軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第17話『決戦』その2

「……やっとか」

クロノは草原の彼方を見つめ、小さく溜息を吐いた。

帝国軍がようやく陣地の構築を始めたのだ。

皇軍が野戦陣地を構築してから三日が過ぎている。

副官の予想が的中した形だが、微妙な気分になる。

複数の感情がごちゃ混ぜになったような気分だ。

そんな気分で帝国軍を眺めていると、隣にいた副官が声を掛けてきた。

『大将、仏頂面をしてどうしたんで?』(ぶも?)

「ミノさんの予想が的中したなと思って」

『的中ってほど正確じゃありやせんがね』(ぶも)

副官は照れ臭そうに頭を掻いた。

「帝国軍はいつ攻めてくると思う?」

『斥候から陣地構築に手間取っていると報告があったんで、今日明日ってことはないと思いやす』(ぶも)

「何があったんだろ?」

『天幕を張り直したり、物資をあちこち移動させたりしてるって話でさ。ただ、どんな意図があるかまでは分かりやせん』(ぶも)

副官は首を左右に振った。

「襲撃を警戒してるのかな?」

『かも知れやせん』(ぶも)

「今更だけど、こっちの手の内がバレてるのは辛いね」

『その分、対策に力を割かせることができたと考えやしょう』(ぶも)

「ミノさんはポジティブだね」

『大将がネガティブな分を補ってるんでさ』(ぶも)

副官は軽く肩を竦めた。

確かに指揮官と副官が揃って暗くては士気に関わる。

もっと明るい態度を取りたいが、今の状態を維持するのが精一杯だ。

「……それにしても」

『それにしても?』(ぶも?)

副官が鸚鵡返しに呟く。

「帝国はのんびりしすぎだよ」

『あっしらにとっちゃありがたいですぜ』(ぶも)

「まあ、そうなんだけどね」

『帝国軍がぐずぐずしているお陰で部下を休ませることができやした』(ぶもぶも)

「そうだね」

クロノは頷いた。

副官の言う通りではあるのだ。

野戦陣地に手を加えることができたし、部下を休ませることもできた。

特にシオンが動けるようになったことが大きい。

これだけ恩恵に与っておきながら文句を言うのは筋違いだろう。

だが、それを承知の上で僕の覚悟を返せと言いたい。

『あっしらから攻め込む訳にはいきやせんからね。どっしりと構えやしょう』(ぶも)

「ミノさんは凄いね」

『年の功ってヤツでさ』(ぶも)

副官は愉快そうに肩を揺らした。

「僕はどうもね」

『何か気になることでもあるんですかい?』(ぶも?)

「帝国軍の動きが鈍いと不安になるんだよね」

ああ、と副官は頷いた。

クロノも声を上げたい気分だった。

不安――帝国軍の意図が読めず、自分は不安だったのだ。

「帝国軍が慌てて攻めてくると思ったんだけど」

『インパクトは少し薄いかも知れやせんね』(ぶもぶも)

「と言うと?」

『戦闘中なら度肝を抜いてやれたと思いやす』(ぶも)

「まともに戦えたらそれもありなんだけどね」

クロノは小さく溜息を吐いた。

皇軍の主戦力は義勇兵だ。

訓練は施したが、実力は素人に毛が生えた程度だ。

下手をしたら喧嘩慣れしているチンピラの方が強いかも知れない。

『あっしは浮き足立たせることができたら儲けもんくらいに考えてやしたが、大将は相手を驚かせることに拘りやすね』(ぶもぶも)

「拘っている訳じゃないんだけど、積み重ねられるものは積み重ねておきたくてさ」

今までの戦いに比べれば今回は本当に恵まれている。

準備する時間があった。

もちろん、可能な限り準備したつもりだが、もっと積み重ねたいと考えてしまう。

帝国軍が早く動いていれば、戦闘に突入していれば悩まずに済んだかも知れない。

だが――。

「まあ、帝国軍が早く動いたら動いたで文句を言っちゃうんだろうけどさ」

文句を言っている自分を容易に想像できてしまうので余計に困る。

「……いつも通り、足掻いていこう」

『へい』(ぶも)

