軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

協力者

皇太子の執務用離宮。

その一角にて険しい表情をした二人の男が、机の上に広げた地図へと視線を落としていた。

「それで……君は決戦の場所に関してどう考える、ロイス君」

隣で眉間にしわを寄せながら地図を覗きこむ男に向かい、ノインはその見解を問うために視線を向ける。

「そうですね。間違っても帝都決戦という選択肢はありえないでしょう。帝都はもともと戦闘を想定して設計されておりませんし、防衛しなければならない地点が多すぎます」

「私も同意見だ。帝都は敵からすれば攻めやすく、我々からすれば守りにくい。あえて、帝都で迎え撃って、奴らに負けてやる理由など微塵もないからな」

「……仰るとおりです」

ノインの発言にロイスは頷きながらも、かつての皇太子の気性を知る彼は、意外な表情を浮かべる。

そんな部下の思考に気がついたのか、ノインは苦笑いを浮かべると、自嘲気味に口を開いた。

「ふふ、以前の私なら、自軍の負けに関わる言葉は使わなかった……な。他の者が口にしたら、戦う前から負けることを考えるなと怒ったことだろう。まあその辺りは君と同じで、私も敗北から学んだということだ」

「殿下が戦いにて敗れた話など、私は聞いたことがありませんが……」

目の前の次期皇帝の言葉を耳にし、そんな出来事に心当たりのなかったロイスは、怪訝そうな視線をノインへと向ける。

その視線に気づいたノインは、恥ずかしげな表情で一人の名前を口にした。

「いいや、直接戦ったわけではないが、私は敗れたのさ。君と同じく、ユイ・イスターツと言う男にな」

「ユイ・イスターツ……ですか」

今は亡き上官と共に手のひらの上で転がされ、そして完全なる敗北を喫する原因となったその名前を耳にして、ロイスはわずかに臍を噛んだ。

「ああ。そう言えば、君は直接あいつの顔を見たこともあるのだったな?」

「ええ、擬態で我が軍へ彼が下ってきた際に、一度だけ……ですが」

苦すぎる記憶の引き出しから、黒髪のだらしな気な男の顔を引っ張りだすと、ロイスはノインに向かってそう告げる。

「ふむ……それで感想は?」

「ただの卑怯な裏切り者だと思った以外、その時点では何も思いませんでした。もっとも今となってその時の事を思い出すと、自らの見る目のなさに愕然としますが」

唇を軽くかみながら、ロイスは俯いて地図へと視線を落とす。

そんな彼の心境を思い、少しノインは躊躇を見せるも、一呼吸置いた後に彼はゆっくりと口を開いた。

「そうか……ならば今度は君の見る目が成長したことに、一つ期待させてもらうとしよう」

「……どういうことでしょうか?」

皇太子の口から飛び出した意外な言葉に、ロイスは驚いて顔を上げると、ノインに向かいさらなる説明を求める。

「君の部隊で使って欲しい男が一人いてな。その男を君に預けたいと思っている」

「使って欲しい男……ですか。それで、その男は何処に?」

「実はそろそろここに来る手はずになっている。というより、本当はもう着いているはずの時間なんだがな。あいつはどうにも時間にルーズだから困る」

そう口にしたノインが、めったに見せない柔らかな笑みを見せたことに、ロイスは驚愕する。彼が知る皇太子は、皇族でありながらいつも凛としていて規律に厳しく、まさに軍人の鏡と言っても過言ではない人物であった。

