立ちを見せる。
「ならば、お前が追いかけていたユイの背中は蜃気楼といったところじゃな。教師らしくお前の回答に点数をつけるとしたなら、いいところ赤点ギリギリといったところじゃ。全く、これだけ側にいながらふがいない……」
「だったら教授は、先輩をどのように評価されているんですか?」
エインスはやや怒った口調でそう問いかけると、その表情に現れてた怒りを目にして、若いなとでも言いたげな口調でアズウェルは答える。
「基本的には貴様の回答は間違っておらん。ただ、奴の能力の根源を見落としているということじゃ」
「能力の根源?」
「だから貴様は奴の特異性を……より正確にいうなら奴の認識力というものを評価できておらんと言っておるのだ」
「特異性……認識……一体どういうことですか?」
アズウェルの言動を理解することができないエインスは、戸惑いながらそう呟く。
「ふん、ここまで言ってもわからんか? なら貴様でもわかるように、一つ例をあげてやろう。例えば貴様は魔法を使う際、どのように魔法を編んでおる」
「そりゃあ、現実の一部にその魔法の効果が発生することをイメージして、それを書き込んでいきます」
「では、貴様は敵の使用する魔法を読み取ることができるか?」
「そりゃあ、できますよ。呪文を唱えてくれたらもちろんですが、別にそうじゃなくても魔法なんて有限なものですし、その種類もある程度限られています。例えば炎の魔法で言えば、魔法としてこの世界に炎が生み出された時点である程度絞り込めますよね。そしてその出現した炎の形態を見れば、どの炎の魔法かなんてことはだいたい分かるものじゃないですか」
一般的な魔法士は相手の魔法がその空間に現出したのを目にした時点で、ある程度の種類に絞り込む。そして状況と呪文と経験から相手の編みあげた魔法を類推するものである。
それ故、これまで魔法士との訓練を散々行ってきたエインスは、出現した魔法を視野に収めた時点でその魔法の種類を洞察する自信があった。
「まあ、一般的にはそれが普通じゃな。では、貴様は一度も見たことのない魔法、例えば他国の魔法と対峙した時にその内容を理解できるか?」
「そんなこと不可能ですよ。だってその魔法の概念や存在すら知らないケースですよね、それ。そんなことできる人なんて……あれ……なんであの時あの人は……まさか!」
他国の魔法士が放つ見たことも無い魔法を、発動の直前から回避しようとしたり書き換えようとしたりする特異な人物が、急にエインスの脳内に浮かび上がる。
「ふん、ようやく気づいたようじゃな」
「確かに先輩はいつもどんな魔法使いを相手にしても……つまり、先輩のあれは単純に内外の魔法を知っていて、それを元に書き換えているのではないということですか」
「その通りじゃ。あやつの真の特異性は、魔法改変の能力などではなく、事象を細分化して情報という形で認識できる点にある」
エインスはその時のアズウェルの言葉をゆっくりと噛みしめる。そしてその意味が理解できた時、驚愕の表情を浮かべた。
「もしかして、それは魔法だけには限らないと……つまりはそういうことですか?」
「その通りじゃ。あやつには物質や魔法など全てのものを情報の集合体として認識する能力がある。もちろん、情報量が多すぎては体と脳が焼き切れかねんから、普段は魔法の情報くらいにしかアクセスせんようじゃがな。世界の法則と同調して自ら魔法を扱えないあやつじゃが、あの魔法の書き換えができるのも膨大な書き込み魔力と認識能力の賜物ということじゃ。じゃから、あやつは昔からいつも言っておるじゃろう、あれは正式な魔法ではなく魔法もどきじゃと」
アズウェルは何のことはないように、淡々と事実を説明していった。そしてその一言を耳にする度に、エインスは苦痛の表情を浮かべて、眉間にしわを寄せていく。
