軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第13話『騎乗突撃』修正版

帝都を遠く離れ、箱馬車は街道を進む。

箱馬車の護衛を務めるのは百を超える騎兵であり、先遣隊を含めれば総数は百五十に達する。

近衛騎士の証である白銀の鎧に身を包んだ彼らは優秀な騎士であり、旅の安全は半ば保証されていると言っても良いだろう。

それでも、不安を拭いきれないのは彼らが自分の部下ではなく、リオ・ケイロン伯爵の部下だからだ。

「そんな仏頂面して、どうしたんだい?」

「お前の顔を見たからだ」

ティリアは対面に座るリオ・ケイロン伯爵を睨み付けた。

「そうなのかい? ボクはてっきり何処の誰とも知れない貴族に払い下げられる不幸を嘆いていたんだと思ったよ」

「……転地療養のはずだろう」

そのはずだ。アルコル宰相からは転地療養のために帝都から移動させると説明を受けている。

もちろん、何か裏があるとは思っていたが、まさか、払い下げられるなんて予想の斜め上だった。

「そんなドレスを着てかい? うんうん、上等の生地を使っているけれど、そんな大きく胸の開いたドレスなんて娼婦くらいしか着ないんじゃないかな? 不審に思っていなかったのなら、救いがたい鈍さだよ」

「……っ!」

舐めるような視線を向けられ、ティリアは胸元を押さえた。

そんなマネをしなくてもドレスの露出度は高く、脇から胸が見えそうになってしまう。

「君が連れて行かれるのは帝国一の変態の所だよ。そこで君は帝都に戻ることもできずに軟禁生活を送るのさ」

「くぅぅぅぅっ!」

二ヶ月以上も主塔に軟禁され、ようやく外に出られたかと思えば過酷な辱めを受ける運命が待ち構えているなんて。

「ははははっ! 痛っ!」

悪魔の如き哄笑は唐突に止んだ。

隣に座っていた少女がリオ・ケイロン伯爵を剣の柄で軽く叩いたのだ。

「何をするんだい、エリル・サルドメリク子爵?」

「……嘘は良くない」

エリルと呼ばれた少女は皮の装丁の本から目を離さずに言った。

エリル・サルドメリク子爵は第十一近衛騎士団の団長だ。

十五歳という年齢に比して軍服に包まれた肢体は起伏に乏しく、彼女を実年齢以上に幼く見せている。

髪は白みがかったブラウン、瞳は青。

可愛らしい顔をしているのだが、不機嫌そうに細められた目が全てを台無しにしている。

「……この馬車の行き先はエラキス侯爵領」

「クロノの所か!」

行き先がエラキス侯爵領であると知り、ティリアは心から安堵した。

少なくともクロノは帝国一の変態じゃない。

「どうして、教えてしまうんだい?」

「……貴方がそんなだから、私がお目付役として選ばれた」

ここに至り、ティリアはリオ・ケイロン伯爵の意図に気づいた。

リオ・ケイロン伯爵はクロノの元で暮らすティリアに嫉妬しているのだ。

「勝ち誇っていられるのは今だけさ。クロノは神聖アルゴ王国との戦いで部下を失っているからね」

「そ、それが私に何の関係がある」

「本気で言っているのかい?」

リオ・ケイロン伯爵は理解できないとでも言うように肩を竦めた。

「君が皇位を継いでいれば戦争も起きなかったし、クロノも部下を死なせずに済んだんだよ? きっと、君のことを恨んでいるだろうね」

「お、お前が私を裏切らなければ!」

「ボクが裏切らなくても、誰かが貴方を裏切っていたはずさ」

ティリアは反論できなかった。

騎士道の体現者と謳われるレオンハルトでさえ救いの手を差し伸べてくれなかったのだ。

それはティリアを救うメリットよりもデメリットの方が大きいと判断したからだ。

「エリル、君もそう思うだろ?」

「……興味ない。好きにすれば良い」

この忠誠心のなさは何なのだろう、とティリアは目眩すら覚えた。

近衛騎士団は高潔な精神を備えた皇帝直属の軍ではなかったのか?

一体、私の何が悪かったんだ?

