作品タイトル不明
09
「紺色、良いですね。紺色は暗い色なイメージがあるけど、夜明けの少し前の空の色でもあるんですよ」
夜明けの空の色。
決して暗くなっていくばかりの色ではない。
そんな明るい印象さえある色な見方があるだなんて。
フリルもレースもドンと来いと胸をたたいたスピカに。
クロエは自分が好きなものに否定も馬鹿にも、笑われもしなかったことに胸を撃たれた。何か貫かれたような気もした。
しかも紺色を。
皆が、ずっと嫌々着ていたのだろうと勝手に憐れんだ――実はクロエが好きな色さえも。
この少女は。
信じて、彼女に任せたくなった。
クロエの様子に、これは自分たちが口出しをしない方が良いとセリーヌとクラリスはうなずきあった。
クロエを大事にするあまり、彼女の意見を蔑ろにしてしまうのは本意ではない。
ここは一つ、このスピカに任せてみようか。彼女の宣言とおりに。
スピカの誘導が上手いのだろう。さすがだ。クロエは少しずつ顔を上げて彼女に要望を、どんなものが好きなのか打ち明けていく。
「あの……実は……皆さまが怒ってくれて、私自身は怒るタイミングを逃していて……」
「あ……あーっ、わかります……」
そういうのわかると、スピカは頷いた。
先に誰かが泣いていたり怒ってしまったりすると気が抜けてしまう時がある。クロエの場合、今回は本当にそれだった。
スピカも先に怒ってしまった側だから。
「でも、私……恵まれているなぁて、ちゃんとわかってるんです」
もちろん、両親が亡くなったことはちっとも恵まれてはいない。むしろ辛い状況であろうに。
もしも御両親が生きていたら、今頃きっと彼女を抱きしめ慰めていただろう。
「でもだからこそ……亡くなった両親に恥じないようにしなきゃ、って……」
大事だ。
クロエの芯にあるものをスピカは感じた。
そして請け負ったのは卒業式後の舞踏会のドレスだから。
彼女が大好きな――。
「ダンス、好きなんです」
「本当はもっと踊りたい……三曲、いえ短いのなら五曲くらい連続でも」
「亡き両親もダンスが好きで、亡くなる日まで、毎日……」
クロエからの本心からの「好き」を受け止めて、スピカはスケッチブックに向かう。
「なるほど……そういやそれでなんか……」
「え?」
「あ、ごめんなさい。実は勝手にか弱いご令嬢なイメージあったのですがめっちゃ姿勢いいんで……あ、その、凛としてらして、驚いてまして……」
勝手に いつも(・・・) 背中を丸めて しおしお(・・・・) してしまっている姿を想像してきていた。まずはその背筋を伸ばさせるのが役目かと、スピカは気負ってしまっていたくらいなのだが。
クラリスがそっと目をそらした。明後日の方向に。確かにそんな誤解を義娘に植え付けてきてしまったかもしれない。
それくらい普段のクロエは大人しく礼儀正しく――亡き両親の恥にならないようにと何ごとも懸命にしている少女だったから。
今回の婚約解消は、それくらいショックだったのではと。
……てっきり。
これはクロエが自分で怒るタイミングを逃すわけだ。
「いやでも、本当に頑張りすごいですよ!」
スピカは同じ学園の後輩にもあたるのだ。
クロエの経歴や現状。察して余りある。
話を聞いてイメージがガラガラと変わっていく。
クロエ・グラフティーは背負った責任を理解して、しっかり前を向いている――格好良い。
何より領地管理科目は今年度の首位だ。
総合首席は惜しくも逃しているけれども。他の苦手科目で総合的には三位らしいが、それでもすごい。
スピカも伯爵位となったことで――本来跡取りであった兄が資格を失ったことで、来年度からは領地管理科目を受けることになっていた。
婚約者であるセオドアが修めているけれど、それは、それ。
スピカだってきちんとしたい。
クロエ(姉弟子) を知ってますますその気持ちになった。
これはこの国の貴族で、領地持ちの跡取りならばよほどの例外がなければ取らねばならない科目だ。それがなければお家がお取り潰しにもなりかねない。
先頃、ネージェン侯爵家が寄り子のバーディ家の跡継ぎをセオドアに替えることにしたのは、本来の跡継ぎであったレティシアがその授業についていけなかったからだ。
それほどの大事な科目。
よほどの例外は過去にいくつかあった例として。
夫と息子夫婦を不幸にも亡くして、幼い孫が成長するまでの数年ならば管理を許された未亡人など。その場合は王家や近隣の領主たちの許可と協力を。
そして寄り親貴族に己が成長し学園を卒業し成人するまで爵位を預かって頂く場合など――クロエのように。この場合、領地管理は寄り親貴族がして、監査を王家がする。
もっとも監査は他のどの領地でもだが。
どれも正統な跡継ぎが領地管理科目を修めることを、条件の一つとして。
クロエも学園に入学し、きちんと領主管理科目を受け卒業することを条件にネージェン侯爵家のお世話になったのだ。
さもなければグラフティー子爵位はとっくに王家にお返しすることになっていた。
それくらい貴族で在るということは責任があるのだ。
それは領地を管理――王家より授かりし財産を護るために様々なことを学ぶのだ。
財産とは土地だけでなく。祖先たちからの歴史や想い――そしてその地に生きる民を。
領主とは、いざとなれぱ旗を持ち戦場に立って民を護るために在る。
それが貴族という存在だ。
領地管理科目には戦略や戦闘の授業もある。いざとなったときに何処を優先するか――王都からの補給の大切さもわからぬでは大問題だから、大切な授業だ。
