作品タイトル不明
真価
「アイン先生!」
アインの姿を認めるなり、フェルムは今にも迫りかからんばかりの勢いで、彼に向かって声を放つ。
そのあまりの剣幕を前にして、アインは苦笑いを浮かべると、ゆっくりと頭を搔いた。
「えっと……どうかしたのかい、フェルム君?」
「どうかしたじゃありませんよ。今……そう今、何をしたんですか?」
「今? 頭を掻いたんだけど」
苦笑いを浮かべたまま、アインがなんでもないことのようにそう答える、
すると、フェルムは顔をわずかに赤くし、さらに語調を強めて彼へと食って掛かった。
「ふざけないで下さい! 今、僕の魔法が消えた件ですよ!」
「魔法が消えた……ね。ふむ、君の魔法が消えたという現象に関しては、ちょっとわからないな」
首を軽くひねりながら、アインはフェルムの問いかけを否定する。
しかし、そのアインの発言に引っかかりを覚えたフェルムは、更に彼に向かって質問を重ねた。
「……今のは、先生がやったのではないのですか?」
「少なくとも、私は君の魔法を消してはいない。これは保証するよ、と。まあ、そんな話はどうでもいいんだけど、それよりもルナ様共々どうしてここに?」
「え……それは先生に会いに……」
質問の矛先をはぐらかされたと感じたものの、ルナの名前を出された以上、それよりも優先してフェルムは自らの問いかけを口にすることができなかった。
「へぇ、私に会いに……か。それは光栄だね。ちょうど私も君に渡したいものがあったんだ。まあ、こんなところで立ち話も何だ。少し中に入って話すとしようか」
アインは二人の学生に向かいそう告げると、そのままクルリと踵を返す。そしてそのまままっすぐに、館の中へと歩み去ってしまった。
「……どうしますか、ルナ様?」
突然姿を現し、そしてあっという間に立ち去っていったアインの発言を受けて、フェルムは困惑した表情を浮かべたまま後ろを振り返る。
しかし、彼が振り返ろうとしたそのタイミングで、既にルナはアインの後を追うように歩き出しており、そのままあっさりとフェルムの横を通り過ぎていった。
「えっ? もちろん行くに決まっているじゃないですか。さあ、グズグズしないで早く行きますよ。あとクレイリーさんも一緒に行きましょう」
「へぇ、わかりやした。おい、坊主。お姫様に置いて行かれるようなら護衛失格だぞ。ほら、急げ急げ」
クレイリーはスキンヘッドの頭を一度撫でると、ニヤリとした笑みをフェルムへと向け、戸惑う彼を急かした。
かつてレジスタンスがその活動の本拠地とした、迷いの森の奥深くに立地する古びた館。
現在、その館をある人物から半ば譲り受ける形で使用している男は、歩くのが面倒だからと、生活に必要なもののほとんどを玄関ホールに雑多に配置していた。
それ故に、あのレジスタンスの本拠地に足を踏み入れるという期待感を有していたフェルムは、生活感溢れる余りに残念な玄関ホールの光景を目にして、思わず首を左右に振る。
「ああ、ちょっとだけ散らかっているけどさ、まあ腰掛ける場所くらいはあると思うから、そのへんに適当に座ってくれ」
自らの生徒が首を振っている姿を目にして、腰掛ける場所を探していると勝手に解釈したアインは、笑いながら三人に向かってそう告る。
「これがちょっと……ですか?」
フェルムは自らの教師の発言に頭を抱え、そして頬を引き攣らせる。
一方、彼の隣にいたルナは特に驚いた様子も見せず、軽く苦笑しながら手近な木箱の上に腰掛ける。そして彼女はアインに向かって口を開いた。
「ふふ、ほんとアイン先生らしいですね。やはりリナをここに連れてきたほうがいいんじゃないですか?」
「いやぁ、そうしたいのは山々なんだけどね。でも、こんな森の奥深くにリナを連れてくるなんて危険じゃないか。間違ってもそんな危ないことはさせられないよ」
「旦那は親馬鹿でやすからねぇ……まあ、気持ちはわかりやすが」
アインと同じとまではいかぬまでも、彼の次くらいにリナのことをかわいがっているクレイリーは、肩をすくめながらそう口にする。
一方、そのクレイリーの発言に含まれるある単語に気がついたアインは、わずかに渋い顔を浮かべると、苦言を呈した。
