軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第4話『女将と花売り』修正版

かーん! かーん! と槌を打つ音がエラキス侯爵邸の一角……エラキス侯爵邸を囲む塔の一つ……から響く。

そこには炉があり、金床があり、炭が山のように積まれ、ドワーフが慌ただしく歩き回っている。

「おおっ! クロノ様、お待ちしておりましたぞ!」

「百人隊長、聞きたいことがあるんだけど?」

何から尋ねるべきだろう、とクロノは塔を見上げた。

「クロノ様のお陰で素晴らしい工房が建ちましたぞ」

「そりゃ、金貨千枚も使ったらね」

ハハハッ、とクロノとドワーフは笑った。

「で、合成弓の方は?」

「……材料は揃えましたが、実際に造るとなると」

「すぐに結果を出せとは言わないけど、遊びで工房を造ったつもりもないからね」

少しキツい言い方だっただろうか、とクロノは百人隊長を見つめた。

「必ずや期待に応えてみせますぞ」

「期待してるよ」

これは偽らざる本心だ。

この工房で武器と防具を造れるようになれば大幅な経費節減になるし、今よりも優れた品質の武器と防具を開発すれば、部下を死なせずに済むかも知れない。

「クロノ様、実は……若い頃に考えた鎧のアイディアがありまして」

「構わないよ。もちろん、命に関わることだから、しっかりと耐久テストをやって、それで問題がなければ、その新型の鎧に切り替えていこう」

「はい! すぐに取り掛かります!」

やる気満々だなぁ、とクロノはドワーフの百人隊長を見送った。

「クロノ、しばらく見ない内に亜人の扱いが上手くなったな」

「何だ、ティリアか」

「私で悪いか!」

ティリアは憮然とした表情でクロノの隣に立ち、呆れたような視線を工房とクロノに向けた。

「亜人に魔術の付与された武器をやったり、工房を造ってやったり、ま、まま、毎晩、あのハーフエルフをベッドに、つ、連れ込んだり、お前は亜人を甘やかし過ぎなんじゃないか?」

「僕の部下は亜人しかいないんだけど」

そういえば、エラキス侯爵の部下……同僚や人間の兵士は何処に行ったんだろう?

「と、特にハーフエルフがいけない。お前が何を思って、ハーフエルフと、み、み、淫らな行為に耽っているのか分からないが、ハーフエルフは人間にも、エルフにもなれない半端者だ。愛を囁きながら、財産を毟り取るつもりに決まっている。聞いているのか、クロノ!」

「ごめん、半分くらい聞き流してた」

「お前のためを思って、言っているんだぞ!」

ハーフエルフの結婚詐欺師にでも騙されたことでもあるんだろうか? とクロノはティリアを見つめた。

けれど、これがハーフエルフに対する普通の感覚なのだとしたら、あまりに彼らが報われない。

「分かったら、あのハーフエルフに手切れ金を渡して追い出せ」

「……ティリア、僕はレイラを追い出すつもりなんてないよ」

え? とティリアは驚いたように目を見開いた。

「そりゃさ、レイラにも少しくらい打算はあると思う。けど、ハーフエルフだからって色々なことを諦めてきたレイラが僕を求めてくれた。それは、すごく勇気の要る決断だったと思うんだ」

