作品タイトル不明
アインを訪ねて
ラインドル王立大学の中央図書館。
ズラリと並べられた無数のテーブルの一つに、頬杖をつきながら溜め息を吐き出す淡い銀髪の青年の姿がある。
彼がこの席に腰掛けてからこれまでに、周囲の座席には何人もの生徒が座り、そして立ち去っていった。
しかしながら彼が向き合う白紙の紙には、未だたったの一つの文字も記されていない。
そしてその事実が、ますます青年の気を重くさせていた。
「どうも、フェルム先輩。レポートは順調ですか?」
明らかに図書館の空気を重くさせているその背中に向かい、突然背後からボーイッシュな声が掛けられる。
聞き覚えのあるその声を耳にしたフェルムは後ろを振り返り、そして今の彼とは真逆の、まるで太陽のように明るい笑顔をそこに見た。
「ああ、ルナ王女。おはようございます」
「だから学内では王族扱いしないでくださいって言ってるでしょ。なんか先輩に言っても無駄な気がしてきたけど」
反射的にいつもと変わらぬ反応を示してきたフェルムに向かい、もはや諦めの気持ちがないわけではなかったが、ルナは抗議の意志を伝えようと両頬を膨らませる。
「あ、申し訳ありません……えっと、その、レポートに関しては、まあそこそこといったところですね」
しまったと思い、フェルムは慌てて話の矛先を目下の課題へと移す。
すると、ルナはやれやれといった笑みを浮かべながら、その有する才能と異なり人付き合いには少しだけ不器用な先輩の話に合わせてあげた。
「ふぅん、そうなんですね。それで、いったい先輩はどんなレポートを書こうとしているのですか?」
「僕のレポートは、この間もお話したように付加魔法です。その中でも魔石を流用した研究に関するものですよ」
話に合わせてくれた後輩に苦笑しながら、フェルムは自らのレポート課題を口にする。
「魔石を? それはつまり自身が持つ魔力の代わりに、魔石の力を使うということですか?」
「ええ、そのとおりです。例えばレリム先生が扱う『アスィエ』という付加魔法が、うちの大学では有名ですよね」
「ああ、あの剣の長さを魔力を使って自由に変化させる魔法ですが」
もともと宮廷魔法士長時代から、たまに模擬戦などで目にすることがあったレリムの魔法を思い出し、ルナは相槌を打つ。
「あれは実は剣以外にも流用できる魔法なんですが、それもこれもレリム先生の膨大な魔力があってこそなんですよ。ですので、それを普通の人が再現するには、外部から魔力を持ってくるしか無いと僕は考えました。その上で、魔石から魔力を安定供給すれば、魔法で改変したモノの形状を常時固定化できるのではないかというのが、僕の研究の要旨ですね」
「へぇ、それは面白いですね。よそから魔力だけ持ってくるわけですか……そう言えば、人の魔法に外から魔力を流し込む人もいますしね。その親戚みたいなものですね」
ルナがニコリとした笑みを浮かべながらそう述べると、フェルムはやや怪訝そうな表情を浮かべた。
「人の魔法に魔力? はは、どこで聞かれたか知りませんが、それは騙されていますよ」
「あら、そうなのですか?」
不思議そうな表情を浮かべながら、ルナは首を傾げてみせる。
そんな彼女の仕草を見て取ったフェルムは、仕方ないとばかりに現在の定説を口にした。
「ええ。人の魔法に干渉するなんてことは、確かに大魔法師フィラメントが理論上は可能と述べていますが、実際に実現したものなどおりません。その人個人の色を持たない魔石だからこそ、魔力の足しにできるのではないかと、研究され始めているのですから」
「ありえない……ね。うん、取り敢えず先輩の説明はわかりました。でもそうすると、例えば帝国が扱っていると噂される大規模集合魔法はどう説明されるのかしら?」
あえて彼女は身近な例を口にすることなく、近年開発された魔法の中でも最も有名な巨大魔法の事を例に上げた。
するとフェルムは一つ頷き、そして自らの見解を披露する。
「そうですね。噂で耳にした範囲ですが、あの魔法は集団でひとつの魔法を作るわけですから先の例に近いものだとは思います。でも、あれは始めから全員で一つの魔法を作るように設計されたものですから、干渉とはいえません」
「なるほど。しかしそうなると、先輩のやろうとしていることは、ある意味では新しい魔法を開発するようなものですね」
「ええ、そのとおりです。なので、残念ながらご覧の有様で」
フェルムは自嘲気味にそう述べると、白紙のままの紙をルナへと見せる。
その全く汚れ一つ無い紙を目にして、彼女は気まずげに苦笑いを浮かべた。
「あらら。しかしどうしたものですかね。このままだと先輩は留年ですし……あ、そうだ。やはり専門分野のレリム先生のところにもう一度行かれてはどうですか」
「それが……実は既に今日行ってきました」
ルナの口にしたことを既に先回りしていたフェルムは、一層渋い表情となる。
