軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第12話『正義』その6

ルーカスは爽やかな気分で目を覚ました。

連日続いていた胸の痛みは嘘のように消え、汗も掻いていない。

よく眠れたのが良かったのかも知れない。

昨夜も反乱軍は嫌がらせをしてきたが、ベッドに入るとすぐに眠ってしまった。

ベッドから下り、ここ数日ですっかり汚れてしまった上着に袖を通す。

それさえも愛しく感じられるのは覚悟を決めたからだろうか。

「……覚悟か」

ルーカスは小さく呟いた。

昨夜、輜重隊が運んできたパンには毒が混入されていた。

処置が早かったお陰で死者こそ出なかったが、糧秣を口にすることはできない。

毒の有無を判別することができない以上、仕方のないことだった。

部下達はトレイス男爵が裏切った、反乱軍の工作だと騒いでいたが、ルーカスはどちらでもないと考えていた。

裏切ったにしてはやり方が露骨すぎるし、工作にしてはタイミングが悪すぎる。

パンを作った人間の中に滅ぼした村の関係者がいて、仇を取るために毒物を混入したと考える方が自然なように思える。

いずれにせよ、選択肢を奪われたことに変わりはない。

糧秣はすでになく、取りに行くにしても時間が掛かりすぎる。

徴発するにせよ、一万七千人余りを養えるだけの蓄えがある場所など限られている。

動ける内に野戦陣地を攻略し、シルバニアを制圧するしかない。

「……まるで盗賊だな」

もしくはイナゴの群れだな、とそんなことを考えて苦笑する。

こんなことになるのならばラルフ・リブラ軍務局長に作戦を見直すように具申するべきだった。

「どうせ、無駄だろうが」

あの男は理屈で物事を考えすぎる。

もちろん、作戦を立てる上で理屈は大事だが、人間は命の懸かっている状況下でも失敗するし、正しいからと何でもかんでも受け入れられる訳でもないのだ。

ルーカスが天幕の外に出ると、歩兵達は隊列を組んで待っていた。

年嵩の男が駆け寄ってきた。

「軍団長、お待ちしておりました」

「ご苦労」

ルーカスは歩兵達が視野に入る場所に移動する。

「傾注!」

男が叫ぶと、歩兵達がこちらに視線を向けた。

「まず、全員に伝えておくことがある! 知っているかも知れないが、輜重隊が運んできた糧秣に毒物が混入されていた!」

ルーカスは声を張り上げた。

「このままでは我々は飢え、戦う力を失う! そうなれば我々は為す術もなく反乱軍に殺されるだろう! その前に我々は敵野戦陣地を攻略し、シルバニアを制圧しなければならない!」