女生徒で首席というのは実は過去に五人しかいない。クロエが五人目だ。
クロエはいざとなれば戦場に立つため、細剣の修練も欠かさなかった。得物は各々得意を選べる中でクロエは細剣を選んでいた。
その腕前は――首席は伊達ではなく。
「……細剣」
「あ、女生徒は免除されているから! 絶対に受けなくちゃいけないわけじゃないから! 軽い護身術もありますよ!?」
ひょっ、と――息を飲み込んだスピカにクロエは慌てて先輩として説明を。スピカ、実は生前より運動音痴であった。その分は姉に才能が偏っていたなぁと……遠い目。
「あ、でもそうすると首席にはなれないけど……うん、点数は引かれてしまいますから……」
「来年度から、が、頑張りますぅ……」
「良ければ教えますよ。姉弟子ですから」
「あ、私も姉弟子ですわね?」
実はセリーヌも細剣の達人であったりする。
もちろんその教師である方こそ、実は。
「ええ、義母(予定)にお任せください?」
スピカの十八番をここぞとばかりに皆さまに。
ひょええ――と、小さな悲鳴が起きたのは今は置いておいて。
こうしたクロエの頑張りをわからずにいたテレンスだ。
クロエは婚約解消となって良かったのではないかと、スピカはもぐもぐと飲み込みつつ。
亡き御両親の残した領地を護るために。
この姉弟子さんはこんなにも頑張ってはるんやなぁ……。
自分も何故か伯爵位を受けることになったのだから、そこに住んでいる人たちのために頑張らなければと、スピカにも気合をいれることになったとは彼女も思いもしてなかった。
ひとは思いもしていなかったところで他者に影響を与えるものだ。
そしてその話の脱線で。いやそういうところにこそ大事なことは隠れているわけで。
よもやそこでスピカに――雷が。
「そうそう、二人で一緒に細剣を習ったのよね」
「ダンスの時みたいにリズムが合っていた御二人でしたね」
セリーヌとクロエは二人同時にクラリスに師事を受けていたのだ。
一人教えるも二人教えるも同じ。むしろ二度手間。同じお家に住んでいる同じ教え子同士である。
一歳差の少女たちはまるで姉妹のように。
「ダンスの授業ではクロエが男性パートを踊ってくれたから助かったわ。さすがグラフティー子爵譲り」
「私、男性パートも好きですよ。でも相手はさすがにセリーヌ姉様と先生だけでしたけど」
「あなた、本当にダンス好きよね。婚約者にダンスが上手いってほめられたのはクロエのおかげだわ」
クラリスと教え子たちのその思い出話。
もともと、亡き御両親から――ダンス好きな御両親から、クロエは……。
「男性パート!?」
そう、この話を受けたときは。クラリスに相談されたときは。
婚約解消をされて高い背を丸めてしまっている、自信なさげな少女のイメージを勝手に思い描いていた――クロエが。
けれどもクロエは――実はこんなにも格好いい。
その時。
スピカに雷が落ちた。
いや、先ほどから出るな出るなと我慢して押し込めていた――そのイメージ。
スピカがいきなり猛然とスケッチブックに描き始めて。
義母(予定)として慣れ始めていたクラリスは驚く二人に大丈夫だと伝えつつ。
――やがて。
「もしや、あの……もしや、なのですが……いや、これ、お嫌であれば、あの、本当にちょっとした思いつきなんですが……こないだから試作してるスポーツブラのこっそりお披露目になるし……つか、こんお人やったらコルセットはいらんわ、絶対自前で腰細やろ」
頑張って生前の知識を引っ張り出して下着類も試作し始めていたスピカは。これは良いタイミング、いやテスターになっていただけるのではと考えた。
言葉の切りが悪いスピカに「何でしょう?」とクロエは首を傾げたのだが。
「あの……こういうのとか、着てみたくはないですか?」
それは――それは、タキシード……の、ような?
ような、と思うにも。
夜明けの空色のドレスだが、それは男性の服のようでありながら、それでもやはり女性のドレスとしか。
何とも絶妙な。
そしてなんて美しくて華やかで――格好いい。
スピカはきちんとクロエの要望を聞いてフリルやレースまで取り入れてくれた。
その袖や裾の内側に使われるフリル。袖口や要所に飾られるレース。
そして腰を飾る大輪の薔薇の華。
一見は男装。けれどもあくまで女性用だとわかる。
「あ、ごめんなさい。なんかあの、降りてきたっていうかなんというか、クロエ様、男性パート嫌やなかったらですけんども、あのめっちゃ似合うと――」
「着たい」
「あ、はい」
「むしろ私にしか着れないわ! 任せて!」
クロエは解った。
これは スピカ(妹弟子) の新たな幕開けとなる。
きっとこうした男装は受ける。
もともと乗馬服などとして、女性にもズボンなどは広まり始めている。
そこに、このデザインが参入することになる。
ならば自分が先駆けとならねば。
「ええ、そうね……こうね? お任せください!」
――やっぱり格好いいなあ、この姉弟子。
「あ、でもそうなると……パートナーをどうしましょう?」
そうだ。まだその問題があった。
このままでは三位入場という目立つことを一人で。
それがあのテレンスの目的なのだ。クロエを笑い者にすることを。
セリーヌが、妹を笑い者にされるくらいなら自分がと勇気を出した時。
「クロエが男装なのよね? ならばいっそここは姉同然の私が――」
その時。
扉を開けながら。
若く勢いある――想いのこもった声が、重なった。
「お任せください!!」