クロノが帝国軍を見据えて呟くと、副官が力強く頷いた。

こいつは何をやってるんだ、とロイは愛用の槍を担ぎながら溜息を吐いた。

視線の先では陣地構築の準備が進められているのだが――。

「待て。それでは命令書通りにならん。やり直せ」

「……はッ!」

アルヘナが羊皮紙の束を片手に命令すると、一般兵はやや間を置いて答えた。

表情には出ていないが、不満を抱いているのは間違いない。

苛立っていると言うべきか。

アルヘナの命令に従って物資を移動させ、その直後に再移動を命じられるのだ。

苛立たない方がどうかしているし、苛立っていると分からない方がどうかしている。

立場が対等であれば一般兵はアルヘナを口汚く罵っていることだろう。

幸いと言うべきか、不幸にもと言うべきか、軍において命令は絶対だ。

一般兵はのそのそと木箱を持ち上げた。

万事がこの調子なので陣地構築は全く進んでいない。

作戦会議のために使う天幕があるだけだ。

「違う! そうではない……」

「ったく、仕方がねーな」

ロイは頭を掻き、アルヘナに歩み寄った。

この調子では翌年になっても陣地は完成しないだろう。

いや、帝国軍が瓦解する方が先か。

アホ皇帝とその取り巻きのせいで物流が滞っているのだ。

だから、草原で反乱軍と戦う羽目になっている。

十分な物資があれば籠城し、反乱軍と睨み合いを続けることも可能だった。

それもねーか、とロイは心の中で呟いた。

可能だったとしても軍務局長が消極策を選ぶとは思えなかった。

あの老人は歪んでいる。

個人的に歪んだ人間は嫌いではないのだが、近衛騎士団長としての見解は異なる。

個人の歪みに部下を付き合わせたくはない。

部下が死んだら遺族にどう申し開きして良いのか分からない。

「お前達きちんと命令通りにやれ! この戦いに帝国の未来が掛かっているんだぞ!」

やれやれ、とロイはアルヘナの言葉を聞きながら頭を掻いた。

物資の置き場所一つで滅ぶのならとっとと滅んでしまえと思う。

どうせ、この戦いを乗り切っても混乱が待ち受けているだけだ。

遅いか、早いかの違いだ。

帝国軍の勝利は帝国の勝利を意味しないのだ。

「おいおい、何を怒鳴ってるんだ?」

「何をだ――」

「ちょっと貸せ」

ロイはアルヘナから羊皮紙の束――命令書を奪い取り、目を細めた。

物資を分散することで夜襲を受けた際の被害を抑えようとしているらしい。

道理ではあるが、命令書に記されている通りに分散するのは現実的ではない。

「返せ!」

「おい、そこの!」

ロイは一般兵――格好からして指揮官クラスだろう――に声を掛ける。

「はッ!」

「命令書にできるだけ従って陣地を構築しろ」

「はッ! 承知しました!」

「できるだけで良い。適当にな、適当に」

「はッ!」

ロイが陣地に関する部分を引き抜いて渡すと、一般兵は背筋を伸ばした。

安堵しているように見えるのは気のせいではないだろう。

一般兵はロイ達から離れて部下にてきぱきと指示を出す。

それでようやく陣地構築作業が始まった。

「――貴様ッ!」

「そんなに怒るなって」

「貴様は命令を何だと思っている」

「遵守すべきものだとは思ってるけどよ。ありゃ、無理だ」

「無理でもやるのが軍人だ」

「できねぇもんはできねーよ」

軍務局長の命令通りに物資を分散すれば夜襲の被害を軽減できるだろう。

だが、その管理に多数の人員を割く羽目になる。

管理できる程度に分散し、警備を厳重にすべきだ。

「陣地構築は任せて、俺達は作戦会議をしようぜ」

「この件は報告するぞ」

「好きにしろよ」

「――くッ!」

アルヘナは踵を返すと荒々しい足取りで天幕に向かった。