語り掛けながら背筋に冷たいものが伝う。

これは賭けだ。

ルーカスの言葉に歩兵達がやる気を失うか、あとがないとやる気――自暴自棄にも等しい感情だが――になるかが掛かっている。

「シルバニアには食料も、金もある! 特に素晴らしい働きをした者には最低でも士爵位が叙爵されるように便宜を払う!」

「野郎ども! 負けて全てを失うか、勝って全てを得るかの瀬戸際だ! 勝ちたいヤツは吠えろ! 声で反乱軍を圧倒してやれ! オーーーーッ!」

「オーーーーッ!」

男が吠えると、歩兵達が後に続いた。

「声が小さいぞ! お前らは去勢された馬かッ? 軍団長殿にお前らの本気を見せてやれ!」

「オオオオオッ!」

歩兵達が顔を真っ赤にして雄叫びを上げた。

その声は大気ばかりか、ルーカスの心までも震わせた。

「お前達の本気は伝わった!」

「軍団長殿、乗って下さい。こいつは図太いヤツで爆音が鳴っている時にも秣を食ってたって話です」

ルーカスは男が連れてきた馬に乗った。

「行くぞ! 進ぐ――」

「軍団長!」

ルーカスの言葉を遮ったのはフィリップだった。

「なんだ?」

「我々はどうすれば?」

「説明した通り、背後から襲撃されないように街道を守っていろ」

「……分かりました」

フィリップは不満そうな表情を浮かべたが、大事な任務であることに違いはない。

生き残った近衛騎士団員は七百名弱。

輜重隊の隊長から聞いた話によれば敵騎兵の数は五、六十騎だったらしい。

大八車でバリケードを作れば弱兵とは言え容易に突破されることはないだろう。

ふと不安が込み上げる。

フィリップ達が大八車でバリケードを作るか心配になったのだ。

「大八車でバリケードを作るのを忘れるな。バリケードがなければ敵騎兵を止めることはできないぞ」

「分かってます!」

馬鹿にされたと感じたのか、フィリップは声を荒らげた。

「進軍開始!」

ルーカスは大声で叫び、馬首を巡らせた。

馬を進ませると、規則正しい足音が付いてくる。

「宜しかったんですか?」

「構わんよ」

ルーカスは溜息を吐いた。

自分に残された時間は少ないと思っていたが、今日はいつになく体調が良い。

もしかしたら、自分にはまだ時間が残されているのかも知れない。

そう考えると、第八近衛騎士団を再編したいという気持ちが湧き上がってくる。

「……生き残ってからの話だな」

ルーカスは苦笑するしかなかった。

大将の気持ちがよく分かるぜ、とミノは野戦陣地から敵――帝国軍を見つめた。

帝国軍は野戦陣地に向かい合うように横陣を組み、敵指揮官――ルーカスはその背後に控えている。

瞬時に数を把握できるような能力は持ち合わせていないが、帝国軍がほぼ全ての兵力を投入してきたと分かる。

ぐるぐると胃が蠕動し、肛門に力を入れておかなければズボンの中に大きい方をひり出してしまいそうだ。

自分では図太い神経をしていると思っていたのだが、どうやら思い込みに過ぎなかったようだ。

よくよく思い出してみれば副官という地位に就きながら今のようなプレッシャーを感じたことはなかった。

自分の仕事に対する責任感やクロノを支えなければという思いはあったが、それは副官としてのものだ。

今だって立場は変わっていないが、背負っているものが大きくなった。

ここにいる皇軍――早番遅番合わせた六千七百人余りの命だけではなく、エラキス侯爵領とカド伯爵領の未来が懸かっている。

いや、懸かっているのは自分達だけではなく、後に続く者達の未来だ。

これで緊張しない方がどうかしている。

『……やるしかねぇんだ』(……ぶも)

戦って勝つ以外の道はないと考えた途端、気分がスッと楽になった。

石切場の仕事が嫌で実家を逃げ出した自分が未来を懸けて戦えるのだ。

『野郎ども! これから俺達は未来を懸けて戦う!』(ぶも!)

ミノは声を張り上げた。

『この中にはどうすればマシな明日を迎えられるようになるか分からなくて途方に暮れていたヤツもいるだろう! 自分達が何に押し潰されそうになっているのか分からずに苦しんでいたヤツもいるだろう!』(ぶも! ぶもぶも! ぶも!)

クロノに出会う前のミノがそうだった。

まるで霧の中を歩いているような気分だった。

このままではいけないと感じていても霧の中から抜け出す方法が分からなかった。

『だが、今は違う! 見えなかった敵が俺達の前に現れた! 実体があるってことは戦えるってことだ! 戦えるってことは勝てるってことだ! 俺達は戦って、未来を勝ち取ることができる! 勝つぞ!』(ぶも! ぶも!)

「オーーーーッ!」

ミノが拳を突き上げて叫ぶと、部下達が雄叫びを上げた。

その時、大八車が横陣の前に出てきた。

矢を防ぐためか、大八車の向きは逆向きで、盾が据え付けられている。

何を考えているのか分からないが、真っ先に破壊すべきだろう。

「突撃!」

ルーカスが叫び、大八車が動き始めた。

徐々にスピードが上がっていく。

『弓隊、構え!』(ぶも!)

ミノの命令に従い、弓兵が機工弓を構える。

全兵力を投入しているため弓兵の数は昨日の二倍になっている。

だが、押し留めるのは難しいだろう。

弓兵の任務は敵の数を減らし、十字弓兵――義勇兵の負荷を減らすことにある。

『放てッ!』(ぶもッ!)

弓兵が一斉に矢を放つが、大八車の手前に落ちる。

大八車は矢など存在していないかのように突き進む。

いや、進まざるを得ないと言うべきか。

大八車は荷物を運ぶ役には立つが、小回りが利かない。

あれだけスピードを出していたら進行方向をほんの少し修正するだけで精一杯だろう。

大八車が通過するかしないかのタイミングで地面に突き刺さっていた矢が光を放つ。

轟音が鳴り響き、土が噴水のように噴き上がった。

土煙を突き破り、大八車が次々と姿を現す。

爆発によって破壊されたものもあるようだが、損害は一割か、二割だろう。

『弓兵、放て!』(ぶも!)

再び弓兵が矢を放つが、最初の時ほど揃っていない。

土が噴き上がる中を大八車、いや、それを押すリザードマンは懸命に走る。

大八車の真下で矢が爆発し、リザードマンが大八車ごと舞い上がる。

さらに大八車に乗っていた敵兵が荷物と一緒に放り出される。

ミノは荷物の正体を知り、驚愕に目を見開いた。

大八車が運んでいたのは布だった。

恐らく、天幕だろう。

だが、ミノは天幕に驚いたのではない。

敵が鉄の茨で作られた障害物を突破する方法を発見したことに驚いたのだ。

鉄の茨は恐るべき兵器だ

通常の武器はもちろん、並の魔術やマジックアイテムでは破壊できない。

だが、厚手の布を被せれば破壊せずに突破することができるのだ。

『弓兵! 放てッ!』(ぶもぶも!)