「そんなの、お前の想像じゃないか」

「そう、かも知れない。ティリアの言う通り、レイラが僕を騙していたとしても、僕はレイラを信じるって約束したんだ」

「……お前は」

ティリアの顔が歪む。

「お前は馬鹿だ! 馬鹿だ、馬鹿だと思っていたけど、大馬鹿者だ!」

「ちょっと、ティリア」

「私に触るな!」

ティリアに殴られ、クロノは尻餅を突いた。

「良いか? 私は忙しいんだ。いつまでも帝都を留守にする訳にはいかないからな。さっさと新しい使用人を雇って、私を帝都に帰らせろ!」

クロノに背を向けると、ティリアは荒々しい足取りでエラキス侯爵邸に戻って行った。

「クロノ様、大丈夫ですかな?」

「……口の中を切ったみたいだ」

「唇も切れてますぞ」

クロノは口内に広がる鉄臭い味に顔を顰めた。

「本当に、クロノ様はレイラを愛しているんですな」

「僕なりにね」

軍服の袖で血を拭い、クロノは立ち上がった。

「何処へ行かれるのですかな?」

「ティリアが帝都に帰りたがってるから、使用人を捜しに行こうと思って」

当てはないけどね、とクロノは空を仰いだ。

経理は欠かせないとして、侯爵邸を管理するのに何人くらい必要なんだろう?

養父の屋敷を思い出そうとしたが、さっぱり思い出せない。

「取り敢えず、ミノさんに転職希望の兵士がいないか聞いてみるか。今日は街の外で訓練をしてるはずだけど、この格好はマズいかな?」

使用人を捜しに行くと伝えたものの、クロノは何のコネもない自分が簡単に使用人を雇えると思っていなかった。

だったら、街の視察も兼ねようと、軍服から普段着に着替えたのだ。

今着ているのは平民風のチュニックと麻のズボンだ。

もっとも、平民にしては小綺麗なので、見る人が見れば金持ちのボンボンという印象を抱くかも知れないが。

露店でドライフルーツを買い、適当にふらついた後、行商人と交渉して馬車の荷台に載せて貰う。

エラキス侯爵邸から商業区はそれなりに治安が良いようだが、浮浪者や浮浪児、売春婦らしき女性もいる。

「……浮浪児が、多いね」

「エラキス侯爵が救貧院を潰しちまったからな。けど、あいつらは努力が足りねーんだから、同情する必要なんてねーよ。」

クロノが呟くと、行商人は侮蔑の念を隠そうともせずに言った。

吐き捨てる、という表現がぴったりだ。

「なるほどね」

そりゃ、そんな考えの人間ばかりだったら、浮浪者や浮浪児が減るはずない。

「黄土神殿の神官が飯を恵んでやってるらしいけど……はっ、飯をめぐんでやったら、怠け癖がつくだけさ」

「まあ、宗教の人だからね」

馬車から蹴り出されたくないので、クロノは適当に話を合わせた。

黄土神殿……六柱神の一柱、『黄土にして豊穣を司る母神』を奉じる神殿のことだ。

他に、アルゴ王国の指揮官が信仰していた『真紅にして破壊を司る神』、『蒼にして生命を司る女神』、『翠にして流転を司る神』、父祖である『純白にして秩序を司る神』、その妻である『漆黒にして混沌を司る女神』がいる。