「もう少し融通を利かせてくれればな」

まあ、無理だろうが、と心の中で付け加える。

軍学校の時からそうだった。

とにかく融通が利かず、激しやすい。

「……理想的な貴族には程遠いな」

ロイは小さく呟いた。

私は理想的な貴族にならなければならない、とアルヘナが言ったのはいつだったか。

軍学校の時か、酒の席か、二人揃って近衛騎士団長に任命された時だったか。

忘れてしまったが、アルヘナが理想的な貴族という言葉に縛られているのは間違いない。

ロイが母親の仇を取った時に感じた熱に縛られているように、だ。

「……面倒臭ぇ」

逃げ水を追い掛けているようだと思う。

いくら追い掛けたって辿り着けないのに――。

「何をしている! 早く来い!」

「分かってるよ!」

アルヘナが苛立ったように叫び、ロイは叫び返した。

逃げ水を追い掛けている。

追い掛けても、追い掛けても逃げ水を捕らえることはできない。

だが、アルヘナならあの熱を感じさせてくれるのではないかという期待もある。

「……俺はガキだな」

ロイは頭を掻きながら天幕に入り、軽く目を見開く。

アルヘナだけではなく、ボウティーズ財務局長もいたからだ。

二人はテーブルを囲むように立っていた。

正直に言えばロイはボウティーズ財務局長が好きではなかった。

好意を抱くには強欲すぎた。

土壇場になって怖じ気づくとばかり思っていたが、堂々とした態度だ。

悪印象を払拭することはできないが、できるだけ手助けしてやろうという気にはなった。

「遅い」

「悪かったな」

ロイはテーブルに歩み寄り、そこに置かれた地図を見下ろした。

羊皮紙には反乱軍の配置らしきものが記されている。

アルヘナは陣地設営以外の仕事もしていたようだ。

地図を見つめ、ふと違和感を覚えた。

それが何なのかまでは分からないが――。

「この、反乱軍の手前にある線は何だ?」

「針金で作られた障害物だ」

「針金ねぇ」

その程度の障害物なら、とロイは自分の槍を見つめた。

カヌチ作の槍だ。

この槍ならば針金くらい容易く切断できる。

「油断するな。第八近衛騎士団の騎兵隊はこの障害物にやられたんだぞ」

「第八近衛騎士団の連中と比べるなよ」

ロイはうんざりした気分で呟いた。

同じ近衛騎士団だが、実力は天と地ほども違う。

だからと言って侮るのは危険か。

「このジグザクの線は?」

「針金で作った障害物と地面に掘られた溝だ。反乱軍は溝に隠れて戦う」

アルヘナは不愉快そうに顔を顰めた。

反乱軍に相応しい卑怯な戦法だと考えているのかも知れない。

「ってことは反乱軍の武器は弓か?」

「いや、クロスボウだ」

「クロスボウ?」

ロイは思わず聞き返した。

聞いたことのない名前だ。

「クロスボウは大昔に使われていた機械式の弓だ」

「なんで、使われなくなったんだ?」

「クロスボウは扱いやすいが、射程が短いという欠点がある。常備軍が設立される前ならばまだしも――」

「時代に取り残された武器ってことだな」

「そうだ」

アルヘナはムッとしたような表情を浮かべた。

「ところで、左右の四角は何だ?」

「歩兵だ」

「どうして、歩兵の前にも障害物があるんだ?」

「少しは自分の頭で考えろ」

「俺だって反乱軍が防衛戦に徹しようとしてるのは分かってるんだよ。情報共有のために言ってるんだろ、情報共有のために」

「……」

アルヘナは不愉快そうに顔を歪めただけで答えなかった。

「この配置なら障害物を迂回するってのも有りなんじゃねーか?」

「よく見ろ。周囲は森だ」

「それがどうかしたのか?」

「エラキス侯爵は夜襲だけではなく、罠を使う」