「そして先輩はほとんど魔法が使えないともいつも言っています。ほとんどということは、全く使えないというわけではないですよね。つまり先輩が使える魔法っていうのは……もしかして、だからリュート先輩は、部屋を飛び出したということですか。そう、先輩を助けるために」
「おそらくそうじゃろうな。わしとあやつが立てた計画では、治療魔法士を使うことを前提に計画を立てておった。しかし、おそらくリュートの奴は想定されるいくつかの最悪のケースに思い至ったんじゃろう」
「つまりリュート先輩には見えていて、僕には見えていなかったということですか、先輩の背中が。僕はこんなにずっと近くにいたのに、僕は自分が見たいと思っていた自分の中の勝手な先輩の背中を追いかけていたんですね。これじゃあ本当の先輩に追いつくなんて、僕には……」
あれほど側にいて理解していたつもりのユイの思考を、リュート達は読み取っており、自分だけが取り残されていたという事実。その事実がエインスの肩を落とさせる。
「エインス、貴様に少しアドバイスをやろう。貴様は昔、親父にこう言ったそうじゃな。『いつかユイ・イスターツを超える』と。しかし、今のままでは永遠にあやつの背中に追いつくことはできん。それどころかスタートラインにたどり着くことさえできんじゃろ」
「それは……」
憧れ続け、目標で在り続けるユイ。そしてかつて誓った彼を超えるということの意味を、改めてこの時ユイと自分との距離に気付かされて、胸を張って口にすることができなくなっていた。
「いいか、貴様が奴に追いつくことは不可能じゃ。なぜならお前と奴とでは、才能という名のベクトルが異なっとる。だからお前さんはユイの奴にはない価値と才能が自分にあることを見つめ返すべきじゃ」
「僕の価値……才能……あの人と比較出来るだけのものを、果たして僕は持っているんでしょうか?」
突然のアズウェルの問いかけに対し、やや戸惑いを見せながらエインスは自らの意味を問いかける。
「愚問じゃな。奴がお前さんを親衛隊のリーダーに据えた事こそが、明白なその証拠じゃろうて。リュート・ハンネブルグでもなく、アレックス・ヒューズでもなく、エインス・フォン・ラインを。そう、つまりお前さんをだ」
その言葉を耳にしたエインスは、わずかに体を反応させる。しかし、彼の視線はまだ地に落ちたままであった。やれやれ世話がかかるとばかりに、アズウェルは一度大きな溜め息を吐き出すと、さらに彼に向かって言葉を続ける。
「まだそれでも理解できんか。なら、わかりやすいお前さんの価値を教えてやる。ユイにはなくて、お前さんだけの価値。それはお前さんがクラリス王国の四大公家の一つであるライン家の長子であるということじゃ」
「それは果たして価値と呼べるものなんでしょうか? 別に僕は好きで貴族に生まれたわけじゃないですし、あの人を見ていると、貴族だとか庶民だとかそんなこと関係ないとわかります。人間の価値はそこにはないのだと」
庶民の出でありながら英雄と呼ばれ、異例の出世を続けるユイのことを引き合いに出してエインスはそう反論する。しかし、アズウェルはあっさりとエインスの見解を反証する。
「だが、あやつはその貴族という俗人の考えたくだらないシステムがあるゆえに、僻地に送られたり、昇進を遅らされたりとやっかみを受けておるのだろう? しかし、貴族のお前さんがもしあやつの立場ならそんなくだらん事は起こらなかった。そうは思わんかね?」
「それはたしかにその通りなのかもしれません。でも僕は……僕は貴族であるより、あの人のようにありたいんです」
「ふん、お前さんはユイを追いかけ過ぎとる。じゃが、このままお前が目の前の蜃気楼を追いかけて走り続けようとも、その延長線上にあやつはおらんぞ。お前さんの延長線上にある未来は、お前さんだけのものだ。ユイ・イスターツの道があるように、エインス・フォン・ラインの道を進めば良い。ユイ・イスターツはこの国に二人はいらんし、エインス・フォン・ラインも二人は必要ない。しかし、それぞれ一人ずつはこの国に必要じゃ。この意味がわかるか?」