弓兵が矢を放ち、爆発が連続して起きる。

それでも、敵兵は動きを止めなかった。

それは前に進むしか生きる道はないと分かっているからだ。

ガシャンという音が響く。

大八車が鉄の茨で作られた障害物に当たった音だ。

「突撃せよ!」

「オーーーーッ!」

ルーカスの命令に従い、敵歩兵が走り出した。

全員ではなく、前から数列目までだ。

戦力の逐次投入は愚策だが、鉄の茨に行く手を阻まれている状況ではそうとも言い切れない。

先に進むことができないのに兵士を進ませても的になるだけだからだ。

『弓兵! 布を持っている者を狙い撃てッ!』(ぶもぶもッ!)

ミノの命令に従い、弓兵が布を運んでいる敵兵を射貫く。

敵兵が矢に射貫かれて頽れ、別の敵兵が引き継ぐ。

鉄の茨で作った障害物の周辺はあっと言う間に死体で埋まった。

だが、無駄死にではない。

兵士の命と引き替えに鉄の茨を無効化したのだから。

「突撃!」

「オーーーーッ!」

敵兵はルーカス呼応するかのように叫び、一斉に走り出した。

不意にミノは津波という単語を思い出した。

どんなタイミングで教わったのか忘れてしまったが、海水浴に行った時にクロノから教わったことは覚えている。

地震の後に押し寄せる巨大な波――あらゆる物を攫っていくそれが目の前に現れた。

『弓兵! 任意に矢を放て! 十字弓兵、撃て!』(ぶも!)

十字弓兵が矢を放ち、最前列にいた敵兵に突き刺さる。

だが――。

「オーーーーッ!」

敵兵は矢に射貫かれながらも突進してきた。

『第二射ッ!』(ぶもッ!)

十字弓兵がその場にしゃがみ、塹壕に隠れていた十字弓兵が立ち上がって矢を放った。

敵兵が短い悲鳴を上げ、その場に頽れる。

『第三射ッ!』(ぶもッ!)

塹壕の背後に控えていた獣人が矢を放つ。

三段撃ち――十字弓兵を三列横隊に配置し、代わる代わる矢を放つ――は連射性の低さを補うための策だった。

もっとも、三列目の獣人は六百三十六人――十字弓兵の二割にも満たないので完璧な三段撃ちではない。

十字弓と三段撃ちにびびってくれると思ったんだな、とミノは心の中で吐き捨てた。

敵兵の勢いは止まらなかった。

『十字弓兵! 撃てッ!』(ぶも! ぶもッ!)

一列目にいた十字弓兵が立ち上がって矢を放つ。

敵が間近に迫っているせいか、タイミングは揃っていない。

二列目の十字弓兵は弦を引くことができずにいる。

「落ち着くんじゃ! 練習通りにやれば勝てるッ!」

「そうじゃそうじゃ!」

マンチャウゼンとアロンソが配下の十字弓兵に声を掛ける。

『重装歩兵、エルフの妙薬を投げろ!』(ぶも!)

弓兵を守るために控えさせていた重装歩兵が壺を投げる。

壺が馬防柵を越えて落下し、強烈なアルコールの臭いが辺りに立ち込める。

『炎の魔術を放て!』(ぶも!)