「まあ、あいつならやりそうだな」

エラキス侯爵――クロノならそれくらいやるだろうと納得してしまった。

「けど、試してみる価値はあるんじゃねーか?」

「無駄に兵士を損耗させるだけだ」

「そうかよ」

正攻法で戦いたいだけではないか、と疑念が湧き上がる。

だが、アルヘナの言い分にも一理ある。

自分達には罠を発見し、解除する技能がない。

罠を解除させるために兵士を死なせるくらいならば正攻法で挑むのも手だ、と思う。

「で、どうするんだ?」

「障害物の数が少ない箇所がある」

アルヘナは地図を指差した。

確かに障害物の少ない所が三カ所ある。

「決死隊が中央の障害物を無力化し、然る後に兵士を突撃させる」

「決死隊って気軽に言うがな。誰が――」

「私だ」

ロイの言葉をボウティーズ財務局長が遮った。

「決死隊って意味を分かってるのか?」

「私は妻と子の仇を取らなければならないのだ」

ボウティーズ財務局長はロイを睨み付け、低く押し殺したような声で言った。

「見ての通り、ボウティーズ財務局長殿は決死隊に志願して下さった。命を賭して仇を討とうとする……まさに貴族の鑑だ」

「私は当然のことをしているだけだ」

アルヘナは芝居がかった口調で、ボウティーズ財務局長は満更でもなさそうに言った。

それで気分が冷めてしまった。

決死隊に志願したと言ったが、ボウティーズ財務局長が先陣を切る訳もない。

恐らく、安全な後方から突撃を命じるだけだろう。

そう考えた途端、できるだけ手助けしてやろうという気持ちがしぼんでしまった。

「決死隊ってのは分かった。具体的にはどうするんだ? 決死の覚悟があったって、それだけで何とかできるほど世の中は甘くねーぞ」

「それに関してはルーカス殿が貴重な情報を遺して下さった。複数台の荷車に毛布を積んで突撃させる」

「また、突撃かよ」

ロイはうんざりとした気分で呟いた。

どうして、こうも突撃が好きなのか。

「反乱軍はマジックアイテムを投射してくるらしいが……」

「そいつは小耳に挟んだ覚えがあるぜ」

「全ての荷車が吹っ飛ばされる訳ではないだろう」

「荷車の引き手が死んだら別のヤツが引き継くって訳か」

「そういうことだ」

皮肉のつもりだったのだが、アルヘナは我が意を得たりとばかりに笑った。

「何か意見は?」

「反対だって言ったら作戦を変えてくれるのか?」

「この策はラルフ軍務局長殿から――」

「あ~、分かった分かった」

ロイはアルヘナの言葉を遮った。

すらすら作戦が出てくると思ったら案の上だ。

この分だと、糞をひり出す時間も指定されているかも知れない。

俺の望みは叶わねーのかもな、とロイは小さく溜息を吐いた。

夜――風に乗って芳ばしい匂いが漂ってくる。

匂いの元は帝国軍の陣地だ。

陣地の構築にもたついていたようだが、今は天幕が建ち並び、炊事の煙が数え切れないほど立ち上っている。

夜襲を警戒してか、篝火も焚かれている。

アリデッドは地面に伏せたまま鼻をひくつかせた。

「一応、食事をしたのに美味しそうな匂いを嗅ぐと食欲が湧いてくるのは何故みたいな」

「多分、それは怪我した時のために夕食を腹六分目に抑えたせいみたいな」

アリデッドがぼやくと、隣にいたデネブが追従した。

デネブはカモフラージュ用の布を被っている。

他にも百人ほどの兵士が布を被って地面に伏せている。

エルフは二十人ほど、残りは獣人だ。

かなりの大人数だが、帝国軍には気付かれていない。

なかなかの性能だし、とアリデッドは布を摘まんだ。

その時、ぐぅぅとお腹が鳴った。

「硬パンでも良いから食べたいし」

