作品タイトル不明
四人目の護衛
王都セーブルの人々が寝静まり、喧騒も消えてやや強く吹く風の音のみが聞こえる頃、クラリス大使館の庭には、月明かりから隠れるように動く一つの影があった。
物音一つ建てぬよう息を殺しながら動くその影は、大使館の建物の側にたどり着くと、その脇手の壁に背を預けて、闇に溶けこむようにその場にたたずむ。すると、頭を掻きながら忍び足で大使館を抜け出してきたユイが、いつもの苦笑いを浮かべながら、ゆっくりとその影に近づいてくる。
「ごめん、待たせたね」
「思ったよりもかかったわね。お陰で昨日一日は、完全に待ちぼうけさせられたわ」
やや小柄な影の多少嫌味を含んだ声に、ユイは弱ったように右手の指先を前頭部に添えると、迷わず言い訳を口から発した。
「ははは、ナーニャのやつを連れて来なければならなかったからね。多少は大目に見てくれないかな。それで一体この国はどうなっているんだい?」
「現状は見てのとおりよ」
その小柄な影は、それ以上なにを言う必要があるのとばかりに、短くそれだけを告げる。ユイはその言動から、少し拗ねているんじゃないかと感じると、その小柄な影の頭の上に片手を置いてポンポンと優しく頭を叩く。しばらく間をとった後に、謝罪を口にした。
「ごめん。約束を破って到着が遅れたのは、私が悪かったよ。だから機嫌を直してくれないかな」
「はぁ、貴方相手に怒っても仕方ないってことはわかっているわ。どうせ明日には、謝ったことなんて忘れているんでしょうし」
小柄な影が諦めたようにそう呟き、ユイの手を頭から振り払う。するとユイは振り払われた手を自分の頭にやると、二度頭を掻いた。
「はは、ごめんね。でも、悪いと思っているのは本当だよ。だから君が調べたことを教えてくれないかな?」
「仕方ないわね。それでなにが聞きたいの?」
自分より年下の弟を躾けるような口調でその影が尋ねると、ユイは右手を顎に当てて口を開く。
「まずこの国内の対立構造かな。宰相派とそれ以外で小競り合いをやっているみたいだけど……」
「その通りよ。宰相派とそれ以外とで、裏でかなり激しい綱引きをやっているみたいね。一応、表向きはあまり露骨じゃないように装っているけど。もっとも綱引きといっても、だいぶ天秤は傾いてきてるわね。宰相派が飴と鞭を使い分けて、次々と国内の有力豪族を自らの傘下に取り込んでいるみたいだから」
「そうか。クラリスに報告されている情報では、実権争いは小康状態となっていたが……いよいよ均衡が崩れ始めているというわけだ」
ユイはその話を聞いて、国内の体制が固まりつつあることに若干の焦りを感じた。この国が強硬派で知られるムラシーンによって支配されることは、すなわち国力の落ちたクラリスの危機を意味する。
「ええ、その通りよ。この国の中枢は、ほぼ宰相派に占められた状態になりつつあるし、各地の豪族もうまく手懐けてきてるわ。まぁ、悪い策じゃないわね、なんせこの国の成り立ち自体が、もともと小国のより集まりからなんだから。まず地方豪族を押さえにかかるのは、妥当な手順よね」
「ふむ。じゃあ、ここの王家の人たちはどうしているんだい。国王は御病気だと聞いているが、それにしても権力の移行が早すぎる。王家の人間が抵抗もせず、あっさりと国を乗っ取られたわけじゃないんだろ?」
ラインドルが数年前まで、クラリスと良好な関係を築けていたのは、ラインドル国王の温和な人柄にあった。その人徳は他国の人間でも知るところであり、たとえ体調を崩されたからといって、ラインドルにはまだまだ彼のいる王家を慕う人間が少なくないと考えていた。そのため意外な程あっさり、ムラシーンに権力の主体が移ったことに、ユイは若干の疑問を覚える。
「それがそうとも言えないのよね。国王が御病気で倒れられた直後、この国の後継者になるはずだったカイラ王子は急に行方不明になったみたいね。おそらくムラシーンに消されたと考えるのが妥当でしょう。それと残りの王族なんだけど、第一と第二王女は軟禁状態。あと王妃を含め、それ以外の王家に関わる貴族も、護衛と言う名の監視つきで、完全に抑えられた状態だわ」