「おいおい、親馬鹿だって? たしかにリナのことは身内だと思っているが、私はまだ親と呼ばれる年齢ではないぞ」
「旦那ぁ……そろそろ現実を見ましょうや。いい加減旦那も、子供のいる奴が少なくない年齢なんですぜ」
クレイリーのその発言に、アインは苦虫を噛み潰した表情となると、「君の方が年上なのに」という愚痴をぶつぶつと呟き出す。
そうして不満顔なアインがいじけ始める光景を目にして、フェルムはやや反応に困りながら、彼を現実に引き戻すよう声を発した。
「あの……アイン先生。もしもし……」
「ん? ああ、失礼。でも、いつか君にも私の気持ちがわかるよ。譲れないものってのは人にはあるものさ……えっと、まあそれはいい。それよりも、私に会いに来たという話だけど、一体何の用だったのかな?」
まだ少し心の傷を抱えている様子ではあったが、アインはそれを振り払うかのように頭を振ると、フェルムへと向き直りそう問いかける。
「すいません、レポートのことでアイン先生にご相談させていただきたいと思いまして」
「ああ、やっぱりその件か。うん、ちょっと待って。はい、これ」
今回の来訪の要件を耳にしたアインは、乱雑に物が置かれた机の上に視線を走らせる。そして、その上にある古めかしい黒い革のカバーの掛けられた書物を手にすると、それをフェルムに向かって放り投げた。
「えっ、ちょっと。なんなんですか、これ?」
「ああ、それ。えっと、アドラーの書だけど、それが何か?」
「あ、アドラーの書って……ええ!?」
アインの言葉を耳にした瞬間、フェルムは震える手でその本を開く。
そして驚愕とともに見開いた彼の目には、紛うことなき大付加魔法士アドラーが記した、その文面が飛び込んできた。
「あと君のレポートが書きやすいように、適当に注釈をつけておいたから好きに使ってくれたら構わない。というわけで、しばらくそいつを預けておくということで、君の要件に関しては終わりでいいかな?」
「ちょ、ちょっと待って下さい。アドラーの書ですよ、アドラーの書。こんな代物、先生はどこで手に入れたんですか? と言うより、こんな貴重な代物に注釈を書き込むなんて、正気ですか?」
フェルムは自らの手元にあるその書物の正確な価値を理解していたが故に、軽い調子で自らへと渡されたことや、その文面に勝手に注釈を入れたという事実を受け止められなかった。
始まりの大魔法士フィラメントの直弟子であるケティス・ミラホフ。
彼は現在のミラホフ家を作り上げた人物であるのだが、他の御三家であるディオラム家やマイスム家の初代と異なり、彼自身はあまり高い魔法技術を修得することができなかった。
そんな彼の名前が今日も残っているのは、もちろんフィラメントの最初の弟子の一人であったこともあるが、それ以上に彼の第一弟子であるアドラー・フォン・レムンクルスを育てたというその一事が大きい。
アドラー・フォン・レムンクルスは地方豪族の三男としてこの世に生を受けた男であったが、類まれなるその魔法の才能故に、ケティスが直接彼の元へと弟子入りの勧誘をしにいったと現在は伝えられている。
もちろん現在では、魔法士として有望な子供などには、早い段階で国家や魔法士のスカウトが訪れることも珍しくない。
しかしながら当時は、まだ魔法が十分な市民権を有しておらず、邪法や密法などとみなされていた部分もあった。
それ故に、おおっぴらにスカウトなどはとても考えられなかった時代である。
だがケティスはどこからかアドラーの噂を聞きつけると、自ら直接足を運び、そして彼を自らの弟子とすることに成功した。そしてケティスの下でアドラーはその才を伸ばし続け、彼は現在付与魔法と呼ばれる一連の魔法群の基礎を作り上げたのである。
そのアドラー自身が、後世の付与魔法士のために書き上げたのがアドラーの書と呼ばれる魔法書であり、現存するその数は写本も含めて二桁はないとされていた。
そんな歴史的な代物に勝手な注釈を書き込み、あまつさえ机の上に無造作に置いて放り投げるという蛮行を目にして、フェルムは驚愕と呆れのないまぜになった感情を覚えずに入られなかったのである。