「音でバレるから離れてやって欲しいみたいな」

「残念無念みたいな」

アリデッドはがっくりと頭を垂れた。

「……それにしても」

「それにしても?」

デネブが鸚鵡返しに呟く。

「行軍中は馬に乗っていたのにまたしても地面を這うことになるとは思わなかったし」

「ぼやいても仕方がないよ」

「――ッ!」

「ぼやいても仕方がないみたいな」

アリデッドが睨み付けると、デネブは言い直した。

「最近、気が緩みすぎだし」

「そんなつもりはない、みたいな」

チッ、とアリデッドは舌打ちした。

最近――と言うほど最近ではないが、デネブは自己主張が激しくなった。

それだけならまだしも抜け駆けしようとするのだ。

二人で力を合わせて生きていこうと誓ったのに世知辛い世の中である。

とは言え、デネブの気持ちは分からないでもない。

自分にだってクロノを独り占めしたい気持ちはあるのだ。

まあ、そんな機会に恵まれても頭が真っ白になってしまいそうだが。

『どうするでござるか?』(がう?)

タイガが匍匐前進でこちらに近づいてきた。

流石、獣人と言うべきか、その動きはスムーズだ。

スムーズすぎて怖い。

「初日で無理はしたくないみたいな。食事時なのに見張りもいるし」

『流石に警戒されているでござるな』(がう)

「手の内がバレているのはちょっと辛いみたいな」

『警戒に力を割かせることができたと考えるべきでござる』(がう)

「物は言い様だし」

やっぱり、クロノ様がいないと調子が狂うみたいな、と心の中で付け加える。

「取り敢えず、報告するし」

アリデッドは籠手の通信用マジックアイテムを口元に寄せた。

「もしもし、こちら偵察隊。聞こえるみたいな?」

『聞こえてるよ』

通信用マジックアイテムからクロノの声が響く。

『どちら様でしょうか?』

「あたしあたしみたいな」

『え? 誰だろう?』

「ほら、いつも会ってる」

『いつもって言われてもな~』

「もう愛人の声を忘れるなんて罪な人だし」

『愛人は沢山い――』

「それは冗談でも駄目、絶対みたいな!」

アリデッドは声を荒らげた。

と言っても気付かれないように小声でだが。

『アリデッド、どうかした?』

「帝国軍が食事中でお腹が鳴ってますみたいな」

『硬パンを用意しておくよ』

「できれば温かなご飯を用意して欲しかったけど、それはそれでやむなしみたいな」

『陣地の構築に手間取ってるって話だったけど……』

「陣地構築はすでに完了してるから明日にも攻めてくるかもみたいな。ちなみに今は歩哨を立てて警戒しながら食事中みたいな」

『無理はしなくていいよ。戦いはまだ始まったばかりだからね』

「もちろん、そのつもりだし」

はは、と笑い声が響く。

「とは言え、このまま帰還するのも芸がないし、敵陣地の配置図を作成するみたいな」

『危なくない?』

「見つからないように距離を置くから大丈夫みたいな。その分、精度は低くなるから数で補っていくし」

『分かった。任せたよ』

「了解みたいな」

アリデッドはデネブとタイガに目配せをする。

すると、二人は顔を寄せてきた。

「という訳で敵陣地の配置図を作成するし。二人とも筆記用具は持ってるみたいな?」

「持ってきたけど、どうやるのみたいな?」

「簡単だし」

アリデッドはポーチから紙を取り出し、横に三回折り、開いて縦に三回折った。

「これでマス目ができたし。あとは……」

敵本陣に視線を向けると、中央に立派な天幕が立っていた。

「あの立派な天幕を中心に……まあ、あとはフィーリングで」

「精度が期待できそうにないし」

『何もない状態で敵陣地を襲撃するよりはマシでござる』(がう)