「炎弾乱舞!」

弓兵が魔術を放つ。

握り拳大の炎が降り注ぎ、アルコールに引火。

膨れ上がった炎が敵兵を呑み込んだ。

「ぎぃぃぃぃぃッ!」

「熱い、熱いィィィッ!」

「ひぃぁぁぁぁッ!」

あちこちから敵兵の悲鳴が上がった。

阿鼻叫喚とはこのことだろう。

「た、助け――ッ!」

炎に包まれた敵兵が馬防柵にしがみつく。

目の前で人間が焼け爛れていく様を直視した義勇兵が堪らずに嘔吐した。

それが呼び水になったかのように義勇兵が次々と嘔吐する。

吐瀉物とアルコール、人間の焼ける臭いが混じり合った名状しがたい臭気が漂う。

「吐いている暇があったら撃て、撃たんかッ! 殺さなければ儂らが……お前達の大事な人が同じ目に遭うんじゃぞ!」

「降伏したトレイス男爵領では男は殺され、女は老婆に至るまで犯されたんじゃ! 家族をそんな目に遭わせて良いのかッ?」

マンチャウゼンとアロンソは馬防柵にしがみついた敵兵を射貫きながら叫んだ。

「た、助け――」

「う、うわぁぁぁッ!」

年若い十字弓兵は絶叫し、救いを求める敵兵に矢を放った。

敵兵のただなかで爆発が起きる。

前線を舐めるように爆発が起き、そのたびに敵兵が宙を舞った。

その中心には槍が突き刺さっている。

刻印術士――諸部族連合の傭兵が放った槍だ。

槍の飛んできた方を見ると、諸部族連合の傭兵が森から飛び出してくる所だった。

彼らを率いているのはシフではなく、その副官であるベアだ。

「ヤツらを焼き払うぞ!」

横隊に並んだ傭兵が炎を放つが、敵兵の動きは鈍い。

前回受けた攻撃で誰も死ななかったこその動きだ。

「放てッ!」

ベアの命令によって、諸部族連合の傭兵が炎を放つ。

炎に呑み込まれた敵兵の体表は一瞬にして炭化し、ピンク色の内臓が脆くなった部分を突き破って外に溢れ出した。

悪夢じみた光景だが、味方となれば心強い。

「蛮族どもと距離を詰めよ!」

「オーーーーッ!」

敵兵が諸部族連合の傭兵に突進する。

「もう一度だ!」

ベアの命令に従って、諸部族連合の傭兵が炎を放つ。

炎は敵兵を呑み込んだが、体表が一瞬にして炭化するほどの威力はない。

とは言え、十分な致命傷である。

死なずに済んだとしても後遺症に苦しむことだろう。

「威力が弱まっているぞ! 回復させる暇を与えるな!」

「オーーーーッ!」

ルーカスに鼓舞された敵兵が雄叫びを上げて突っ込んで行く。

その時、森から棒の付いた球体が投げ込まれた。

空中で炸裂し、釘が敵兵に降り注ぐ。

だが、敵兵はスピードを緩めない。

覚悟を決めた者は釘が刺さったくらいで歩みを止めたりしない。

「ここにいる全ての者に俺達の忠義を見せつけろ!」

ベアが叫び、諸部族連合の傭兵と敵兵がぶつかり合う。

敵兵は数合と保たずに倒れるが、とにかく数が多い。

大将、頼みやす、とミノは敵陣後方を見つめた。

そこでルーカスは部下を鼓舞している。

前線に兵力を投入しているためルーカスを守る兵士は少ない。

今がチャンスだ。

クロノは茂みから戦闘を見つめていた。

場所は敵陣の斜め後ろ――奇襲を仕掛けるには絶好のポイントだ。

「……帝国軍の方が有利か」

『連中は勢いに乗っているでござる』(ぐるる)

隣に座っていたタイガが肯定する。

帝国軍の方が大きな損害を被っているが、その勢いは皇軍を上回っている。

「自棄っぱち気味の勢いだけど、義勇兵にはちょっと難しいか」

『もう少し勝ちを重ねれば勢いに乗れたと思うでござるが……』(がう……)

「まあ、善し悪しだよね」

『でござるな』(ぐるる)

座ったまま部下達に向き直る。

二百人の兵士がクロノの命令を待っている。

作戦が上手くいけば楽な戦闘になったのだが、世の中というものはままならない。

「アリデッド、デネブ、頼んだよ」

「お任せみたいな!」

「クロノ様こそ、しっかりみたいな!」

赤い光がアリデッドを、緑の光がデネブを彩る。

この二人が勝利の鍵だ。

正直に言えば奇襲だけで片を付けたいのだが、保険は大事だ。

「タイガ、行くよ」

『了解でござる』(がう)

クロノが刻印を起動すると、タイガも刻印を起動させた。

立ち上がり、剣を抜く。

「突撃! 僕に続け!」

クロノは茂みから飛び出し、ルーカスに向かって駆けた。

『その調子でござる』(がう)

「僕は子どもか」

『目が離せないという意味では似たようなものでござる』(がう)

ぐるる、とタイガは喉を鳴らした。

「中央、反転せよ!」

ルーカスが叫び、横隊中央にいた敵兵の半数が一斉に反転した。

昨日は纏まりがなかったのに生まれ変わったかのように統制の取れた動きだった。

敵兵はルーカスを守るように取り囲む。

まるで不定形の生物が餌を捕食するかのような動きだ。

『邪魔でござる!』(がう!)

タイガが大剣で斬り伏せるが、すぐに別の敵兵が穴を埋める。

「ハッ!」

敵兵が槍を繰り出す。

クロノは敵兵が槍を引くのに合わせて飛び込み、剣を振り下ろした。

血が噴き出し、敵兵が倒れる。

だが、すぐに別の者がカバーに入る。

『うわッ!』(がうッ!)