そんな彼が次期皇帝である自らを待たせながらも、不機嫌な様子一つ見せず、ましてやその人物のことを親しげに『あいつ』と口にしたのである。

ロイスは一瞬その人物に対する興味が湧き上がるも、それと同時に先程からの会話の流れから一人の人物の可能性が脳裏を過り、その人物名を問うことを躊躇した。

「ノイン様。例のお客様がご到着されました」

会話の空白が生まれたその空間に、ノインの求めていた人物の到着を告げる声が、部屋の外に待機していた部下から届く。

その報告を受けたノインは、ニヤリと笑みを浮かべると、扉の外の部下に向かい返事をした。

「ああ、分かった。こちらに通してくれ」

ノインの声を合図として、部屋の扉がゆっくりと開けられる。

その扉から姿を現したのは、やはりと言うべきか、ロイスの記憶の中に存在していただらしなげな黒髪の男であった。

「ユイ・イスターツ!」

「えっと……ああ、リンエン将軍のところの。どうも、久しぶりです。いやぁ、私のことを覚えていてくれたようで、はは、どうも」

ノインの向かいにいる人物を一瞬思い出せなかったが、ユイは自分に対しあまり好意的ではない反応と脳の片隅に残っていた記憶から、寝返った演技をした際に面会した人物の一人だと気がついた。

僅かな沈黙。

はっきりとその空間に存在する微妙な空気を、ノインは苦笑交じりに感じ取ると、自らが緩衝材となるべくまずはユイを席につかせた。

「ユイ。遅いぞ、まったく。まあ立ち話もなんだ。こちらに掛けてくれ」

「ああ、失礼するよ」

ノインは自らの隣の席をユイへと勧めると、彼は頭を掻きながらゆっくりと歩み寄り、そのまま遠慮すること無く腰掛ける。そして、ユイは目の前に広げられている地図に気がつくと、そのまま視線をその中央部へと移した。

「なるほど、この周辺地域の地図か。ということは、やはり野戦を第一に考えているということかな?」

「ああ。お前が放り投げてきたあの意味不明の提案を、そのまま飲んでやる。そしてその為に、お前の仮の上官役としてロイスを用意させてもらった」

ノインは視線をロイスへと向けると、彼は表情をこわばらせてわずかに沈黙する。一度大きく息を吸い込み、そしてロイスは覚悟を持って鋭い視線をユイへと向けた。

「殿下。つまりここにいらっしゃるクラリスの外交大使殿を、私に扱えと?」

「おっと、今の私はクラリスの外交大使ではない……ことになっている。ここにいるのは、かわいそうなお姫様の願いを聞いてあげる、ただの悪徳商人ということにね」

ロイスには全くわからない話をユイは口にすると、隣で聞いていたノインが彼をジト目で睨む。

「ふん。忍んで行った我が妹を袖にしておきながら、かわいそうなお姫様とはどの口が言うんだ」

「別に袖にしたつもりはないけど……まぁ、そこは解釈の違いだね」

やはり知っていたのかと思いながら、困ったような表情を浮かべると、ユイは二度頭を掻く。

その仕草を目にしたノインは、呆れたように首を左右に振り、気を取り直して口を開いた。

「お前には言いたいことがあるが……まあ、それは戦いの後にしよう。さしあたって、今度の戦いだ。ロイス、作戦案の会議を進めるにあたって、まず君に言っておかなければならないことがある。今回の戦いに先立って、私とここにおられる商人のユイ・イスターツ殿との間で一つの商取引が成立した。それも天文学的な商取引がな」

「商人? 商取引?」

いきなり予想しない単語がノインの口から飛び出したため、ロイスは眉間に皺を寄せる。

そんな彼に向かい、説明を始めた当人は、一度大きく頷くと再び口を開いた。

「ああ、取引だ。その内容だが、我が国はオメールセン商会から今回の軍事行動に必要なあるモノを大量に買い入れる。そしてその付帯条件として、こちらのユイ・イスターツ殿にアフターサービスをして頂くと。つまりはそういう契約だ」

「あるモノ? 具体的に内容を教えていただけますか」

「うむ。要するにだ、レムリアックから産出され、そして在庫として彼らが有する全ての魔石を、我が軍がまるまる買い取るという取引だな」

その取引内容を耳にした途端、ロイスは思わず呻く。それはユイとノインの間でかわされた取引の規模を、彼が正確に理解したからである。

一方、そのロイスの反応を目にしたノインは、目の前の青年が単純な軍指揮官の器ではないことを改めて確認し、その表情に笑みを浮かべた。

「魔石? 魔石……ですか。しかし、どうして戦いを前にして、そのようなものを? 本人を目の前にして、そしてかつて敗れた私がこのような発言をすることに抵抗もあるのですが、それほど莫大な金額をつぎ込む価値が、このユイ・イスターツ殿にあると?」