ティリアは俯き、自問し続けた。

カーン、カーンという耳障りな音が鼓膜を刺激する。

初めは何の音かと思ったが、すぐにクロノが侯爵邸に武防具を造るための工房を設けていたことを思い出した。

他にもティリアの記憶にない建物があり、そこでは人間と亜人が一緒になって作業に取り組んでいた。

いや、記憶にないというのなら街の南側にある畑も、城壁の外にある建物も、商業区の賑わいも、浮浪者や浮浪児のいない路地も、ティリアの記憶にあるエラキス侯爵領とは異なっている。

箱馬車は緩やかにスピードを落とし、侯爵邸の庭で止まった。

すると、エリルは読んでいた本を閉じて貴族の所持品とは思えないほど薄汚れた袋に押し込み、箱馬車の扉を開け放った。

寒風が吹き込み、鳥肌が立つ。

「……さ、寒い」

「そんなドレスを着ているからさ」

ティリアはリオ・ケイロン伯爵を睨み付けたが、彼は嗜虐的な笑みを崩さなかった。

この男は楽しんでいる。

誇りを踏みにじることを、ティリアを貶めることを楽しんでいる。

「お前は私が嫌いなのか?」

「クロノに言い寄る女は大嫌いさ」

「私は言い寄ってなんかいない」

ふん、とリオ・ケイロン伯爵はティリアの反論を鼻で笑った。

「舞踏会でクロノを誘惑しているように見えたのは気のせいだったのかな?」

「……」

侯爵邸の扉が開き、リオ・ケイロン伯爵の表情が一変する。

冷酷で嫉妬深い嗜虐趣味者の笑みから恋する乙女のそれに。

「クロノ!」

「リオ、お疲れ様」

リオ・ケイロン伯爵はクロノに抱きつき、ティリアに見せつけるように熱烈な口づけを交わした。

クロノは軍礼服に似た服の上にマントを羽織っていた。

どちらも色は黒、マントは年季が入っているらしく裾が破れている。

首には首飾り。湾曲した円錐状のそれは動物の牙か何かだろう。

不意にクロノと目が合い、ティリアは気圧された。

去年、別れた時とクロノの纏う雰囲気があまりにも異なっていたからだ。

これほどまでにクロノが成長したというのに自分は何一つ成長していない。

ああ、今の自分は新貴族に払い下げられる程度の価値しかないのだ。

「……ティリア」

クロノに名を呼ばれ、ティリアは名状しがたい恐怖を覚えた。

「ティリア、寒くないの?」

「そう思うんだったら、マントを貸せ!」

やっぱり、クロノはクロノだ、とティリアはクロノからマントを奪った。

特に胸の辺りを見ている所がクロノだ。

「そんなドレス着なければ良いのに」

「このドレスを私が好きで着ていると思っているのか?」

ティリアが問い掛けると、クロノは視線を逸らした。

完全に逸らしきっておらず、ちらちらと胸元に視線を向けているのが許し難い。

「ティリア皇女は好きで着ているのさ」

「……リオ・ケイロン伯爵、帰れ」

「おや、ここまで細心の注意を払って送り届けた忠臣に対する台詞がそれかい?」

「まあまあ、リオも護衛で疲れているだろうし、ゆっくりしてくれたら良いよ。宿の手配はこっちでやっておくから」

「ありがとう、クロノ」

リオ・ケイロン伯爵は再び見せつけるようにクロノに擦り寄った。

「そう言えば、もう一人近衛騎士団長が来ているんだよ。エリル?」

「……」

エリルは興味深そうに木の板に貼り付けられた紙を見つめている。

「あれは紙かい?」

「雇用の創出のために紙の工房を経営してるんだよ。板に貼り付けた紙を十六分割した物を真鍮貨一枚で卸してるんだ」

「……!」

エリルはクロノに歩み寄り、袋の中から真鍮貨を取り出した。

「……あの紙をこれで買えるだけ売って欲しい」

「それくらいなら融通できるけど」

エリルの小さな手の中にある真鍮貨は二十枚くらいだ。

「ゴルディ!」

「しっかりと聞いておりましたぞ!」

二つの工房を行き来していたドワーフは紙の束を抱いてクロノに走り寄った。

「彼はゴルディ……あっちの武器と防具、農機具も造ってる工房の責任者で、紙工房の責任者もしてる」

「よろしくお願いしますぞ!」

「……よろしく」

ゴルディは紙の束をエリルに渡すと、紙工房に向かって走り去った。

「……お金、払ってない」

「じゃあ、僕が預かっておくよ」

こくんと頷き、エリルはクロノに真鍮貨を手渡した。