反射的に横を見ると、部下が敵兵に攻撃を受けていた。

「怯むな!」

クロノは部下を鼓舞し、敵兵に斬りかかった。

部下達は敵兵を包囲するが、斬っても斬ってもルーカスに辿り着けない。

辿り着くどころか、敵兵はクロノ達を包囲するように動き始めた。

不意にルーカスと目が合った。

お前の考えはお見通しだと言いたげな表情を浮かべている。

「いや、まあ、僕もここまでは読んでたんだけどね!」

『クロノ様! 避けてくれると嬉しいし!』

『必殺技みたいな!』

ポーチにしまった通信用マジックアイテムからアリデッドとデネブの声が響いた。

直後、光が降ってきた。

それは赤と緑の光に覆われた矢だ。

矢はルーカスの間近に突き刺さり、光と衝撃波を放った。

ルーカスを守っていた敵兵が吹き飛び、クロノも危うく吹き飛ぶ所だった。

土煙が視界を遮る。

「やったか?」

しまった、とクロノは自分の失敗を悟った。

必殺技を放った直後に『やったか?』などという台詞を吐いてはいけない。

それは必殺技が破られるフラグでしかないのだ。

もちろん、現実は違うが、験を担ぎたいのだ。

土煙が晴れたそこには盾を構える二人の敵兵がいた。

大八車に設置されていた盾だ。

マジックアイテムで破壊した大八車が何台かあったが、まさかこんな所にあるとは。

ルーカスが盾の陰から歩み出る。

土で汚れているものの、ダメージらしいダメージを負っていない。

「今なら!」

『危ないでござる!』(がう!)

タイガがクロノの襟首を掴み引き寄せた次の瞬間、槍の穂先が目の前を通り過ぎた。

その間に敵兵は再びルーカスを取り囲んだ。

「アリデッド、デネブ!」

『こ、こっちにも敵が来てるみたいな!』

『一旦、態勢を立て直すし!』

アリデッドとデネブの悲鳴じみた声がポーチから響いた。

野戦陣地から一部始終を見ていたミノは奇襲の失敗を悟って歯軋りした。

奇襲は早く戦闘を終わらせるための手段だ。

それに夜ごとに嫌がらせを繰り返し、昨夜は夜襲を行っているのだ。

それを考えれば相手が警戒していても不思議ではない。

ミノが歯軋りしたのは義勇兵の士気が目に見えて下がったからだ。

「儂らは勝っとるぞ! もっと元気を出すんじゃ!」

マンチャウゼンが鼓舞するが、義勇兵は覇気がない。

実際、帝国軍は撤退を考えなければならないほどの損害を出している。

撤退できないから自棄になって攻めているだけだ。

だが、そんなまやかしの勢いに義勇兵は圧倒されている。

「うわ! 敵がッ!」

少年と評しても差し支えのない年齢の義勇兵が叫ぶ。

見れば敵兵が馬防柵の隙間から侵入しようとしていた。

その形相は少年を怯えさせるのに十分なものだった。

「――ッ!」

矢が眉間に突き刺さり、敵兵はその場に倒れ伏した。

「驚いている暇があるなら撃つんじゃッ!」

マンチャウゼンが叫ぶが、少年はぶるぶると震えながら十字弓を見つめている。

逃げ出さないようにするのが精一杯という感じだ。

切っ掛けが欲しい、とミノが願ったその時――。

「ふ、秘密兵器の出番だな」

凜とした声が響いた。

『ティリア皇女ッ?』(ぶもッ?)

ミノは振り返り、目を見開いた。

ティリア皇女は目の前で戦闘が繰り広げられているにもかかわらず、いつもと変わらぬ様子で近づいてきた。

「何を驚いている?」

『ティリア皇女、ここは危ないですぜ』(ぶも)

「それは分かっているが、ここで秘密兵器を投入せずにどうすると言うのだ」

ティリア皇女はムッとしたように言った。

「私は兵士をやる気にさせるための秘密兵器なのだろう?」

『兵士を慰問して貰うつもりだったんでさ』(ぶも)

前線に来て、兵士を鼓舞して欲しいとは思っていない。

旗頭を失ってしまったら皇軍はおしまいだ。

「そうだったのか?」

『そうだったんでさ。だから、早く帰って下せぇ』(ぶも)

「まあ、ここまで来たんだ。それにお前も困っていただろ?」

『分かるんで?』(ぶも?)