「はは、言いづらいことをはっきり言うね。しかし、なるほど。ノインが彼を選んだ理由が、なんとなくわかったよ」

「完全な軍人脳だけの無能なら、先の戦いで飛ばしていたさ。いくらお前の相手をさせられたとしてもな」

ノインの言葉に、ロイスは一瞬表情を凍りつかせる。

そんな反応に苦笑しながら、ユイは二人に向かって口を開いた。

「先に断っておくと、さすがに私一人のために帝国もそんな取引は引き受けないよ。あくまで魔石こそが、今回の作戦の肝だから今回の取引を持ちかけたのさ。その辺りのことに関しては、後で説明させてもらう。取り敢えず、急ぎ準備が必要となる例の件を、迅速に進めてくれるかな?」

「まったく、遅刻しておいて急げとは……おまえがうちの軍の人間なら、絶対どこかに飛ばしているぞ」

やや呆れ気味にノインがそう口にすると、ユイは頭を掻きながら彼の発言を肯定する。

「はは。既にクラリスからこんなふうに飛ばされているさ。まあそれはともかく、いろいろ私も準備があってね、できるだけ早期に準備を整えて欲しい」

「おまえの手紙に書いてあった、あの意味不明の土木工作の件のことだろ? 安心しろ、その件は既に手配している。フィラメントの到着までには、十分に間に合わせるつもりだ」

既に手配をすべて終わらせていたノインがそう述べると、ユイは満足そうに一つ頷いた。

「さすがだね。なら作戦案に話を移す前に、もう一つだけ確認しておきたいことがあるんだけど、いいかな?」

「なんだ、改まって。言ってみろ」

「戦後処理の話さ。今回の戦いの後の……ね」

ユイがはっきりとその言葉を口にすると、ノインは少し難しい表情を浮かべる。

「戦後処理……か。さすがにおやじ様の意向もあるから、確定的なことは言いがたいな。もっとも私案で構わないなら別だが」

「それで構わない」

短いユイの返答。

それを受けたノインは、腕を胸の前で組むと、目の前の黒髪の思考を彼なりにトレースして口を開く。

「勝った場合と負けた場合のシミュレートはもちろん行っている。ただ、お前が気にしているのは我が国が勝った場合だろ? もちろん理想はフィラメントの併呑だな」

「……つまり逆侵攻すると?」

覗きこむようにノインへと視線を向けると、ユイは表情から笑みを消す。

「あくまで、理想はだ。仮に勝てたとしても、どうせこの度の戦いで疲弊した我が軍に、そんな余力などなくなることは目に見えている……ああ、ようやく話が見えたぞ。つまり第三国の大使として、我が国が勝った場合と負けた場合の仲裁の条件を聞いておきたいのか?」