「まあそれはたぶん写本だしね。えっと、そいつはどこで手に入れたんだったかな…………ああ、そうだ。昔、帝国にいた事があってね、その時に知り合った商人に譲ってもらったんだよ」
「帝国の商人って……先生は昔、帝国にいらっしゃったんですか?」
「ああ、少しの間だけね。ともかく、それは正真正銘私のものだから、中に書き込みをしようと私の自由のはずさ」
アインはなんでもないことのようにそう答えると、フェルムは表情を引き攣らせる。
「そ、それはそうですけど。でも……これって、写本といえども歴史的遺産……ですよね?」
「ん? まあ、そういう捉え方もできるのかな。でもさ、本って大事に飾られるために書かれるものではなくて、読まれるためにこの世に生み出されるものさ。だから、きっとそれを書いたおじさんも本望だと思うけどね」
付加魔法の父とも称される大魔法士アドラーをおじさんと言ってのけると、アインは苦笑いを浮かべながら頭を掻く。
一方、彼のそんな発言に、フェルムは思わず天を仰いだ。
「ありえない……あのアドラー師をおじさんって……」
「まあまあ、取り敢えず過去の人のことは少し横においておこう。それよりも今考えるべきはこれからのことさ。そいつを使って……そうだね、十日間くらいで適当な草案を作り上げてくれればいい。確かその日、ちょっと実験のために大学に顔を出す予定だからさ」
顎に手を当てて少し考えたあと、アインは自らの日程を確認した上で、フェルムへとそう告げる。
すると、フェルムは自らの手元にアドラーの書を預けられるという事実に身震いし、彼はアインに向かってコクコクと頷いた。
その反応にアインはニコリと笑みを浮かべる。そしてすっかりアドラーの書のことで頭の中がいっぱいとなってしまった少年から、彼はそのやりとりを微笑ましそうに眺めていた少女へと視線を動かした。
「それで、ルナ様の方は何の御用ですか?」
「あら、わかりませんか? いつもの様に、貴方に師事しようと考え、この地まで足を運ばせて頂いたしだいです」
まったく隠すこと無く、ルナはアインに向かってストレートにそう言ってのける。
悪びれた様子を見せぬその彼女の様子に、アインは思わず首を左右に振ると、呆れたように口を開いた。
「……わかっていたからあえて聞いたのですよ。はぁ、でも今日はもう終わりです。クレイリーが十分に相手をしてくれましたよね?」
「ええ、今日もまた一つ勉強させていただきましたわ。でも、まだあなたには手合わせをして頂いておりませんよ」
「今日はダメです。それに前に約束しましたよね? 私が大学に行った時、一回に付き一度だけ御相手すると。約束は約束です」
「ぶぅぅ……アインさんはケチです」
自らの頼みをアインがあっさりと却下すると、ルナは頬をふくらませながら文句を口にする。
一方、そんな二人のやりとりを耳にしたフェルムは、アドラーの書から視線を動かすと、眉間にしわを寄せながらルナに向かい問を口にした。
「ちょ、ちょっと待ってください……ルナ様の先ほど使われていた体術って、アイン先生に習われたものなのですか?」
「ええ、そうですよ。そういえば言っていませんでしたね。ちなみにアイン先生が貴方の担当になるよりも前に、私の方が先にアインさんの指導を受け始めました。というわけで、言うなれば私は先輩の兄弟子のようなものかもしれませんね」
あまりない胸を自慢気に張りながら、ルナはそう答える。
その回答に対し、フェルムは目を見開くと同時に、彼は動揺を隠せなかった。
改めて言うまでもなく、ルナは第一王女であり、ラインドル王家の一員である。
そんな彼女が体術を習うこと自体、異例も異例と考えられた。
しかもその指導者が近衛でもなく、軍の人間でもなく、何故か王立大学の研究者という事実。
そのあまりに不可解な人選に対し、フェルムは一層の困惑を覚えずにはいられなかった。
「先生……先生は一体何者なのですか?」
「何者って言われてもなぁ……うーん、昼寝をこよなく愛する青年ってだけなんだけどねぇ」
「旦那ぁ……そろそろ青年は苦しいと思いやすぜ」
アインの発言に、それまで黙っていたクレイリーは額に手をやりながら、呆れたようにそう述べる。