どうして、こんな長ったらしい名前で呼ばれているかといえば、みだりに神の名を呼ぶことが禁忌とされているからだ。

ついでにいうと、神威術を極めたものだけが神の代行者として、その名を知ることができるらしい。

六柱神はケフェウス帝国でも信仰されているが、神殿の政治的影響力は大きくない。

これはケフェウス帝国の初代皇帝が『神殿が俗世に関わるんじゃねーよ!』と徹底的に弾圧をしたせいだ。

「ここまででいいや」

「じゃーな、ボン!」

クロノが門の近くで飛び降りると、行商人は乱暴な感じで別れの言葉を口にした。

「さて、訓練に使っていたのは」

クロノは記憶を頼りに練兵場を目指す。

幸い、練兵場……単なる荒れ地で、的にする木の杭があるだけだ……はすぐに見つかった。

退院したばかりということもあり、今日は種族ごとに組み手や魔術、弓の練習を行っているようだ。

実戦を想定した訓練では、百人単位で部隊編成するのだが、騎兵も、弓兵もいない状況ではそれもままならない。

「う~ん、凄い迫力」

人狼や人獅子の組み手も迫力があるが、ダントツなのがミノタウルスやリザードマン同士の組み手だ。

丸太のような木の棒で殴り合いは絶対にマネしたくない。

クロノに気付いたのだろう。

副官は監督役をリザードマンに任せ、クロノに歩み寄る。

『大将……唇が切れてやすぜ』

「転んじゃって」

『大将も迂闊な所がありやすね。今日はレイラを見に来たんですかい?』

「使用人を雇おうと思うんだけど、退役希望の部下はいないかなと思ってさ」

ぶふ~、と副官は鼻で息を吐いた。

『待遇が改善したもんで、動けるヤツで退役希望者はいやせん。ただ、傷の治りが遅かったり、後遺症が残っちまった部下がいるんでさ』

「何人くらい?」

『エルフとドワーフ、合わせて二十人で。まあ、ドワーフの男は鍛冶の修行を積んだ連中ばかりなんで工房に配置転換することになりやしたが……ドワーフの女とエルフばかりは』

「軍より給料は安くなると思うけど、全員を雇うよ」

『本当ですかい?』

「放り出す訳にもいかないしね。所でエルフは?」

『女だけなんで、安心して下せえ』

男女の比率を聞きたかったのは事実なんだけどさ、とクロノは副官を睨んだ。

『大将、工房を作ったのは?』

「異動先としては考えてなかったから、嬉しい誤算ってヤツ」

最初からそこまで想定していたのなら予算を増やしたのだけど。

『大将、レイラに会わないんですかい? ちょうど、あそこにいやすぜ?』

副官が指差した方向を見ると、レイラが弓を引いていた。

矢継ぎ早……そんな言葉の意味を実感させられるスピードで何十メートルも先にある的を射貫いていく。

他のエルフが外している点を鑑みるに、レイラは優れた弓兵のようだ。

「レイラは、弓が得意なんだ」

『魔術の腕もダントツでさ。あっしもレイラの魔術には何度も助けられている口で、実力だけなら副官になってもおかしくないんで』

ハーフエルフだからか、とクロノは目を細めた。

『もちろん、あっしは……ここにいる連中もレイラが五十人隊長になったことを当然と思ってるんで』

だから、レイラを引き留めてくれたのか、とクロノは妙に納得した気分だった。

「幸せにならないとね」

『全くでさ』

結局、クロノはレイラと会わずに練兵場を後にした。

ちょっと小腹が空いたので、クロノはレイラが療養に使っていた食堂兼宿に立ち寄ることにした。

食堂は閑散としていて……クロノ以外の客はおらず、この状況に慣れているのか、女将はボロ布でカウンターを拭いていた。

「ああ、男爵様……その格好は?」

「お忍びで街を視察中でな」

「ははぁ。だったら、男爵様と呼ばない方が宜しいですかねぇ」

「そうだな。では、クロ「坊ちゃんで!」」

そんなに苦労知らずに見えるんだろうか、とクロノはカウンター席に座った。

「パンとスープしかありませんけど、召し上がります?」

「うむ、頂「ダメですよ、今は坊ちゃんなんですから」」

街を視察しているだけで、金持ちのボンボンプレイをしている訳ではないのだが……、

「偉ぶった態度を取り続けるのも面倒だし……女将さん、パンとスープ!」

「はい、坊ちゃん」

女将は芝居じみた動作で頷き、前回と同じ黒いパンと煮崩れた野菜スープをカウンターに置いた。

塩気が少し足りないような気がしたが、クロノは文句を言わずにスープを啜った。

「女将さん、景気はどう?」

「良くはないね。ここん所……いえね、侯爵様が代替わりしてから変な税が増えちまってね。竈税とか、薪税とか、あたしの所みたいな小さな店は、本当に赤字続きで……死んだ旦那とようやく構えた店だってのに、このままじゃ、借金の形に」

