作品タイトル不明
専属侍女の実家にやって来ました。
「ねえねえハル、楽しみだね!」
「そうだね」
モニカの実家であるアシュトン領へと向かう馬車の中、キャスが僕の肩の上で嬉しそうに飛び跳ねてはしゃぐ。
今年の夏休みは昨年と違い、リゼはカペティエン王国へ、クリスティアとカルラも聖王国に帰還することとなった。
これに関しては、『エンハザ』でもたった一人のヒロインとだけ過ごす夏休み限定のイベントが開催されたから、つまりそういうことだと考えている。
ちなみに、オーウェンも王都に残った。
ある意味アイツの生まれ故郷と言える貧民街に顔を出したりしたいらしい。
本当はエイバル王やマリオンから引き離したいと思いつつも、とりあえずオーウェンの希望を尊重し、二人に最大限警戒するようにだけ伝えた。
カーディスとラファエル? 二人はリリアナの実家であるアボット男爵領へ避暑に行くことにしたそうだよ。
偶然を装い、リリアナにつきまとう予定みたいだ。もうヤンデレストーカーと一緒だよね。
そしてライラには、未だに生かしているマクラーレンの監視をお願いしている。
メッチャ 拗(す) ねられたけど、アイツが逃げないように見張ることができるのは、ライラしかいないから仕方ない。
まあ、そのせいで『二十四時間の充電行為』を強要されてしまったけど。
え? 『充電行為』がどんなものなのかって? 恥ずかしくて言えない。
「今回のために、実は水着を買ったんです。そ、その……楽しみにしてくださいね」
「う、うん……」
赤い顔のサンドラが、上目遣いでそんなことを言った。
楽しみ? 当たり前じゃないか。
そもそも『エンハザ』のヒロイン達には水着バージョンのスチルが用意されているのに、婚約破棄イベントのスチル一枚しか用意されていないサンドラの水着姿……ご褒美でしかないんだよ。
そんな中。
「…………………………」
いつもならここで盛大に 揶揄(からか) ってくるはずのモニカが、無言で窓の外を眺めている。
普段と違う彼女の様子が不安になりつつも、その横顔がすごく綺麗でつい目を奪われてしまった。
……本当は、実家に帰りたくなかったんだろうな。
でも、僕が夏休みの予定にモニカの実家への帰省を加えたのには、理由がある。
彼女の実家であるアシュトン家は、建国当時から代々シュヴァリエ家に仕える家系。このことは彼女が僕の専属侍女になった時に教えてもらった。
幼い頃から諜報員として厳しい訓練を受け、アシュトン家の中でも特に優秀であるとしてサンドラに仕えることになった彼女。
仕えた当初はそれこそライラよりも無表情で、サンドラですら何を考えているかも分からなかったそうだ。
今の 揶揄(からか) い上戸のモニカからは、全然想像できないよ。
「あ……」
「わああああ……!」
馬車が丘を越えた瞬間、僕達の目の前に青い海が広がり、キャスが感嘆の声を漏らした。
キャスの故郷であるモーン島も海に囲まれているから、きっと懐かしさも……って、そんなことはないか。魔塔の帰りに墓参りしたばかりだし。
だけど。
「モニカ、綺麗なところだね」
「そうでしょうか。海しかない、本当に殺風景なところですよ」
「そこがいいんだよ」
モニカはアシュトン領を 貶(けな) すけど、綺麗な景色といい僕は気に入ったよ。
◇
「ハロルド殿下、お嬢様、ようこそお越しくださいました」
アシュトン家の屋敷に到着し、出迎えてくれたのはモニカの母親である“マーゴ=アシュトン”夫人。
灰色の髪にエメラルドのような緑の瞳。……うん、似ているのは胸の大きさくらいかな。
なお、モニカの父である“バリー=アシュトン”男爵は、シュヴァリエ公爵の侍従兼諜報員の頭領であるため、この屋敷にいることは年に一、二日しかないそうだ。
まあ、目の前のマーゴ夫人もノーマ夫人の専属侍女を務めているので、ここにはほぼいないそうだけど。
「ハロルドです。しばらくお世話になります」
「滞在中はどうぞごゆっくりなさってください。ノーマ様からも、ハロルド殿下を丁重にお迎えするようにと仰せつかっておりますので。さあ、こちらへ」
マーゴ夫人に案内され、僕達はあてがわれた部屋へ通された。
適度な広さや落ち着いた調度品の数々に、センスを感じる。
「ここはシュヴァリエ家の皆様がいらっしゃった時のために用意されたお部屋なんですよ」
「へえー……サンドラはここを利用したことは?」
「実は一度もありません」
それは意外だったな。
なんだかんだ言ってサンドラとモニカは姉妹のように仲が良いから、頻繁に来ていると思っていたんだけど……って、そもそもモニカは一度も実家に帰っていなかったって言ってたから、それもそうか。
「夕食になりましたらお呼びしますので、それまでおくつろぎください」
恭(うやうや) しく一礼した後、マーゴ夫人が部屋を出た。
でも、僕はここに到着してから、ずっと気になっていたことがある。
「……一度もモニカを見ようとしなかったね」
閉められた扉を見つめ、僕はポツリ、と呟いた。