軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

4  贖罪と復讐の末に

『あなた、怪我をされているのね? それなら、大聖堂にお越しくださいな』

どうして、なんで、とナザリオは狼狽した。

そのため、普段ならすれ違う人とぶつかったりしないのにバランスを崩したし、被っているフードが引っかかり顔が露わになるというミスをしてしまった。

王都で、刃こぼれしたナイフの打ち直しをしてもらった直後。

ナザリオは、ルーチェと会った。

彼女は目の前にいるのがナザリオだとわかっていないようだったが……なんと、こんな醜い顔を前にしたというのに優しく声をかけてくれた。

『実は私、神官なのです。今は杖を持っていないので治療できませんが、大聖堂に紹介することならできます』

お忍びの外出中なのだろう、王甥を夫に持つベルトイア夫人とは思えないほど質素なワンピース姿のルーチェは、ナザリオに笑顔でそう言う。

こんな、腫れ上がった顔なのに。

客商売をする女でさえ、悲鳴を上げて逃げていくような顔なのに。

もし彼女にかつての記憶があるのなら……【1度目】での自分と同じような顔をしているのに。

どうしてこんなに、優しいのだろうか。

ルーチェと会っただけでなく優しい声かけをしてもらえたことで、ナザリオはしどろもどろになった。

自分でもなにを言っているのかよくわからなくなりつつもその場から逃げ、どきどきと鳴る心臓を手で押さえた。

先ほど会ったルーチェが、八年前に見かけた少女と重なる。

かつてナザリオの暴行を受けて光を失っていた瞳は、きらきら輝いていた。信頼できるのだろう騎士と侍女を連れて王都の散策をするルーチェは、たくさんの愛情で満ちあふれていた。

きっと、幸せな日々を送っているのだろう。

きっと、夫から愛されているのだろう。

「……よかった、ルーチェ。君が幸せなら、それで……」

人気のない裏路地に入ったナザリオは、震える息を吐き出した。

ルーチェには、こんな暗がりなんてふさわしくない。

彼女にはいつまでも、日の当たる場所を笑顔で歩いてほしかった。

自分の体調がおかしい、とナザリオは気づいていた。

まだ二十三歳という若さなのに体が言うことを利きにくくなり、時折体が震えたりなんの前触れもなく胃の中のものを吐き出したりする。

「制限時間が迫っているということか……」

今日も今日とて激しく嘔吐してしまったナザリオは、汚れた水で口をゆすいで自嘲した。

どうやら神は、ナザリオに天寿を全うさせるつもりはないようだ。おまえの命はあとわずかだから最後の仕事をしろ、と言っているのではないか。

折しも、あのマリネッタがついにベルトイア夫人毒殺未遂事件で捕まり、裁かれたという噂が流れた。

彼女の有罪が決まり、王国北にある修道院での幽閉が決まったとも。

……ナザリオは、気づいた。

これが、自分のするべき最後の『仕事』なのだと。

ナザリオは、大聖堂を出発する護送馬車がどのルートを通って修道院まで行くのかを調べた。そしてその途中で立ち寄る宿に先行して、一行が宿泊するのを待つ。

そのとき、一瞬だけマリネッタの姿が見えた。かつての美貌も消え果て、ぼさぼさの髪でぼろを纏うマリネッタの横顔を見ても、ナザリオの胸は驚くほどなにも感じなかった。

「……当然の報い、だな」

夜になり、ナザリオは見張りのいない空の馬車に向かってそのドアの蝶番に細工をした。

普通こういう罪人を連行する馬車は、内側からは鍵が開かないようになっている。だが一度鍵を解体して中をいじり、内側から力をかければドアが開くようにした。

さらに馬車の行く先で大きな木を倒して、道を塞いでおく。これで、馬車の動きを止められるはずだ。

そこまでやってから、ナザリオは今手持ちの金を全て宿の裏口に置いたうえで、宿の納屋に火をつけた。

ボヤ騒ぎで宿は騒然となり、罪人であるマリネッタを他の宿泊客に見られてはならないということで仕方なく一行は馬車に戻り、夜中ではあるものの次の宿まで進むことになった。

それを見届けたナザリオは全速力で走り、倒木のある場所の手前で待機した。そろそろ、マリネッタがドアの不具合に気づいてもいい頃だ。

そうして倒木を前に馬車が停まり、護衛係たちが木を起こそうとしているとき、鈍い灰色の影が動いた。

マリネッタが、馬車から逃げ出した。

やった、食いついた、とナザリオはちまちま歩くマリネッタの先回りをして、立ち塞がる。

「……そこをお退き!」

この期に及んでも、マリネッタは自分がかしずかれるべき立場だと信じているようだ。

本当に、過去の自分はなぜこんな馬鹿な女に仕えていたのだろう。

……だが、もう悩む必要はない。

ナザリオはコートの下で、ナイフを構えた。ルーチェと再会した日に、来るべき日に備えて打ち直してもらったあのナイフだ。

そしてマリネッタが自分の脇を通り過ぎようとした瞬間、彼女の薄い胸に向かってナイフの一閃を繰り出した。

これまでいくつもの死線をくぐり抜けてきたナザリオの一撃は、マリネッタの心臓を確実に貫いた。

だがすぐに引き抜きはせず、放心状態で仰向けに倒れたマリネッタの上に乗っかかる。

……青色の目が、呆然とナザリオを見ている。

かつては恋い焦がれたその目も、今のナザリオの心を動かすには至らない。

『ご主人様』

ルーチェの涙混じりの声が、頭に響く。

ナザリオはマリネッタの耳に唇を寄せ、ささやいた。

「……薬が入れ替わっていて、残念だったな」

その一言に、マリネッタは驚愕したようだ。

そして、目の前にいる男が薬をすり替えた犯人なのだと気づいたらしいが――遅かった。

ナザリオはナイフの柄に手をかけ、思い切り引き抜いた。栓を失った心臓が勢いよく血を噴出させ、生温かい液体がナザリオの顔にびしゃびしゃと飛び散ってくる。

一度大きく痙攣したっきり動かなくなった元聖女の死骸を見下ろし、ナザリオはナイフを捨てた。そして背後から護衛係の神官が近づいているのを察知して、その場を後にする。

「……は、ははは! やった、やってみせた……!」

薄暗い馬車道を歩きながら、ナザリオは壊れたかのように笑う。

いよいよ体だけでなく心も壊れかけているようだが、もうなにも気にならない。

ルーチェの幸せは、守れた。マリネッタを、始末することができた。

……神からの試練は、全て果たせたはずだ。

「は、はは……っあ」

ふいに、ぐらりと体が揺れた。ろくに前も確認せずに歩いていたので、足下が崖になっていることにも気づかなかったようだ。

ガラガラと足下の土が崩れ、真っ暗な夜の闇に吸い込まれていく。

ここから落ちたら、どうなるのだろうか。

幸運にも一命を取り留めたとしても、夜に出没する魔物に襲われて死ぬのが関の山だろう。

だが、もういい。

もう、未練はない。

「ルーチェ……」

重力に逆らうことなく闇の中に身を躍らせながら、ナザリオはかつての妻の名を口にした。

――信じてやれなくて、すまない。

――大切にできなくて、すまない。

「幸せに、ルーチェ――」

ガラガラガラ、と石が崩れていく。

その音を子守歌に、ナザリオは静かに目を閉ざした。