「うん、クロノ様はなかなか無茶をしてきたし」

過去の出来事を思い出し、しみじみと呟く。

「三隊に分かれて別の角度からチェックするし。二人とも散るみたいな」

「……お姉ちゃん」

「分かってるし。分かってるけど、隊長という立場を利用して楽をしたい気持ちも察して欲しいみたいな」

「お姉ちゃん!」

『アリデッド殿』(ぐるる)

「分かってるし! 行けば良いんでしょみたいな!」

デネブに責められ、タイガに呆れられ、アリデッドは匍匐前進で移動を始めた。

臭ぇな、とロイは鼻を擦った。

発生源はボウティーズ財務局長が集めた傭兵達だ。

傭兵達はアルヘナが率いる第三近衛騎士団、ロイが率いる第四近衛騎士団、一般兵の前に布陣している。

かなり距離があるにもかかわらず、すえた臭いがここまで漂ってくる。

傭兵、と口の中で呟いて嗤う。

彼らをではない。言葉の便利さを、だ。

ボウティーズ財務局長が集めた連中は浮浪者にしか見えない。

そんな連中でも傭兵と名乗れば傭兵なのだ。

ギルドに所属しなければならない自由都市国家群の傭兵とはえらい違いだ。

こうなってみると、ラマル五世の施策は正しかったのだと確信できる。

莫大な金を投入したとは言え、傭兵という制度を形骸化したのだから。

ボウティーズ財務局長は馬に乗り、連中の前に移動した。

「諸君! 時は来たッ!」

ボウティーズ財務局長は声を張り上げた。

「諸君らは帝国軍の兵士として賊軍を討ち、皇帝陛下の威光を知らしめるのだ! これは正義の行いである! 賊軍を打ち倒せば諸君らの名前は帝国の歴史に永遠に刻まれることだろう!」