思っていた以上に重い内容だったので、クロノは無言でパンを囓った。

「坊ちゃんが悪い訳じゃないんだから、そんな顔しないで。ええ、良いニュースもあるんですよ。エラキス侯爵が横領の罪で捕まったとかで、新しい領主様が来るんだとか」

ふ~ん、とクロノは気のないフリをした。

人の口に戸は建てられないというけれど、ある程度の秘密は保たれているらしい。

「そういえば、あのハーフエルフの娘さんは?」

「レイラなら、元気だよ」

へ~、と女将は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

「坊ちゃんはあの娘にご執心でしたからねぇ」

「ぶっちゃけ、愛人にしました」

「あら、あっさり認めちまうんですね」

女将は拍子抜けしたように言った。

この手合いはムキになって否定すればするほど図に乗るのだ。

「もう十年若ければ、あたしも愛人に立候補するんだけどねぇ」

「……」

ぎらりと飢えた獣のような視線を向けられ、クロノは急いでスープを飲み干した。

気が弱い分、脅威に敏感なのだ。

「ねぇ~ん、坊ちゃん」

やたらと甘えた声を出し、女将はクロノの隣に腰を掛けた。

その甘えた声がクロノには肉食獣の唸り声にしか聞こえない。

胸の辺りをはだけられても、爪を研いでいるようにしか。

僕は食事をしに来たのだ、とクロノはパンを取り……損ねて、パンを落とした。

パンを取ろうと伸ばした腕を掴まれる。

「……ねえ、坊ちゃん?」

「な、何でしょうか?」

「女に恥を掻かせる気かい?」

「何故、僕の上に座るのでしょうか?」

「……好きになさっても構わないんですよ。だから、パト「それ、無理」」

は? と女将は理解できないというように首を傾げた。

「だから、パトロ「だから、無理」」

ふぃ~、と女将は白けた様子で隣の席に戻った。

「坊ちゃんは貴族なんだろ。だから、助けると思って」

「そりゃ、貴族だけど」

エラキス侯爵邸の金庫には金貨が二万三千枚以上残っているし、ある程度はクロノの裁量で使えもするが……これはエラキス侯爵が領民から搾り取ったものなので、軽々しく使えない。

実をいえば、クロノは士官としての給料を受け取る一方、養父から仕送りを受けてもいるので、自由に使える金はあるのだが、

「スケベ親父みたいなマネは気が引けるんだよね」

「だから、あたしが構わないって言ってるじゃないか!」

クロノは女将を舐めるように見つめ、身を乗り出した。

「お金でそういう関係になったら、僕は酷いことをするよ」

「……それで店が守れるんなら」

「まず、地下牢に閉じ込めるね」

「怖っ! アンタ、何を考えてるんだい?」

想像したのか、女将は顔面蒼白で自分の体を抱き締めた。

「女将さん、借金の総額はいくら?」

「そ、そんなことされるなんてお断りだよ!」

ちぇ、とクロノは割と本気で舌打ちした。

「で、借金は?」

「……金貨百枚」

「パトロンにはなれないけど、割の良い仕事なら紹介できるよ」

「どんなだい? ああ、地下室で飼われる仕事はお断りだからね!」

女将はクロノを警戒するように体を引いた。

「エラキス侯爵邸のコック」

「馬鹿も休み休み言いな! あたしは、旦那の店を守りたいんだよ!」

「コックとして働いて、借金を返済するのだって、立派に店を守ることだと思うけど」

うぐ、と女将は声を詰まらせた。

「少し考えさせてくれないかい?」

「良いけど、明日か、明後日くらいまでに返事が欲しいな。答えが決まったら、エラキス侯爵邸に来てよ。僕……クロノ・クロフォードに呼ばれた、って言えば門番が取り次いでくれるから」