「もちろんだ」

まさか、人間にミノタウルスの表情が分かるとは。

今日のティリア皇女には驚かされてばかりだ。

「良いか?」

『お願いしやす』(ぶも)

ミノは深々と頭を下げた。

帰ってくれと言っても従ってくれないだろうし、手詰まりになっていたのは事実だ。

ティリア皇女の一言で状況が変わるのならば試してみたいと思ったのだ。

「聞け! 偽帝アルフォートと戦う皇軍の兵士達よ!」

凜とした声が戦場に響き渡る。

喧噪が遠退き、兵士達の動きが緩やかなものに変わる。

「偽帝アルフォートは我が盟友クロノに無実の罪を着せたばかりか、軍団まで差し向けてきた!」

ティリア皇女は言葉を句切った。

「だが、軍団を差し向けた真の理由はクロノが領民と共に築き上げた財にある! 知っているか? 目の前にいる連中が行く先々で徴発を繰り返してきたことを! トレイス男爵領の村を攻め滅ぼしたことを!」

ティリア皇女は激しい口調で帝国軍の罪を弾劾する。

「帝国軍とは名ばかりの賊を討つことは正義である! 財産を、家族を、愛しい人を守るために戦え!」

「ギャーハッハ! ティリア皇女が儂らを正義と仰って下さったぞ! これは正義の戦いじゃ! 正義は儂らにあるんじゃ!」

「ティリア皇女がご覧になっておるぞ! 勇ましい姿を見せずにどうするんじゃ! 儂らの活躍をティリア皇女の心に焼き付けるんじゃ!」

「ティリア皇女がご覧になってるぞ!」

「正義は我らにあり!」

ティリア皇女が叫び、マンチャウゼンとアロンソが囃し立てる。

すると、野戦陣地のあちこちから声が上がった。

ミノは熱を感じた。

声が、熱が皇軍全体に伝わっていく。

「戦え、皇軍の兵士達よ!」

「うおぉぉぉぉぉぉぉッ!」

皇軍兵士が一斉に吠えた。

流れが変わった、とルーカスは戦場の変化を感じ取っていた。

ティリア皇女の登場によって反乱軍は勢いづき、帝国軍は勢いを失った。

いや――。

「あ、あれがティリア皇女か」

「あの絵とそっくり……いや、絵よりも綺麗だ」

「村を滅ぼしたのは俺達じゃねーよ」

「賊扱いかよ」

「事実じゃねーか」

「俺達は偽の皇帝に仕える、偽の軍隊か」

「な、なあ、あの絵ってティリア皇女が一緒に戦うって意味だったんじゃないのか?」

「馬鹿を言え。皇族が戦うわけ――」

「あそこにいるじゃないか」

「アルフォート陛下は見送ってさえくれなかったのにな」

帝国軍――部下達の間に戸惑いが広がっていく。

村を滅ぼしたのは第八近衛騎士団だが、ここに来るまでに徴発を繰り返してきたのは事実である。

農村出身の兵士は多い。

そんな彼らにしてみれば帝国軍の行為は決して誉められたものではない。

「ティリア皇女がご覧になっているぞ! 俺達の……諸部族連合の勇姿を! 忠誠を示す時は今をおいてない!」

「オーーーーッ!」

諸部族連合の傭兵までもが勢いを取り戻した。

反乱軍の中で最も損害を出しているのは彼らだ。

『ティリア皇女に拙者達の格好良い所を見せるでござるよ!』(がるる!)

「オーーーーッ!」

虎の獣人が吠え、奇襲部隊が勢いを取り戻した。

「ギャァァァッ!」

「痛ぇ痛ぇよッ!」

「し、死にたくねぇッ!」

最前線から悲鳴が上がり、全体の動きが一瞬だけ止まった。

すぐに動き始めるが、もはや先程までの勢いは失われている。

兵士達は前に進むしかないと考えて戦っていた。

それは勇気と呼べる代物ではない。

自暴自棄、視野狭窄、蛮勇と言い方は色々とあるだろうが、そういうものの力で前に進んでいたのだ。

冷静さを取り戻してしまったら前に進むことはできない。

「臆するな! 押せ、押し返せ! 数で勝っているのは我々だ!」

ルーカスは声を張り上げたが、部下達はジリジリと後退している。

「戦え! たた――」

爆音が鳴り響き、ルーカスの声を遮った。

振り返ると、巨大な炎の柱が後方――街道の方――で立ち上がっていた。

二度、三度、四度と巨大な火柱が立ち上がる。

「……爆炎舞」

ルーカスは小さく呻いた。

爆炎舞は火系統の最上位魔術だ。

街道を封鎖していたフィリップ達はやられてしまっただろうか。

いや、と頭を振る。

確かに爆炎舞は最上位魔術だが、たった四発で七百人以上を殺せる威力はない。

「ウラーーーーーッ!」

雄叫びを聞き、脂汗が噴き出す。

「……まさか」

「第五近衛騎士団ブラッド・ハマル! 義によって助太刀いたす!」

街道に飛び込んできたのは白馬に騎乗したブラッド・ハマルと百を越える騎兵だった。

『ブラッド殿の突撃に合わせて退くでござるよ!』(がう!)