鼓舞するが、傭兵達の反応は鈍い。

座り込んでいる者さえいる。

当然と言えば当然だ。

ボウティーズ財務局長の言葉は貴族にならば多少は響くだろう。

だが、彼らは傭兵を自称する、もしくは傭兵と売り込まれた浮浪者だ。

そんな連中が名誉に興味を示すはずがないではないか。

それに気付いたのか、ボウティーズ財務局長は咳払いをした。

「諸君らの目的は中央に存在する障害物の無力化である! 首尾よく障害物を無力化した暁には諸君らに報償を約束しようッ!」

傭兵達がどよめき、座り込んでいた者が立ち上がる。

「金貨じゅ、いや、百枚だ! 障害物を無力化した者には金貨百枚を与える! 人生を変えるほどの大金だ!」

「スゲー大金だ!」

「それだけありゃ故郷に帰れる!」

「たらふく美味い飯が食える!」

「お、女!」

傭兵達が色めき立ったが、ロイは苦笑するしかなかった。

人生を変えるほどの大金――兵士の月給は金貨二枚なので四年二カ月で稼げる額だ。

そんな計算もできない連中が金貨百枚を手にしても人生を変えることはできない。

金を使い果たして終わりだろう。

ともあれ、ボウティーズ財務局長は傭兵達を奮い立たせることには成功したようだ。

「諸君! 歴史に名を刻み、人生を変えるだけの金を手に入れようではないかッ!」

「オーーッ!」

傭兵達が雄叫びを上げた。

「いつになったら始めるんだよ」

ロイは十台の荷車とその周辺に立つ傭兵を見つめながらぼやいた。

太陽は中天に差し掛かろうとしている。

威勢良く雄叫びを上げたものの、そこから先はぐだぐだだった。

まず誰が行くかで揉め、ボウティーズ財務局長が五十人を選んだ。

次に五人一組のチームに分け、報酬のことで揉めた。

金貨百枚を五人で分けるのか、一人一人で支給されるのかで、だ。

普通に考えれば後者だが、ボウティーズ財務局長は前者のつもりだったようだ。

これは目的を達成したチーム全員に金貨百枚を支払うことで決着した。

さらに配置で揉めた。

荷車の引き手と押し手の報酬が同じというのは納得できないということだった。

これは引き手に追加報酬を支払うことで決着が付けた。

その後も言い争いを続けている。

「今日中に始められるのかよ」

ロイが再びぼやいたその時、傭兵達が動き始めた。

十台の荷車が同時に動く。

どうやら横一列に並んで進むことに決めたようだ。

ゆっくりと敵陣に向かって進んでいく。

敵陣まで相当な距離がある。

自分の部下ならばまだしも一般兵では敵陣に辿り着く頃には疲れきっているだろう。

浮浪者ならば尚更だ。

ロイは目を細めた。

敵本陣でも動きがあったようだ。

溝に隠れている兵士に動きはない。

動きがあったのはその後ろだ。

弓兵らしき連中が中央付近に移動する。

クロスボウは射程が短いという話だったのでそのためだろう。

横一列に並んだまま荷車は進む。

敵陣まで半分の距離に迫っているが攻撃はない。

その時、一台の荷車がわずかに前に出た。

わざとではないだろう。

だが、他の連中はそう思わなかったようだ。

隣の荷車が追い越し、さらに隣にいた荷車が――あとのことは言うまでもない。

荷車は追い越し、追い越され、先を争うように敵陣に向かった。

正気の沙汰とは思えない。

傭兵達が歓声を上げた。

仲間意識があったのか、とロイは軽く目を見開き――。

「ウォォォォッ! 行けぇぇぇッ!」

「進め! 進めッ!」

「俺はお前らに賭けてるんだッ!」

「殴れ殴れ! 蹴散らして行けぇぇぇッ!」

「仲間意識くらい持てよ」

うんざりとした気分で吐き捨てる。

「だが、このままじゃ保たねーぞ」

ロイが呟いた直後、側面で荷車を押していた傭兵の一人が倒れた。

倒れた傭兵に荷車が乗り上げる。

ぐしゃりという音が聞こえてきそうな光景だった。

車輪が跳ね上がり、荷車が反対側にいた傭兵を巻き込んで横転した。

似たような光景が周囲でも繰り広げられていたが、傭兵達は歓声を上げる。

もう賭けの対象にしか見えていないようだ。

そんな状況だったが、五台の荷車は障害物の近くにまで迫っていた。

もちろん、それは目的の障害物ではない。

五台の荷車は目的の障害物に続くルートに殺到する。

その時、一人の傭兵が隣にいた傭兵を殴りつけた。

体力を消耗していた傭兵は無様に転倒し、その上を荷車が通過する。

傭兵に乗り上げたことで進行方向が変わり、荷車は障害物に突っ込んだ。

押し手は難を逃れることができたが、引き手は逃れられなかった。

障害物と荷車の間に挟まったのだ。

いや、荷車によって障害物に押し付けられたというべきか。

引き手は荷台に上半身を横たえ――背骨が折れたのかも知れないが――暴れている。

無事に進めたのは三台だけだった。

そこに矢が降り注ぐ。敵弓兵が矢を放ったのだ。

スピードが出ていたこともあり、幸いにも矢を躱せた。

そう、幸いにもだ。幸運は長く続かない。

矢が傭兵達を貫く。

傭兵達が勢いよく転倒し、荷車が横倒しになったり、障害物に突っ込んだりする。

残りは一台。

殺されるのは時間の問題だと思ったが、荷車のスピードが上がった。

いつ倒れてもおかしくないが、危機的状況下で疲労を忘れているのかも知れない。

火事場の馬鹿力というヤツだ。

あと少しで目的の障害物という所で爆音が轟き、荷車が真上に跳ね上がった。

恐らく、矢の中にマジックアイテムがあったのだろう。

最後の荷車がひっくり返り、傭兵達は静まり返った。

「……俺ら如きにあんな物を使うなんてマジかよ」

誰が呟いたのか分からないが、それは傭兵達の気持ちを代弁しているかのようだった。