「クロノ、早く部屋に案内しろ」

ティリアは震えながらクロノに命令した。

アリッサと言う人間のメイドに案内されたのは前エラキス侯爵の……去年、侯爵領に滞在していた時にティリアが使っていた……私室だった。

部屋にある家具は天蓋付きのベッドと化粧台、クローゼット、机、イスくらいだ。

一領主としては破格の贅沢なのだが、どうもティリアにはみすぼらしく見える。

化粧台の鏡を見つめ、ティリアは思わず後退った。

ドレスと言うよりも布だ。

布は肩から斜めに伸び、ヘソの下辺りで合流してスカート状になっているが、スリットが際ど過ぎる。

横からだと足が剥き出しで、ふとした切っ掛けで下着が露わになりかねない。

こんなドレス着ていられるか、とティリアはクロノから奪ったマントを羽織ったままクローゼットを開けた。

「……わ、私の服か?」

いつの間に運び込んだのか、ティリアはクローゼットの中にあった白い軍服に恐る恐る手を伸ばし、生き別れた恋人にでも出会ったような気分でそれを抱き締めた。

「……私の服だ」

何故か、涙が溢れた。

士官学校を卒業して軍服に初めて袖を通した時のことを思い出す。

自分が特別扱いされていることは分かっていた。

けれど、誇らしかった。

自分が国のために役に立てることが心の底から誇らしかったのだ。

「おや、着替えたのかい?」

「いつまでも、あんな物を着ていられるか!」

夕食、白い軍服に着替えたティリアが食堂に入るなり、リオ・ケイロン伯爵は挑発的な笑みを浮かべて言った。

「二人とも元気だね」

「……」

クロノは引き攣った笑みを浮かべ、エリルは黙々と料理を口に運んでいる。

夕食のメニューはスープ、鶏肉の香草焼き、パンである。

「今日の夕食はどうだい?」

年甲斐もなく胸の大きく開いたメイド服を着た女……はて、名前は何と言っただろうか? ……がクロノに声を掛ける。

また、クロノを誘惑して賃上げ交渉をするつもりだな、とティリアは千切ったパンを口に運びながら女を見つめた。

「女将の料理はいつも美味しいよ」

「そ、そうかい?」

クロノが言うと、女将と呼ばれた女は嬉しそうに声を弾ませた。

「……美味い」

「そっちの子も気持ちよくなるような食べっぷりだね。こりゃあ、料理のし甲斐があるってもんだ」

豊満な胸を押し上げるように腕を組み、カラカラと女将は笑った。

あれ? とティリアは予想外の遣り取りに戸惑った。

何だろう、この……通じ合ってます的な雰囲気は。

ティリアは黙々と食事を続けた。

香料を練り込んだと思われる石鹸で旅の汚れを落とし、ティリアはネグリジェに着替えると、すぐにベッドに潜り込んだ。

軟禁生活の影響か、それとも、長旅のせいか、すぐに睡魔に襲われ……ガバッ! とティリアは身を起こした。

「……そうだ、私は」

腹がくちくなったせいで失念していたが、払い下げられたのだ。

恐らくと言うか、クロノは絶対に来るはずだ。

クロノはハーフエルフだけではなく、あの女将にまで手を出し、挙げ句の果てに男であるリオ・ケイロン伯爵にまで手を出すようなケダモノのような男なのだ。

皇族を、この高貴な身を好きにして良いと許可されれば牛のように突撃してくるだろう。

どんな風に来るつもりだ? 夜中に忍んでくるか? それとも……ああ、きっと、ケダモノのようにだ。

ケダモノのように襲い掛かり、蹂躙し、たっぷりと貪った後で陰惨な笑みを浮かべるのだ。

恐ろしい男だ、とティリアは我が身を掻き抱いた。

人畜無害な風を装い、その下ではケダモノのような欲望を渦巻かせているのだから。

「だが、お前に好きにされる私ではない!」

落ちぶれたとは言え、皇女なのだ。

異世界から来た男でも、いや、初代皇帝と同じく異世界から来た男だからこそ、ティリアは屈服する訳には行かなかった。

パンパンとティリアは眠気覚ましに頬を叩き、その時を待った。

待った。

待ち続けた。

そして、朝が来た。

「……え?」

眠い目を擦りながら窓を見ると、カーテンの隙間から光が差し込んでいた。

「……あれ?」

ゴシゴシと目を擦ったが、朝は朝だった。

「お、おか、おかしいじゃないか」

私は払い下げられたのではなかったのか?