奇襲部隊が離れ、そこにブラッドがルーカスに目掛けて突進してきた。

横列ではなく、縦列の突進。

まるでのたうつ蛇のようにブラッド率いる騎兵隊はルーカスとその周辺の兵士を蹂躙し、駆け抜けていった。

このタイミングで、とルーカスは地面に倒れながら歯軋りした。

「も、もう駄目だ!」

「に、逃げろ!」

「こんな所で死にたくねーよ!」

部下が口々に叫び、逃げ出す。

「に、逃げ――ッ!」

ルーカスは体を起こし、胸を押さえた。

息ができないほどの激痛に苛まれる。

陣形は崩れ、兵士達は我先にと逃げ出している。

「……ここで」

ここで終わりか。

何の答えも得られないままここで死ぬのか。

「否! 帝国の兵士達よ! 臆するな! 私に続け!」

ルーカスは最後の力を振り絞って立ち上がり、敵野戦陣地――ティリア皇女に向かって突進した。

「軍団長に続け!」

「軍団長を死なせるな!」

逆走していた部下が反転してルーカスに続く。

だが、ほんの一部だ。

もはや、潰走を押し留める手段はない。

ならば助けられる部下でも助けるべきではないのか。

そんな考えが脳裏を過ぎるが、ルーカスは最後に試してみたかった。

「突撃せよ!」

ルーカスは全力で駆ける。

駆けながら昔のこと――内乱期のことを思い出していた。

その日、ルーカスは掃討任務に就いていた。

敵味方に分かれてしまったとは言え、同じ帝国の人間だ。

獣のように追い立てて殺すことに抵抗がなかったと言えば嘘になるが、重要な任務であることは分かっていた。

ただ、その日は大規模な戦闘の後で疲れ切っていた。

普段ならば物陰に敵が潜んでいないかチェックするのにそれを怠った。

少しくらい手を抜いても戦況は変わらないと考えて、だ。

それで親友が死んだ。

にもかかわらず、誰もルーカスを責めなかった。

それどころか、親友を失ったことに対して慰めの言葉さえ掛けてくれた。

その後、ルーカスは懸命に働いた。

怠慢によって親友を死に至らしめた罪悪感もあったが、いずれ正義の名の下に裁かれるという意識もあった。

いずれ――終わりがあると考えたからこそ、働けたのだ。

しかし、ルーカスは裁かれなかった。

軍が再編制されても職を失うこともなく、結婚し、子どもが生まれた。

おかしい、と思った。

裁かれるべき自分が幸福を享受して良いはずがないと。

戸惑いながら軍内で出世し、人間の本質は悪ではないかと考えるようになった。

軍内には大小様々な不正が存在し、ルーカスも不正に手を染めるようになった。

不正を行った。

悪を行った。

自分を気遣う妻と息子を遠ざけ、愛人を囲った。

前途ある若者を腐らせた。

悪だ。

これが悪でなくて何が悪なのか。

「私はここにいるぞ! 正義を名乗るならば私を倒してみろ!」

ティリア皇女に向かって走る。

矢が横殴りの雨のように飛んできたが、ルーカスを傷付けることはできなかった。

「正義は……正義は何処だ!」

ルーカスは吠えた。

親友を死に至らしめても裁かれなかった。

不正に手を染めても裁かれなかった。

走る。

走る。

走り続け、壁が目の前に現れた。

「な、なんだ、これは?」

壁を押すがビクともしない。

指先が小石に触れ、壁に突き立つ矢が見えた。

そこでようやく自分が地面に倒れていることに気付いた。

目の前がゆっくりと暗くなっていく。

「ま、まだだ。私は答えを得ていない。正義は、正義は……」

不意に親友の両親に罪を告白したことを思い出す。

あの憐れみと慈悲に満ちた言葉と態度。

「……何故」

何故、責めてくれなかった。

あの時に責めてくれれば、ここまで苦しむことはなかったのに。

「……何故」

そして、ルーカスの意識は途絶えた。

「……今回も生き延びたか」

クロノは潰走する帝国兵を見ながら深々と溜息を吐いた。

ルーカスが突撃し、帝国兵が再び野戦陣地に向かい始めた時は肝を冷やしたが、終わりよければすべてよしだ。

「損害は?」

『負傷者多数なけれど、死者なしでござる』(がうがう)