「おいおい、それじゃあ小康状態というより、もうムラシーン体制で固まっているんじゃないか?」
話の内容から、ある程度準備された権力簒奪という印象をユイは持つと、考えていた以上にムラシーンが国内を掌握している可能性を疑い、軽い頭痛を覚えた。
「ところがそうでもないのよ。さっきも言ったように、この国は小国の寄せ集めでしょ。そしてムラシーンはその中でも特に小さな北部の国の出よ。そんな奴の下に付きたくないっていう、困ったちゃんがまだまだいるみたいなのよね」
「へぇ、それで一枚岩になれていないってわけだ。なるほどね」
クラリスの現状を考えると、まだムラシーンが権力を完全に掌握するのは望ましくないという考えから、多少は時間が取れそうな報告にユイはかすかに安堵する。
「あと一部の地方有力者の中には、秘密裏にレジスタンスと繋がってる奴もいるみたいよ。まあ、どこの国も権力争いや意地の張り合いは変わらないということね」
「耳が痛い話だねぇ。それで王都自体はどういった状態かな。夕方にここに着いた時には、やけに軍兵士の数が多い印象を受けたけど」
「ムラシーンが実質のトップに立ってから、かなりなりふり構わず軍備増強を行っているのは知っているでしょ。その余剰人員を王都の警備に当てているみたい。もっとも急造の軍隊だから、質は最低だけどね」
「ああ、なるほどね。たしかに柄の悪そうなのがいっぱいほっつき歩いていたよ」
ユイは大使館までの道すがらに、街の至る所で軍の兵士たちが肩で風を切って歩いていた姿を思い出すと、他国のことながら、この街の市民に対して多少の同情を禁じ得ない。
「あとあなたにも常時、監視がついているわ。気をつけなさい」
「私にかい? 誰のことかな」
ユイは今日出会ったこの国の人間の顔をリストアップしていくと、小柄な影がその中の一人の名前を告げた。
「外務省のホイス次席大使どのよ」
「ああ、彼か。まあそうだろうね。我が国の大使館もグルじゃなきゃ、ワルムを我が国に紹介したり、学生の誘拐もあんなに鮮やかに進められるはずがないからな」
いかにも内務官僚と言った風貌のホイスを思い出すと、先日の事件と今回の情報を併せ、ユイは彼がラインドルに寝返っていることをほぼ確信した。
「彼、おそらくムラシーンと通じているわ。まだ証拠は押さえれてないけどね。さて、どうする? たぶんこの間まで彼がここのトップだったんだから、上役としてここに来た貴方のことを目障りだと思ってるでしょうし、放置しておくと必ず排除しに来るわよ。もしなんだったら本国に頼んで、別の次席大使を連れてきてもらうのでもいいと思うけど?」
「いや、このままでいいよ。おそらく彼のまま据え置いておいた方が、相手の出方を予測しやすいからね。しかも彼はあんまり荒事に慣れてなさそうだし、ヘマをやらかして足元を掬われなければ、なんとかなると思うよ」
「そう、なら好きにしなさい」
ユイのホイスを気にもとめない口調に、小柄な影はやや心配気な表情を見せるも、口ではあっさりとそれだけを言い放った。
「ああ。あと、もう少しレジスタンスに関して調べてもらえるかな。今はまだ、先方に連絡は取らなくていいから」
「人使いが荒いわね」
ユイの依頼に、その影は正直な感想を述べると、ため息を吐く。
「はは、ごめんね」
「それで、あなたはどう動くつもりなの?」
今後の予定を尋ねられたユイは、今回得た情報をもとに、脳裏に描いた今後の予定を若干修正する。そして僅かな間の後に、真剣な表情を浮かべ、口を開いた。
「今はとりあえず情報を集めるのが先決かな。君が裏から動いてくれるから、私はちょっと表から動いて見ることにするよ」
「なにする気なの?」
果報は寝て待つがモットーであるユイが、珍しく自分が動くと告げたことに、その影は驚いた表情を浮かべる。
「いや、大したことじゃないんだけど、ちょっとお話ししてみようと思ってさ。ムラシーン宰相さんとね」