そんな彼の表情から、結果が芳しくなかったことを理解したルナは、やや遠慮がちに尋ねた。
「えっと、何か問題があったのですか?」
「『私のところに来るよりも、奴に直接聞くべきだ。君は何もわかっていない』と言われてしまいましてね、そのまま門前払いですよ」
「そうですか……そう言えばレリム先生が付加魔法を主に取り扱い始めたのは、確か四年前でしたね。ふむ、なるほど」
少し遠くを見るような視線でルナは納得したかのようにそう口にすると、かつて宮廷魔法士長への復職を打診された彼女が、あっさりと固辞した時のことを思い出す。
一方、心がここになさ気なルナの様子に違和感を覚え、フェルムは首をわずかにかしげながら、少し控えめに彼女に向かって声をかけた。
「ルナ……様?」
「あ、ごめんね。こっちの話。ともかく、レリム先生がそう言われるのだとしたら、やっぱり直接アイン先生のところに行けばいいじゃない」
「でも、アイン先生は週に一度しかここに居らっしゃらないですし……」
ルナの提案に対して、フェルムは週に一度しか姿を現さない幽霊博士のことを口にする。
「それは知っています。けど、だとしたら直接会いに行けばいいのですよ。簡単な話じゃないですか」
「え、会いに……ですか? でも、あの人がどこにいらっしゃるかがわからないですし」
「ふふ、私は知っていますよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべつつルナがそう告げると、フェルムは驚きの声を発する。
「えっ! なぜルナ様が」
「それは……えっと、ちょっと古い知り合いだからかしら」
「ルナ様と古い知り合いって……あの人は一体何者なのですか? レリム先生もなにか言いよどんでいる素振りがありましたし」
こうやって大学にいるからこそ出会うことも会話することも可能であるが、フェルムとルナの間には本来話しかけることすら困難なほどの身分差が存在している。
そのような高貴なラインドルの王女と、あの怠惰な研究者が以前から知りあいであったという事実に、フェルムは目を白黒させながら疑問を抱かずにはいられなかった。
「ふふ、その質問は却下。でも、あの人がどこにいるのかは教えてあげます。あの人はこの街を南に出て、その西に広がっている森。その中のとある屋敷の中で、いつも一人で研究をしています」
「南にある森……それってまさか!」
先ほどの問いかけははぐらかされてしまったものの、それ以上に驚くべき発言をルナが口にしたため、フェルムは思わず口をあんぐりと開ける。
そんな彼に向かって、ルナは片目をつぶってウインクしてみせると、全く想定外の提案を彼に向かって放った。
「ええ。通称迷いの森。その中に存在する、かつてレジスタンスと名乗っていた人たちが使っていた隠れ家に、あの人は今もいるはずですよ。さて、もし先輩がこれから向かうつもりなら、いい機会だし私も同行させてもらうとしましょうか」
迷いの森と呼ばれるラインドル南西の広大な森林。
そのある一画に、周囲から隔絶されたようにひっそりと、しかしそれなりの大きさを持ったその館は存在する。
そう、その建物はかつてムラシーンと呼ばれるこの国を乗っ取ろうとした大臣と戦うため、レジスタンスと呼ばれる人々がその本拠地とした建物であった。
レジスタンスによるクーデター事件の後、ここを本拠地としていた王子派の人々は全て王都へ移り住み、この館はいつの間にかその存在自体忘れ去られようとしていた。
しかし、先日この国を訪れただらしない黒髪の男がいつの間にかこの屋敷に移り住むようになり、そして現在は意味不明な大量の書物と物品が、かつての住民の代わりにその空間を支配するようになっている。
そんな現在のこの館の主は、ロッキングチェアに腰掛けたまま、寝ぼけ眼で古めかしい黒い革のカバーの掛けられた書物を斜め読みする形でペラペラとめくっていた。
「ふむ……少し難しいかもしれないけど、彼に渡すのはこいつで決まりかな。彼ならここから十分に新しい発想を得るだろうし、そしてその向こう側の存在にまでは至ることはないだろうからね」
誰に言うわけでもなく、目の前の書物の内容を再確認した黒髪の男は、そう呟くと同時に大きく伸びをする。そして肩が凝ったためか、二度ほどぐるりと首を回すと、眠気覚ましのコーヒーを淹れるために彼は立ち上がった。
すると、まさにそのタイミングで、普段は誰も訪れるはずのないこの屋敷のドアがノックされる。
「ん、誰かな……ああ、そうか、今日はちょうどあの日か」
アインは暦を思い出して、ぼんやりとそう呟く。
そしてのろのろとした足取りで入口へと向かうと、彼はゆっくりと扉を開ける。
すると彼の瞳には、一人の無骨な男性の姿が映り込んだ。
「やあ。久し振りだね、クレイリー」