「……分かったよ」

女将は小さく答えた。

女将さんに嫌われたかも、とクロノは家路を辿る。

誘惑してきたのは女将なのだし、クロノを食い物にしようとしたのだから、あれくらいは許して欲しい。

「女将は来るはずだし、問題は経理か」

ドライフルーツを頬張り、クロノは肩を落とした。

ケフェウス帝国の識字率を考えると、行き当たりばったりで経理を任せられる人材を確保するのは難しそうだ。

他所から引き抜こうにもコネがないし、余計な敵を作るようなマネはしたくない。

「自分で育てるのも現実的じゃないよな。借りは作りたくないけど、ニコラさんに相談してみようかな」

そんなことを考えていると、いつかの花売りの少女を見つけた。

ふらふらと熱に浮かされたような足取りで彼女は花を売ろうとするが、全く相手にされていない。

何人目かの相手に断られた少女はふらふらと通りの方へ、そこに馬車が凄い勢いで突っ込んで来た。

「って!」

クロノは全力で少女の元に走った。

「うりゃ!」

気合いを入れすぎて、うひょ~! になってしまったかも知れないが、クロノは轢かれる寸前の少女をダイビングキャッチ、ごろごろと地面を転がりながら安全圏に逃れた。

頭を打ち付けたのはご愛敬。

「大丈夫?」

「……っ! え、私! ああ、お花が!」

クロノの腕から逃れると、少女は無惨に踏みにじられた花を掻き集める。

「危ないって!」

「でも、お花が……全部、売らないと」

ガタガタと花売りの少女は体を震わせ、何かの禁断症状のように爪を噛んだ。

クロノの脳裏を過ぎったのはアンデルセンの童話『マッチ売りの少女』だった。

「僕が花とカゴの代金を払うから」

クロノは返事を待たずに少女を引き寄せた。

襟から覗く肌は病的に白く、体は鎖骨が浮くほど痩せている。

泥と血に塗れた足も痛々しいくらい細い。

「ああ、クロノ様!」

声がした方を向くと、ニコラが馬車から飛び降りる所だった。

どうやら、少女を轢こうとした馬車はピクス商会所属のものらしい。

「申し訳ございません、クロノ様」

「ああ、大したケガはしてないから」

クロノはニコラを安心させるために微笑む。

「せめて、治療だけでも……唇と、額にも傷が」

「だったら、この子も一緒で良い?」

ニコラは少女を見つめ、悲しそうに目を細めた。

「ええ、当然です」

ケフェウス帝国全土に支店を構えるだけあり、ピクス商会のエラキス侯爵領支店は商業区の中でも一等地に相当する場所に建てられている。

建物の規模こそ他の商会に劣るものの、従業員の接客は一歩も、二歩も上回っている。

レイラの服や下着とか、下着とか、下着とかを買う時はここにしよう、とクロノは密かに決めていた。

ニコラに案内されたピクス商会の事務所は非常にこざっぱりしていた。

「さ、クロノ様」

「傷の手当てなら、この娘を先に」

「さようでございますか。ヴェル、ヴェル! 救急箱を持って来なさい!」

は~い! とヴェルは救急箱を片手に事務所に飛び込んできた。

「ヴェル、この娘の手当を」

「は~い、支店長!」

ヴェルは花売りの少女をイスに座らせ、やけに手慣れた動作で治療を施す。

といっても、水を掛けて、包帯を巻く程度の治療だが。

「は~い、次は男爵様」

ヴェルはクロノの頭に包帯を巻くと、さっさと仕事に戻ってしまった。

「ある意味、清々しい娘だな」

「申し訳ございません。ヴェルは商会員になってから日が浅く、礼儀作法が完璧ではないのです。ああ、紅茶と茶菓子でも如何ですか?」

「ああ、よろしく」

黄金色の菓子を期待したが、残念ながら普通の紅茶と菓子だった。

少女は恐る恐る紅茶に口を啜り、菓子を貪った。

「僕の分も食べて良いよ」

「あ、ありがとうございます」

今度は遠慮がちに菓子を食べる少女を眺めながら、ゆっくりとクロノは紅茶を口に含んだ。