エインスの瞳の奥を覗いているかのような、鋭い視線を送ってくるアズウェルに対し、エインスはやや迷いを見せながらも、自身の気持ちを吐露した。
「それは……確かにそうかもしれません。でも僕は先輩のことをもっと知りたい。例え違うレールの上であろうとも、先輩の背中を目にすることさえ出来ない今のままでは、僕は自分の道を走り続けることは出来ないんです!」
「ふむ……そこまでの覚悟か。そこまでして、あやつとともに歩みたいと思っているのならば、貴様はあやつのことを正しく理解することじゃ」
「ユイ先輩を正しく理解する……ですか」
エインスが言葉の意味をゆっくりと噛みしめるようにそう口にすると、アズウェルはそんな彼に向かって容赦ない問いかけを浴びせる。
「お前はまだ、あやつの事を知らなすぎる。例えば、奴の武術の流派を知っているか? 奴の両親のことは? 奴の魔法もどきの原理は? そして……いや、これだけでも十分か。わしが口にしたことの中で、お主が説明できることが一つでもあるか?」
「……いいえ、ありません」
唇をわずかに噛み締めながら、ユイのことを何一つ答えられなかったことをエインスは恥じる。するとアズウェルは目の前の素直な若者に向かって、わずかに優しい声色で語りかけた。
「そうじゃろう。別に、なにもあやつに関して調査しろというわけではない。しかしあやつのルーツを理解することで、お主は初めてあやつの真の姿を目にすることができるじゃろう。おっと、これは少しヒントをやり過ぎたかのう」
「先輩のルーツを調べる……ですか。もしそれが許される行いだとして、僕がそれを調べることが出来たとしても、その先にある先輩の姿を僕は真に理解することができるのでしょうか?」
エインスは不安げな声を隠すこと無く、自分の体を抱きしめながらアズウェルにそう問いかけた。
「できるだろうさ、お前さんならな。ふん、あやつはめんどくさがりの恥ずかしがり屋だから、お前さんにこの話をしたとバレると怒るじゃろうが、まあいいじゃろう。あやつはここを出る前に言っておった、貴様こそが自分の後継者なのだとな。もちろんただ単純に親衛隊のリーダーという意味ではない、真に奴の後を継ぐものとしてのだ」
「僕が……ですか。でも先輩には、リュート先輩もアレックス先輩もいますし」
エインスは彼の尊敬するもう二人の男の名前を口にする。するとアズウェルはエインスに向かって力強い視線を送る。
「ふん、奴らだってわかっておるはずじゃ。ユイの後を継ぐのはお前じゃとな」
「それは僕が大公家の息子だから」
まるで負い目であるかのようにそう発言するエインスに、アズウェルは寂しげな視線を送ると首を左右に振る。
「だからそれもお前さんの価値じゃ。それを言い訳にしとる間は、絶対にあやつの隣に並び立つことは出来んぞ……ふん、不甲斐ない貴様にもう一つだけおせっかいを焼いてやろう」
「おせっかいですか」
エインスが俯いてしまっていた顔を起こして、アズウェルに向き直ると、彼は一度縦に首を振る。
「ああ、おせっかいじゃ。いいか、真にユイ・イスターツを知る為には常識を疑え、現象を疑え、そしてこの世界を疑え」
「この世界を……疑う?」
「そうじゃ。そして事象の裏側に存在するものを読み取ってみよ。そうすることで、初めて貴様はあやつが真に見ているもの、あやつが真に考えていることにたどり着く。そこで初めて貴様はこの世界の真の姿を目にすることができるじゃろう。そして……」
そこまで口にしたところで、一度大きなためを作ると、意を決したようにアズウェルは声を発する。
「そしてお前の価値を、そうユイ・イスターツの隣で胸を張り、共に歩むことが出来るだけのお前自身の価値を築きあげて見せろ」