「うるさいなぁ。私はいつも心に少年を飼っているのさ。だから実際の年齢との中間をとって、青年で構わないじゃないか」
「いや、まったくもって間違っていると思いやすが……」
アインの強引な論理展開に対し、クレイリーは呆れた口調でそう告げる。
すると、先程から疑念を一層募らせていたフェルムは、いよいよ我慢できないといった様子でアインに向かって問いを口にした。
「ちょっと待って下さい。先生が何歳だろうと、そんなことは構わないんです。それよりもさっきの話だと、先生は体術もできるということなんですよね。もしかして…。相当にお強いんですか?」
「強いかねぇ。どうだろう? 強さなんてあくまで相対的なものだしね。まあ、私の親友と比べたら、あんまり強くはないと思うよ」
「旦那……それは当たり前でやすぜ。というか、あの人と比べれば、この世に強い人なんていなくなるじゃないでやすか……」
クレイリーのツッコミに対し、アインは頭を掻きながらそうだねとばかりに苦笑する。
一方、そんな二人のやりとりを目にしたフェルムは、アインがまともに答える気がないと理解すると、一つの秤をもって自らの教師を計ることを決意する。
「ならば、先生。ルナ様と約束があって手合わせできないと言っていましたよね。でしたら、代わりに僕とここで手合わせして下さい!」
「君と?」
「はい。是非に!」
思わぬ申し出を受けて露骨に嫌そうな表情を浮かべるアインに対し、フェルムは自らの拳を持って目の前の男の真実の一端を知りたいと願う。
アインは顎に手を当て少しだけ黙りこむと、目の前の学生の先ほどの戦闘のことを思い出していく。そして彼はひとつの判断を下した。
「申し訳ないけどさ、君とはレポートの面倒を見る約束はしているけど、手合わせをする約束はしていないから、それはちょっとね。第一、私は肉体労働は嫌いなんだ。クレイリー、申し訳ないんだけど、ちょっと彼を頼めないかい?」
頭を掻きながらクレイリーに向かって視線を向けると、アインは済まなそうに自らの生徒のことを彼に向かって放り投げる。
一方、突然話を振られた当人は露骨に嫌そうな表情を浮かべたものの、自らのスケジュールを顧みてしぶしぶその役を引き受けた。
「あっしでやすか……まあ、しばらくはセシルさんに任せていてもいいんでやしょうが、あまり長居は出来やせんぜ」
「ああ、わかっている。先ほどの戦いを見るに、最低限の戦場での基本だけを叩き込んでくれればそれでいい。その後のことは、ちょっと私も考えておくよ」
「仕方ないでやすねぇ……おい、ひよっこ。旦那に代わって俺が、てめえの面倒を見てやるよ」
溜め息を一つ吐き出したクレイリーは、アインに向けていたものとはまるで別物と言っていい険しい表情となると、フェルムに向かってそう言い放つ。
「貴方が……ですか?」
「なんだ、不満か? ふん、そんなプライドはもう少し戦えるようになってから持つんだな」
まるで子供扱いをされているかのような言動に、フェルムは一瞬反論しかける。
しかし彼が口を開くより早く、クレイリーが言葉を続けた。
「いいか、ひよっこ。確かにお前の技量は悪くない。正直、まともに正面からやりあえば、この俺には勝ち目がねえだろう。俺は魔法なんて使えないし、別に槍の達人ってわけでもねえからな。だが、さっきの戦いが最初から一対一だったら、てめえは俺に勝てていたと思うか?」
「それは……」
戦いが始まると同時に、当初はクレイリーに圧倒されていたことを思い出し、フェルムは唇を噛む。
そんな彼の姿を目にしたクレイリーは、僅かに右の口角を吊り上げると、彼に向かって更に言葉を紡いだ。
「お前がもし軍人になるっていうのなら、戦いにズルいも汚いもねぇ。さっきの戦いだが、俺はお前らに気づかれるようあえて最初に物音を立てた。もしあれがなく、そのまま上から一撃かましていたら、早々と勝負はあの時点でついていたはずだ。いいか、戦場ってのは、本来そういう場所だ。そしてそこが俺達の住む世界であり、これからお前が住む事になる世界だ。そこんとこ、数日かけてお前のその体に叩き込んでやるよ」
そう言い切ったクレイリーはニヤリと右の口角を吊り上げると、フェルムに向かって凄みのある笑みを見せつけた。