クロノはケダモノの本性を剥き出しにして襲いに来るんじゃなかったのか?

ティリアが首を傾げたその時、扉をノックする音が響いた。

「失礼致します、ティリア様」

うむ、と返事をしてティリアは化粧台に向かった。

身だしなみを整えて食堂に入ると、リオ・ケイロン伯爵があくびを噛み殺していた。

「おや、寝不足かい?」

「お前こそ」

「季節外れの蚊のせいで眠れなかったのさ」

「ふん、お前の血を吸うなんて奇特な蚊もいたものだ」

嫌みで返すと、リオ・ケイロン伯爵は憐れむような視線をティリアに向けた。

「な、何だ、その目は!」

「ふふん、分からないのなら構わないさ」

リオ・ケイロン伯爵は首筋にある血が滲んだような跡を見せびらかすように撫でた。

「クロノはどうした?」

「まだ、寝てるんじゃないのかな?」

何となく不愉快な気分になったが、ティリアは朝食に舌鼓を打った。

「……ふむ、暇だな」

朝食を終え、ティリアは侯爵邸内を散策していた。

以前のように領主の仕事を代行する必要はなく、女であることしか期待されていない。

少なくともティリアはそう判断している。

アルコル宰相は新貴族と関係を強化するために自分をクロノに払い下げたのではないか、と。

南辺境の開拓が成功したことで農作物の収穫量は大幅に向上し、その価格を安定させられるようになった。

いや、新貴族と独自のパイプを持つアルコル宰相が農作物の価格に影響を及ぼせるようになったと言うべきか。

もっとも、その影響力は新貴族の機嫌を損ねれば失われてしまう程度の脆弱なものに過ぎない。

いざとなれば街道を封鎖して塩などの供給を絶ち、恫喝することも可能なのだが、それでドラド王国に農作物を売られたら目も当てられない。

下手をしたら、ドラド王国に帝国へ侵攻するための橋頭堡を築かれてしまう。

まあ、そのためにはアレオス山地を根城にする蛮族を何とかしなければならないのだが。

「……クロノ?」

ティリアが執務室に入ると、クロノはハーフエルフに羊皮紙らしき物を渡していた。

「おめでとう、レイラ」

「あ、ありがとうございます」

ハーフエルフは手渡された羊皮紙を抱き締め、今にも泣き出しそうな声音で言った。

「何をしているんだ、クロノ?」

「証書の授与だよ。去年からレイラに勉強を教えていたんだけど、覚えが良すぎて教えることがなくなっちゃってね。区切りってのも必要だし、これくらいの学力がありますよって証書を作ったんだ」