「良かった」

クロノは胸を撫で下ろした。

『クロノ様、ケインだ。応答してくれ』

「はいはい、こちらクロノ」

ポーチから通信用マジックアイテムを取り出す。

『第五近衛騎士団に援軍に行って貰ったんだが……何とかなったみたいだな』

「どうして、分かるの?」

『そりゃ、目の前を帝国軍が通り過ぎて行ったらな。結構な人数がいるんだが、どうするんだ?』

「休憩を挟んでから追撃を仕掛けたい所だけど、トレイス男爵領に入られちゃうとね」

一応、根回ししておかないと後で何を言われるか分からない。

「街道を塞いでた近衛騎士団は?」

『連中なら森に逃げたぜ』

「こっちは追撃をしないとね」

『追撃は休憩を挟んでからにして欲しいし』

『負傷者多数で部隊再編が先みたいな』

通信用マジックアイテムからアリデッドとデネブの声が響く。

「良かった。無事だったんだね」

『ふふん、あたしらは超パワーアップしてるし』

『あまり刻印術を使わないから反動が厳しいみたいな』

クロノはタイガを見つめた。

『拙者は大丈夫でござる』(ぐるる)

タイガは牙を剥きだして笑った。

「まあ、とにかく……勝てて良かったよ」

クロノが深々と溜息を吐いたその時、野戦陣地から勝ち鬨が上がった。

夕方――フィリップは足を引きずりながら森の中を逃げていた。

視線を落とすと、太股に突き刺さった矢が見えた。

「クソ、あの豚野郎。あんなヤツらを止められる訳がないだろ」

矢を射かけられ、魔術をぶち込まれた所に騎兵が突っ込んできた。

弓矢も魔術もなく、どうやって対抗しろと言うのか。

逃げるしかないではないか。

「あの豚野郎だ。あの豚野郎が悪い。あの豚野郎のせいで……く、きぃぃッ!」

フィリップは豚野郎――ルーカスのことを思い出して奇声を上げた。

出会った時から豚野郎のことが嫌いだった。

肥え太り、プピーと鼻を鳴らす。

第八近衛騎士団に入ってしまったせいで他の近衛騎士団員から馬鹿にされ、婚約者に見下され、敗残兵として森の中をさまよっている。

「……エルフどもめ、生意気に馬に乗りやがって」

特に褐色の肌をしたエルフだ。

あの女が太股に矢を撃ち込んだのだ。

「帝都に戻ったら見ていろよ」

反乱軍の凶暴さを訴え、新たな軍団を派遣して貰う。

この手で殺せないのは残念だが、自分の太股に矢をぶち込んだ女が死ねば穏やかな気持ちになれるに違いない。

フィリップは行く手を塞ぐ木を払い除け、目を見開いた。

「……森から出られたのか?」

思わず笑みが漏れる。

「流石、俺だ。きっと、神に愛されているに違いない」

視線を巡らせると、すぐに街道が見つかった。

取り敢えず、近くの村に行き、治療を受ける。

その後、トレイス男爵の下に運んで貰えば良い。

足を引きずり、ようやく街道に出る。

「あれは人か?」

目を細めると、街道に人が立っていた。

人に向かって歩き出した直後、視界が揺れた。

誰かに殴られたのだ。

振り返ると、そこには棒を持った男が立っていた。

「女房と娘の仇!」

「こ、この平民がッ!」

「ひぃぃぃッ!」

フィリップが剣の柄に触れると、男は無茶苦茶に棒を振り回した。

棒が矢の突き刺さった太股に当たり、堪らずに片膝を突いた。

棒を振り上げる男を手で制す。

「ま、待て。話し合おう。俺はケガをしているんだ。無抵抗の相手を嬲っても心に良くないものを残すだけだ」

「俺達だって抵抗しなかった!」

男は顔を歪め、棒を振り下ろした。

フィリップは片手で棒を掴んだ。

「俺が話し合おうと言っているのに生意気な――」

棒で殴られた時の何倍もの衝撃に襲われ、フィリップは倒れた。

目の前に握り拳よりも大きな石が落ちる。

「大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だ」

フィリップが体を起こそうとすると、鳩尾の辺りで衝撃が生じた。

「ゲハッ!」

堪らずに嘔吐し、頭を踏み付けられる。

「き、貴様、よくも俺を足蹴に」

「足蹴にされたくらいで文句を言ってるんじゃねぇ! 俺達は家族を殺され、家を焼かれたんだッ!!」

何度も、何度も踏み付けられる。

意識が薄れてきた頃、攻撃が止まった。

いくつもの足が見える。

「こいつをどうする?」

「身代金ってヤツが貰えるんじゃないのか?」

「いや、俺達には交渉する方法がねぇから無理だろ。それにこいつらを生かしておく義理もねぇ」

「身包みを剥いで、殺しちまおう」

「待て、服はそのままにして金目の物だけ奪おう」

「汚れちゃいるが、服だって売れるだろ?」

「服を脱がせたら死体を買い取って貰えないだろ」

おぞましい会話が目の前で繰り広げられている。

「それもそうだな。しまった。死体が売れると分かっていればあんなに踏み付けるんじゃなかった」

「顔半分は無事みたいだから次から気を付ければ良いさ」

こ、この卑しい平民めが、とフィリップは吐き捨てようとしたが、もごもごと口が動くだけだった。