何となく机の上を見ると、紙の束が置かれていた。

「……紙か」

「この辺りでは珍しいはずですが、クロノ様は博識ですね」

「エラキス侯爵邸でも見掛けたけど、そんなに珍しいの?」

「ええ、北の自由都市国家群からの輸入品で、製法も秘匿されていますから」

「工房で作れないかな」

ケフェウス帝国内で作れれば輸送費が掛からない分だけ安くなるし、エラキス侯爵領も潤うはずだ。

「クロノ様、私どもの仕事は如何でしょう?」

「兵士の食料事情は目に見えて改善されたし、工房も今の所は問題ないよ」

ふぅ、とニコラは安堵の息を吐いた。

「これは、個人的な……領地経営の問題になるんだけど、経理ができる人っていないかな?」

「経理ができるほど教養があり、かつ、信用のおける人物となると」

だよね~、とクロノは天井を仰いだ。

「手段を問わないのならば、一つだけ方法がございます」

「どんな?」

ごほん、とニコラは気まずそうに咳払いをした。

「奴隷にございます。もっとも、私どもは奴隷を取り扱っておりませんので、仲介する形になりますが」

「教養のある奴隷っているの?」

どうしても、教養と奴隷の二つがクロノの中で結びつかない。

「奴隷にも色々と事情がございますから」

「じゃ、仲介を頼むということで」

クロノは乗り気ではなかったが、当のニコラもあまり乗り気ではなさそうだ。

細々とした遣り取りを終え、ピクス商会を出ると、日が暮れようとしていた。

「何処に住んでるの? 送っていくよ?」

「あっち」

少女はクロノの手を取り、歩き出した。

お金を払っていないので、クロノが逃げないようにしているのかも知れない。

「誰と住んでるの?」

「お母さん」

クロノが問い掛けると、少女は短く答えた。

「どうして、君が働いているの?」

「……お母さんが病気だから。一生懸命働いてるけど、食べていくだけで精一杯なの、食べていくだけで精一杯です」

クロノが貴族だと気付いたのか、少女は慌てて言い直した。

少女に手を引かれ、クロノは街の外縁部へ。

「お兄ちゃ……じゃなくて、貴方は貴族なんですか?」

「お兄ちゃんで良いよ。それから、一応、貴族だよ」

む、と少女は眉間に皺を寄せて押し黙ってしまった。

「貴族は、嫌いかい?」

「嫌い……っ! で、でもお兄ちゃんのことは好きだよ、お花を買ってくれたし」

少女が必死に言い繕ったので、クロノは苦笑いを浮かべるしかなかった。

「どうして、貴族が嫌いなの?」

「お母さん、エラキス侯爵の家で働いてたんだけど、病気になって追い出されたから」

街の人に話を聞くと、エラキス侯爵の悪口ばかり出てくる。

「兵隊さんも嫌い。だけど、犬の兵隊さんは好き。白くて、ふわふわで、いつも助けてくれるの」

偉いぞ、僕の部下! とクロノは心の中で部下を賞賛した。

日が暮れた頃、ようやくクロノは少女の家に辿り着いた。

バラックと呼ぶに相応しい粗末な家で、周囲にある家も似たようなものだ。

「……治安が悪そう」

「よお、兄ちゃん」

三秒も経たずに不安は的中した。

いかにもチンピラ然としたオッサンが声を掛けてきたのだ。

「止めてよ! アンタにあげるお金なんてないんだから!」

「なんだと、このガキ!」

どうして、火に油を注ぐかな! とクロノはオッサンから少女を庇った。

鈍い衝撃が胸を打つ。

この程度の相手なら素手で鎮圧できそうだが、少女を庇いながらでは無理だ。

「おい、誰かいねぇか!」

ただのチンピラではなかったのか、ぞろぞろと暗がりから人が出て来る。

少女を庇いながら、クロノは自分が身に付けた魔術の使いにくさに歯噛みした。

天枢神楽は殺傷力が高すぎるのだ。

オッサンが腕を振り上げた次の瞬間、一本の矢が彼の足下に突き立ち、白い風がクロノの真横を通り抜けた。

白い毛、人狼の百人隊長だ。