「私の存在がばれてしまえば、第三国とは言えなくなるけど……まあ、当たらずとも遠からずかな」

ノインの切り返しにようやく苦笑いを浮かべたユイは、肯定も否定もせずに頭を掻く。

「ん? どういうことだ?」

「ちょっと私的な理由でね。今回協力する見返りに、もう一つ条件を付けさせて貰いたい」

「条件だと? ……まあ受け入れるかどうかは別にして、言うだけ言ってみろ」

ここに来て更に追加の条件など言い出すとは思っておらず、ノインはわずかに視線を鋭くすると、低い声でそう問いかけた。

「ああ。ただその話をする前に、ここに部下を一人連れて来たんでね、彼女の口から話をしてもらうとしようか。じゃあ、入ってきてくれ」

ユイは部屋の入口のドアに向けて、言葉を発した。そうしてわずかな間の後に、ゆっくりと部屋の扉が開けられていく。

するとそこから姿を現したのは、群青色のドレスに身を包んだ赤毛の女性であった。

「……ユイ、どなただ? こちらの女性は」

目の前の女性から溢れ出る気品と美しさに圧倒され、ノインはわずかに言葉を詰まらせる。

「私の部下だよ。というか、君も一度目にしたことが有ると思うけどな」

「なに? いつの話だ」

「君の誕生祝賀会の時にだよ。取り敢えず、挨拶をしてくれるかな?」

赤毛の淑女に向かいユイがそう促すと、その女性はノインに向けて優雅に一礼する。

「はい。突然訪問させて頂き、誠に申し訳ありません。イスターツ閣下の部下で、ナーニャ……ナーニャ・ディオラムと申します」

「ナーニャ……だと? もしかして、あの出禁のナーニャか! いや、そんなことはどうでもいい。それよりもディオラムだと!」

酒癖が悪く、帝都の飲み屋数件から出禁をくらっているナーニャという名前のユイの部下がいることを、報告でノインは知っていた。

それ故に、最初ナーニャという名前を耳にして目の前の女性の持つ気品と一致せず、最初に驚く。そしてその後にディオラムという姓に気づき、彼は目を見開いた。

「ええ。ディオラム家当主が長女、ナーニャでございます」

「おい、ユイ!」

ノインは慌てて視線をユイへと向けると、彼はいつもの苦笑いを浮かべながら、あっさりと一つ頷いた。

「本物だよ。嘘をつくつもりはないし、替え玉を立てたところで、調べればすぐにわかることさ。それよりも、ここからが本題だ。先ほど君は言ったね、理想はフィラメント併呑だと。それをやめてもらえないかな?」

「……どういうつもりだ?」

「彼女は国を追い出された身だけどね、それでも故国を失いたくない。そして彼女の上司である僕としては、部下の悲しむ顔が見たくない。ただそれだけのことさ」

値踏みするような視線を向けてくるノインに対し、ユイは肩をすくめながらそう言い放つ。

「ふむ……付け加えるなら、クラリスの外交大使であるユイ・イスターツとしては、今後のことを考えると、帝国が後背の安全を確保することは危険だと、そんなところか?」

「ふふ、別に否定はしないよ」

教師にイタズラがバレた時のような表情を見せたユイは、苦笑しつつ頭を掻く。

「ただ、それは先程も言ったとおりあくまで理想だ。現状ではフィラメントが我が軍より優勢なのは間違いない。戦い終わって我が国が勝とうとも、逆侵攻なんて夢物語だ。なのに、どうして今、できるはずもないフィラメントを併呑する話を問題視するのだ?」

「それはね、フィラメントを徹底的に、そして圧倒して叩き潰すつもりだからさ」

ノインの問いかけに対し、ユイはまるでなんでもないことの様に、あっさりとした口調でそう言い切る。

その言葉を耳にしたノインはわずかにその場に固まると、ゆっくりと絞りだすように声を吐き出した。

「なに? ユイ……お前……」

「ノイン。この戦い、私が帝国軍に勝たせてあげるよ。それも完勝に近い形でね。ただしその代わり、フィラメント併呑は諦めて欲しい」

はっきりとそう言い切ったユイは、ニコリとした笑みを浮かべて、ノインへと視線を向ける。

その笑みを目にしたノインはゆっくり目をつぶり、一度大きな溜め息を吐き出す。そしてユイに向かい小さく首を縦に振った。

「いいだろう。その条件……呑もう」

「殿下!」

ノインの答えを聞き、思わず向かいに腰掛けていたロイスが身を乗り出して声を上げた。

「落ち着け、ロイス。冷静に現状を把握しろ。決して悪い提案ではない、むしろ破格の条件と言っていいだろう。実現すれば……だがな」

「ですが……いえ、確かにその通りです」

ロイスはユイに対する無意識の反発が自らの中にあったことを恥じる。冷静に条件を考えれば、ユイから提示された条件は、実現するならば帝国にとって破格とも言える内容であった。

「それで説明はしてくれるんだろうな? あの魔法士ばかりで構成されたフィラメント軍、二万以上を相手にして、奴らを完全に叩き潰す方法とやらを」

「ああ。それでは一つ説明でもしてみるとしようか。自分たちの優位を信じて疑わない彼等が、そして彼らの信じているモノが、どれだけ脆いものかっていうことをね」

そう口にしたユイの笑顔は、思春期の少年が浮かべるイタズラっぽい笑みそのものであった。