「そんなものが必要なのか?」

「権威ってのは大事だよ。軍を辞めた後、再就職する時に領主が発行した証書があれば雇用主も安心するだろうからね」

そんなものだろうか? とティリアは思ったが、ハーフエルフは宝物のように証書を抱き締めている。

「まあ、証書の話は良いとして……何か仕事はないか?」

「う~ん、特にないかな」

「そうか」

ティリアは力なく肩を落とした。

「思いついたらお願いするから、それまでゆっくりと休みなよ」

「……分かった」

執務室から退室し、ティリアは小さく溜息を吐いた。

ああ、クロノは立派に領主をしているのだな。

ふふふ、私はなんて惨めなんだろう。

あのハーフエルフでさえ成長しているのに。

侯爵邸の庭園に出ると、カーン、カーンという鎚を打つ音が響き、その合間にカツ、カツという乾いた音が混じっていた。

何の音だろう? とティリアが厩舎の方に行くと、フェイと見知らぬ少年が木剣で打ち合っていた。

おお、とティリアはフェイの指導者ぶりに目を見開いた。

少年の仕掛ける稚拙なフェイント、背の低さを利用した低い攻撃を受け、少年が対処できるぎりぎりの攻撃を返しているのだ。

少年が 自暴自棄(やけくそ) 気味に木剣を突き出す。

それをフェイは軽やかなステップで躱し、木剣を振り下ろした。

カツーンという乾いた音が響き、握力が限界に達していたのか、少年は木剣を取り落とした。

少年はすぐに木剣を拾おうとしたが、フェイが突き出した木剣がそれを阻んだ。

「勝負ありであります」

「……師匠、もう少し手加減してくれよ」

「十分以上に手加減しているであります。一人きりの弟子に逃げられたら、大変でありますからね」

「師匠は一言多いんだよな」

フェイが胸を張ると、少年は溜息混じりに言った。

「ふむ、なかなかの指導者ぶりだな」

「お久しぶりであります」

フェイは木剣を少年に押しつけ、その場に跪いた。

「かしこまる必要はないぞ。知っての通り、私は……もう第一皇位継承者ではないのだ」

「そうでありますか?」

「師匠、本人が言ったからって素直に従っちゃダメなんだぜ」

フェイは立ち上がろうとしたが、少年に指摘されて動きを止めた。

「……」

葛藤しているのか、フェイはティリアと少年を見比べてダラダラと脂汗を流す。

「本当にかしこまらなくて良いんだぞ? まあ、最低限の礼儀を払ってくれると、嬉しいが……」

「分かったであります」

脂汗を拭い、ようやくフェイは立ち上がった。

「……うん、何だ、舞踏会で別れた後は何をしてたんだ?」

「侯爵領で仕事をしていたであります」

「師匠、それじゃ、話が膨らまないぜ」

むぅ、とフェイは困ったように眉根を寄せた。

「侯爵領で……街道の警備をしたり、弟子に稽古を付けたり、エレナ殿と街で食事をしたり、そんな感じであります」

「エレナ?」

「エレナ殿は侯爵領の経理担当で、クロノ様の愛人であります。舞踏会で顔を合わせているはずでありますが?」

クロノが買った奴隷か、とティリアはようやくエレナのことを思い出した。

「そ、それにしてもクロノは四人も愛人がいるのか」

「四人ではなく、六人であります」

「ろ、六人!」

思わず、ティリアは叫んだ。

「百人隊長のデネブ殿とアリデッド殿が愛人になったばかりであります」

「そ、それは……あ、あ~、お前はどうなんだ?」

「まだ、お手つきになっていないであります」

ほっとティリアは胸を撫で下ろした。

「いや、待て! お前はクロノの愛人になるつもりなのか?」

「クロノ様の愛人になってムリファイン家を復興させるであります」

ティリアはフェイの物言いに目眩を覚えた。

「お前はそれで良いのか? 愛人が六人もいるような男は……その不誠実すぎないか?」

「ムリファイン家が復興するのなら構わないであります」

その割り切りはどうなんだろう? とティリアは自分の置かれている状況も忘れてフェイを見つめた。

「師匠、クロノ様は公私を混同しないタイプだから愛人になっても領地を分けて貰えないと思うぜ」

「そうでありますか?」

少年の言葉にフェイは不思議そうに首を傾げた。

「ダメでありますか?」

「望み薄だぜ」

フェイは大丈夫だろう、とティリアはその場を後にした。

夕食を終え、ティリアはベッドでクロノを待った。

待った。

待ち続けた。

そして、やっぱり朝が来た。

「お、おか、おかしいな、こ、こんなはずじゃ」

二日も寝ていないせいか、呂律が上手く回らない。

クロノはハーフエルフを皮切りに、十以上も離れた女将をベッドに連れ込み、性奴隷を購入し、更に二人の愛人を囲い、男であるリオ・ケイロン伯爵にまで手を出すような男なのだ。