人狼の百人隊長は瞬く間にオッサンを制圧し、暗がりから出て来た男達を威嚇する。

男達は踏み止まろうとしたが、

『大将、皆殺しにしやすか?』

「殺す必要はないよ、何もせずに帰ってくれるなら」

副官の巨体とクロノの言葉に我先にと逃げ出した。

「クロノ様!」

「レイラ、助かったよ」

周囲を警戒しながら、レイラはクロノを庇うように寄り添った。

「クロノ様、この辺りはハシェルの中でも特に治安の悪い地域です」

「身を以て経験したよ」

今更のように冷たい汗が背筋を伝う。

「ミノさん、レイラ……用事があるから、少し待っててくれないかな?」

『そりゃ、大将の命令なら』

「命懸けで退路を確保します」

この二人なら暴漢が束になって掛かってきても大丈夫だろう。

「君のお母さんに会わせてくれないかな?」

「良いけど、どうして?」

少女の母親はベッドで針仕事をしていたが、少女に巻かれた包帯を見るなり、ベッドから飛び降りた。

「アリスン! 帰りが遅いと思ったら、どうしたの?」

「馬車に轢かれそうになって、お兄ちゃんに助けてもらったの」

はっとアリスンの母親はクロノの方を見た。

「どなたかは存じませんが、娘を助けて頂きありがとうございます」

「いえ、当たり前のことをしただけですから」

それきり会話が途絶え、クロノは視線を巡らせた。

薄汚れた壁と雨漏りの跡が残る天井、必要最低限の家具さえない。

母子家庭……家計を支えるべき母親が病気なのに、救いの手を差し伸べる者は誰一人としていない。

助けるどころか、さっきの男のように子どもから金を奪い取ろうとする輩さえいる。

「今、私は使用人を探していて」

「とても、ありがたい申し出なのですが……今、私は病気で」

ぎゅっとアリスンが母親にしがみつく。

「治療費は……私が一時的に立て替える形で、病気が治ったら、無理のないペースで返済して頂ければ結構です。できれば……アリスンちゃんのような子どもを働かせるのは気が引けるのですが、二人とも私の屋敷で働いて頂きたいと」

アリスンの母親は破格の待遇に戸惑っているようだが、こればかりはクロノを信じてもらう以外に方法はない。

「……分かりました」

しばらく考え込み、アリスンの母親はクロノの提案を受け入れた。

すぐに荷造りを済ませ、クロノは副官、レイラ、人狼の百人隊長、アリスンと彼女の母親を連れて侯爵邸に向かった。

クロノはアリスンの手を引き、副官がアリスンの母親を抱き上げる格好だ。

レイラはクロノと手を繋ぐアリスンを羨ましそうに見ていたが、不満を口にすることはなかった。

エラキス侯爵邸の異変に最も早く気付いたのはレイラだった。

「クロノ様、誰かが門で騒いでいます」

「女将さんかな?」

クロノの予感は的中した。

女将と門番がエラキス侯爵邸の門で押し問答を繰り広げていたのだ。

「だから、クロノ様に呼ばれたって言ってるじゃないか!」

「嘘を吐くな! クロフォード男爵が貴様のような女を呼ぶはずないだろう! さっさと帰れ!」

「だったら、せめて、クロノ様に取り次いでおくれよ!」

女将さんって、アグレッシブな人だったんだなぁ、とクロノは今日の件も含めて第一印象を大幅修正した。

「あ~、君達」

「クロフォード男爵!」

びしっ! と門番は背筋を伸ばした。

「その女性の言う通りなんだ。ティリアから聞いていると思うけど、使用人を探していてね」

「だから、言ったじゃないか! あたしはクロノ様に呼ばれて来たって!」

「五月蠅いぞ、女!」

「はぁっ? 一言くらい謝ったら、どうなんだい!」

まあまあ、とクロノは女将と門番の間に割って入った。

「女将さん、返事は?」

「旦那の店を守るためだもの、コックにでも、愛人でもなってやるよ」

貴様! とエキサイトする門番を宥めつつ、クロノは心の中で溜息を吐いた。

まあ、何というか……前途多難そうだ。