作品タイトル不明
04
「婚約を解消しよう」
テレンスは踏み切った。
学園卒業一ヶ月前に。
やはりクロエと結婚をしたくない、と。
例え子爵位を継げ、貴族でいられるそんな好機を自ら捨ててでも。
クロエはテレンスに学園にあるカフェに呼び出された。
久しぶりに婚約者らしい話もあるのかと喜んでしまった自分に対してクロエは甘かったとすぐに後悔する。
卒業のこんなぎりぎりまでテレンスを信じてしまった自分を。
いつもドレスが贈られても紺色だから、卒業のドレスもきっとそうだろうと――打ち合わせすらしていなかった自分は、ずいぶんと呑気で間抜けだと思われていたのだろうな、と……。
さすがに卒業まで残り一ヶ月となればテレンスも卒業後のことを考え始めたのかと。
グラフティー子爵家を継ぐことは卒業後にゆっくり準備をしたら良いと、それまでは学業や学園生活を優先しなさいと預かってくださっている侯爵様から優しく言われていて。クロエはありがたく学業を優先していた。
もともと結婚も急ぎではないし。むしろ侯爵家はセリーヌの準備で忙しいのだから、クロエのことは後回しにしてほしいとクロエ自身がお願いしていたくらいだ。セリーヌの準備を見ていることもまた自分にとっては勉強になるようなものだし。
もちろん子爵家を継ぐために領地管理科目を受けたり、他にも同じように家を継ぐ立場にある子息子女たちとも友好を結んでいた。
クロエはきちんと考えていた。
テレンスも同じように科目を受けていたから、また同じように卒業後を考えてくれているのだと――思っていた。
そして確かにテレンスは考えていた。
自分のことだけを。
予約をきちんとしてあったカフェは仕切られて個室のようなブースもある。
テレンスはそうした場にクロエを呼び出した。
二人きりで会うのは、ずいぶんと久しぶりだとクロエも緊張気味で。どんなことを話そうか、セリーヌの結婚準備が大変だから、自分たちはもう少し規模を小さくしよう。さすがにドレスはいつもの紺色以外で。あ、もともと子爵家だから規模が違うのは当たり前なんだけど――なんて。
けれどテレンスからはそんな心構えが無駄になることを。
予約をきちんとしていたのは、話の内容が内容だからだ。他者に面白おかしく聞かせる話ではないと、テレンスもさすがに考えたのだろう。
侯爵家からの婚約話を無しにする話なのだから。
「……解消、ですか?」
「ああ、本当は白紙にしたいがさすがにそれはできないだろう?」
これはネージェン侯爵家が整えた婚約だ。
テレンスもさすがにそれくらいはわかる。
それでも。
さすがにクロエもテレンスが自分との結婚を望んでいないのは、この三年間で。さすがにクロエは自分の甘さに後悔した。
こんな、卒業ぎりぎりまで……――。
「あ、あの……それではテレンスは卒業後は……爵位は……」
「……俺はそうやって、お前のおかげで貴族でいられる、そう言われ続けることも……もう、うんざりなんだ」
「あ……」
長いこと――この学園生活の三年間、テレンスのプライドを傷つけていたのだと。
テレンスにとっては、爵位を目の前にちらつかせられながら。そして結婚したら一生「クロエのおかげで」と言われ続けることになる。
うんざりだ。
「だったら平民になってもいい。もう商会に雇ってもらえることになっている」
爵位の継げない次男三男などは家にやっかいになるか、平民になって士官なり、就職なりするかだ。
テレンスはクロエと結婚するならばその方が良いと、もう就職さえ決めてきているという。
もう、そんな決意を。
「……わかりました」
内心ではもっと早くにと――いや、確かに自分のような女と結婚してくれるひとはいないかもしれないと、クロエも内心では思っていた。
だから確かに、子爵位をもってテレンスを縛り付けているのはあったかもしれない。
なので、ネージェン侯爵家からの話であってもこのように「やはり嫌だ」と言われたのなら。
クロエは――婚約の解消に頷いた。
ネージェン侯爵家も爵位を継げない寄り子貴族の次男坊が、それほどの決意で婚約の解消を願うのならばと頷いた。
クロエと同じように「もっと早く言え」とは思ったが。何より三年前の時点で。
ネージェン侯爵夫妻としては、友人の忘れ形見であるクロエを大切にしてくれる相手を番わせたかった。
自分たちの人を見る目が無かったとため息をつかれた。
今では子供たちも大切にしているクロエをまた我が子のようにも思っていたからだ。五年とは友人の突然の死の哀しみを癒やしながら、また新たな家族の幸せを願う時間となったのだ。
テレンスではクロエを大切にはしてくれない――そう、学園生活からも予想がついていた。
ただ、クロエが「テレンスで良い」と言い続けたために。
ここに、すれ違いが。
侯爵たちはクロエの気持ちをいつでも優先したのだが、当の本人が「せっかく侯爵様たちが結んでくれた御縁だから」と。そして婚約を結んだばかりの頃に優しくしてくれたテレンスを覚えて――信じたあまりに、我慢をしていたのだ。
背に舌打ちされるのも、壁の花にされるのも――隣を歩くなと言われるのも。
――だからテレンスも増長したのだが。
ネージェン侯爵家もテレンスがそこまでの、平民になってでもと決意しているならばと頷いた。
クロエの醜聞となることは眉をひそめながら。
こんなことになるならばもっと早くに手を打てば良かったと――テレンスの小狡い性格に、もっと早くに気がつくべきであったと。
むしろそこまで気にしているならちゃんと言ってくれたらよかったのに。
本当にそればかり。
クロエとの背の並ぶことにそんな屈折した思いをされているなら、クロエだって幸せになれないのだから。
別に断ってくれたら、クロエにはまた別の婚約者候補だっていたのだから。
それをテレンスは気がついていない。
あくまで自分だから「選ばれた」と思い込んでいると。密やかに呼び出された彼の親と兄は、顔色を真っ青にしてクロエに頭を下げたというのに。