誠実さとか、自制心とか、罪悪感とか、人として備えていなければならない精神性を欠いてしまった獣のような男なのだ。

「わ、わた、私に魅力がないのか?」

いや、そんなはずない。

クロノは舞踏会でティリアの胸元に舐めるような視線を向けていたのだから。

アリッサが来る前にティリアは軍服に着替え、食堂に向かった。

「おや、目が真っ赤だよ」

「枕が固くて眠れなかったんだ」

ティリアが憮然とした表情で席に着くと、アリッサが料理を運んできた。

「今日はアリッサが料理担当なのか?」

「女将は……とても重要な仕事があり、今日は午後まで休みとなっております」

そうか、とティリアはスープを口に運んだ。

リオ・ケイロン伯爵がティリアを憐れむような目で見ていて……、

「そ、そう、そういうことか!」

ティリアはテーブルを叩き、勢いよく立ち上がった。

「り、リオ・ケイロン伯爵! 一昨日の夜、クロノと一緒にいたな!」

「ようやく気づいたのかい?」

この季節に蚊がいるはずない。

つまり、この男はクロノと寝不足になるくらい励んでいたのだ。

「ま、ま、まさか、お、おか、女将も」

「今頃はベッドから這い出せないでいるんじゃないのかな?」

な、何たることだ、とティリアはその場で倒れ込んでしまいそうだった。

血の気が引くような敗北感……私は男であるリオ・ケイロン伯爵のみならず、十歳近く年上の女将にまで負けた。

いや、待つという姿勢にこそ問題があったのではないか。

不意にユスティア城にいる母の姿が脳裏を過ぎった。

母のように待ち続けるのではなく、積極的に挑むべきなのだ。

これは守る戦いではなく、攻める戦いだ。

ティリアは軍服の袖で乱暴に涙を拭い、一気にパンとスープを胃に流し込んだ。

「……戦わなければ、私が私であるために!」

「今頃、その境地に達しなくても」

リオ・ケイロン伯爵が呆れたように言ったが、ティリアは無視した。

翌日、ティリアはリオ・ケイロン伯爵を見送るために侯爵邸の庭に立っていた。

本当は見送りたくなかったのだが、クロノが見送ると言うのなら仕方がない。

「じゃ、ボクは帝都に帰るよ」

「気をつけてね」

「……さっさと帰れ」

ティリアが言うと、リオ・ケイロン伯爵は呆れたように肩を竦め、箱馬車に乗った。

「張り切りすぎて捨てられないように気を付けるが良いさ」

「ふん、お前こそ」

「どんな上等な料理だって普段から食べていれば飽きるものさ」

ぬぅ、とティリアは唸った。

「もう帰れ!」

「はははっ! 精々、短い春を謳歌するが良いさ!」

扉が閉まり、箱馬車はゆっくりと動き始めた。

くっ、何か……石はないか?

ティリアは周囲を見渡すと、エリルが箱馬車に手を振っていた。

「どうして、お前がここにいるんだ?」

「私はリオ・ケイロン伯爵のお目付役であると同時にティリア皇女の監視役でもある」

エリルはティリアを見上げ、無感情に呟いた。

「……よろしく」

監視役が自分から監視役と明かすのはどうなんだろう? とティリアは首を傾げた。

ケフェウス帝国の実質的な最高権力者にも関わらず、アルコル宰相の執務室は狭く、極めて事務的だ。

アピールなのか、本人の趣味なのか、判断に迷うのよね、とファーナは机に向かうアルコル宰相を見つめた。

「無欲かつ優れた自制心を持つ貴族というのなら、レオンハルト様に任せるべきだったんじゃないかしら?」

「パラティウム公爵家が力を持つのは好ましくなかろう」

アルコル宰相はサインを書き終えると、背もたれに寄り掛かって瞼を揉んだ。

「でも、クロノと言ったかしら? あの子はエルナト伯爵が止めてくれなかったら、うちの子を殺してたわよ、多分」

それだけのことを私の息子はしたんだけど、とファーナは溜息を吐いた。

いくら実の息子でも脱糞した挙げ句に事後処理をミスって予想を遙かに上回る大被害をもたらしたのだから庇いようがない。

「……ピスケ伯爵によればクロフォード男爵の息子は部下を大切にしておるようだ。その部下を殺されて踏み留まったのだから及第点だろうよ。それに新貴族……クロード殿から嫌みを言われてな」

帝国は三十年前の動乱期から新貴族達に何一つ報いていないのだから、機嫌を取っておく意味もあったのだろう。

「ティリア皇女が反乱を起こす可能性は?」

「ワシが見る限り、ティリア皇女は目先の欲に捕らわれる平凡な女に過ぎん。好いた男と一緒になれば反乱を起こそうなどと考えんよ」

ファーナはアルコル宰相の女性観に歪みを感じたが、納得する部分もあった。

もっとも、愛した男性と結ばれた経験がないため推測混じりになってしまうのだが。

「……どうなのかしらね?」

ファーナの呟きは誰にも届かなかった。